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2016/04/22

中国では井戸に毒を入れる


リテラが「熊本地震で朝鮮人が井戸に毒を入れたというのは悪質なヘイトデマだ!」と、悪質な日本人ヘイト記事を掲載しました。

関東大震災に限っていえば、もともと「井戸に毒を入れる」というのは、毒殺大国中国の文化です。

なので中国人は毒に反応する銀の箸で食事をし、他人からもらった水やお茶は決して飲まなかったそうです。


【朝鮮人も銀のさじで食事する。理由は中国と同じ】



ところが日本人は、中国人や朝鮮人とは正反対で毒にはまったくの無防備です。毒を使った無差別殺戮など、思いつきもしません。

それゆえ、陥落後の南京で日本総領事館勤務だった日本人男性二人が蒋介石に毒殺されるという事件(南京毒薬事件)も起きました。

真実は共産主義に染まった抗日不逞分子こそが、軍人、民間人おかまいなしに日本人を非人道的な方法で殺戮したのです。


【蒋介石は中国人給仕に命じて宴会用の酒に毒を仕込ませた】
宮下玉吉氏、三十八歳。妻が一人遺された。
支那と毒殺宮下玉吉君1

船山巳之作氏、三十五歳。妻と幼い娘三人、実母が遺された。
支那と毒殺船山己之作君1

南京毒薬事件を伝える新聞記事↓
南京毒殺事件新聞記事1

南京毒殺事件新聞記事2

そもそも「関東大震災朝鮮人虐殺」というヨタ話の元をたどれば、当時の在日朝鮮人が朝鮮の新聞社から金を引き出そうとして捏造した話なので、なんの検証もなく日本人を"朝鮮人をジェノサイドしたクズ"呼ばわりするのはいかがなものかと思います。

事実、関東大震災発生時に朝鮮人が火薬庫や重油庫に爆弾を投げ入れるところを見たり、翌日になっても紅蓮の炎が猛烈に起るさまを見た日本人がいるのです。

ソ連による朝鮮の赤化は1918(大正7)年に始まっており、「朝鮮独立」を叫ぶ朝鮮人にジェノサイドされてきたのは日本人だったのですから、大震災という混乱時において日本人が朝鮮人を警戒したのは当然のことです。


【悪質な日本人ヘイト記事】

熊本の大地震で「井戸に朝鮮人が毒を」の悪質ヘイトデマ! この機に関東大震災「朝鮮人虐殺」を改めて振り返る
2016年4月16日 リテラ

 14日夜に熊本県益城町で最大震度7を記録した大地震。16日にも熊本地方を震源に震度6強など強い揺れが相次いでおり、家屋の倒壊等による被害が拡大している。

 そんな中、〈熊本の井戸に朝鮮人が毒を入れて回っているそうです!〉という、極めて悪質なデマツイートが出回っている。いうまでもなく、これは関東大震災発生時に“朝鮮人虐殺”を引き起こしたあのデマの再現を狙ったものだ。

 1923年9月、マグニチュード7.9の大地震発生直後の数日間で、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒をいれた」「放火している」等のデマが広がり、日本人らによる大規模な朝鮮人のジェノサイドが行われた悲劇の歴史である。

「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などというヘイトスピーチが口をつくのは、歴史を直視していない証拠であり、あまりにも浅薄で恥知らず。クズ同然の行いだ。だが、ネット右翼やネトウヨ系まとめサイトは、このヘイトデマに便乗して「関東大震災時の朝鮮人虐殺こそ、悪質なデマです」などとがなり立てている。

 ここ数年でネトウヨや極右界隈で盛んに叫ばれるようになった「朝鮮人虐殺はなかった」なる歴史修正の物語の典型である。しかし、何度でもいうが、朝鮮人虐殺は当時の記録や市民の目撃証言も無数に残されており、また治安出動を指揮した警視庁官房主事の正力松太郎自身も認めている、厳然たる事実だ。

 以前、本サイトは、当時の大人だけでなく子どもたち証言や、公式・私的を問わない数多の記録を詳細に取り上げた『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹/ころから)という本を紹介したことがある。

 以下にその記事を再録するので、ネットで悲しいヘイトデマが放たれた今だからこそ、もういちど、じっくりと関東大震災と“朝鮮人虐殺”に直面した人たちの声に耳をすませてほしい。とくに、「ネタ」などと言ってヘイトデマを広めたネトウヨ連中にこそ、読んでもらいたいと強く、強く思う。(後略)



