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2015/06/03

朝鮮人が反抗したのは日本の資本主義


6月3日、野党が安保法制に関する審議を拒否するそうです。

日本の反日野党が日本の安全保障に関してウダウダごねるのは、心から「平和」を願っているからではありません。

彼らが画策しているのは、大東亜戦争の時と同じで戦争を利用した暴力革命=共産革命ですから、日本が戦争に勝ったらダメなのです。

そして日本の反日野党は日本の防衛について反対するとき、

「日本は朝鮮半島と中国を侵略した!!」

と、さも日本が武力で朝鮮を侵略したかのように言うのですが、朝鮮独立運動は日本の資本主義(帝国主義)に反抗して起きたものなので、反日野党の言い分は明らかに歴史修正、歴史歪曲です。


【皇室のぬくもりで生き延びたのに、天皇陛下に頭を下げない議員】
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日本の朝鮮半島保護は日露講和条約や日英同盟に韓国条項を設けて、世界に承認されて行ったものです。

当時、朝鮮半島にいたのは日本人と朝鮮人だけではなかったのですから、日本が朝鮮半島を武力侵略したのか否か、朝鮮に租界があった西洋列国の記録を見ればすぐにわかることです。

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それに、戦前、日本の官憲に逮捕された極左朝鮮人申山祝も取り調べ中、

「朝鮮は日本資本主義の原料供給地、産品の消費地にされた」

と、供述しています。


日本の資本主義に反抗して日本を敗戦に追いこんだ共産朝鮮半島が、戦後になったらレーニンが言ったところの「日本の経済侵略」を「武力による侵略」と歴史修正して

「日本は朝鮮に賠償しろニダ! 謝罪しろニダ! 投資しろニダ! 技術供与しろニダ! 日本で外貨を稼げニダ! 祖国に送金しろニダ!!」

と日本の資本主義にむらがりつつ、その反面で捏造歴史を振りかざし日本の安保法制には反対しているのです。

日本の反日野党はもう一度、戦後の対日暴虐をやりたいのでしょう。日本を乗っ取るために。


【俗称:朝鮮進駐軍】
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【外国の利益のために働く税金ドロボー議員】

安保関連法案 野党、3日の審議拒否の方針
2015年6月2日 (NNN) Yahoo! JAPAN ニュース

日本テレビ系(NNN) 6月2日(火)23時15分配信
 与野党の対立が深まっている。安全保障関連法案を審議する衆議院の特別委員会は理事懇談会を開き、自民党の委員長が職権で3日の委員会の開催を決めた。民主党などは反発し、3日の審議には応じない方針。

 理事懇談会で、与党側は3日と今週5日に審議を行うことを提案した。これに対し野党側は、3日はフィリピンのアキノ大統領による国会演説が予定されていることなどから「十分な審議時間が確保できない」と反対した。

 また、野党側が求めていた「周辺事態」の定義に関する統一見解についても、政府が2日に示した「軍事的な観点をはじめとする種々の観点から見た概念」との説明では不十分だとしている。

 結局、自民党の浜田委員長は、職権で3日午後に委員会を開催することを決めたが、民主党など野党側は強く反発している。

 民主、維新、共産の野党各党は3日の審議には応じない方針で、安保関連法案の審議をめぐり早くも与野党の対立が深まっている。

URL:http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150602-00000076-nnn-pol



本記事の資料



出典:1974(昭和49)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」所収
司法省刑事局 「昭和十五(1940)年一月 思想研究資料 特集第七十一号」 結論



名古屋合労(名古屋合同労働組合)に於て朝鮮人最高幹部として活躍した申山祝は司法警察官に対し、其の社会運動に入った動機を述べて、


「私が社会運動に入った動機は一口に言えば日本帝国主義に対する植民地民族としての反抗からである。私は平和とは云(い)え赤貧洗う様な家庭の長男として成長したので、其の窮境を打開すべく昭和四年三月相当な希望を以て内地に渡来したが、土工として各地を転々する間に内地人の思ったより以上の差別扱い、即ち労働賃銀に於て職場の振り当てに於て或(あるい)は又『ヨボヨボ』との侮辱的言辞に於て其の他凡(あら)ゆる点に於て植民地民族なるが故の賎視と搾取を受けるので、私共の民族的反抗心が漸次強くなったのである。

斯様(かよう)にして日本帝国主義を憎む気持ちを持つ様になってからは、同胞が酒と喧嘩と賭博に希望のない毎日を送って居る姿が余りにも悲惨に見えつくづく亡国民族の悲哀を感じ、我々朝鮮人は団結して朝鮮独立の運動を進めねばならないと固く決意し、昭和五年春頃民族主義団体新幹会名古屋支会に入会した。

斯くて当時の気持ちは一途(いちず)な民族意識からであって、共産主義的自覚は殆(ほとん)ど持って居なかったが、然(しか)し既に内地渡来後に於ける惨めな労働体験から現在の社会制度-高める者と貧しい者との懸隔-に付ては多分の不合理は感じて居た。

其の後昭和六年春頃日置労働紹介所の人夫として就労中階級運動の先輩呉長禄、林永澤等と知己となり、爾来両名より啓蒙を受けるに従って私は資本主義社会の矛盾は生産機関を私有するブルジョアジー(管理人註:資本家)とそれを持たないプロレタリア(管理人註:労働者、無産者)の対立の上に構築されて居ることである。

