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2016/05/10

戦争放棄と天皇制維持は矛盾する


1945(昭和20)年9月2日、日本が降伏文書に調印した日の夜、皇室と日本政府に激震が走りました。

なぜならGHQがポツダム宣言に違反して「日本に軍政を布く」と突然布告したからです。この一報を聞いて宮中、日本政府は震撼しました。

占領軍が軍政を布くということは、日本政府も皇室もなくなり、当然日本人の主権も奪われることを意味します。そして一度そういう事態になると主権を取りもどすことは非常に困難なことになる。

たとえば無条件降伏したドイツのように、国が分断され、ふたたび国が統一されるまで40年以上もの月日を要する事態になる。

外務省からこの非常情報を聞いた重光葵(しげみつまもる)は翌日、マッカーサーに談判に行きます。

そこで重光は「日本国民の信念である皇室を排撃し、日本の政治組織を蹂躙すれば日本は混乱におちいるやも知れぬ」と意見を述べ、軍政布告を取り消すことに成功しました。

アメリカの一方的な条約破棄に相当するこの事件について、昭和天皇も大変ご心配だったようで、一件落着後の重光を「夜遅くでも差し支えない」とお召しになり、軍政布告取り消し一件の顛末を細かにお聞きになられ、ご安堵なさったそうです。


【降伏文書に調印する重光葵全権委員】
shigemitsu_Missouri.jpg

【アジア歴史資料センター資料↓】
GHQは日本のポツダム宣言に記載された条件付き降伏を「無条件降伏」と虚偽の布告をし、太平洋戦争が国際金融資本のアジア経済侵略だったことを証明するように円の使用を禁止した。

連合国軍代表最高司令官総司令部 布告第一号

日本国民ニ告ク
本官ハ連合国軍代表最高司令官トシテ玆(ココ)ニ布告ス
日本政府の連合国軍ニ対スル無条件降伏ニ依リ彼我ノ間ニ(日本軍連合国軍間ニ)長期ニ亘(ワタ)リテ行ハレタル武力的闘争ハ玆ニ終局ヲ告ケタリ

本官ハ連合国軍代表最高司令官トシテ賦与セラレタル権限ニ依リ日本国並(ナラビニ)住民ノ総(スベ)テニ対シ軍事的統制権ヲ樹立シ左ノ如キ占領ニ関スル(必要)条件ヲ布告ス

軍政布告1
【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14061053000:昭和20年 陸軍省軍務課 「連合国軍代表最高司令官総司令部 布告第一号 日本国民に告く 昭和20年9月2日」

布告(第三号)
 通貨
日本国民ニ告ク
本官ハ連合国軍最高司令官トシテ玆布告ス
一、占領軍ノ発行スル「B」記号ヲ附シタル軍用補助紙幣ヲ以テ一切ノ公私「円」債務ノ支払ヲ為(ナ)シ得ル日本ニ於ケル法貨トス

ニ、占領軍ノ発行スル「B」記号を附シタル軍用補助紙幣、日本銀行発行正規紙幣竝(ナラビ)ニ日本政府発行券及貨幣ハ凡(アラ)ユル点ニ於テ同価値トナシ額面価ニ依リ両替シ得ルモノトス

軍政布告通貨1
【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14061053200:昭和20年 陸軍省軍務課 「連合国軍最高司令官総司令部 布告(第3号) 昭和20年9月2日」



アメリカによるポツダム宣言違反軍政布告事件が物語っていることは、

占領軍によって軍政が布かれ、主権、自衛権を失えば独立国ではなくなる、そうなれば日本人が皇室をお守りすることも不可能になる、ということです。自衛権を失うということは、外国が日本国内を好き勝手に荒してよいということになる。

なので5月3日付報道ステーションの「憲法9条は幣原首相の発案だった。幣原首相は戦争放棄と引き換えに天皇制維持をマッカーサーに申し出た」という報道は矛盾しており、捏造だと断言することができるのです。

報道ステーションのこの捏造は共産主義的歴史観(自虐史観=共産党による日本悪宣伝)の

天皇制=戦争

という、第二次世界大戦の真実に基づいていない空想の産物を基礎に作られたものなので、日本の首相が敵国に「自衛権を放棄するから天皇制を守って」とお願いするというおかしな話になってしまっているのです。

