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2016/05/03

憲法9条は武力を背景に押しつけられた


憲法記念日とあってマスコミの「憲法9条は幣原首相発意だから押しつけ憲法ではない」という宣伝が盛んです。

しかし日本国憲法の原案はアメリカ側で起草され、連合国の武力を背景に押しつけられた憲法でした。

1946(昭和21)年2月13日、その原案は日本政府に手渡され、それと同時にGHQ民政局長ホイットニーが

「この案にそって改正案を作らないのなら、天皇の身体の保障はしない」

と言ったそうです。

当時、東京湾は連合国軍の軍艦で埋めつくされ、皇居の御門すべてに武装した連合国軍兵士が歩哨として立っていました。日本政府にしてみれば、共産党が皇室を人質に取っているのと同じです。

そんな状況下で、昭和天皇の御身上に危害を加えるようなことを言われたならば、憲法9条というバカな条文でも受け入れるしかないですね。

ところが……

朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは憲法9条を発意した責任を幣原元首相に押しつけて「日本の軍隊は合憲」だと9条の解釈を変えてしまったそうです。


【降伏文書調印に臨む重光葵】
戦艦ミズーリの向こうにも軍艦が見える。
重光葵_シルクハット2


連合軍進駐状況・終戦連絡事務局ならびに委員会所在地
(1945年10月15日現在)

GHQの拠点は日本全国に設置されていました。これらの拠点に約43万名の武装した連合国軍兵士がいました。


名    称名    称
GHQ連合国軍進駐所在地
軍司令部艦隊司令部
軍団司令部海軍軍団司令部
師団司令部海兵師団司令部(MD)
アメリカル師団司令部海兵連隊司令部(MR)
連隊司令部空挺師団司令部


連合軍進駐状況東日本

連合軍進駐状況西日本北海道

【出典】1983(昭和58)年 岩波書店 竹前栄治 「GHQ」



【連合軍進駐状況(1945年)】
都道府県名11月26日現在12月4日現在
北海道20,24120,241
青森14,12214,122
岩手2,8262,826
宮城8,8088,808
秋田1,6501,650
山形2,0002,000
福島5,945増 6,345
茨城2,9812,981
栃木5,013増 6,000
群馬3,7463,746
埼玉18,38518,385
千葉5,0075,007
東京33,89033,890
神奈川64,625増 85,037
新潟7,3187,318
長野1,0301,030
山梨1,713減 1,413
静岡3,693減 2,425
愛知32,32032,320
三重200200
岐阜11,15011,150
富山222222
石川532減 417
福井717717
滋賀1,000減 968
京都4,616増 5,611
奈良2,8002,800
和歌山6,7006,700
大阪11,63711,637
兵庫12,799増 15,820
鳥取198198
島根943943
岡山4,5104,510
広島19,00019,000
山口4,4294,429
香川800増 1,200
愛媛11,20011,200
徳島630630
高知2,1002,100
福岡10,804減 10,104
佐賀650650
長崎53,970
53,970
英 200
大分300増 810
熊本2,305増 2,705
宮崎2,286減 2,257
鹿児島4,045減 3,795 
合  計405,856
430,287
英 200



皇居の御門すべてに立っていた連合国軍の武装兵士たち

この時、日本人は武装解除されて丸腰でした。


出典:1968(昭和43)年 新小説社 木下道雄 「宮中見聞録」 
     皇居勤労奉仕発端の物語



 物語は、昭和二十年、終戦の年にさかのぼる。

 戦敗れて人みな茫然自失、言語や風俗のまったくちがう占領軍兵士の威圧下にあって、国民全体として、行動の積極性を頗る欠いておった当時の有様を読者各位は一応おふくみの上で、これを読んでいただきたい。

 当時、皇居周辺の状況は、どんなであったろうか。皇居の御門という御門には、いずこも、ここも、占領軍の歩哨が立っている。米兵が立っている日もあれば、また、オーストラリア兵、ヒマラヤの麓のクルガ兵が立っている日もある。



