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2016/04/30

捏造された原爆投下理由


次期アメリカ大統領候補であるドナルド・トランプ氏の支持者が、原爆投下を称賛したそうですね。

その称賛の理由である「原爆投下が多くのアメリカ人を救った」というのは、終戦から2年後、雑誌に掲載されたスチムソン元陸軍長官名義の「原爆使用に関するアメリカ政府の説明」に書かれていたものです。

偉大なるこの雑誌記事は、ナチスと同一視されることを恐れたアメリカ人を救いました。

こうして終戦直後のアメリカ戦略爆撃調査団の「原爆投下は必要なかった」という報告は、なかったことにされてしまったのです。

それどころか、70年代に入って

"二発の原爆によって阻止された米兵の死者数はほぼ確実に二万人を超さない。おそらくそれよりはるかに下回る数、場合によればゼロかもしれない"

という検証結果が報告されても、アメリカ国民だけでなくアメリカ政府もスチムソンらが執筆した雑誌記事を今でも支持し続けているのです。


【ヘンリー・スチムソン】
日本人強制収容政策、原爆開発の担当者だった。
ヘンリー・スティムソン1
【写真出典】Wikipedia



【人道に対する罪?原爆は乳飲み児までも焼いたのに】
日本がアメリカのアジア侵略に反抗したことは原爆を投下されるほど、ナチスのユダヤ人迫害より人道に反していたのか?原爆投下と母子


【勝者が作る歴史には真実・虚構・気休めという三種類がある】

原爆投下を称賛 トランプ氏支持の元バスケ代表監督
2016年4月29日 テレ朝 news

アメリカ大統領選挙で共和党候補者指名争いのトップを走るトランプ氏の支持者が広島と長崎への原爆投下をたたえたうえ、「トランプ氏も同じ行動を取る」と発言しました。

 この発言をしたのは、バスケットボール元アメリカ代表監督のボビー・ナイト氏です。
 
バスケットボール元米代表監督、ボビー・ナイト氏:「トルーマン大統領は原爆投下を決断する勇気を持ち、多くのアメリカ人を救った。(トランプ氏は)同じことをするだろう。偉大な大統領の一人となる」

 トランプ氏は過激派組織「イスラム国」に対する核兵器使用について言及したことがあるため、ナイト氏は「イスラム国」への攻撃を念頭に発言したとみられます。トランプ氏はその後も反論せず、「ナイト氏は偉大だ」と褒めちぎりました。


こうして作られた「原爆投下の理由」


1945年12月、アメリカの雑誌「フォーチュン」に掲載された世論調査によると、

原爆を使うべきだった…アメリカ国民の半分以上(このうち23%が"もっと原爆を使用すべきだった"と主張)

といった結果でした。なのでアメリカ政府も「原爆反対」という声を無視していました。


ところが同じく雑誌「ザ・ニューヨーカー」に原爆投下後の広島現地報告が掲載されるや、アメリカ国内では「原爆使用反対」の声が大きくなってきました。

おそらくアメリカ人は「原爆」というものがどういうものであるか、知ってしまったのでしょうね。ふつうの爆弾とはちがうということに。


それ以降、アメリカ人は

ね?私たちってナチスと同じなの?だって日本人差別してるわよね、ずっと前から

という現実にさいなまれることになってしまいました。


そうして「原爆使用反対」の声が次第に大きくなっていく中、フィリピン沖海戦で日本の船ならば軍民関係なく撃沈しまくったハルゼー提督までもがしゃしゃり出て

「最初の原爆投下は必要性のない実験であり、投下したのは間違いであった」

などと言いだす始末、そうした煽りもあって原爆投下に対する批判はどんどん
高まっていきました。

そりゃー、ハルゼー提督にすればおもしろくなかったでしょう。せっかく"スプルアンス・カット"のスプルアンスと組んで日本人を殺しまくったのに、"英雄"の立ち位置を原爆に持っていかれたのですから。


【神風特攻隊にズタズタにされた状況を聞くハルゼー大将】
ハルゼーインタイコンデロガ☞特攻で大火災を起した空母タイコンデロガの甲板で状況を聞くハルゼー(右から3番目)。この翌日、ハルゼーは第3艦隊の指揮をスプルアンス大将にゆだねた。


そしてとうとう国内で高まっていく「原爆投下」に対する批判を懸念したアメリカ政府は、スチムソン元陸軍長官やバーンズ国務長官、グローブス将軍らに「原爆使用に関する政府の説明」を作成させました。

その作成された文書の元となったのが、東京裁判で却下された「スチムソン日記」でした。

1947年2月、「ハーバーズ・マガジーン」という雑誌に原爆使用に関する政府の説明が掲載されると、そこに書かれた原爆投下正当化論をアメリカ国民は大拍手で迎え入れました。

