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2016/04/13

戦前からあったTPP構想


韓国の女優が日本の「戦犯」企業のコマーシャル出演を断ったそうです。かわいそうな彼女は戦争の形態には三種類あることを知らないようです。

戦争の三形態とは、経済戦、武力戦、思想戦です。

米韓FTAでアメリカに不平等な関税撤廃を強要された韓国は、大東亜戦争における経済戦がアメリカの対日経済圧迫だったことを知らないのでしょう。

だから日本のことを「戦争を始めた戦犯国」などという、戦前ソ連に教わったとおりの子供でも理解できるように書き替えられた歴史観で日本を非難できるのです。


【戦争の三形態】

1 経済戦→アメリカ、イギリス

2 武力戦

3 思想戦→ソ連、中国、朝鮮、抗日ゲリラ



「日本が欧米に負けないように侵略戦争を始めて、朝鮮を植民地にした」。

そんな歴史観を持っているこの韓国の女優にプレゼントしたい言葉があります。


[芸能]ソン・ヘギョ 三菱自動車の広告を拒絶
2016年4月11日 ソウル聯合ニュース

ソン・ヘギョの広報会社によると、ソン・ヘギョは約1カ月前、三菱自動車側から中国で放映されるコマーシャルのモデルに抜てきされたが、出演を断った。日本による植民地時代に強制労働に関わった戦犯企業である三菱重工業のグループ企業であるためだという。

 ソン・ヘギョは、韓国の広報活動に取り組む誠信女子大の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授とともに、各国の韓国関係の施設に韓国語のパンフレットを寄贈する活動などを行っている。

ソン・ヘギョ1



その言葉とは戦前、コミンテルンの幹部だったアドリフ・ヨッフェが言った言葉です↓

 皇紀二千五百八十三年日本に渡来したソ連の要人ユダヤ人ヨッフェが国を出る前に、

 吾々(われわれ)は今は破壊ばかりやって行くが、建設をやる時には米国の資本でやるのである。

と語った事を現在想起することは誠に意義あることである。

【出典】1941(昭和16)年 内外書房 四王天延孝 「ユダヤ思想及運動」

=朝鮮戦争。


それともう一つ、彼女に捏造ではない"事実"をプレゼントしたいと思います。

それは戦前、朝鮮の金山を経営していたのはアメリカの企業だったという事実です↓


鉱産物中金は一ヶ年九百万円の産額を有し朝鮮鉱産物の第一位を占むと雖(いえども)金山の多くは米国人の経営に属し邦人(日本人)の手に経営せらるるは稀なり、彼のオリエンタル、コンソリデーテット、マイニング、コンパニーに属する雲山金坑の如きは平安南道雲山群全部を包括し七堀坑を有す
【中外商業新報 1912.10.12-1912.11.3(大正1)】

朝鮮金山米国1

朝鮮金山米国2【出典】神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ新聞記事文庫


今後はアメリカに謝罪と賠償を求めてくださいね。


こういう事大主義の韓国とはちがって、日本人の大半はアメリカが提案してきたTPPを戦前アメリカの東漸政策と同じだと思ってとても警戒しています。

なぜなら日本は戦前、アメリカに満洲の権益を強奪され、不当関税により輸出入も激減、石油禁輸に資産凍結など、数えきれないほどの圧迫を受け、じっとしていても実力行使に出ても、どっちにしても滅亡としか思えない国家存亡の危機に陥れられたからです。