関東大震災で虐殺された朝鮮人の遺骨を探すも…

捏造した話なのでどれだけ掘っても遺骨など一個も出てこない。

関東大震災機関銃1


朝鮮人にジェノサイドされた日本人の遺骨はすぐに出てくる

日本敗戦後、南鮮の日本軍と朝鮮総督府職員は米軍によってすぐに強制送還され、北鮮の日本軍も日を置かずソ連軍によってシベリアへと強制連行された。
そして守ってくれる者がいなくなった朝鮮で日本の民間人約18000名強制残留を余儀なくされ、身ぐるみをはがれ、極寒の朝鮮に放り出されて次々に死んでいった。
陸軍省の記録では終戦の翌年末で行方不明の在鮮日本人は85230名とされている。
日本が朝鮮に投資して近代化したその代償が日本人ジェノサイドだったことを、
日本人は忘れてはいない。




1936(昭和11)年外務省情報部
「朝鮮の赤化は1918(大正7)年から始まった」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02130968400:1936(昭和11)年 外務省情報部 「第五章 東亜に於けるコム・インターンの活動」(16コマ目)



 朝鮮系の赤化運動は、一九一八年に遡(さかのぼ)ることが出来る。当時既に間島等の地方を中心として朝鮮民族主義団体が存在していたが、其(そ)の赤化に依って、鮮人最初の共産主義団体がハバロフスクで結成された。李東輝の『韓人社会党』が夫(そ)れである。党は翌一九一九年、コム・インターン(コミンテルン)からグルッペ(ドイツ語。グループ)として承認され、『高麗共産党』と改称、中心を上海に移したが、其の虚に乗じ、一層急進的な主義者(シュギシャ。共産主義者)に依って、イルクーツクに『全露韓族共産党』成立。両派の訌争(こうそう:うちわもめ)はコム・インターンに調解せられ、活動範囲を画し、両者併存のこととなった。

朝鮮赤化は1918年から1




1920(大正9)年11月~12月東京日日新聞
「中国では毒殺を防ぐため銀の箸を使う。銀の箸は毒に反応すると
一瞬で黒く変色する」


出典:神戸大学新聞記事文庫 1920年11月23日-1920年12月29日(大正9) 東京日日新聞 支那文化の解剖(一~十七)



(十四)衛生思想の実況

又貴人縉紳の間の衛生秘訣としては銘々腰に嚢中、銀冠の付いた牙箸を佩び宴会招待の時抔は殊に之を取出し用いて不虞の毒殺の概に備えんとして居る。普通は象牙の箸が出されるのであるが銀箸なれば毒液に対し瞬間に速く黒く変色すると云う特徴を有して居るのである。

支那と毒殺新聞記事1



1919(大正8)年8月16日 東京朝日新聞
「中国が日本人が井戸に毒を投げ込んでいるとデマを飛ばしている」


出典:神戸大学新聞記事文庫 1919(大正8)年8月16日 東京朝日新聞



坊子附近各部落の堀井戸には奸佞(かんねい:心がねじけて悪がしこいこと、人)なる日本人が窃に毒薬を投込みあれば絶対に之(これ)を飲用すべからず若(も)し飲用したる時は一年後に於て必ず変死すべしと捏造的言辞を盛んに流布し愚民を惑わし農民亦之を事実として慌てて井戸に蓋をする等寧ろ滑稽の観ある…

支那と毒殺新聞日本人が毒を1




1939(昭和14)年6月 南京毒薬事件
中国専門家「中国は毒殺大国なので中国人は他人にもらった飲料は飲まない、日本人も大いに警戒せよ、今度の戦争中でも中国人が井戸水に毒薬を投入したことは、しばしば新聞紙上にも出た、中国人はこうした非人道的なことを永い習慣から平気でやる」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B02030667400:昭和14年6月 外務省 「南京総領事館ニ於ケル中毒事件(宮下、船山両書記生殉職を含む)」



(8コマ目)

身を殺し衆を救う殉職の二書記生
 南京毒薬事件に美談 
   (昭和十四年六月十三日東京朝日新聞)

【既報】

 兇悪な抗日の魔手によって日支要人の毒殺を企てた南京日本総領事館に於ける毒酒事件は主賓の清水外務政務次官をはじめ維新政府側梁行政院長以下各要人は別に生命に別条はなかったが不幸にも同総領事館書記生宮下玉吉(三八)同船山巳之作(三五)両氏はいづれも中毒症状の激痛を忍びながら上司並(ならび)に支那要人の介抱手当に奔走している間に猛毒が全身にまわり遂に尊い犠牲となって同夜遅く殉職死亡した旨十二日午後六時外務省から発表された。

 今回の事件は没落に喘ぐ蒋政権の最も卑劣なる非人道的計画であって堀総領事より外務省に達した報告に依れば毒物はアルカロイド性毒物(植物から採れる天然由来の有機化合物)で十日夜開宴直前に巧妙な手段で老酒の瓶中に投入されたものらしい。(後略)



(13コマ目)

