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2016/02/11

日本が奪った朝鮮の食文化とは? (食事中閲覧注意)


このところ殺伐とした共産党ネタが続きましたので、今日はほのぼのと
朝鮮の伝統食文化ネタをお届けします。

日本が奪った朝鮮の食文化とはズバリ、ザリガニやモクズガニ、鳥獣肉の生食、木の皮で作っただんご、アオモのみそ汁、草木の根を煮た汁などでした。

水は、たまり水や田んぼの水も平気で飲んでいたそうです。


【ザリガニ】
ザリガニ1


【伝統韓食を復活させたい? どうぞ、どうぞ】

【寄稿】韓国に「伝統韓食」を伝える大学を
2016年2月9日 Chosen Online

韓国には数千年にわたり受け継がれてきた伝統の食文化があり、またその調理法も伝えられている。しかしその誇り高い文化もかつての日本統治時代や6・25戦争(朝鮮戦争)、さらに欧米からの食文化に押され、多くが断絶してしまった。それでもその後、さまざまな方面で韓国の伝統文化の見直しが進められてきたが、食文化に関しては逆に後退しているようにさえ感じる。その大きな理由の一つが、韓食の専門家を養成し輩出する高等教育機関の不在にあるのではないか。(後略)  

ユン・スクチャ(韓国伝統飲食研究所長)




ザリガニ、モクズガニの生食

肺ジストマとは寄生虫がいる川魚やカニを食べて、その寄生虫が肺に寄生する病気です。症状は結核に似ているそうです。

日韓併合後、日本は朝鮮の肺ジストマ患者が多いことにおどろいて、ザリガニやモクズガニの生食を禁止しました。

すると朝鮮人は「日本は農民を餓死させようとしている!」と反抗してきました。日本が映画や講話を通じて朝鮮人に肺ジストマという病気を理解させるのに、
10年もかかったそうです。

それと同時に日本は、カニ類は火を通して食べるという習慣を朝鮮に広めました。いわゆる日帝残滓です。

(  )内は管理人による注釈です。


出典:1935(昭和10)-1939(昭和14)年 朝鮮総督府編 「朝鮮事情 昭和11年版」



 地方病

朝鮮に於ける地方病は肺ヂストマ・十二指腸蟲(虫)・マラリア等である。肺ヂストマは古来疆内(疆〔きょう〕はさかい、区切りの意)各地に浸潤し害毒の大なるものがあったが、本府は大正十一年より十二年に亘(わた)り各道をして本病の分布其の他の基本調査を実施さした結果、予想外多数の患者を発見し、本病の蔓延は一般朝鮮人が嗜好するモクヅ蟹・ザリ蟹等の生食に基因するものであることを証明したので、之(これ)が予防の為、本病の感染経路を示した活動写真映画を調製し、各道に配付し、其の他予防宣伝・講話会等を開催して民衆の自覚喚起に努むると共に大正十三年六月モクヅ蟹及(および)ザリ蟹の採取及授受禁止に関する府令を発して、之が取締を厳にし、一面罹病者の治療方法を講じて来たが、其の後十年を閲して蟹類生食の危険が周知せられ、肺ヂストマ患者は漸次減少を見るに至った。

(中略)

昭和九年八月一日限り該府令を廃止して、其の取締方法を道知事に委し、地方の実情に即せしむる(させる)と共に、蟹類火食の風習を馴致する方策を採って居る。



日本人差別の現れとして、朝鮮人は日本の好意もすべてネジ曲げて悪意として受け取り、今日にいたります。

ザリガニ、モクズガニ生食禁止令発令で朝鮮人が激おこ↓


出典:1924(大正13)年 東亜義会 金谷栄雄 「黎明之朝鮮」 参考資料



 二、無宗教と迷信 

 日韓併合以来朝鮮人に対する教育の普及は眼醒(めざ)ましい勢を以て進み、民度の向上、智(知)識の発達、実に隔世の感ありと雖(いえども)、其(その)向上進歩は唯物的方面のみにして、其精神的方面に於ては反って退嬰的傾向を示し、殊に大多数の無智(知)なる民衆は徒(いたず)らに迷信に囚われ、朝鮮統治の精神を履き違えて、折角(せっかく)の善政を呪うが如きは朝夕随所に目撃する所である、

