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2016/04/11

朝鮮王に学ぼう!異民族管理法


与党が国会に提出した「ヘイトスピーチをなくす法案」ですが、人権問題に取り組む弁護士らが「実効性が薄い」などとする緊急声明を発表したそうですね。

でも日本に渡航してきた朝鮮人は、その大半が朝鮮の賤民中の賤民といわれ、掌隷院という官庁で管理されていた被差別階級です。

そもそも彼らは朝鮮人とはちがう異民族だったために朝鮮では法律上人格を有せず、牛馬よりも安い値段で売買されたり、他人に譲与されていた"物品"でした。

西暦1300年頃、モンゴル人コリキスが高麗の中(忠)烈王に奴婢法の改革を提議したところ、中烈王は

「奴婢は我々と種類が別であるから、これを良民とすることはできない。もし奴婢が官吏になり要職についたなら必ず国家を乱すであろう」

と答えたそうです。


【秀吉"唐入り"のとき奴婢が放火した掌隷院の仮立案】
掌隷院仮立案1
【出典】1935(昭和10)-1937(昭和12)年 朝鮮総督府 「朝鮮史料集真.続」


掌隷院民主党1

中烈王は正しかったですね。

それに朝鮮では奴隷制度を美徳と考えていました。

なぜなら、朝鮮では

奴隷というものは朝鮮建国の祖箕子(きし)によって与えられた教訓であり、我が国の礼儀正しさが天下に聞えているのは、良賤の区別をし、奴隷を設けて上下の身分が定まっているからだ

とされていたからです。

在日朝鮮人は祖国から受ける差別と戦うべきです。

でも実際は祖国から受ける差別と戦う勇気はないので、居心地のいい日本にずっと住んでいたい。だから「日本人に差別されている!」と矛盾した対日ヘイトスピーチを世界に広める。

そしてその根底には、

徳の高い小中華であり大韓国人である朝鮮人に、いやしい日本人が反抗するな!

という日本人蔑視がある。中国を世界の中心と考える中華思想で見れば、我々日本人は朝鮮よりも中国から離れた場所にいるので、祖国で"物品"扱いされている賤民よりもいやしい民族になるからです。

ところが日本人は聖徳太子の時代と菅原道真公の時代に「中国から学ぶものは何もない!」と中国を見切ったので、中華思想などという観念はありません。

なので、中華思想というビフォアクリスト的な選民思想で一方的に差別されて、
日本人は迷惑しています。


日本政府も日本政府で、返り見すれば戦前日本の「五族協和(今でいう多文化共生)」という理想に全力で反抗したのが朝鮮と中国ですよ?

政府と軍部が「五族協和」などという激アマな理想を抱いて朝鮮人、中国人には優しく接し、日本国民には「朝鮮同胞を愛せよ」とか「日本人はアジア人の鑑(かがみ)たれ」などと言って弾圧した、その結果どうなりました?

朝鮮人の裏切りによる日本敗戦であり、戦後日本の急速な左傾化でしょうが?

在日朝鮮人を優遇して食いっぱぐれた日本人を移民させた結果、外地での日本人大虐殺だったでしょうが?

皇室を70年以上も革命の危機にさらし続けている失態でしょうが?

多数派が少数派を差別するのがヘイトに当るのなら、終戦直後240万人の在鮮日本人をよってたかって虐待した2400万人の朝鮮人の行為は立派なヘイトクライムです。

またもや日本政府は「自由、平等、友愛、人権」などという法の横っ腹を殴りつけるような、感情的な共産スローガンに迎合し、再び外国人には激アマ、日本国民には弾圧というあやまちを繰り返すのでしょうか?