日本が特攻隊を編成してまでアメリカに反抗した理由です。

当時の日本は朝鮮人が大量に移民してきたりして、人口が激増していました。その人口を日本国は養えなくなっていました。


【戦前アメリカの対日経済圧迫】

・アメリカの上には英国植民地であるカナダがあるため、アメリカはアジアに対し膨張政策をとった

・日本にアジアから追い出されることをアメリカは警戒した

・アメリカは中国人の排外主義を排日煽動に利用した

・白人は世界は白人のために造られたと考えアジア人を一段下に置いた

・アメリカは中国を将来における自国発展の地として温存しておきたかった

・ルーズベルト大統領は石油を止めれば日本が戦争に訴えると知っていた

・アメリカは日本の資産を凍結した

・日本の対米要求は日本人の安全と経済発展への参加権を認めることだった

・日本の要求に対しアメリカは日本製品に不当な関税を適用して日本の貿易を圧迫した

・第一次大戦前は日本の経済政策に好意的だったアメリカの態度が戦後激変、移民問題は日本に譲歩させ、満洲の経済発展を妨害した

・九国条約を締結させ、満洲における日本の地位を放棄させた

・日中間で締結した満鮮国境軽減関税を機会均等の原則に反するとして撤廃させた

・アメリカのおかげで中国は関税自主権を獲得し、共産主義的閉鎖経済政策を採用して日本の対中貿易を圧迫した

・ハワイ、ウェーク島、サモア島、グアム島、フィリッピンとアメリカはアジアに向け、着々と侵略してきた

・アメリカは満州鉄道問題、山東還付問題、海軍軍縮会議、満州事変、支那事変と日本の発展をことごとく妨害した

・アメリカはイギリス帝国にとって代わろうとした

・アメリカの東漸政策は国内経済が飽和点を達したためと思惟された

・アメリカは条約や過去の宣言と矛盾した政策を平気で実行する国



TPPを警戒している日本人とちがって、韓国は日本のTPP参加をうらやましがり、韓国も参加したいなどという。

通貨危機で白人に自国経済をむしり取られたのに、韓国はいまだ白人崇拝と反日をやめない。

そして真実を知ろうとはせず、まちがった歴史観で「日本の軍国主義が復活する前に芽をつまなければならない」などと言う。

こういう事実ではない歴史観を持っている国そしてその国の手下である極左野党を排除しないかぎり、日本は正しい道を歩むことができません。


【白人に食いつぶされる韓国】

【日韓】復活する軍国主義~「天皇を国家元首にして国防軍を持った日本」はこれまでと次元が違う
2016年4月1日 ソウル新聞(韓国語)

ドラマ「太陽の末裔」が軍国主義論議に包まれたという。ところがドラマを視聴した人ならば太陽の末裔を軍国主義と結び付けることに同意しないだろう。軍人と軍人精神を素材に扱ったからといって軍国主義というのは行き過ぎた論理の飛躍だ。

軍国主義は軍事力増強を優先して国民生活より戦争の準備や政策を重視する理念だ。第二次世界大戦を起こしたドイツとイタリア、日本が軍国主義を指向した代表的な国だ。日本は21世紀にも「軍国主義遺伝子」が死なずにうごめいている。 (中略)

日王と軍国主義復活が脈を同じにする点で憂慮せざるをえない。私たちの安保にも直接的な脅威になるほかない。日本はすでにアジアで中国に対抗する軍事大国だ。最先端武器は言うまでもなく、自衛隊兵力だけで25万人にもなる。 (中略)

だからといって見てばかりではいられない。軍国主義の夢をあきらめるように周辺国と共助外交を行って日本を圧迫する必要がある。専門家たちは米国の他にも中国やロシアなど多者間安保協力を提案している。日本の軍国主義化は「太陽の末裔」論議のように軽い問題ではない。軍国主義が復活する前に芽をつまなければならない。

ソース:ソウル新聞(韓国語) [種減産する方法]復活する軍国主義/カン・ドンヒョン論説委員
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20160402023006


本記事の資料です

アメリカの東漸政策(アジア侵略)はアメリカの上に英国植民地であるカナダがあるため


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 松下正壽 「米国の米洲政策の基礎的考察」  第三章 国防的考察



 米国の国防問題を論するものが常に考慮しなくてはならない二つの要因がある。

その一は合衆国の隣国中同国と最も長い国境線を有するものはカナダであり、而(そ)してカナダは英帝国の一部を構成するということである。

その二は米国と他米洲諸国との連絡は、カナダとメキシコを除き凡(すべ)て水路又は空路に依らなければならない、従って米国の米洲政策は大陸的又は陸軍的であるよりは寧(むし)ろ海洋的又は海軍的でなくてはならないということである。

 米国の北方に広大なる英帝国の一部が存在するということは明かに米国に対する重大なる脅威であった。



・日本を警戒したアメリカ
・アメリカは中国人の排外主義を排日煽動に利用した
・白人は世界は白人のために造られたと考えアジア人を一段下に置く
・アメリカは中国を将来における自国発展の地として温存しておきたかった


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 蘆野 弘 「支那事変を中心として観たるアメリカの東亜政策」 全篇 米国東亜政策の本質



 