1943(昭和21)年2月13日
GHQに手渡された憲法原案を元に作成された日本国憲法仮案(初稿)

この憲法原案の元になったのは、マッカーサー三原則とアメリカ本国にあるSWNCC(国務・陸軍・海軍三省調整委員会)から示達された文書二二八号でした。


出典:国立公文書館:レファレンスコード:A15060195000:内閣官房総務課 内閣 「日本国憲法(初稿)・司令部交付案(原文英文)に基き松本委員長を中心に作成せる日本国憲法仮案」



(4コマ目)

 第二章 戦争の廃止

第九条 戦争ヲ国権ノ発動ト認メ武力ノ威嚇又ハ行使ヲ他国トノ間ノ争議の解決ノ具トスルコトハ永久ニ之(コレ)ヲ廃止ス

陸海空軍其ノ他ノ戦力ノ保持及(オヨビ)国ノ交戦権ハ之ヲ認メズ

憲法9条手交案1



日本国憲法原案の元になったマッカーサー三原則

すでに憲法9条の原案がふくまれています。
憲法9条発案者はGHQケーディス民政局次長とホイットニー局長でした。

SWNCC二二八号には「日本に国民の自由意思を表明するごとき=表明したかのような」という文言がありました。

アメリカがいう「世界を動かしつつある崇高な理想」とは、アメリカによる世界経済一極支配のことです。今でいう「グローバル化」のことですね。


出典:1962(昭和37)年 錦正社 里見岸雄 「日本国の憲法」 第四篇 日本国憲法



 第二款 日本案の提出と拒否

 然し、マ司令部は前記した二月一日の毎日新聞の報じた委員会案なるものにより大勢を察知し急遽二日三日の両日熟議した結果、既に『日本政府に対する最も有効な方法は、この諸原則を具体化した憲法草案を用意することである』との結論に達し、マッカーサーは民政局長ホイットニーに対し憲法案起草を命じた。その際、マッカーサーは自ら次の三原則(管理人注:下記脚注参照)を示した。

1 天皇は国家の元首の地位にある。
  皇位の継承は世襲である。
  天皇の義務及び権能は憲法に基き行使され、憲法の定めるところにより、人民の基本的意思に対し責任を負う。

2 国家の主権的権利としての戦争を廃棄する。日本は紛争解決の為(た)めの手段としての戦争及自己の安全保持の為のそれをも放棄する。日本はその防衛と保持を、今や世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。いかなる日本陸海空軍も許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍には決して与えられない。

3 日本の封建制度は、廃止される。
  皇族を除き華族の権利は現在生存する者一代以上に及ばない。
  華族の授与は、爾後どのような国民的または公民的な政治権力をも含むものではない。
  予算の型は英国制度にならふこと。

ホイットニーはこの三原則遵守以外は、すべて自由裁量の権限を附与されて、極秘裡に二月四日から憲法起草の仕事についていた。

〔脚注〕
マ司令部はこの三原則と、本国から示達された「国務・陸・海三省調整委員会文書、SWNCC二二八号」に基いて日本政府に手交した憲法改正案を作成した。このSWNCC二二八号の結論の部分に、具体的事項をあげて、帝国憲法の制度を批判しその支持すべからざる事を列挙してある。

『日本に国民の自由意思を表明するごとき方法で憲法の改正又は憲法の起草をなし、採択をすること』を指示し、所謂天皇制に関しては『皇帝制度を廃止するか、より民主主義的方向にそれを改革することが策励支持さるべきこと』そしてそれに伴う詳細な項目が列挙してある。(後略)