ようやくアメリカ国民は、ナチスと同一視される悪夢から解放されたのです。

こういったいきさつで、アメリカ戦略爆撃調査団の報告はなかったことにされ、70年代に入ってスチムソン元陸軍長官の説明がデタラメだという検証結果が出ても、

日本に戦争をやめさせるためには原爆投下が必要だった

原爆投下が100万人の米兵を救った

という雑誌の記事が、いまだにアメリカ人に愛されているのです。
本記事の資料です

東京裁判で却下された「スチムソン日記」


出典:1997(平成9)年 展転社 冨士信夫 「こうして日本は侵略国にされた 東京裁判検証16のポイント」 5.なぜ原爆問題が「タブー」なのか



 「スチムソン日記」が却下された理由
 
 この原爆投下に関するスチムソン米元陸軍長官の資料、即ち「スチムソン日記」は、私も編集委員の一人として参加した東京裁判資料刊行会が編纂し、平成七年(一九九五)二月(株)国書刊行会から発行された『東京裁判却下未提出弁護側資料』第一巻の中に含まれている。

 「日本に原爆投下を決定」と題した昭和二十二年二月二十日付「ニッポンタイムス」抜粋は、「元陸軍長官ヘンリー・スチムソン氏が、アメリカが日本に対し原爆を使用するという重大な決定を行うに至った内幕を自ら語った」という書き出しに始まり、「戦争の早期終結」、「トルーマン大統領との会見」、「トルーマン大統領との会談メモ 一九四五年四月二十五日」、「原爆投下の決定」、「徹底抗戦の可能性」、「ポツダムからの通告」」、「原爆の効果」との見出しを付けた長文のものであるが、「ポツダムからの通告の末尾には、

「私は広島と長崎を含む他の四つの目標を承認した.
 八月六日に広島、八月九日に長崎に、爆弾が投下された。
 我々は結果を待った。それは一日を要した」

とあり、最後の「原爆の効果」の部分の内容は、次の通りである。

「日本の降伏については、多くの説明がなされて来た。長引いた日本の内閣の閣議で、天皇自身が行き詰りを打開し、八月十五日に降伏が申し入れられた。……

 かくして我々の偉大なる目的は達成された。そして、私が見て来た全ての証拠は、日本が我々の降伏条件を受諾する最終決定を下すに当っての支配的要因は原子爆弾であった、ということを示している。投下された二個の爆弾だけが、我々の用意していた唯一のものであった。そして、当時の生産性は非常に低かった。

 仮に戦争が、十一月一日に予定されていた上陸まで続いていたとすれば、B29によるさらなる爆撃は、同じ期間に我々に可能な限られた回数の原爆投下よりも、多くの人命と財産を破壊していたであろう。

(中略)

 原子爆弾投下問題を述べているスチムソン日記が証拠としての受理を却下された時までには、前述の、ブレークニー弁論の一部が日本語に通訳されなかった時から、既に九カ月半を経過していた。

しかし、その時点ニおいてもなお連合国側(裁判所)には、原子爆弾問題が一般日本人の耳目に入らないようにしようとする考慮が働いていたのであろう。




終戦から2年後(1947年)に作られた原爆投下理由によってアメリカはナチスではなくなった


出典:2006(平成18)年 展転社 鈴木敏明 「原爆正当化のアメリカと『従軍慰安婦』謝罪の日本」 第一章 原爆投下正当化論



 終戦の年の一九四五年(昭和二十)十二月に雑誌"Fortune"の世論調査が掲載されました。それによるとアメリカ国民の半分以上が原爆を使うべきだったと主張しています。さらにそのうちの二三パーセントはもっと原爆を使用すべきだったと主張しています。このように世論は原爆使用に肯定的であったので、アメリカ政府は、原爆使用の反対の声には沈黙を保っていました。

 ところが雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載されたジョン・ハーシーの現地報告"Hiroshima"が原爆使用反対の声の中でもアメリカ国内で一番の反響をよびました。その反響がなりやまないうちに、今度はウィリアム・ハルゼー提督が、「最初の原爆投下は必要性のない実験であり、投下したのは間違いであった(ヘレン・ミアーズ、伊藤延司訳『アメリカの鏡・日本』メディアファクトリー社1995)」と語ったりして、原爆投下に対する批判が高まってきました。

 これを懸念したアメリカ政府は、批判の高まりを抑えるために原爆使用に関する政府の説明を発表しました。説明文は、スティムソン陸軍長官、バーンズ国務長官、原爆開発の最高責任者グローブス将軍などの共同で作られました。説明文は、アメリカ国民の間で信頼の高いスティムソン陸軍長官の名前で発表され、その全文が一九四七年(昭和二十二)二月に「ハーバーズ・マガジーン」という雑誌に掲載されました。その要旨は次のとおりです。


(1)ルーズベルト大統領もトルーマン大統領も、その他の責任ある政府の人たちも原爆が使用可能になった時、原爆を使用すべきでないと指摘した人はいません。原爆は戦争での他の恐ろしい武器と同じように正当な武器として考えられていました。


(2)マンハッタンプロジェクトの暫定委員会は、科学者たちと率直な討論のすえ一九四五年(昭和二十)六月一日に大統領につぎのような推薦をしました。原爆はできるだけ早く日本に対して使用すべきこと。そしてそれは二つの目標に向けて使用されるべきこと。一つは住宅やビルに囲まれた軍需工場に投下すること。二つ目は、警告なしに投下すること。警告なしに投下すれば、それだけショックが大きく天皇自身からの降伏を引き出せることになるからです。このような目的のためには、原爆は非常に適した武器でした。