 今世紀の初め頃は、駸々(しんしん:馬が早く走るさま)乎(か)として、東亜に蔓(はびこ)り、磐石の如き根を据えんとしていたものはロシアであった。が故に之(これ)に対し敢然挑戦した日本は、米国にとり愛(う)い奴であった。三十年後、ロシアは、将来は兎(と)もあれ、差当りの脅威ではなくなった。

其の他の列強は、英国と雖(いえど)もたかだか今迄の地位を少しでも長く維持しようと云う丈(だけ)であって、米国の進出を妨げる恐れはない。東洋全体を壟断して、第三国の入る余地なからしむる(余地をなくす)の恐れのある ─── 否、之(これ)を根本政策として中外に宣言し、放って置けば、之を急速に実現する虞(おそれ)のあるのは日本のみである。

故に、之に反抗して屈しない蒋介石は、当然米国人の眼には英雄でなければならない。彼が曾(かつ)てソビエットと手を握った事も忘れたのではない。否、現に共産党と妥協しつつあるのもしらないのではない。

支那人の本心は、一皮剥げば、排外主義である事も承知の上である。兎(と)も角(かく)も当面の邪魔者たる日本を抑えようと真剣に努力するものはよき味方である。

(中略)

 

併(しか)しながら彼等(かれら)が理性や儀礼の衣を脱ぎ棄てて、ほんとの他所(よそ)行きならぬ気持になったときはどうであるか。

依然一種の白人優越感、詳く言えば世界は白人の為に造られたもので、東洋人は一段低い地位にあるもの、所謂(いわゆる) 『白人のお荷物(ホワイト・メンズ・バーデン)とか 『吾等(われら)の小さな色の黒い弟(アワー・リトル・ブラウン・ブラザーズ)』と言った気持、欧米人は東洋に対して、東洋人が欧米に対して有する以上の何か権利でもあるという様な観念から脱し得ないものと筆者は信ずる。

(中略)

 

 米国は建国以来東から西へと其の国土を拡張して遂に西海岸に達した。前世紀の終りと共にもはや人民に自由に与えるべき国有地もなくなった。

『西へ行け、若い者!(ゴー・ウエスト・ヤングメン)』 といわれた西部ももはや、あぶれ者の自由の天地ではなくなった。

それと時を同うして、合衆国はハワイや、フィリッピンやグァムを領有する事になった。更に西を見ると、マルコポーロ以来伝統的に無限の富を包蔵すると夢想されている支那は、混沌として今や欧州列強の手によって分け取りせられん計(ばか)りの処であった。

其の頃米国人の間には、一部帝国主義の熱烈なる主張者があったが、大多数の国民は尚(なお)神から与えられた大陸を開発する事を以て満足していた。

そこでマッキンレー大統領の国務長官ジョン・ヘイは、門戸開放(オープン・ドアー)主義の掛声で列強の勢力範囲画定を食い止めた。爾来米国は、支那を他国の蚕食から保護する役目を一手に引受ける事となった。

それが単なる他愛的動機から計りでない事は云う迄もない。一方的声明であった門戸開放主義は、二十年後ワシントン会議に於て九国条約の形で、遍(あまね)く太平洋沿岸に領土を有する国々に依って確認せられた。

スティムソンが、満洲事件(事変)に就いて頻(しき)りに文句を云ったのも、不戦条約と共に九国条約を楯にとってであった。

今尚米国は門戸開放の主張は容易に捨てまいと思う。其の背後には、米国が、東洋を前に云った特殊地域と見做す根本観念と支那を将来自由なる自己の発展の土地として保存して置き度(た)いという思想が動いている。



・ルーズベルト大統領は石油を止めれば日本が戦争に訴えると知っていた
・アメリカはヨーロッパとの戦争を避けてアジアに進出した


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」  伊藤正徳 「太平洋の軍事問題-米国海軍の概要-」



 二、米が仕掛けた戦争

 他の如何なる係争があっても、それは交渉で打開し得べく、また時を待つことも出来たろう。ひとり、軍艦を全廃するに等しい油の断交だけは、妥協の道もなく、隠忍して待つ時の余裕も与えない。不戦屈従の外(ほか)に手がないからだ。これをルーズヴェルト大統領は百パーセント承知していた。

 一九四一年初め、ルーズヴェルト氏は新聞記者団との共同会見の席上、『アメリカは何故に日本に今まで石油を売って来たのか。また現に之(これ)を禁止しないのか』という質問に対して