いい加減、日本国民のための政府になってもらいたいもんですね。


【どこの国の弁護士じゃ?】

ヘイトスピーチ対策法案に緊急声明、弁護士ら「実効性薄い」
2016年4月9日 TBS News

 自民・公明両党が国会に提出した「ヘイトスピーチ」対策の法案に対し、人権問題に取り組む弁護士らが、「実効性が薄い」などとする緊急声明を発表しました。

 緊急声明を発表したのは、日本で暮らす外国人の人権問題に取り組む弁護士や研究者などで構成される「外国人人権法連絡会」です。

 与党が8日、国会に提出した「ヘイトスピーチ」対策の法案は、「不当な差別的言動は許されないことを宣言する」としていますが、人権法連絡会は、「ヘイトスピーチは違法」と宣言すべきなどとする緊急声明を出しました。

 「違法と宣言しないと、非常に実効性が薄いということはとても大きなこと」(在日外国人の人権問題に取り組む師岡康子弁護士)

 関西学院大学の金明秀(キム・ミョンス)教授は、被害者の多くが「恐怖」を感じているという実態を報告し、自己表現できなくなる懸念を指摘。緊急声明では、実態調査を定期的に実施することやインターネット対策なども求めています。(09日21:32)



朝鮮王に学べ! 異民族管理法


まず李氏朝鮮における社会階級は、王族をのぞいて四種類ありました。


両班(貴族階級)…文武の大官または学徳高い学者を出した家筋の正しい一族、名門。官吏となるべき資格を有す。

中人…限定された官職にあった一族で家柄や教育が常民よりやや高いもの。
※中人を省いて三階級とする場合もあり


常民…農業、工業、商業をいとなむ者。

賤民…常民の部類に入れない最下層の者。俳優、芸人、僧侶、巫女、売春婦、奴婢、白丁など。身分は世襲制であり、随母法により母が婢であった場合、父の良賤を問わず子は必ず奴婢に編入された。母を知って父を知らぬとした法は奴婢は禽獣に等しいという考えを現していた。

 奴婢…戦争にほける捕虜(新羅が百済を滅ぼした時には大量の奴婢が発生した)、貧困によりみずから身売りした者または父母に売られた者、李王朝に服さなかった高麗朝の遺臣72人とその子孫、また職業によって賤視された者(俳優、芸人、僧侶、巫女、売春婦など)とされた。職業差別による奴婢は場合によって常民になれるチャンスがあった。

 奴婢は奴(ぬ)と婢(ひ)の二種類に分けられる。また奴婢には公賤(官庁の奴隷)と私賤(私人の奴隷)の二種類があり、公賤には重い納税の義務が課せられていた(奴は木綿二匹、婢は木綿一匹半、楮貨(ちょか:朝鮮の貨幣)など)。この重税を免れようと奴婢は地方に逃亡して定住せず、その身分を隠した。

 白丁…高麗初期に朝鮮に流入してきた揚水夫(揚水尺:ヤンスウチョン)と呼ばれた異民族で、タタール族だったとされている。宰牛軍(チャイソルクン)とも呼ばれた。賤民中の賤民といわれ、次のような差別を受けた。

 法律上人格を有しない。
 戸籍に編入されない。
 姓を名乗れない(白丁の三大姓「卞、吉、洪」とされる)
 居住地の制限を受ける(城と城の間、村と村の間)
 衣食における制限(常民以下は色物の上衣を着てはならない)
 冠婚葬祭に礼法を用いることを禁止される
 一般民と交際禁止
 結婚禁止
 日本の本家にあたる本貫がない
 物品とみなされ牛馬よりも安く売買したり、他人への譲与も可
 白丁を殺害しても罪に問われない



そして高麗朝において奴婢などの賤民は掌隷院という、いわば中央奴婢管理局といえる官庁で管理することになりました。

掌隷院には掌隷司という役人がいて、身分に関する訴訟を処理していたそうです。

この高麗朝の奴隷制度がそのまま李氏朝鮮に受け継がれ、今度は李氏朝鮮に服さなかった高麗朝の遺臣ら72人が奴婢に落とされて管理されるようになりました。

モンゴル人コリキスが提議した「奴婢法改正案」を中烈王がしりぞけたとき、賤民以外の人々はとても喜んだそうです。

それはそうでしょうね、奴隷階級がいるということは、朝鮮半島の社会階級をハッキリさせる美徳なのですから。



朝鮮の社会階級の資料です


・中烈王 「奴婢が官吏になると必ず国を乱す」
・奴婢はケモノと同等である
・元(モンゴル)が提案した奴婢改革案が阻止され喜びにわいた朝鮮良民たち


出典:1925(大正14)年 雄山閣 稲葉君山 「朝鮮文化史研究」


 
 朝鮮の奴隷制度の由来を考えるに、その固定して移らないことは、これまた半島の空気が鎮静的であるということに存在しなければならない。

部落時代のことは暫(しばら)く措(お)き、新羅統一時代より戦争による奴婢は、多く発生し、就中(なかんずく)百済を亡ぼした際には、一度に多数の奴婢が発生した。

ことに新羅は大臣の世襲を必要としたから、奴婢は代々それらの家属となり、年代を経るにつれて、全然一種の賤民階級を成した。

(中略) 