(中略)

(8)我々の計算によれば、もし上陸作戦が強行されていたら、大きな戦闘は早くても一九四六年(昭和二十一)後半まで続いたでしょう。そして上陸作戦ではアメリカ軍だけで百万人以上の死傷者が出ると知らされました。(前出出典と同じ)

 このスティムソンの記事は、アメリカ中大拍手で迎えられたのです。アメリカ国民としては、原爆投下批判より心理的に原爆投下正当化論を聞きたかったのです。そうでないとアメリカ人はナチスと同じ行為をしたことになるからです。

(中略)

 スティムソンの説明記事の最後に「上陸作戦ではアメリカ軍だけで百万人以上の死傷者が出ると知らされました」と書いてあります。アメリカ人は「百万人以上の死傷者」という数がどこから出たかを調べもせず、そして説明文にある"casualties"(死傷者)を"death"(死者)と読み違えたのです。無意識にあるいは意識的に読み違えたのかどうか分かりませんが、「原爆は百万人以上のアメリカ兵の命を救った」ということがアメリカ国民の常識になってしまったのです。そしてこの「百万人説」が原爆投下正当化の最大の理由になったのです




重光葵
「原爆は実験のように日本に投下された」
「原爆は降伏手続中に投下された」
「東京裁判は戦勝国の軍事裁判だった」


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻



 戦犯者の究明

 戦争は容赦もなく最終的段階に進んで行った。人類の貴重と思はれた生命は、草木の如く軽く取扱はれた。

空襲は日本全国にわたってますます激しくなって、遂に広島と長崎に原子爆弾が、恰(あた)かも実験用の如くに投ぜられた。

一度に二十余万の非戦闘員の人命が犠牲になった。その時は、日本はすでに降伏の意を決して、その手続を進行していた時であった。

 米英支比(フィリピン)和(オランダ)仏ソ各国は合同して、及び単独に、戦争犯罪裁判を開設して、戦争の政治的責任を問い、または不法行為に対する責任を厳重に処罰した。

各国の裁判は、各国おのおの特色を有するもので、一々これを記述することを欲しないが、いづれも戦勝国の軍事裁判の性質を遺憾なく発揮した。その中には中世紀的のものもあった。

【極東軍事裁判(東京裁判)で判決を受ける重光葵】
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アメリカのことは左巻きに聞こう!
「原爆投下によって阻止された米兵の死者数は2万人を超さないか、場合によってはゼロである」


出典:1990(平成2)年 新人物往来社 「歴史読本」臨時増刊12月号所収 
茨城大学教授 荒井信一 「原爆投下と人種偏見 目標はつねに日本である」



 早期戦争終結論の虚構

 原爆開発の責任者であったスチムソン陸軍長官は、退官後の一九四七年『ハーパース』誌の二月号に執筆し、その中で次のように述べた。

アメリカ軍が原爆を使わないで、対日戦の最終段階に九州、次いで本州に上陸作戦を行ったら、戦争の終結は早くても一九四六年の後半になったであろうし、その場合にはアメリカ軍だけでも百万を超す死傷・行方不明者〈casuality〉をだすことになっただろう、と。

スチムソンはこのように述べることで、戦争の終結を早め、それによって多くのアメリカ兵の人命が節約できたとして原爆投下を正当化したのであった。

 このように早期終戦・人命節約のために原爆を投下したのだという弁明は、投下当時のアメリカ大統領であったトルーマンが、一九五五年に出した回顧録の中でも繰り返された。

そこではトルーマンは、原爆投下により五十万のアメリカの兵士、水兵、海兵隊員の生命が救われたと述べた。

 これにたいしてマイルズ(管理人注:R・F・マイルズ"ヒロシマ ─── 五十万人のアメリカ人の生命が節約されたという神話")は太平洋戦争の経験の示すところでは死者は死傷・行方不明者の五分の一の割合であることを指摘して、その割合で計算すればスチムソンの挙げた数字では死者は二十万人になるとし、トルーマンの挙げた数字(五十万)との間に大きな食い違いのあることに注目した。

そして、原爆が使われない場合の対日戦の終わらせ方についていくつかのシナリオ(交渉による終戦、通常爆撃と海上封鎖の強化、九州上陸作戦、本州上陸作戦)を考え、それぞれの場合におけるアメリカ兵の損失を計算した。その結果、彼の達した結論は、

「二発の原爆によって阻止された米兵の死者数はほぼ確実に二万人を超さない。おそらくそれよりはるかに下回る数、場合によればゼロかもしれない」

 ということであった。

 マイルズの研究は早期終戦・人命節約説の虚構性を鋭くつくものであった。アメリカの歴史学界では一九六〇年代はじめまでは、原爆投下理由について早期終戦・人命節約説が広く信じられていた。

しかし一九六〇年代から七〇年代にかけて新資料の公開や発見が相次いで行われるにつれて、それには多くの疑問がもたれるようになった。マイルズの報告もこの傾向にそうものであった。





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