資本主義が発達すればする程此の根本的対立は激化し、同時に又ブルジョアジーそれ自らは生産のアナーキーに因って自己崩壊を余儀なくされ、プロレタリアが之(これ)にとって代り新しい社会主義的社会を生むのである。此の社会主義社会の建設はプロレタリアの統一せる意思の革命に依ってブルジョアを打倒することに因り達成される。之は現実にロシアの労働者農民が実施して居るところである。

我我朝鮮人が故国を奪われたのは日本人ではなく日本のブルジョアの為であって、其の理由は生産のアナーキーから小ブルジョアは大ブルジョアに駆逐され順次大資本に集中され、集中された大資本は国内のみでは生産原料はなくなると共に生産品の販路も行詰まる、其の時は戦争に依って外国を植民地とし行詰まりを打開するのである、

朝鮮は日本ブルジョアジーの行詰まりに因り新しい搾取の市場として掠奪されたのである、従って朝鮮人を現在の如き窮乏に陥れた敵は日本のブルジョアジーであることを明確に理解し、単なる民族運動はよし朝鮮独立が出来たとしても唯(ただ)搾取する者が朝鮮人ブルジョアジーに移行するのみであって、労働者は解放されない、

我々労働者は民族的感情を超越して日本人労働者と階級的に提携し日本の天皇制と資本家、地主の政府を打倒し朝鮮ソヴェートを建設することに依ってのみ完全に解放せられるのであり、其の為の闘争を進めることがプロレタリアの進むべき正しい道であるとの確信を得るに及び、従来抱いて居た民族主義的敵愾心は変って共産主義運動への契機となったのである。

そして従来日本人に対して一様に抱いて居た憎悪の目を資本家に向け、内地労働者と提携して朝鮮民族解放の為に闘って見ようと考える様になった。

ところが偶々(たまたま)昭和六年十一月呉長禄から日本労働組合全国協議会(管理人註:極左派)の革命的任務に付て説明を受け、それへの加入を勧誘されたので蹶然(けつぜん)之(これ)に参加したのであるが、一ヶ月足らずで検挙され此の事件に因って私は警察、裁判所等の国家権力は凡(すべ)て資本家の利益を擁護し、労働者特に植民地民族を圧迫するものであり、其の中心は天皇制である、日本の天皇制こそは我々朝鮮同胞を現在の窮境に陥れた民族的階級的な敵であることを益々はっきりと知り、当時尚おぼろげであった闘争意識を益々鞏固(きょうこ)にし、其の後唯物史観(李尚在著)、メーデーの意義(金天海著)マルクス読本(著者不明)資本主義のからくり(山川均著)等や其の運動の過程に於て赤旗労働新聞等を読み、更に金益昌、趙炳浩、岩田隆文等先輩同志の直接指導に依って共産主義に対する理論と確信を昂(たか)め、朝鮮民族の全的な解放の為に執るべき途は唯一つマルクスレーニン主義の旗の下に当面日本の天皇制、資本家、地主の政府を倒し労働者農民の政府を作って搾取と階級のない自由平等な共産主義日本、共産主義朝鮮を作ることであり、此の為に闘うことが私共植民地民族である労働者として一番尊いことであると信じて今日迄及ばず乍(なが)ら其の為の運動に従事して来たのである」

と言って居り、朝鮮人労働者が民族主義より共産主義に進んで行く一般的な経過を物語る一例となすことが出来る。

 民族解放それ自体を究極の目的として其の本質に於てブルジョア的と云われる民族革命の思想と、プロレタリアイデオロギーと云われる社会革命の思想とは、其の本質上全く別似のものであるが、民族問題を植民地問題と結合して之に国際性を与え、民族解放はプロレタリア革命を通じてのみ始めて可能なりとするレーニズムに於ける民族問題の主張こそは、日韓合併の歴史的必然性と其の大理想とを理解し得ざる朝鮮の民族革命派、民族改革派、乃至は民族的偏見と不平不満に捕われて居た多くの朝鮮青年を、恐るべき共産主義運動に誘導傾倒せしめ赤露の忠実なる走狗たらしめた魔術であり、斯くて朝鮮共産運動は多分に民族的色彩を帯有するに至ったのであるが、他方民族意識を乗り超え純然たる階級意識に立脚して共産運動に狂奔した者も決して少くはない。此処(ここ)に朝鮮共産運動に於ける第一の重要な特色が存する。


※管理人註:
・名古屋合同労働組合:
 1935(昭和10)年2月21日、庄内町にて名古屋合同労働組合設立準備委員石川友左衛門、水野研像、崔占保、朴●均、申山祝、林正萬、金裕徳ならびに庄内町労働者協議会幹部秋先求、朴永学、金車革、白玟玉、蘇亨淑、李舜淑、李舜●等が結成した非合法グループ。ニュース発行指導、宣伝週間指導、改良主義組合に対する闘争指導、国際的国内的記念日闘争方針、メーデーに対する指導方針、国際的文書入手、中部地方連絡委員会確立、大井川へのオルグ派遣、パンフレット発行、内地人(日本人)の組織化、国際無産青年デー対策、国恥記念日(管理人註:日韓併合がなされた8月29日)闘争、その他中部地方における共産主義運動の再建指導の方針を決定し実践に努める。その後、コミンテルン第七回世界大会で決議された方針を基本とした活動も行い、多数の朝鮮人を結集させた。昭和11年12月5日申山祝ら幹部の一斉検挙、昭和12年6月8日の再検挙により同年12月解散に至った。

※朴●均→●は垸の偏が王、李舜●→●は凞のにすいがさんずい。








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