今其卑近なる実例を引証せんに、朝鮮人はザリ蟹を食う慣習がある、然(しか)るにザリ蟹を食べると肺ヂストマに罹る、最近江華島の或(ある)村では村民全体が此(この)病魔に冒されたので、官憲はザリ蟹の食用を厳禁した、問題は之(これ)からである、

江華島の住民は色を成して激昂した、而(し)かも捕獲を禁止されたザリ蟹は益々繁殖して稲の根を食い農作物を荒したので、其地方の住民は

「総督府がザリ蟹の捕獲を禁止したのは、農作物を荒させて、農民を餓死せしむる(させる)計画である」

 と云(い)う風説が専(もっぱ)ら巷間に伝えられた、ザリ蟹の危険を知らない無智なる民衆が官憲の取締を履き違えて反抗の姿勢を示したことは無理もないことで、併合後国民生活の激変的向上は、彼等(かれら)に理解を与うべき余りに目眩しく進歩した、

即ち民衆の実生活と官憲の衛生施設とが数段の懸隔を生じて、其処(そこ)から民衆の不平が生れたのであるが、其不平は実に多年の秕政(ひせい:李氏朝鮮時代の悪政のこと)に苛(さいなま)れて貧血症に罹って居る結果、無智なる迷信が潜入為主となりて彼等の精神界を暗黒にし、不平と反抗とを唱うるに至ったのである。
 


現在、韓国ではカニを生のまましょうゆ漬けにして食べているようです。


アオモはみそ汁、ヨモギは大豆またはクズ米をまぜてモチにする、熟す前の麦の穂をそのまま食べる

朝鮮には春窮期というものがあります。秋に収穫した穀物が春になる前につきてしまい、飢える時期のことです。

冬まっさかりになると、北朝鮮がミサイルを飛ばして日米を脅迫するのは食べ物がないからかも知れません。

春になると朝鮮人は海に行って気が狂ったかのように争ってアオモを採り、土手では列になってヨモギをつんだそうです。

日韓併合後も朝鮮がまずしかったのは、李氏朝鮮時代の悪政によるものです。

李氏朝鮮以前から数千年間も搾取されてきた朝鮮を、いくら日本といえども一瞬で豊かにすることは不可能でした。


出典:1933(昭和8)年 南満洲鉄道株式会社経済調査会 「朝鮮人労働者一般事情」



 第二節 小作農民の生活状態

(四) 全南木浦附近に於ては米麦を混食とするものは上級の農家にして、普通は米は米のみ、麦は麦のみ単食す、是(こ)れ貯蓄の余裕あらざる(がない)が故に、季節により穫(と)るに従って之(これ)を喫すればなり(喫する:飲む、食う、吸う)、

而も貧民の多くは尚(な)お終年を支え得ず(一年備蓄した食糧がもたない)、既に三月頃に至れば前秋の貯穀尽きて食物乏しきもの十中の七、八は皆之なり(十軒中七、八軒はみなこれである)、

而(そう)して此(この)頃に至れば海辺に青藻生育するを以て彼等は狂気の如く争うて之を採取し、味噌汁として之を食う、又(また)蓬(よもぎ)を摘み之に大豆の砕きたるを和して餅とし、又木浦市中に来り(来て)粉米(くだけて売り物にならないクズ米)を買い之に和して食うもあり、又単に蓬のみを食うもあり、斯(か)くて麦の熟するに至るまでは非常の困難にして、日々数十名の婦人は土堤(土手)に列をなして蓬を摘むあり、又麦の将(まさ)に熟せんとするや、先(ま)ず其の穂を採取して食うあり(熟そうとしている麦の穂をとって食べてしまう)