 中烈王二十六年といえば、元の大徳四年に相当するが、濶里吉思(コリキス)という元人(モンゴル人)は、半島の奴婢法を革(あらた)めんとした。王は、上表して、

「昔我が始祖は、誡(いましめ)を後嗣子孫に垂れ、凡(およ)そこの賤類は、種類が別であるから、これを良民とすることは出来ない。若(も)しも良民とし之(こ)れを官吏に採用し、要職を求むれば、必ず国家を紊(みだ)すであろうといった。祖訓に反(そ)むくことは、社稷(しゃしょく:国家)を危くするものである。 我が小邦の法では、八世の間、戸籍上に賤類が無いということを明かにした上でなければ、官吏になることは出来ない。凡(およ)そ賤類は、父母の一方のどちらかが賤民であれば、これを賤と為(な)し、例え主人が良民とするといっても、所生の子孫は、再び賤民に戻すことになっているから」

といって強く反対し、元人の提議を斥けた。

随母法という規定もこの時代に定められたのである。即ち、母が婢であった場合、その父の良賤を問わず、その子は必ずや奴隷の列に編入することになる。

李朝一学者柳馨遠は、随母法は母を知って父を知らぬというのであるから、禽獣に等しい訳(わけ)である。

人類を処する道では無いが、随父法を認めることになると、身分に関する訴訟は、その煩に堪(た)えざるものがある。随母法が悪いのではなく、奴婢法が不完全であるからといっている。

前に述べた元の奴婢改革案が阻止せられ、旧制のままに行うという報告の開城に達した際、国人は、挙手加額、我が三韓を保存したものは、崔侍中であるといった。崔は蓋し(けだし:考えてみるに)常時元に赴いて、親しく奴婢改革案に反対して成功した政府の大官である。




・官庁で使役される公奴婢には納税の義務があった
・奴婢は地方に逃亡し身分を隠ぺいした


出典:1925(大正14)年 雄山閣 稲葉君山 「朝鮮文化史研究」 六、掌隷院の性質



 公私奴婢の制度があった。公奴婢は、中央並(ならび)に地方官衙(かんが:役所)に附属するもので、その確かな数は成宗(李朝)代には大約三十五、六万口に達したらしい。宣祖代には中央官衙のみで三万七千余であったという記録がある。

公奴婢の設定は、主に官衙の雑役に充てる必要からであるが、地方にある奴婢が、夫々(それぞれ)官衙の所在地に召集されるということは、頗(すこぶ)る彼等(かれら)として困難の事情にあった。

交通の便宜はなく、旅費までも、本身の自弁であるから、一度(た)び選上と称する役に値れば、一家の産を犠牲にするという苦痛がある。

公奴婢は、右の身貢以外、木綿の貢即ち納税義務がある。奴(ぬ)は一人につき四十四、五尺内外の木綿二匹、婢(ひ)は一匹半、外(ほか)に楮貨(ちょか:朝鮮の貨幣)等の負担がある。

単にそれだけの納貢であればまだしも、地方官吏の彼等に対する誅求は、それ以上であったというから、彼等の生活は、悲惨であり、一地方に定住することすら困難である。軈(やが)て四方に逃亡し、ひそかにその身分を隠蔽するというのが一般的であった。




・奴婢を管理した部署掌隷院と掌隷司
・奴隷制度は、箕子により与えられた教訓であり、朝鮮の礼儀は良賤の区別にある
・秀吉唐入りのドサクサにまぎれて掌隷院を焼き払った奴婢たち


