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2016/03/08

皇室が朝鮮に給った恩賜金


在米韓国人が先帝陛下を侮辱する写真をさらしていますね。

日韓併合時代、明治、大正、昭和と歴代の天皇は、朝鮮半島にたびたび御下賜金をたまわりました。特に日韓併合時には当時の金額で三千万円という巨額の恩賜金を下賜されています。

当時の三千万円は現代の貨幣価値にすると、1200億円です。

それ以外にも、日本の皇室は朝鮮の災害罹災者や凶作で苦しむ朝鮮人を救うべく臨時恩賜金を下賜され、その金額は1917(大正6)年から1920(大正9)年までの四年間だけでも397万1150円という途方もない金額でした。

ちなみに大正9年の物価は銭湯5銭、もりそば8銭です。

それから考えると朝鮮統治35年間の下賜金は、莫大な金額になったと思われます。

それにですよ、日本の皇室は日韓併合にあたり朝鮮の貴族、王族に爵位と勲等、下賜金を給わせられ、朝鮮貴族令という法律まで作って朝鮮王族、貴族を保護しました。

天皇の御稜威(みいつ)はあまねく日鮮の地を照らし、その慈愛は分けへだてなく両国民をお救い下さいました。

ところが、日韓併合中は日本の皇室のぬくもりでヌクヌクと生きて、もらえるものはサッサともらった朝鮮人は、その半面で共産党と結び、今では奪っただの、強制連行されただの不敬、不逞の極みですからね。

まあ、朝鮮人が皇室を侮辱して日本人を挑発し始めたので、戦争が近いのでしょう。戦前の支那アメリカも不敬の限りを尽くしましたからね。

昔も今も、戦争をしかけるのは日本侵略をたくらむ共産主義者なのです。


【皇室に敵する者は…】
朝鮮不逞鮮人2

【北朝鮮名物のリンゴは日本が作った】
朝鮮でリンゴの木を育てると、なぜか樹高が低くなり、枝が地面に触れるほどだったという。よーけ実がなっとるのう。さすが日本産。朝鮮リンゴ1

こういう不敬行為も皇室から頂戴した金を今の貨幣価値で全額返済してからやれ。hantenren1_20160209042131a65.jpg

【皇室から朝鮮に給った臨時恩賜金:1920(大正9)年度】
臨時恩賜金受入(円)
京畿道137,761
忠清北道41,486
忠清南道76,749
全羅北道68,207
全羅南道88,670
慶尚北道105,963
慶尚南道81,570
黄海道58,049
平安南道55,167
平安北道60,323
江原道59,706
咸鏡南道45,561
咸鏡北道28,897
総   計908、109
大正6年度1,238,166
大正7年度914,717
大正8年度910,158
総   計3、971、150
【資料出典】・1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府編 「最近朝鮮事情要覧.大正8年」
1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府編 「最近朝鮮事情要覧.大正10年」

【恩賜授爵朝鮮人貴族一覧】
青文字は現代朝鮮人が「売国奴」と呼ぶ日本派だった朝鮮人。
爵  位勲  等朝鮮人名
侯爵勲一等李載完
李載覚
李海昌
李海昇
尹澤榮
朴泳孝
伯爵勲一等李址鎔
閔泳璘
勲一等李完用
子爵李完鎔
李埼鎔
勲一等朴斎純
高永喜
趙重応
閔丙奭
李容稙
勲一等金允植
権重顯
李夏榮
李根澤
宋秉畯
任善準
子爵勲一等李戴崑
尹徳榮
趙民煕
李秉武
李根命
閔泳奎
閔泳韶
閔泳徽
金聲根
男爵尹川求
洪淳馨
金奭鎮
勲二等韓昌洙
李根湘
男爵趙義淵
朴斎斌
成岐運
金春煕
趙同煕
張錫周
勲二等閔商鎬
勲一等趙東潤
崔錫敏
韓圭●
●=咼の上に卜
愈吉▲
▲=判読不明文字
南延哲
男爵李乾夏
李容泰
閔泳達
勲一等閔泳綺
李鐘健
李鳳儀
尹雄烈
勲一等李根澔
金嘉鎮
鄭洛鎔
勲一等閔種默
李戴克
李允用
李正魯
金永哲
李容元
金宗漢
趙鼎九
金鶴鎮
朴容大
趙慶鎬
金思轍
金炳翊
李冑榮
鄭漢朝
閔燗植
【資料出典】1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府編 「最近朝鮮事情要覧.第2版(明治45)年」

臨時恩賜金、下賜金の概要と使い方


戦前日本はビンボーだったせいか、現代の飽食日本のように現金をバラまいたりしませんでした。

バラまいた税金は、私たち日本人の子孫には残りませんからね。

その点、戦前日本は恩賜金、下賜金を利子が付くように管理し、その利子を随時、朝鮮人民救済にあてていました。

それから、「朝鮮に 御下賜ありたる」のように文中一字分空けるのは、戦前の「欠字法」によるものです。「欠字法」とは天皇に関わる言葉の前に一字空けて尊崇の念を現したものでした。


1. 府郡臨時恩賜金

韓国併合の際 明治天皇は特に朝鮮における民力の休養ならびに産業・教育の奨励発達および凶作救済の事を軫念(しんねん:天子が心にかける、心を痛めること、うれい、心配すること)あらせられ、臨時恩賜金3000万円のうち1739万8千円を全半島十二府三百十七郡に配与して基本金とし、道長官に管理させ、その利子を両班(朝鮮の貴族)・儒生(儒者)その他安定した職業や財産なき者に対する授産事業、普通学校および私立学校の補助、ならびに凶作救済の費用に充てしめられた。