【管理人注】
・SWNCC…State-War-Navy Coordinating Committe 国務・陸軍・海軍三省調整委員会。


 第三款 マッカーサー案の受諾

 十三日手交のマッカーサー草案は、必ずしもそのままの形で強制する趣旨ではなかったが、ホイットニーが、この案に副って改正案を作らないのなら、天皇の身体の保障をなしえない、と曰(い)ったというので、松本大臣は、これを脅迫と感じた。




憲法9条発案者はGHQケーディス民政局次長とホイットニー局長
  しかし…
朝鮮戦争勃発によりアメリカは憲法9条発想責任を幣原元首相に押しつけた

憲法9条発案者は誰かという議論は昔からあって、マッカーサー説、幣原説、前段幣原・後段マッカーサー説などがありました。

「法令解説資料総覧第一九号」という資料では、「ケーディス=ホイットニー説」を提起しているそうです。

この資料では「幣原元首相は憲法9条に乗り気ではなかった」とされており、日本側資料「枢密院に於ける幣原総理大臣の憲法草案に関する説明要旨」を見ても、幣原元首相が憲法9条に乗り気でなかったことがわかります。


出典:1983(昭和58)年 岩波書店 竹前栄治 「GHQ」 戦後改革とGHQ



 第九条の発想者

 この「戦争放棄」条項の発送が誰であったかについては、マッカーサー説、幣原説、「前段幣原・後段マッカーサー」説などいろいろである。しかしマックネリー教授はGHQ、とくに民政局の「ケーディス=ホイットニー説」を提起している(法令解説資料総覧第一九号)。

 ハーバード・ロースクール時代、一九二八年にパリで結ばれた不戦条約、いわゆるケロッグ=ブリアン協定に感銘を受けたというケーディス民政局次長が、まずホイットニー局長に、天皇が戦争放棄の詔勅を出せないかどうかをたずねた。ホイットニーは、それを一月二八日、幣原首相と会談した帰りぎわに打診したという。これら二人のGHQスタッフは、このような詔勅の発出は、天皇を国際世論の批判から守り、ポツダム宣言の履行に役立つのではないかと考えた。この考えは、マッカーサーにもホイットニーから伝えられ、「マッカーサー三原則」の一つになったのである。ここでは、戦争の放棄とその具体的措置としての戦力不保持・交戦権否認が盛り込まれた。

 幣原首相は、平和主義的な外交官であり、二月二一日のマッカーサー元帥との会談でも、戦争放棄宣言には賛成であるが、一方的な日本の戦力不保持と交戦権の否認には同意できない旨を述べたようである。だが結局、マッカーサーに説得され、あるいは元気づけられて、不本意ながら後段をも条文化することになった。つまり第九条は、ケーディスがホイットニーに出した提案と連合国の日本非武装化政策(ただしアメリカのSWNCC-二二八文書にはこの要求はない)とから生まれたものとマックネリー教授は結論する。

 しかし、やがて、朝鮮戦争をきっかけとして、GHQの見解は大きく転換する。つまり、この第九条の発想の責任を幣原に押しつけ、アメリカの戦略的観点から、日本の再軍備ができるように公然と第九条についての解釈を変更し、自衛のための軍隊は合憲であるとの身勝手な見解を表明するようになったのである。



幣原元首相
「日本は戦争放棄という大旗を掲げてトボトボと歩いて行く」


出典:国立公文書館:レファレンスコード:A15060195500:内閣官房総務課|内閣 「昭和21年3月20日枢密院に於ける幣原総理大臣の憲法草案に関する説明要旨 附憲法改正草案要綱 DRAFT CONSTITUTION OF JAPAN」



 二十一年三月二十日枢密院ニ於ケル幣原総理大臣ノ憲法草案ニ関スル説明要旨

(一)去ル二月十一日余ハマ司令官ト長時間ニ亘リ会談シ同司令官ガ日本国天皇ニ対シ抱懐セル所見ヲ聴クヲ得タ。又其ノ席上将来ノ日本国管理ニ関シ濠洲及ソ連側ノ態度ニ関シテモ言及スル所ガアツタ。共ニ日本ニ対シ必ズシモ友好的デナク殊ニ濠洲ハ日本ニ対シ一種ノ恐日病的状態ニ陥テ居ル如ク考ヘラルルノデアル。濠洲ノ態度ニ付テハ余ノ滞英中ニモ種々感ズル所ガアツタ。