出典:1925(大正14)年 雄山閣 稲葉君山 「朝鮮文化史研究」 六、掌隷院の性質



 高麗では、凡(およ)そ公私奴婢の決断文案は二通作製し、その一は之(こ)れをその主に与え、一は官衙に保存して考験を為(な)すという形式で、李朝でも大体それを沿用したのである。

唯(ただ)、名称を掌隷院といった、中央奴婢管理局というべきであろう。同時刑曹には掌隷司を置いて、奴婢に関する訴訟を司らしめた。

 奴隷が世役即ち世襲であるということには、古来反対が無いでもない。もともと、罪あるものが奴隷となったので、その子孫は必ずしも父役に依らなければならないという筈(はず)はない。

本人の意思により、若(もし)くは贖身(しょくしん:自分で自分の身を売ること)の方法によりて良民と為(な)すというのが、至当であるという意見もあった。その場合の反対者の意見を見るに、もともと、奴隷は認むることは、箕子によりて与えられた教訓である。我国の礼儀を以て天下に聞えているのは、良賤の区別立ち、奴隷を設けて上下の分定まっているからである。即ち家主奴隷の制一定してより、奴の主に仕うるは、臣の君に仕うる如く然り、されば奴婢は天民であるといっても、もとよりそれを易(か)えて賤を良とし、主人と抗衡させてはならないという主張がある。

固定した社会観から見れば、奴隷開放より危険なものはない。壬生役(文禄)の際、日本軍が京城に近づいたという報知があり、宣祖王の出走(日本軍におびえて北朝鮮の義州まで逃亡したこと)するや奴隷の一群は、先(ま)づ起(た)ちて掌隷院及(および)刑曹の二局を焼いた。二局は公私奴婢の文籍のある所であるからとの柳成龍の説明は至当である。




賤民は色物の上衣を着けてはならない


出典:1926(大正15)年 光文堂書店医籍部 鈴木公重 「朝鮮と医業」 第五章 風習及其他 第二十二節 社会階級



朝鮮の社会組織は明治四十三年の日韓合併までは両班、中人、常民、賤民、四階級より成て居(お)りました。

両班とは文武の大官若(も)しくは学徳高き学者を出した家筋の正しい一族でありまして名門及(および)官吏となるべき資格を以ておりました。

中人は或(あ)る限定せられた官職に在(あっ)たものの一族で門地や教育が常民より稍々(やや)高いもの、常民は農、工、商を業とするもの又(また)賤民は常民の班にも入り得ない最下層のもので白丁、奴婢、倡優(しょうゆう:芸人、俳優)、僧侶の類がそれなのであります。

職業によって高下あり年齢の老若に依りても亦(また)差別があったのであります。

(中略)

両班は入口の正門を其の両側の建物より一段高く拵(こしら)えて可(よ)いとか、衣服についても淡青色のものを常用とするが常民以下は色物の上衣を着けてはならぬとかいうの類であります。




奴婢は法律上人格がなく物品として売買、譲与され、その値段は牛馬よりも安い


出典:1913(大正2)年 警眼社 松井茂 「自治と警察」



 朝鮮人の階級

 松陰先生の言われたる如くに地を離れて人なく人を離れて事業はない行政の研究も朝鮮人を離れては其の応用なき故、私は御参考の為(た)めに是(ここ)に便宜上少しく朝鮮人の階級に就いて一言しようと思います、 朝鮮人の階級は種種人に依りて分類を意に致しましょうが、大体に於て大別しますると三種類になりますので、第一が貴族団、第二が常民、第三が奴婢(ぬひ)で、其(その)中(うち)貴族と申しますのは両班でありまして、是(こ)れが最近の民籍調査に拠ると五万四千人、儒生が二万人許(ばかり)であります、

(中略)

 奴婢

 第三の階級は奴婢です 此(こ)の奴婢とは昔の征服の獲得物でありまして高麗朝の時に自ら其(その)身を売りまして、或(あるい)は父母に売られまして奴婢となったというような沿革から生じたるものであります、 而(そ)して又此(この)奴婢を公賤と私賤の二に分ちます、 即ち公賤とは官衙(かんが:官庁、役所)などに仕えて居りますので、是等(これら)は戦乱の時に捕虜になった者などであります、又妓生(キーセン)と称する侍女がありまして郡守や観察使の許(もと)に属して居りました、是も亦(また)一つの公賤であります、彼(か)の有名なる金玉均の妻なども捕えられて妓生となったので即ち公賤に貶(おと)せられたのであります、