『もし日本に石油を禁輸したら、日本は之(これ)を得る為に武力を行使するであろうことが信じられるからだ(蘭印方面を指す)。斯くては太平洋の平和を維持しようとする政策に反するからである』

旨を述べた。即ち日本への石油禁輸即ち太平洋戦争ということを、彼は前々から判然と承知していたのだ。だから、一部の法学者はアメリカの石油禁輸は対日宣戦布告と解釈してよろしいと主張しているぐらいだ。

その法律論としての是非は知らないが、内容的には其の通りである。即ち、日本を戦争に駆り立てたくない間は、アメリカは日本に石油を輸出していたのだ。之(これ)を絶った時は、日本が戦争を賭するかも知れぬことを覚悟した時である。

(中略)

 三、国策戦略の衝突

 外交原則は戦略と不可分のものであるから、此(こ)の点から簡単な回顧を試みよう。アメリカは其の建国精神を拡充した結果、東にモンロー主義、西に門戸開放主義を主張するに至った。その結果戦略的には東に防禦(御)作戦を執り、西に向っては攻勢作戦を執るに至った。

今日までのアメリカ軍備方向を見ると、海軍はカリビヤン海に於ては百数十年来常に守勢作戦をとり、而(そ)して太平洋に於ては、其の領土が東洋に拡張されて以来、常に攻勢作戦を企図して来たのである。



・日本の対米要求は日本人の安全と経済発展への参加権を認めることだった
・日本の要求に対しアメリカは日本製品に不当な関税を適用して圧迫した


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 川島信太郎 「大東亜戦争と日米関係」 第一章 日米の過去に於ける衝突要因



 (甲) 日本の主張及び其の動向 

 日本の米国に対する根本主張は如何と云うに、一方米国及びその領土に対し日本移民の入国、旅行、居住、通商、航海及び富源開発の自由発展に対し均等原則の下に適当の参加権を求むると共に、他方亜細亜(アジア)大陸及び南太平洋地方に対し其の国防の安定、国民生活の確保の為政治、軍事、経済に関する諸事項に関し、所謂(いわゆる)共栄圏の設定容認を求むるにある。

蓋(けだ)し(思うに)前者に関して、一九二四年(大正十三)年米国は明治四十年(一九〇七年)の紳士協約及び明治四十四年(一九一一年)の日米通商航海条約の規定に違反し、排日的移民法を採用したる外(ほか)、一九二二年(大正十一年)フォードネー・マッカンバー及び一九三〇年(昭和五年)スムート・ホーレイ関税法を実施し高関税を賦課し日本品の輸入を困難ならしめた。

即ち本邦よりの重要輸出品たる絹織物は一九一三年関税法に於て従価四割五分なりしものが、一九二二年関税法は従価六割、更に一九三〇年関税法に於ては従価六割五分に引上げられた。

其の他樟脳、敷物、硝子(ガラス)製品、真田類、ブラッシュ、玩具、植物油類、マッチ、テーブル・クロース、洋服、鈕釦(ボタン)等に対しても国産保護上累次関税を引上げ、之(これ)が為(た)め、是等(これら)関係物品の本邦より米国への輸出額は逓減を見るに至った(以上品目、大正八年〔一九一九年〕に於ける米国への輸出総額一億五百万円なりしに対し、大正十四年〔一九二五年〕四千五百万円、昭和六年(一九三一年)一千四百万円とす)。 

(中略)

現ルーズヴェルト大統領治下に至りても米国は過去の民主党時代に於けるが如く関税に関し一般的引下げを為(な)すことなく、却って一九三三年(昭和八年)の産業復興第三条E項により本邦よりの輸入品中内国産品との競争最も甚(はなは)だしき綿布、敷物、鮪(まぐろ)缶詰等に対し差別的関税引上げを実行した。これがため本邦対米輸出品中最も有望なりし綿布に対しては終に所謂マチソン・アグリーメントなるものを締結し対米輸出を自制せざるを得ざるに至った(自制しなくてはならなくなった)。

