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2016/02/09

共産党の動きは戦争のサイン


最近、皇室および自衛隊容認発言をしたり奇行が続く日本共産党ですが、この動きは戦前、日本を戦争へと導いた工作をそのままなぞっているものです。

この工作がそっくり戦前をトレースするならば、もう間近に日本に戦争の危機が迫っているとも考えられます。


【戦前と現在の日本共産党の動き比較】
戦前日本共産党の動き現在日本共産党の動き
1
日本敗戦
をしこむ
日本軍人、工廠勤務者等を赤化自衛隊の情報が共産党に漏洩
2極左外国人との共闘SEALDsが共産党を支持
3戦争煽動独ソ戦、満州事変勃発を機に
偽装転向-軍隊容認
憲法9条廃止も自衛隊は温存
4偽装転向-天皇制容認2016年国会開会式に出席
5選挙対策のため左翼野党が統一戦線を
組んで偽装転向政党を組織
野党連合政府を呼びかけるも
不発っぽいので、
党名変更検討←イマココ
6戦争勃発もとの共産主義にもどって
日本敗戦工作にいそしむ
7日本敗戦日本国内で革命運動が激化


あとは野党連合政府構想が成就するか、日本共産党の党名変更という偽装転向後に日本人を激昂させる事件か衝突を起こせば、第三次世界大戦点火完了といったところでしょうか。

偽装転向とは、共産主義者が保守に思想転向したように見せかけることを言います。

戦前、日本の共産主義者や左翼政党も「平和、反戦」を叫んでいましたが、1931(昭和6)年の満州事変を機に思想転向して、軍隊および皇室を容認し、戦争支持宣伝をするようになりました。

そして選挙対策のため、左翼政党で統一戦線を組み、その結果社会大衆党という共産党の理論を基礎とした偽装転向政党が誕生しました。

そうやって左翼は偽装を繰り返し日本人をダマして、コミンテルンの敗戦政策へと引きずりこんでいったのです。

日本共産党の幹部だった佐野学、鍋山貞親は1933(昭和8)年に発表した転向声明書の中で、将来日本が経験するアメリカ、ソ連、支那ソビエト政府(中国共産党)との戦争に言及し進歩的であるとか得策ではないなどと、コミンテルンを批判しています。

今年になって共産党側のカードが出そろい、現在の日本が戦前とまったく同じあやまちを踏んでいることに気がつきました。


【降伏文書に調印する重光葵。のち公職追放】
「共産主義者は戦争を支持した」。
重光葵_350

結局、「平和」だの「反戦」だのと叫んでいる連中が裏で工作していることは、日本を戦争へと導き、大東亜戦争後にGHQの思想転向によって成就しなかった敗戦革命を成功させることです。

敗戦革命いわゆる共産主義革命には数十年または百年という長期的スパンで同じことを繰り返すという特徴があります。

たとえば、フランス革命からドイツ革命まで、主な共産主義革命は敗戦による物資不足や経済疲弊による民衆の不満を煽動して成功しています。

・フランス革命→アメリカ独立戦争
・辛亥革命→日清戦争
・ロシア革命→日露戦争
・ドイツ革命→第一次世界大戦

この後に日本革命が起るはずでした。

以下に戦前共産党の戦争勃発工作の具体的な資料と現在の共産党の動きをセットにしてみました。

資料中の(  )内は管理人による注釈です。

戦争へのステップ1 日本敗戦をしこむ


日本敗戦をしこむ:戦前(1) 日本軍人、工廠勤務者等を赤化

1930(昭和5)年1月、ロンドンで日・米・英・仏・伊五カ国の海軍軍縮会議が開かれました。

1931(昭和6)年3月、共産党はこの会議をネタにして、呉海軍工廠内で 「軍縮でおまえらはクビになるぞー!」 というビラを配りまくって、工廠で働く者たちを赤化していきました。


出典:1981(昭和56)年 新日本出版社 山岸一章 「聳(そび)ゆるマスト-日本海軍の反戦兵士」 一、 呉軍港の阪口喜一郎と反戦グループ



 二 古末憲一たちと呉海軍工廠の大量首切り
 
 呉海軍で「社会科学研究会」をつづけていた阪口喜一郎などが、その後に日本共産党に入党して、『聳(そび)ゆるマスト』を中心にした反戦活動を展開するまでの経過をたどるその前に、広島県の戦前の共産党組織がどのように建設されたのか、深刻な不況と「満州事変」の戦時下で、特高警察の追及や弾圧を受けながら、共産党の指導を受けた青年たちが、軍都の呉市や広島市で、どのようにたたかっていたのかを、当時の時代状況とともに紹介したいと思います。

(中略) 