次に私賤と申しますのは生活上困難なる為めに自ら投じて奴婢となり、一個人の有に属して居りまして、其中には人身売買的に一代の者もあり、又年季の者も居ります、 抑(そもそも)奴婢は法律上人格を有して居りませぬので物品として売買、譲与、交換されて居るもので、其(その)価(あたい)の安いことは非常なもので甚(はなは)だしきは牛馬よりも安いのであります、全体奴婢の事は格別の歴史もありますが此には唯(ただ)一言するに止(とど)めます。




・日本国内にいる朝鮮人の大部分は常民および賤民である
・白丁は高麗初期に朝鮮半島に流入した異民族(タタール人)である
・白丁は戸籍に編入されず、居住地を制限せされ、衣食に制限を受け、冠婚喪祭に礼法を用いることを許されず、一般民との交際も禁止されていた


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」 第三節 内地に於ける朝鮮人の種族



 右朝鮮人労働者は朝鮮に於ける小作農である、朝鮮に於ける小作農は昔朝鮮に於ける社会階級中の常民がその大部分なる事は勿論(もちろん)である、依って内地に於ける朝鮮人の大部分は所謂(いわゆる)常民及び少数の所謂賤民にして両班と称せられたる朝鮮の上層階級はその数に於て極めて少なしとせらる。

附記一 朝鮮の社会階級

(中略)

二、旧韓国時代の階級

 現在公に認められたる朝鮮の社会階級は右の如くなるも因習の久しき旧時代の階級が現今に至るも一般に重視され居る、その旧時の社会階級は旧韓国王室王族の外(ほか)は概括して三に分たる、両班、常民(常人)、賤民の三階級である。

(中略)

4、賤民として(白人〔ビャクチャン〕、屠獣、皮細工、杞柳〔かわやなぎ〕細工、靴工等に従事したるもの)、巫覡〔きね〕(所謂しこると覡は男にて祈祷、祓呪禁等を営むもの)、俳優(芝居、舞踊、綱渡り、馬上の芸当を為〔な〕したるもの)、娼妓(妓生、蜴甫〔カルポ〕等)、僧尼、奴婢を挙げられ奴婢に公賤私賤を区別し、公賤は国事犯人又はその家族を奴隷として官衙に配属せられたるもの、私賤は貧困その他の事情にて身を売りて主家に事(つか)え主人は之(これ)を他に売買することありたるものとせられる、

然(しか)れども白人〔ビャクチャン〕以外ににその個人の職業により民賤とせられたるものにて条件により常民となることを得たるものなるが故に社会階級として今日に於て留意すべきは右の白人〔ビャクチャン〕のみと思惟さる。 

 白丁としては右の外に京城の泮人(パニン。儒教の祭祀用に牛肉を準備する交婚を忌なまれる者)及び鞋匠(ビンイン。中国語では靴屋)をも包含せしめて称せらるるを一般とするも右泮人及び鞋匠は別個のものとして居るものもある。

 即ち、白丁は昔韃靼(だったん。タタール)族の一種の揚水夫(揚水尺〔ヤンスウチョン〕:高麗初期に朝鮮半島に流入した民族)が高麗国に流亡したるものにて、屠殺業、製革業、柳器匠を業としたるもの、泮人は館奴と称せられ京城成均館附近に本拠を有する特殊階級にて屠牛を為し牛肉を販売したるもの、鞋匠は高麗朝の遺臣七十二人が李に服せず別社会を作りたるものにて鞋を製造したるものと区別する者あれどその職業以外に種族的に賤視せられたる事は同一であり、社会の下層階級として研究の余地あるものと思わる。

白丁は賤民として社会より蔑視せられ第一、戸籍に編入せられず、第二、一定の地に居住を制限せられ 第三、衣食にさえ制限を受け、第四、冠婚喪祭に礼法を用ゆることを得ず 第五、一般民と交際するを得なかったとせられている。