而(そ)して一九三四年(昭和九年)ハル互恵関税法実施せられたるも、本邦との間には他国との間の貿易に於けるが如く互恵協定を締結し関税障壁を軽減せしむるが如きことなく、且(かつ)ハル長官が諸外国と締結せる互恵条約は二十二箇国の多きに及び、右による関税軽減は本邦産品にも均霑(きんてん:各自が平等に利益を得ること)せしむるの立て前を採用せるも、是等諸協定に於ては何れも各当該国の特産品を選択し関税軽減を為せるため、本邦産品は最恵国待遇の下に利するところ極めて少なかった。



・第一次大戦前は日本の経済政策に好意的だったアメリカの態度が戦後激変、移民問題は日本に譲歩させ、満洲の経済発展を妨害した
・九国条約を締結させ、満洲における日本の地位を放棄させた
・日中間で締結した満鮮国境軽減関税を機会均等の原則に反するとして撤廃させた
・アメリカのおかげで中国は関税自主権を獲得し、共産主義的閉鎖経済政策を採用して日本の対中貿易を圧迫した


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 川島信太郎 「大東亜戦争と日米関係」 第一章 日米の過去に於ける衝突要因



 加うるに米国政府は一九一三年(大正二年)加州(カリフォルニア州)排日土地法制定の際には、日本の支那大陸に対する経済的発展は米国に於て異議あるところに非(あら)ざる(異議がない)が如き態度を示し、更に大正四年(一九一五年)対支二十一ヶ条交渉の際、米国国務長官ブライアンは満洲に関する限り日本の支那に対する独占的、政治的発展は米国に於て異議なしと言明し、殊に一九一七年(大正六年)石井・ランシング協定に於て米国は日本の接壌地域に対する特殊地位を認めたるに拘(かかわ)らず、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)終了し、米国の国力東洋に発展し来るや、移民問題に関する日本の譲与は当然のこととし、何等感謝する所なきのみならず、日本の世界に於ける唯一の発展基地として残されたる満洲に対する経済発展すら妨害するに至った。

即ち米国は一九二二年(大正十一年)華府(ワシントン)軍縮会議を利用し、同会議に支那問題を持出し、支那に関する所謂(いわゆる)九国条約を締結し、前記日本の満洲に対する政治的、国防的特殊の地位をすら抛棄せしめ(させ)、大正二年及び大正八年支那との取極(とりきめ)による満鮮国境軽減関税の如きすら機会均等の原則に反するものとして之(これ)を撤廃せしむる(させる)こととした。

斯くて其の後支那は関税自主権を獲得し、狭隘(きょうあい:度量がせまいこと)なる国家経済主義殊に共産主義的閉鎖経済政策を採用し、之(これ)がために日本の支那に対する貿易は約三分の一に減少し、更に満洲に於ける日本の政治、国防、経済上の特殊地位をも抛棄せざるべからざるや(しなくてはならないかのような)の形成を馴致した(昭和四年に於ける本邦より支那への輸出額三億四千七百万円に対し、昭和十一年に於ける輸出額一億六千万円、即ち支那への輸出は本邦総輸出額の一割六分なりしものが僅(わずか)に六分に減少し、支那より本邦への輸入も亦〔また〕昭和四年に二億一千万円のものが、昭和十一年には一億五千五百万円に減少し、其の本邦総輸入額に対する比率も昭和四年に一割のものが、昭和十一年には六分に減少した)。 



・ハワイ、ウェーク島、サモア島、グアム島、フィリッピンとアジアに向け膨張政策をとったアメリカ
・満州鉄道問題、山東還付問題、海軍軍縮会議、満州事変、支那事変と日本の発展をことごとく妨害したアメリカ
・アメリカはイギリス帝国にとって代わろうとした
・アメリカの東漸政策は国内経済が飽和点を達したためと思惟された


出典:1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 鮎澤 巌 「世界新秩序と太平洋」



 三、米国の太平洋政策とその経済的背景

 もっとも、米国の東亜に対する高圧的干渉主義の外交は決してローゼヴェルト政権の下に始まったものではない。

東亜への進出の足場として選ばれたミッドウェー島は遠く十九世紀の中葉、一八五九年に、パルミーラ島は一八六二年に米領となった。一八六七年には米国はすでにアラスカを買収し、一八七五年にはオアフ島真珠湾を米海軍根拠地として要塞化する特権をハワイ王国から取得したが、かくてハワイは事実上米国の保護領となり、一八九八年には米西戦争のどさくさ紛れに完全な米領と化した。ウェーク島及びサモア島東半分はその翌年にいづれも米領に移った。