この「大国にお願いする」というストーリー展開は、自国の権益を大国に差し出して自国防衛を大国に依存してきた朝鮮中国ならではというふうに見ることもできます。


ここで、ならばなぜマッカーサーは「日本が提案した世界中の人々のことを考えた戦争放棄を私は尊重する」と言いふらしていたのか?という反論が発生すると思いますが、

それは、米軍が日本に進駐し続けるためにそう言っていたのです。「日本人は自衛権を放棄した、だからアメリカが日本を防衛してやっているのだ」という大義名分のための虚偽であり、その虚偽に基づいて米軍は戦後70年以上も日本に進駐している。米軍のそのサギ行為を保障するために日本国憲法は存在しているのですね。


日本国憲法報ステ2

【マッカーサーは涙を目にいっぱいためてbyテレビ朝日www】
報道ステーションマッカーサー1

負けてカブトの緒をしめよ


われらの先人は戦争に負けてなお、連合軍の横暴と戦いました。

単独で連合国軍総司令部に乗りこんで行った重光葵の勇気、この人なかったならば皇室は排除され、日本は完全なるアメリカの植民地になっていただろうと思います。

一命をもって連合国の横暴を阻止する、という姿勢はまさに特攻精神そのものでした。

報道ステーションの捏造のように敵国に代替条件を提示して何かを「お願い」する、そういうのは朝鮮、中国の醜態であって、日本人がすることではありません。


出典:1986(昭和61)年 中央公論社 重光葵 「重光葵手記」 
      戦争を後にして



 帝国ホテルの暁夢

 九月二日降伏文書調印の大任を終はり、終戦一段落と思って、ホテルで夜疲れてこれから寝ようと思って居ると、外務省関係の数氏(松本〔俊一〕、曽根〔曽禰益〕、岡崎〔勝男〕、渋沢〔信一〕、安藤〔安東義良〕等)が次ぎ次ぎにやって来て、非常情報を齎(もた)らした。

占領軍司令部に於ては日本に軍政を布き、行政各部門を統治する為(た)め軍布告を発したとの事で、横浜鈴木公使は其の布告文写(うつし)を入手した、と云ふのである。

之(これ)は容易ならぬ情報である。之では日本政府もなくなり、日本は完全に主権を掠奪されて、占領地行政の下に置かれることになると云ふので、政府初め各方面に異常な衝動を与へ、宮中及召集された計(ばか)りの議会をも震駭せしめた。

 記者は明(あくる)早朝横浜に至り、マッカーサー司令官と直接交渉するの決意を固めたが、外務省や内閣其の他の心配せる方面からの電話や來訪客は夜遅く迄絶えなかった。記者(管理人注:重光葵本人)は自室の鍵をかけて蚊帳(かや)床の中に入った。

 九月三日午前七時半岡崎終戦局長官帯仝(同)、横浜に至り、前以て打合せの通り、九時半頃総司令部(旧税関)に至り、一時間半に亘(わた)りて、マッカーサー司令官(サザランド参謀長仝席)と対談す。

岡崎君は隣室で幕僚達と談して居た。記者は大きな総司令官室に入って、握手もせずにマック元帥とサザランド参謀長と鼎坐(ていざ:三人の者が三方から向かいあってすわること)した。

 記者は占領軍総司令官が日本に軍政を布くとの報道を得たが、之は日本の現状に適せぬものであるから、之を撤回していただき度(た)いと思って参上した、今其の理由を述ぶべしとて、左の順序で意見を述べた。


(一)戦敗国たる日本の天皇は、其の受諾したるポツダム宣言を最も忠実に履行することを決意し、其の為めに特に史上最初の試みである皇族内閣を任命し、ポツダム宣言履行に遺〔違〕算なきを期せられて居ること。元来日本天皇は戦争に反対し、平和維持に終始熱意を示されて居た実情で、今回も戦争を終結せしむる為めに決定的役割を演ぜられたのも陛下である。陛下はポツダム宣言を忠実に履行することが日本国民の為め最も幸福を齎らすものであることを最も好(よ)く了解されて居ること。