【北京五輪会場で繁殖したアオモ】
韓流はみそ汁にして食う。
aomo.jpg



一般民は麦飯、アワ飯、アズキ飯、下層階級はウリを皮のままかじる、実る前の麦の穂、道ばたの雑草、ドングリを食べる

日本ならば犬がオシッコをかける道ばたの雑草や、食べると鼻血が出るといわれるドングリも朝鮮では貴重な食糧でした。


出典:1929(昭和4)年 太田寿編 「鮮支一瞥」



 一般民の生活と其(その)風習

 北鮮地方は非常に満州色が濃くなって棟の反れた瓦葺(かわらぶき)も沢山(たくさん)身受けられる。これ等(ら)の農民は主として小作人であって労力に対する報酬は極く微々たるもので中々(なかなか)白米を常食とするようなわけには行かぬ。

漸く麦飯や、小豆飯、粟飯に、副食は野菜、漬物、魚類の塩物位で丼に山盛にした只(ただ)一椀に甘(あまん)じ細い煙を立てているのである。(後略)

 下層階級の生活
 
 而(しか)も彼等の常食とするものは夏は主として瓜であって、これこそ彼等の露命をつなぐ何よりの食糧である。駅頭に群(むれ)る労働者は何れも皮のまま瓜を噛(かじ)っているのが到るところで見られるのである。

瓜のない季節にはまだ実らぬ麦の青穂を抜きとったり、甚(はなは)だしいのは路傍の雑草の若芽まで手当り次第口にする。いや口にせざるを得ない程疲弊しているのである。

又北鮮地方では内地(日本国内)では捨てて顧みないどんぐりの実は非常に重要な食料品となっていて、年々数十万石の収穫があると云う、これは均(ひと)しく我(わが)日章旗下の同胞であるのかと思うと一掬(いっきく:両手でひとすくいすること。またはその程度の水)同情の念禁じ難いものがあるではないか。




朝鮮人は雑草を食べる


出典:1924(大正13)年 大日本社 川島清治郎著「朝鮮論」 15ページ 七 土壌問題の解決



 朝鮮の土壌は永久に西比利(シベリア)の荒風に暴され又雨量少きが故に植物を発生せしむること比較的少く且つ人民が端から之(これ)をもぎ取り去るが故に植物が落葉腐廃(敗)して腐植質を醸生(じょうせい)する機会比較的少いのである。

【意訳】
朝鮮の土壌は永久にシベリアの荒風に荒らされ、また雨量が少ないがゆえに植物が生えることは比較的少なく、かつ人民が(植物が生えた)端からもぎ取ってしまうため、植物が落葉腐敗して腐植質を醸成する機会が比較的少ないのである。





牛とおなじ雑草を食べて牛の寄生虫に感染


出典:1916(大正5)年 厚生堂 鴨江生著「朝鮮の研究:軍人必読 附・朝鮮赴任者心得」 209ページ 其四 肺二口蟲病



 又其(その)他肝蛭及(および)槍形二口蟲に就きては渡鮮以来獣医諸氏の経験せられたる所を聞くに京城の屠場に来る牛の如きは一〇〇.〇%すなわち各頭皆肝蛭を見るという 果して然(しか)らば山野の殆ど有(あ)らゆる植物を食用として満足する鮮人に此(この)蟲の寄生を見ること亦(また)必然の理なり

【意訳】
 またその他肝蛭および槍形二口虫については、朝鮮に来てから獣医師の方々が経験したことを聞くに、京城に来る牛などは100%、すなわち各頭みな肝蛭が寄生しているという 果して、そうならば、山野のほとんどあらゆる植物を食用として満足している朝鮮人に牛と同じこの虫が寄生しているというのもまた必然である。





生米~日本に渡ってきても食べていたらしい by 司法省


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」



 尚(なお)変死体の胃中に生米を食したる形跡ありたるより朝鮮人に非(あら)ざるかとされたる事があったが、朝鮮にては昔農民が稲の収穫前に食料尽きために(原文ママ)稲穂の未熟なるを食したることありしとの事なるがその慣習か否か今日に於ても未熟の稲穂を刈って蒸して乾し間食にすることあるよりその習慣にて時々内地に来りても生米を食するものありと。




キキョウの根、松皮、トチの実など


出典:1933(昭和8)年 南満洲鉄道株式会社経済調査会 「朝鮮人労働者一般事情」



 第二節 小作農民の生活状態

 以上の表は平年に於ける状態を示したものであるが、一朝水害、凶歳(凶作の年)等に逢えば、桔梗(キキョウ)、松皮(松の木の皮)、橡実(とちのみ)等の如き草根、木皮を食することを余儀なくされるのである。