 支那と毒殺の話
    (昭和十四年六月十二日国民新聞)

 十日南京総領事館で行われた清水外務政務次官の歓迎会で、その乾杯の老酒中に毒薬を混入して日支要人二十数名を暗殺しようとした抗日不逞分子の奸悪な魔手から"支那と毒殺"に異状な関心を呼んだ、これについて十一日夜支那研究家中野江漢氏を中野区高田一の六四の自宅に訪ねて"支那と毒殺"の話を聴く。

 
 アア、そうですか、そんな毒酒事件が突発しましたか、しかし支那には昔からよくあったことで、日本人としても細心な注意が必要ですよ、総領事館だからと言って安心すると却って悪い支那人に乗ぜられるのです、こうしたことについては支那人は実に巧妙極まるものです。


 と冒頭しながら支那に於ける毒殺陰謀の種々相を語りはじめた。

 
 支那では飲み物や食べ物に毒を入れるということは屡々(しばしば)あった、先(ま)ず支那料理ですがこれは昔は日本の料理と同様に一つ宛皿に盛り分けられて居(お)ったが戦国時代から大きな皿に盛って主客が一緒に分けて食うことになった、というのは毒牙入っとるかも知れんというので、先ず主人が食べてつまり毒味をしてから客にすすめる様になったのです、料理をとる箸も竹や木でなくて象牙や銀の箸がその頃から用いられるようになったのも有毒なものであれば直ぐに箸に変化が現れるからであった。
 
 支那の歴史には毒殺は実に多くそれだけに相当発達した毒があった鴆毒(ちんどく:鴆の羽にあるという猛毒。鴆は一種の毒鳥)なんかは屡々用いられたが、食べても直ぐに現れず徐々に目的を達するという様なものもあった。

 今でも支那の俳優や歌姫は、舞台でよくお茶を飲むが、これは自分の家から持って来たもので決して他人のお茶は飲まない、これは咽喉をつぶす為に昔はよく毒物を飲まされた結果からした習慣で出来たものである。

 
 袁世凱が皇帝になろうとして突如として死んだのは当時毒殺という噂が立ったが、山座円次郎公使と水野幸吉参事官が相次いで亡くなった時にも当時は排日的空気の強かった時だけに毒殺の風説が立ったのも無理からぬことである、更に江漢氏は語をついて、毒殺方法の巧妙さについて語ったが、

 
 本の中に毒をつけておいて頁(ページ)をめくる時、その毒が手につき、唇につくというような仕組みにした方法もあって有名な金瓶梅(きんぺいばい)という面白い小説は毒殺用に作られたと伝えられている程である、支那人の間でも毒殺を防ぐ方法が先(さ)きに言った様に色々に考えられているのだから、日本人も内地(日本国内)に居るような気持ちでなく大いに警戒の必要があろう、今度の戦争中でも井戸水に毒薬を投入したことは、屡々(しばしば)新聞紙上にも出たが、支那人はこうした非人道的なことは永い習慣から平気なんだから、殊に日本人は抗日分子の毒殺についても警戒しておかぬと飛んだ目にあうでしょう。




支那官憲が日本人の使用人である中国人を暴力で脅迫
「飲料水に毒を入れて日本人を皆殺しにしろ、そうすれば賞金をやる」


出典:1988(昭和63)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史」第一巻
所収 「砲声殷々(いんいん)たる北平における日支両国青年座談会」
(昭和12年9月号掲載)



松本 その噂ならば朴も聴きました。僕の家に使っている支那人がこんな噂がもっぱらだけれど、本当かと聴いたので、「そんなことは絶対にない」と言っておいたが、大砲の音が轟き出したのでやっぱり起こったと思ったんでしょう。すると、四月頃、新京から友人が来て、このボーイの従順な性質と日本語がうまいのを気にいって、冗談半分に、「新京の自分の家に来ないか、満洲国はいいぞ、安住の楽土だ」と教えたものだから、それを思い出して「新京に行ってもいいか」と言ってましたよ。それで今少し待っていなさいと言ったところが、日本人の家に働いている支那人を官憲が圧迫するとみえて、ある夜、瘤(こぶ)だらけになって帰って来て、「飲料水に毒を入れて日本人を皆殺しにしろ。そうすれば賞金をやると言われたけれども、ごやっかいになった情深いご主人にそんなことはできないから、当分よそに行っている」と泣く泣く暇をとって行きました。そして「事件が治まったらばまたやって来るから、使ってくれ」と言って行きました。そしていじらしいことには「あぶないから外に出るな」とか「早く日本兵が来てやっつけてくれればいい」と言って行きましたよ。

 飲料水に毒を入れろとは恐ろしいことだね。主人に叱られたりしてうらんでいる時なぞは、欲に眼がくらんでやりかねないね。




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