 大量首切りの氏名発表が目前に迫った三月下旬のある日、古末憲一が原稿を書いた全協(日本労働組合全国協議会=極左派)金属労組呉支部準備会の約二千枚のビラを印刷して、田中豊、蒲田敏雄、片岡義夫、亀田勢、大下一二など数名の青年たちが、早朝、二名ずつの組にわかれて、海軍工廠に出勤する労働者たちと一緒に歩きながら、手から手に手渡して配りました。労働者たちが胸に思っていても、口に出せない大量首切り反対の要求が書いてありました。

 二回目のビラは、川窪鉄之助、重田安一など海軍工廠で働いている青年が弁当箱に入れて持ち込み、食堂、便所、更衣室などに置いて配りました。ビラを読んだ労働者たちは、あちこちの職場で話し合いを始め、サボ(サボタージュ。サボること)状態が広がっていきました。

(中略)

 呉海軍工廠には、一九二四年に結成された全員加入の「呉海工会」という労組があり、その幹部は、宮崎繁市会長以下の役員が、社会民衆党広島県連の幹部をかねていました。



上記手記に書かれている「呉海工会」は内務省警保局の資料では「右翼」に分類されていますが、当時の右翼とは社会民主主義者のことです。同組合は昭和6年には↑のような共産主義宣伝活動をやっているので、偽装転向団体と見てよいと思います。

そして、なんと陸軍にも労組がありました。共産主義者は戦前から日本のあちこちに潜入していたようです。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010483200:昭和9年6月 内務省警保局/警保局保安課 「特高資料・社会運動団体現勢調」 63コマ目



海軍労働組合連盟-官業労働組合呉海工会-組合員15,314名。
官業労働総同盟-陸軍労働組合協議会-組合員5,462名。

労組陸軍3


【戦前の「右翼」とは社会民主主義者のこと】

出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010500600:昭和七年 内務省警保局 「内務省社会局労働部・労働運動概況(昭和7年)」



【38コマ目】

第一節 右翼(社会民主主義的)労働組合ノ情勢

海軍労働組合右翼1


海軍にはもう一つ、海軍労働組合聯(連)盟という労組がありました。こちらは偽装転向政党だった社会大衆党の下部機関になっています。

社会大衆党は公娼(慰安婦)の自由廃業権を悪用して、「娼妓に足抜けされたくないなら金を出せ」と楼主をゆすっていた極悪政党ですね。

そういう政党が現在は「日本はかわいそうな従軍慰安婦被害者に謝罪、賠償すべきだ!」などと言ってるんですね。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010483200:昭和9年6月 内務省警保局/警保局保安課 「特高資料・社会運動団体現勢調」 61コマ目



海軍労働組合聯盟-機関紙「海聯時報」-加盟者数32,760名-所在地広島。

労組海軍1


この海軍労働組合聯盟も「右翼(社会民主主義的)労働組合」に分類されています。戦後70年経った現在ではじゅうぶん左翼ですね。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010500600:昭和七年 内務省警保局 「内務省社会局労働部・労働運動概況(昭和7年)」



【41~42コマ目】

三、 海軍労働組合聯盟

本組合ハ大正十五年ノ創立ニ係リ現在横須賀、、佐世保、舞鶴、広(原文ママ)、徳山等ノ海軍工廠従業員ヲ以テ組織シ三二八九五ノ組合員ヲ有シ、一大産業別組合ナルモ政府当局ノ監督下ニアルコト及組合自体ノ思想的傾向等ニ依リテ我国ニ於テモ最モ穏健ナル労働組合ノ一ナリ。

〔産業別組合とは〕
コミンテルン(国際共産党=世界各国共産党ネットワークの元締@モスクワ)の下部機関であるプロフインテルン(国際赤色労働組合)の指令により産業別に団結した組合。プロフインテルン第一回大会において労働組合は「労働階級の利益を擁護する機関であり、次にブルジョア(資本家)に向って進撃する機関であり、最後に社会主義的建設の機関である」と解釈された。
【出典】1925(大正14)年 白揚社 ロソヴスキー 「国際労働組合運動:革命主義敵潮流と改良主義的潮流」

海軍労働組合右翼2


日本敗戦をしこむ:現在(1) 自衛隊の情報が共産党に漏洩

国会を紛糾させた自衛隊情報漏洩事件ですが、これは自衛隊内部に協力者がいないとできない芸当でしょう。

こんな古すぎるカビが生えたような宣伝で、共産主義に傾倒する日本人はもういないと思います。


自衛隊から内部告発が相次ぐ共産党 首相、大臣を追い詰めたその調査能力〈週刊朝日〉
2016年1月21日

国会議員三ツ星データブック」を発行するNPO法人「万年野党」の協力で、一昨年12月から昨年9月まで行われていた前国会における衆参全議員の“働きぶり”を調べてみた。すると共産党の調査能力の高さが光った国会であった。