それから米国は、米西戦争の結果としてわづか二千万弗(ドル)でフィリッピンを取得した。もとはフィリッピンには独立を与える約束で、共同作戦でスペインと戦ったのであったが、それは守られなかった。

これと同時にグァム島をも買いうけたが、その頃に及んでは明かに太平洋の制覇に向って意識的な膨張政策が採られ始めたのであった。

支那拳匪の乱後、当時の国務長官ジョン・ヘイが突如提出した門戸開放要求は、米国として支那の領土分割競争に狂奔没頭している列強に向い、彼等(かれら)が獲得した勢力範囲や租借地などに対し、遅ればせに登場した米国が通商上の均等待遇を主張したものに過ぎなかったとは言え、遥かに太平洋を超えて遠く東亜の大天地にその羽翼をひろげ驥足(きそく:すぐれた才能を伸ばすべき素地を作らんとしたものと解釈され得るのである。

果然、日露戦役に米国は満洲鉄道問題を惹(ひ)き起し、第一次欧州大戦中(第一次世界大戦)には謂(いわ)ゆる『廿(二十)一箇条要求問題』を繞(めぐ)り日本に対し執拗に抗争し、巴里(パリ)講和会議中に山東還付問題に絡んで再び日本との紛争を招き、一九二一年以後、海軍軍縮会議に於ては英、日の両帝国と比率を争い、満洲事変の勃発以後は謂ゆるスティムソン・ドクトリンを以てあくまで対抗を試み、不承認の態度を堅持し、支那事変に移行して後は一億七千万弗の対支借款その他を以て露骨なる反日援蒋行為に出でている。

即ち、米国の対東亜政策はそもそもジョン・ヘイの当時から門戸開放、機会均等の名に隠れて干渉主義を以て一貫しているのであるが、かかる政策の強行は米国が米国大陸について他のすべての国々に対し不干渉を要求する伝統的米洲政策とは原則的に矛盾するものである。その矛盾を繕いもせずして高圧的に行う干渉政策の冒険は早晩不測の災を齎(もたら)さずにはやまぬものであった。

かくて大東亜戦争は米国の豊満なる干渉政策に端を発し、米国の太平洋制覇に於ける前進拠点をなすハワイ、ウェーキ、ミッドウェー、グアム、フィリッピン諸島は相次いで日本軍の猛撃によって崩潰しつつある現状である。

米国を駆って右の対外政策の諸相を敢てせしめたものは何か。これを米国流の帝国主義であったと言えば極めて簡単であるが説明にはならない。

米国の対外政策の諸相を説明する重要な一要素は米国経済の過去に於ける推移と将来に於ける動向である。今後の世界新秩序に対する米国の構想もそれらによって制約され、将来の国際機構に於て米国が演ずる役割も少なからずそれによって規定される。

玆(ここ)に留意しおくべきことは、米国が今次の大戦が如何なる終局を告ぐるに拘(かか)わらず、政治的に且つ特に経済的に、英帝国に代るべき地位に在ることを予想していることである。太平洋について特にそうである。

 もともと米国経済は本質的に国内市場の広大なる発展力をその特異なる強味とした。謂ゆる『西漸運動』は米国国内の経済開発の大なる動きであった。国内開発に要する労働力は最初は奴隷制度により、後には海外よりの大量移民によって賄われていた。

今世紀の始めより第一次欧州大戦の頃までは一年百万人を超ゆる移入民を屡々(しばしば)迎えたのでるが、大体、該大戦期を境として移民制限政策をとり、遂に一九二四年の移民法の採択となったのは諸種の原因にもよるが、とりわけ重要なことは米大陸の経済開発が一応その限界に達し、米国の高度の標準からすれば、海外労働力依存による開発は『飽和点』に達したと思惟されたことに因る。
 


日本が"侵略"したのは連合国の権益

【例:アメリカの対支投資額:1936(昭和11)年末】
総額2億1884万2000米ドル。
投  資  事  業金 額(千米ドル)
金融業42,030
工 業9,400
鉱 業不詳
公共事業13,810
輸出入業94,470
水運業5,072
航空事業560
鉄道借款11,870
一般政府借款41,630
【出典】1942(昭和17)年 東洋経済新報社 国際関係研究会編 「米国の太平洋政策」 第二章 米国の対華経済権益(一)


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