松の木の皮はだんごにして食べるそうです↓


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史」所収
     共同通信社特信企画部長 吉田儀助 「京城の落陽」



 松の木の皮を剥いで、団子にして食べるのはまず貧民と呼ばれる一部の朝鮮人だけではあったが、一般の人々でも毎日の食糧の調達のことだけが、戦況はどうなっているかということよりも、もっと心配なことであった。




普通民はアワ、窮民はトウモロコシが常食


出典:1933(昭和8)年 南満洲鉄道株式会社経済調査会 「朝鮮人労働者一般事情」



 第二節 小作農民の生活状態

 即ち普通民は粟(アワ)を常食とするものが最も多く、窮民は玉蜀黍を常食とするものが最も多い、そして窮民の中には米粟、大豆などを常食とすることの出来ないものがある。




朝鮮人は茶を飲まない、鳥獣肉を生食する


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」



 第三、礼式及(および)飲食上の特徴

二、 一般家庭は茶を用いず、近来之(これ)を用ゆるものあるも茶器の取扱いに不慣(なれ)の風あり、 又湯茶を容器に盛るには充満せしむ(なみなみと注ぐ)。

五、 料理に生魚の刺身を用うるは内地人と異らざるも(変わらないが)其(その)他鳥獣肉(牛豚肉等)の生肉を刺身として用ゆ、唐辛(とうがらし)胡椒(こしょう)を好み唐辛は尤(もっと)も多量に用ゆ。

【韓国茶道www】
韓国茶道1




春窮期の歴史は2000年 草の根、木の皮を汁にしてすすり、高麗では人肉市場が開かれた


出典:1942(昭和17)年 岩波書店 京城帝国大学衛生調査部編 「土幕民の生活・衛生」 9ページ 第二章 朝鮮特殊細民の三様態 第一節 春窮民



 朝鮮農村の窮乏は深刻さに於て日本内地(日本国内)の比でなく、年々歳々豊作と凶作との論なく程度の差こそあれ約四割の農家は春窮の苦難を嘗(な)めるのである。朝鮮農民は積年の秕政(ひせい:悪いまつりごと。悪政。李朝の暴政を指す)の然(しか)らしむ所か、穀物の貯蔵心に乏しく米の収穫期には米のみを食し、麦の収穫期には麦のみに頼り、長い冬の終りには麦の端境期を眼前に控えながら、山野に草根木皮を採り、これらを雑穀と共に炊き、或いは汁として僅(わずか)にその飢(うえ)をしのぐ。

 普通に用いられるものはナヅナ、ハコベ、芹(セリ)、仏座(ホトケノザ)、五行(ゴギョウ)、鈴菜、野蒜(ノビル)、薇(ゼンマイ)、桔梗(キキョウ)、葛根等がある。

 朝鮮の春窮はもとより今に始ったものではなく、記録によって之(これ)を見ても「民相食(あいは)」むまでの極度の食糧欠乏を来した年が、新羅に一回、高句麗に於て二回、百済に於て三回、高麗に於ては「人肉を市(あきな)う者」さえ生じた年が一回、「民相食」むこと二回に及んだと書かれており、旱魃(かんばつ)、飢饉に至っては枚挙に遑(いとま)なく、朝鮮の春窮は実に二千年来の慣習と云(い)っても差し支えない。
    



川の水、たまり水、田の水を飲む


出典:1922(大正11)年 早坂義雄 「混乱の支那を旅して:満鮮支那の自然と人」



 一〇 ここにも矛盾がある

 衛生思想はあるといったらよいか、ないといったらよいか一寸(ちょっと)まごつくのが鮮人である、不潔は何とも思わぬ 渇すれば生水を飲む位な事は平気なものである、

それも井水(井戸の水)ならば未(ま)だしも、河水や溜水、田の中の水まで飲む、支那人は之(これ)と反対で決して生水を飲まぬ



日本で冬場に食中毒が発生するようになったのは、韓国製食品が原因では? と思います。



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