 安保法制国会の真っ只中の昨夏、防衛省の内部資料を暴露し、紛糾・中断させたのは、参院共産党の質問王(36回)の小池晃氏だ。



日本敗戦をしこむ:戦前(2) 極左外国人との共闘

1928(昭和3)年、コミンテルンは「十二月テーゼ」発表と同時に、共産主義を理解できず、また民族主義色が強い朝鮮(高麗)共産党をつぶしました。

そして在満洲極左朝鮮人は中国共産党へ、在日極左朝鮮人は日本共産党に入党するよう指令しました。

【例:日本反帝同盟現勢一覧表 (昭和九年六月末現在)】

出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010483200:昭和9年6月 内務省警保局/警保局保安課 「特高資料・社会運動団体現勢調」 7コマ目



日本反帝同盟1

〔日本反帝同盟とは〕
極左翼の対支非干渉運動が生んだ昭和二年の「対支非干渉全国同盟」は、更に進んで翌三年には「戦争反対同盟」に転化し、四年には再転化して「日本反帝同盟」の組織となった。

「日本反帝同盟」とは、昭和二年白耳義(ベルギー)ブラッセルで開かれた世界各国共産主義者等の大会に於て創設の提案された反帝国主義民族独立支持同盟の日本支部の謂(いわれ)である。
【出典】1931(昭和6)年 松華堂書店 横溝光暉 「日本社会主義運動史講話.続」 第一章 分離結合の極限的段階 第四 日本共産党を繞(めぐ)る諸運動

コレは戦後共産主義者が勝手に作った団体↓
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このほか、日中民間交流の中で、中国人留学生が東大で起した中国共産党日本特別支部事件というのもありました。1929(昭和4年=昭和金融恐慌が起きた年)のことです。

この団体は中華留日反帝同盟を組織していましたが、予審の結果、日本共産党とは関係なく、その運動の対象が在日中華民国人だったため、単なる秘密結社事件および治安維持法違反として公判に付せられ、関係者約50名が退去処分になっただけでした。


出典:1927(昭和2)-1933(昭和8)年 同人社 大原社会問題研究所編 「日本労働年鑑 第8至14集(昭和2至8年)」 第五部 第一篇 社会主義的運動
↑この資料を見ると、戦前日本が共産主義にすっかり毒されていたことがよくわかります。



 中国共産党日本特別支部事件

同共産党は昭和二年在東京中華留学生によって組織され、昭和四年七月東京に於ける第三回大会にで中国共産党と連絡をとり上記の名称を名乗るに至ったものである。

同年七月には中華留日反帝同盟を組織し、九月一日中華公使館襲撃を計画したが実行されず、同月四日東京銀座にてデモを行わんとして発覚、十月三日東京、横浜、仙台、京都、神戸、長崎の各地に於ける一斉検挙によって東京帝大生廖體仁外(ほか)三十三名検挙せられ、内三十二名が治安維持法違反として起訴され、その他関係者約五十名が退去命令を受けた。

同事件は東京地方裁判所に於ける予審の結果、同党は日本共産党と連絡なく、且つその運動の対象が吾(わが)国でなかったため単なる秘密結社事件として治安警察法違反として公判に附せられることとなった。

【検挙された極左中国人の宣伝対象は在日中華民国人wゲキアマ日本】
中共日本特別支部事件1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B05016125900:昭和6年2月 外務省 「6. 昭和四年十月検挙セラレタル共産被疑者予審決定三十六名 昭和六年二月」


日本敗戦をしこむ:現在(2) 極左外国人との共闘 
むかし東大いまは偏差値28 SEALDsが日本共産党候補を応援


SEALDs本田久美子選挙応援1

日本敗戦をしこむ:現在(2)-2 カミカゼじゃあのwwwさん
日本共産党、志位の時代から中国共産党と蜜月の関係!?月々資金援助も!


参照PDFurl:http://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/seijishikin/contents/151127/0000908-6.pdf

【中国通信社に¥84,000 お支払 (参照PDF41ページ)】
日共中国通信社1

【朝鮮通信社に¥52500 お支払 (参照PDF40ページ)】
日共朝鮮通信社1
【資料出典】http://brief-comment.com/blog/jyaano/50725/

戦争へのステップ2 偽装転向


偽装転向:戦前(1) 軍隊容認

日本が国連を追放された1933(昭和8)年、日本共産党幹部の佐野学、鍋山貞親が保守へ思想転向する声明書を発表しました。このとき、獄内日本共産党幹部や獄外一般党員の大多数が佐野、鍋山の思想転向に賛成しました。