 右白丁は併合後右様な階級は認められず(日本は朝鮮で明治維新時の四民平等のようなことを布告したけれども朝鮮人に受け入れられなかった)一般人民とせられたるも社会的には今尚(なお)蔑視せられ居るより、内地、水平運動(差別撤廃運動)起るや之(これ)に促され大正十二年五月十三日晋州青年会館に於て衡平(こうへい)社を創立して差別待遇撤廃を叫んでいる。


【白丁分布表:朝鮮総督府警務局調】
道   別戸  数人  口
京畿道5092,431
忠清北道4932,418
忠清南道7373,296
全羅北道8633,724
全羅南道7593,034
慶尚北道1,3676,121
慶尚南道8113,384
黄海道8944,221
平安北道3371,456
平安南道2591,015
江原道4292,184
咸鏡北道1234
咸鏡南道118394
合   計7,58833,712
【資料出典】
1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課編 「大阪市社会部報告.第123号 なぜ朝鮮人は渡来するか」 3ページ

【朝鮮人出稼ぎ労働者出身地調べ】 ※赤字は南鮮地方(韓国)。
1-1東京府大阪府神戸市下関市
京畿道2155010385
忠清北道102112355
忠清南道145444682
全羅北道136095398
全羅南道5111,332203425
慶尚北道912,198431559
慶尚南道1596,0331,092697
黄海道41092784
平安北道744313
平安南道10742423
江原道122571250
咸鏡北道25014
咸鏡南道62102016
合   計40022,2212,0382,191
【調査実施時期】
・東京府 1930(昭和5)年5月末現在
・大阪府 1924(大正13)年3月末現在
・神戸市 1926(大正15)年6月末現在
・下関市  1929(昭和4)年4月末現在



・白丁は全鮮40万といわれ、南鮮に多く北鮮に少ない
・白丁の三大姓は「卞、吉、洪」である


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」 第三節 内地に於ける朝鮮人の種族



白丁は全鮮四十万と称せられ居るも両班の数とは反対に寧(むし)ろ実際の調査に於ては甚(はなは)だしく少なく全鮮に於て三三七一二人なりとし白丁は南鮮に多く北鮮に少なしとされている。

附近二 朝鮮人の姓に就(つい)て

 朝鮮の姓の起原は未な(原文ママ)明確にせられていないが三国時代には既に存在したることは明(あきらか)にして新羅時代に姓ありしとの史実は疑問の余地ありとせらるるも支那の文物が移植され相当発達したる頃には或(あ)る範囲に於ては支那に倣(なら)い朝鮮に於ても用られたるべし(用いられた)とせられている。

(中略)

賤民にも姓はありしもその使用を禁じてあった、白丁はその系統明確を欠くとし姓名はあるも貫郷(本貫。日本の本家のようなもの)のなきもの又は他の貫郷を冒称したものであるとせらる、白丁にも全州李氏金海の金と言うものあれど就中(なかんずく)卞、吉、洪は白丁の三名大門と言われている、卞氏は李朝の文衙卞李良の後、吉氏は高麗の遺臣吉再の遺族、洪氏は李朝の判逆洪景來の末孫と言うて居るとの事である。




・白丁は宰牛軍(チャイソルクン)とも称する
・白丁の居住地は城と城または村と村の間に一区域をなし、一社会をなして住居する

●●は差別語なので伏せ字にしました。

出典:1925(大正14)年 東洋協会 山根倬三 「亜東指要」  第二章 風俗 第二節 社会階級



 白丁

 一に宰牛軍(チャイソルクン)と称す、畜類を屠(ほふ)り其(その)皮を剥ぐを以て業となす、彼等(かれら)は他の人民と交際せず、結婚せず、城邑(じょうゆう:城に囲まれた町。転じて都会、都)又は村落の間別に一区域を成し、一社会を成して住居することが亦(ま)た日本の●●に均し、一般人民の之(これ)を賤視することも亦た日本の●●に異らず、彼等の生活は甚(はなは)だ野鄙(やひ:いやしくいなかびていること)なるに拘(かか)わらず、面貌美にして色白く間々絶色(ぜっしょく:すぐれてよい容色)者あり、想うに高麗時代韃靼(だったん。タタール)より移入したる屠家の子孫ならん乎(か)。