(二)二月二十七日以来マ司令部ハ急ニ政府ニ対シ憲法草案ノ内示ヲ強ク要求スルニ至ッタ。政府ハ昨秋組閣以来憲法改正ニ関シテハ松本国務相ヲ主任トシテ研究ヲ重ネテ来タガ其ノ後ノ内外ノ情勢ニ鑑ミ一案ヲ作成シ之ヲ松本国務相試案トシテ三月四日マ司令部ニ内示シタノデアル。政府ハ一応之(コレ)ヲ内示シテモ尚充分政府トシテ研究補正ノ余裕アルベキコトヲ期待シテ居ッタガ、右内示ヲ為(ナ)スヤ否ヤ司令部ハ急速ニ之ガ研究ヲ要求シ司令部側ト内閣側ノ係官ガ一堂ニ会シ徹夜シテ之ヲ検討シ、マ司令官自身モ深更ニ至ル迄(マデ)之ニ関与シ、三月五日朝ニ至ッテ大体ノ草案ガポツポツト出来上リ之ガ出来ルニ従ッテ内閣ニ報告セラレ来ッタ。

依ッテ之ガ閣議ニ於テ討議シ夕刻迄ニ其ノ大部分ヲ了シタ。併(シカ)シ草案ノ全部ガ出来上ッタ訳(ワケ)デハナカッタガ、大体ノ方向ヲ見極メルコトガ出来タノデ夕方参内(サンダイ:宮中に上がること)、内奏(ナイソウ:天皇に奏上すること)シ奉ッタ所陛下カラ有難キ激励的勅語ヲ賜ッタ次第デアル。

三月五日ノ夜ハ内閣ニ於テ法制局其ノ他ノ係官ガ徹夜ノ上草案ノ検討ヲ重ネ、六日朝ニ至リ漸ク全部ノ草案ヲ脱稿シタノデ同日臨時閣議ニ諮リ之ヲ夕方中外ニ発表スルニ至ッタ。

(中略)

次ニ第九ハ何処(ドコ)ノ憲法ニモ類例ハナイト思フ。日本ガ戦争ヲ抛棄シテ他国モ之ニツイテ来ルカ否カに付テハ余ハ今日直(スグ)ニサウナルトハ思ハヌガ、戦争抛棄ハ正義ニ基ク正シイ道デアッテ日本ハ今日此ノ大旗ヲ掲ゲテ国際社会ノ原野ヲトボトボト歩イテユク。之ニツキ従フ国ガアルナシニ拘(カカワ)ラズ正シイ事デアルから敢ヘテ之ヲ行フノデアル。原子爆弾ト云ヒ、又更ニ将来ヨリ以上ノ武器モ発明サレルカモ知レナイ。今日ハ残念乍(ナガ)ラ各国ヲ武力政策ガ横行シテ居ルケレドモ此処(ココ)二十年三十年ノ将来ニハ必ズ列国ハ戦争ノ抛棄ヲシミジミト考ヘルニ至ルニ違ヒナイト思フ。其ノ時ハ余ハ既ニ墓場ノ中ニ在ルデアラウガ余ハ草場ノ蔭(カゲ)カラ後ヲフリ返ッテ列国ガ此ノ大道ニツキ従ッテ来ル姿ヲ眺メテ喜ビトシタイ。(後略)



幣原元首相が言うように、連合国は恐日病だったようです。

オーストラリア軍
「ジャップ、消え失せろ」とさけんでバリケードの中に引きこもる


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史」所収 
     読売新聞社社会部次長 山崎英祐 「ラバウル地底戦記」