1) 授産事業

1910(明治43)年10月、訓令第四十六号の趣旨にもとづき、各道において地方の状況に応じて一定の方針を確立し、養蚕・機業その他縄、かます(穀類を入れたりするワラムシロで作った袋)等の製造に関する伝習所または講習所の設置、糸蚕・機業・製糸等の事業に対する補助をなし、種畜・種鶏・蚕種・製糸機・織機・果樹等の配付また貸与を行い、なお巡回教師を置き、各種の指導をもなさしめた。

2) 教育事業

本補助金を基礎として設立した公立普通学校は総計321校におよび、なお補助を受けた学校は1916(大正5)年度を示せば、公立普通学校420校、私立学校6校、幼稚園一カ所の多数に達した。

【公立義洞普通学校女子教室】
朝鮮人的には名もないまま、7、8歳で嫁に出されてシュウト、シュウトメにかしづく方がよかったのでしょうね。
朝鮮公立普通学校女子1

【平壌公立普通学校】
日本敗戦後、日本が作った学校は朝鮮人に奪われました。
朝鮮平壌公立普通学校1

3) 凶作救済事業

凶作の救済は種穀・農具・食糧を給与することを主眼とし、また必要に応じて医薬・家屋料・被服等をも給与した。


【李氏朝鮮時代、飢えた朝鮮人はアオモをミソ汁にして食った】
「日本人は王を奪ったニダ!」だそうですから、米やリンゴよりもこのアオモを食べる方がよかったのでしょうね。aomo.jpg


2. 臨時恩賜金事業と地方費事業

府郡臨時恩賜金事業の開始から6年経過した1916(大正5)年12月、府令をもって臨時恩賜金管理規則を改正し、大正六年度よりこれを地方費予算に編入し、その施設を統合充実させ、よりいっそうの効果を発揮させることを期した。


3. 恩賜罹災救助基金

明治天皇崩御に際し、1912(大正元)年9月13日、畏(かしこ)くも金二十万円を慈恵救済資金として朝鮮に 御下賜ありたる。

この御下賜金を基金として恩賜罹災救助基金を設定し、1914(大正3)年5月 昭憲皇太后の崩御に際しても同じく、慈恵救済の資金として11万5千円を朝鮮に 御下賜ありたるにより、これも当該基金に加え、なお国庫からも大正2年度および大正3年度において各5万円を支出して当該基金に繰り入れた。

この基金から生ずる収入をもって非常災害の場合、罹災者の救助に充てた。このほか、非常天災のつど、御内帑金(ごないどきん:皇室が所有する財貨)より御下賜ある。寺内総督時代には前後8回にわたり、その金額は3万9千円にのぼった。


4. 恩賜賑恤(しんじゅつ)資金
※賑恤とは貧困者、罹災者などを救うために金品を施与すること

1915(大正4)年11月10日御大礼に際し、賑恤の資金として朝鮮に20万円を 御下賜ありたる。

これを基金として大正5年1月府令第一号をもって、恩賜賑恤資金管理規則を発布し、同時に訓令第一号をもって恩賜賑恤資金救民救助規程を発布し、もって恩賜賑恤資金を設定した。


5. 御大礼記念事業

1915(大正4)年11月をもって 大正天皇即位の大礼を京都に挙げさせ給う旨仰出(おおせいだ)されるや、各地方において御大礼記念事業を企画し、御大礼当日までに確定された計画は4016件に達した。

よって朝鮮総督府は事業の選択・指導に万全を尽くし、未曾有の大典を記念するに遺憾なきを期した。


臨時恩賜金の使い方:朝鮮の水害罹災者を必死で救った日本

朝鮮のことわざに「産を興(おこ)すは家を失う基(もと)なり」というのがあるそうです。その意味は「働いて財を作っても官吏がみな奪っていく、だから働かない」というものだそうです。

なので日韓併合当時の朝鮮は、原始時代そのままの大地でした。治山治水などまったく施していないため、ひとたび大雨が降ると最大の被害が出る始末でした。

【日韓併合前-1906(明治39)年京城水標橋】
朝鮮京城水標橋1

朝鮮人いわく「日本人は犬にも劣る」だそうですが、1914(大正3)年、朝鮮が大雨に見舞われたとき、日本人は全力を尽くして朝鮮人被災者を救出し、生活の手当をしました。

そうやって日本人が全力を尽くせたのは、皇室より給った臨時恩賜金あってこそでした。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010280300:大正3年10月30日 内閣||朝鮮総督府||内務省 「朝鮮暴風雨被害報告ノ件」 2コマ目



古老の話によれば数十年来の惨事とのこと、なかんずく咸鏡南道、咸興以北および咸鏡北道明川以南において惨状を極めている。よって取りあえず被害民中救助を要する者に対し臨時恩賜金凶作救済費および恩賜罹災救助基金利子を支出し応急救助をなすと同時に、できるかぎりの方法をつくしてこれが救済の途を講じつつある。

朝鮮水害臨時恩賜金2




【日本人よりも優秀な韓国人の豪雨被害者救出風景】




【出典】
1940(昭和15)年 朝鮮総督府 「施政三十年史」 第七 恩賜金竝(ならび)に御大礼記念事業 
1912(明治45)-1922(大正11)年 朝鮮総督府 「最近朝鮮事情要覧.第2版(明治45)年
1906(明治39)年 朝日新聞写真班撮影 「ろせった丸満韓巡遊紀念写真帖」


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