・賤民中の賤民として扱われた白丁が差別に反抗した場合、厳格な制裁が設けられていた
・朝鮮では数千年来つちかわれてきた階級意識が根強い


出典:1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課編 「大阪市社会部報告 第177号 朝鮮人労働者の近況」 2 なぜ渡来するか



ニ 社会的要因
 賤民とは最下層の階級でその中には白丁(ビャクチャン)をはじめ奴婢(ぬひ)、倡優、僧侶等の種類があった。要するに朝鮮の社会には従来両班(貴族)を中心とした厳然たる階級制度が行われ、これ等は独り門地、学徳、官位等につき差別あるばかりでなく、職業、年齢、冠婚葬祭、言語、衣服、住居等に至るまで極めて煩鎖(原文ママ)な区別があり又これを犯すものに対しては厳格な制裁が設けられていたのであって、常民以下の被治者階級は治者階級たる両班から社会的拘束と圧迫を受けて封建的隷従に甘んじていなければならなかった。

 日韓合併に依ってかかる封建的階級制度は打破され所謂(いわゆる)四民平等となって形式上人格の解放が実現されたのであるが、事実に於いては数千年来培われ来ったこの階級意識は根強い惰力を有し、下層階級に掩(おお)いかかるこの封建的圧力はそう容易に拭いきれそうにもなかった。

従ってこの階級制度の遺物と新思想による自覚との間に幾多陰惨な闘争が繰り返さるるであろうことは想像に難くないところで、古より賤民中の賤民と扱われ来った白丁が社会的解放を叫んで、所謂衡平(こうへい:差別反対)運動を起したのはその著例である。
  



金玉均の弟子金振九
「内地渡航朝鮮人は、両班の使用人、農家の年雇い、前科者、犯罪逃走者とその他の低級者である」


出典:1936(昭和11)年 名古屋出版社 金振九著 「国癌切開」 13ページ  5、 下端(したっぱ)と下端との突き合い 



 日本人といえば、直ちに軽率、短気、狡猾、無思慮、小知恵者(こちえもの)、悪口下品者(あくこうげひんもの)の如き感じを与えたるは、過去三十年間の朝鮮の各地に散在する悪質者並びに不良役人の罪過であり、朝鮮人と聞けば不潔、万引、空巣、モヒ(モルヒネ)中毒、酔乱喧嘩(すいらんけんか)、放火詐欺を直感させて、凡(あら)ゆる軽蔑と憎悪を買いたるは、大正七、八年の好景気(管理人注:第一次世界大戦の軍需景気)に乗じて、雪崩(なだ)れ込みし朝鮮労働者並びに、これに伴う不純分子の撒(ま)いた悪果であります。

 日本の最下級が、朝鮮の淳風美俗を突き荒し、朝鮮の最下層が、日本の社会文化を掻き乱すことは、宛(さなが)ら下ッ端と下ッ端との突き合い試合のようなものであります。

 それはその筈(はず)です。朝鮮移住日本人の素性は、よく知らないが、内地渡航朝鮮人は、両班(朝鮮の貴族)の使用人、若(も)しくは農家の年雇い、前科者並びに犯罪逃走者とその他の低級者が大多数であります。

朝鮮に於ける彼等(かれら)の生活は、一年中米食は極稀(ごくまれ)で、麦と粟が、営(ママ)養物であり、社会的には、主人並びに村内の上層階級或(あるい)は年長者に、二重三重の圧迫を受け、一生涯、頭の上(あが)りッこなしの状態で、彼等唯一の慰安なる酒も、煙草も(風俗礼儀上、長者高位の前には酒と煙草を飲めません)、安心してゆっくりと飲めないのであります。

この制度の下(もと)にて、一生下敷(したじき)の生活であったのでありますが、一たび日本に渡来するや、俄(にわか)に我(われ)が天下となって、上下左右憚(はばか)る処(ところ)なく、何といっても仕事が朝鮮より多い関係で、生活状態も、ズット楽になるものだから、今度はいい気になって、酔眼朦朧。天下の大道を、濶歩(かっぽ)横行するのであります。

又(また)これに伴う中間搾取の悪辣者の、法網を潜(くぐ)っての一般に与えるの弊害も、今日の醜態をなしたる一原因であります。



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