 どっちが捕虜だ

 停戦の調印があってから二カ月ちかく経ったであろうか。待ちわびた(?)濠軍部隊がラバウルに進駐してきた。

 南の桟橋に、一列に整列して挙手の礼で迎えるわが参謀や連絡将校を、イの一番に舟艇で上陸してきたイレズミの濠州兵達は、何やら口々にわめきながら自動小銃を突きつけ、参謀肩章をむしりとって、

「ジャップ、消え失せろ」

 といったという。

 あとで考えると、彼等にとっては野蛮な鬼畜である日本軍の出迎えが薄気味悪かったにちがいない。

 とにかく進駐してきたのは濠陸軍の一個連隊三千人というわずかな兵力だからだ。

 ラバウル市内を明け渡して、山中のジャングルや椰子林に退いた日本軍のオドロキは、進駐兵力の少いこともさることながら、濠軍部隊が市の周辺にバリケードを築き、ピアノ線を張りめぐらし、機銃座を設けて防禦態勢をとったことである。

「オイ、占領部隊が円陣をつくり鉄条網を張って、戦闘準備しているぜ」

 小高い椰子林の丘から、ラバウル市街を眺める兵隊の言葉だ。

 ムリもあるまい。十万をこえる日本軍捕虜に囲まれては、わずか三千の濠陸軍では手も足も出ない。

 これでは、どっちが捕虜だかわからない。



朝鮮進駐アメリカ軍「航空隊から日本に帰れ!」


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史」所収 元京城日本人世話会 森田芳夫 「三八線に変貌する北と南-朝鮮引揚史 その三-」



 南鮮日本軍の武装解除と復員

 米軍は日本軍を根こそぎ帰すために一度召集解除したものまで再召集して帰そうとした。

(中略)

 米軍は特攻隊をこわがってか、

「海軍航空隊を優先的にする。また陸軍では航空部隊、とくに特攻隊をもっとも早く帰還せしめるよう」

 と指示した。 



日本国憲法に9条が盛りこまれたのは、

日本軍が強かった

からかも知れませんね。

幣原元首相は大変な親中派で、その親中ぶりは「幣原外交」と揶揄されるほどでした。

でもだからと言って、まだ日本人が連合国を敵視していた時に憲法9条のような自殺憲法をみずから発案して、そんな一個人の思いつきを国会が承認するとは思えません。

当時の日本は今とちがって、平和ボケなんかしてませんでしたから。


東京新聞
「憲法9条発意は幣原元首相!日本国憲法は押しつけ憲法なんかじゃない!」とデマ


憲法記念日を前に 「押し付け論」を越えて
2016年5月2日 東京新聞

日本国憲法の公布から今年で七十年。改憲論者は占領下に押し付けられたことを改正が必要な根拠に挙げますが、本当に押し付けだったのでしょうか。

(中略)

◆帝国議会で修正重ねる

 首相が憲法改正を必要とする理由の一つとして挙げているのが、その制定過程。憲法はGHQに押し付けられたとの見方です。

 首相は国会で、次のように述べています。

 「日本が占領下にある当時、日本国政府といえどもGHQの意向には逆らえない中、この憲法が極めて短い期間につくられた」

 今の日本国憲法は、明治期に欽定(きんてい)された(天皇が制定した)大日本帝国憲法を改正したものです。

 憲法改正案は首相の指摘通り、終戦直後、マッカーサー最高司令官率いるGHQの強い影響下で作成されたことは事実でしょう。

 しかし、改正案を作成した日本政府が、GHQ案をそのまま受け入れたわけではありませんし、改正案を審議した当時の帝国議会では、衆議、貴族両院で修正するなど、活発に議論されました。

 例えば、憲法九条です。戦争放棄はGHQの指示ではなく、当時の幣原喜重郎首相の発意だったとの説が有力です。(後略)






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