(ニ)占領軍としては日本国民の絶対崇拝する天皇の特に指命(しめい:指定して命ずること)する日本政府を通じて占領政策即ポツダム宣言を実行すること最も簡易な方法なり。若(も)し然(しか)らずして日本国民の信念である天皇制を排撃し、日本の政治組織を蹂躙するに於ては、或(あるい)は日本は混乱に陥るやも計られず。何となれば、天皇の命令せる終戦に対して心窃(ひそ)かに反対せし勢力も少からず存在した情(ママ)態であったからである。

(三)若し占領軍が軍政を布くとせば、それより生ずる困難なる事態は総(すべ)て占領軍に於て処理し、其の責任は当然占領軍に帰すべし。若し然らずして日本政府が占領軍の意を承(う)けてポツダム宣言の実行に当るとせば、如何なる困難あるも日本政府は之を克復して必ず其(その)責任を果すべし。一切の責任は日本政府の負ふ所なり。

(四)日本の降伏したるはポツダム宣言を受諾したるを意味し、それ以上を意味せず。ポツダム宣言には明(あきらか)に日本政府の存在、即日本の主権の存在を前提として居る。軍政を布くことは即ちポツダム宣言を超ゆるものにして、日本の受諾したことなき所なり。此(この)点は独逸(ドイツ)の場合と全然趣を異にする。

(五)占領軍として占領政策を遂行するには、日本政府を利用すると云ふ最も容易にして効果的なる方法を選ぶ事を最も利益とせらるべし。夫(そ)れにも拘(かかわ)らず此(この)方法によらずとせば、占領軍としてポツダム宣言以上の事を考慮し、之が実施を日本に要求せらるる次第なりや。


 記者は我(わが)皇室は歴史的に終始平和主義であった事、今上陛下が如何に戦争を忌み平和人道に熱心であられたかを具体的に論証するのに心血を注いだ。マッカーサー元帥の決意と感情の結すぼれ(むすぼれる:凝る、固まる)は会談の進むに付(つい)て漸次ほころびて行く様に見えた。

記者の意のある所を聴取して、元帥は「能(よ)く了解せり」と簡潔に一語を発した。之迄(これまで)黙々と只(ただ)参加して居たサザランド参謀長は直(すぐ)に元帥の意を汲んだものの様に「直ぐ命令を取り消しましょう」と立って行って、片隅の机上電話を取って必要の命令を発した。

マ元帥は今日話題に上った点の解決案を作製して参考に貰(もら)ひ度(た)いと注文したので、記者は直に之を引き受けた。

(中略)

 神奈川県庁に帰って、心配して居た鈴木公使等関係者に大様(おおよう:おおよそ)報告して、直に東京に引き返した。直に総理の宮より陛下に奏上することとなった。玆(ここ)に政府も宮中も愁眉を開いた。

 当日午後枢府会議に列席。本会議後外交説明を行った。次(つい)で最高終戦処理会議も開かれて本日のマ司令官との会談の模様を報告した。

 宮中から、本日遅くても差支へないから、陛下は重光より本日マ元帥との会談の模様を直接聴取し度いとの思(おぼし)召しであるとの事で、記者は午後七時半参内し、吹上御苑文庫で拝謁、木戸内府列席の上詳細報告奏上した。

 陛下より、

「それは誠によかったねー」

と一度ならず御言葉があり、陛下は非常に御安堵の御様子に拝せられ、記者は身に余る光栄を感んじた。一旦独逸の様に軍政が敷かれた後は新(あらた)に自主権を回復するのは容易の事ではない。



【アジア歴史資料センター資料】

重光外務大臣と「マックアーサ」との会議の結果左の諒解成立せり

一、連合軍命令第二号(九月二日参謀長会同ノ際説明シタルモノ)ハ命令第一号ノ如ク一般ニハ公布セズ其ノ内容ニ関シテハ事務的ニ折衝ヲ認ム

ニ、連合軍ハ日本ニ対シ軍政ヲ執行スルコトナク内政的要求ハ日本政府ヲ通ジテ行ヒ 尚今右ニ於テ連合軍ガ直接国民ニ命令スルコトナシ

軍政布告重光マ1
【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C12120733400:昭和20年 陸軍省陸軍次官 「19.陸普電第150号 昭和20年9月7日 昨5日重光外務大臣と「マックアーサ」との会議の結果左の諒解成立せり」




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