その佐野、鍋山の転向声明書には八カ条の要項が掲げられました。その中で佐野、鍋山両幹部は「日本国民は戦争に積極的に参加すべく、戦争に必ず勝たねばならぬ」と主張しています。

その八カ条には、コミンテルンによる日本敗戦政策、大東亜戦争は「世界資本主義(ユダヤ国際金融資本)とアジア諸民族との闘争」であるという真実、この時はまだ未来の出来事だった「対米戦は進歩的」であり「支那事変(日中戦争)および対ソ戦は進歩的でもなく得策でもない」といったことが暴露されています。

第二次世界大戦は共産党がしかけた暴力革命だった、とみずから暴露しているんですね。

また同時に、共産主義者の偽装転向にやすやすとダマされている役人の愚かさも感じさせる資料です。

ついでに言っておきますと、みずから進んで共産党(国際金融資本)にすり寄っていった中国や韓国、北朝鮮がどんなに経済的に疲弊しようと日本が助ける筋合いはない、ということです。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14010505600:昭和11年 陸軍省/警保局調査室 「第3章 共産党転向派の理論と日本化」



 昭和八年六月に発表された日本共産党首脳部の佐野学、鍋山貞親の転向声明書は、左翼陣営のみならず一般社会に大きな衝動を与えたが、之(これ)は、彼等(かれら)が昭和七年十月の所謂赤色ギャング事件でその腐敗を曝露するに至った日本共産党の根本的な戦略規定の誤謬(ごびゅう。あやまり、まちがい)、この結果の運動の完全な破綻を見て、彼等の従来の思想及び活動に反省を加うるに至ったことに因るのであるが、それ以外に、上に述べ来った様な左翼陣営内に於ける日本化の底流 殊に満洲事変以来、一層弘まって来た国民主義的な国家革新の思想が、多大の影響を与えたものであると考えられる。

(中略)

 佐野鍋山の転向声明に対しては、獄内日本共産党幹部竝(なら)びに獄外の一般党員の大多数が之に賛成し、佐野、鍋山の他に高橋貞樹、三田村四郎、風間丈吉、田中清玄等も夫(そ)れ夫(ぞ)れ転向手記を発表して居る。 

(中略)

 佐野、鍋山の転向理論の概要に就いては、彼等自身「要項」として八ヶ条を挙げている。

一、我々は第一に現在の共産党が次第に労働階級の党でなくなり、真の労働者の関心及び闘争の外に立つに至ったこと、第二にコミンターンが諸国の労働階級の生活及び闘争から離れ去り其(その)国際主義の破綻しつつあること、第三に接近せる戦争情勢に対しコミンターンが日本の党に課する敗戦政策の日本民族及びその労働者に有害なることの三主要理由に由(よ)ってコミンターンとの分離を主張する。

(二、三省略)

四、戦争についてコミンターンのアナーキスト的敗戦主義に反対する。日本の支那軍閥及びアメリカ資本に対する戦争は進歩的である。戦争と内部改革とは必然に結合する。労働階級は戦争に際して不可避に必要となる生産機構の労働者管理及び人民武装の基礎において戦争に積極的に参加すべく、戦争に必ず勝たねばならぬことを主張する。新世界戦争の主要内容は世界資本主義とアジア諸民族との闘争であるが故に、日本労働者はアジアの勤労者人民の先頭に立つ任務が有る。現下の情勢の下において蘇聯(ソ連)邦及び支那ソヴエート政府に対する戦争は進歩的でもなく得策でもない。



偽装転向:現在(1) 軍隊容認

日本共産党は「自衛隊は違法だ」と言い続けていましたが、最近、自衛隊温存に方針転換しました。


9条改正反対の共産・志位委員長「9条変えずに自衛隊を変える」 安倍首相には「あきれた」
2016年2月4日 産経ニュース

 共産党の志位和夫委員長は4日の記者会見で、安倍晋三首相が戦力の不保持を宣言した憲法9条2項の改正の必要性に言及したことについて「9条の改変は絶対反対だ」と述べた。

 志位氏は共産党の立場について「自衛隊を違憲の軍隊だと考えているが、9条を改変するのではなく、9条という理想に向けて自衛隊の現状を国民合意で一歩一歩変えていくべきだ」と説明。「軍縮を行い、ゆくゆくは9条の完全実施に進むべきだ」と述べた。



偽装転向:戦前(2) 天皇制容認

上記におなじ佐野、鍋山両幹部はその転向理論である「指導的民族としての日本民族」の中で「我々は『君主制廃止』のスローガンの大誤謬であったことを認めきっぱり捨てる」と声明しています。

そして日本敗戦後はきっぱり共産主義者にもどって、日本民族の中心であらせられる天皇陛下を「階級の頂点だ!」とデマ宣伝を続け、いままた日本敗戦革命を企図しているのでしょう。


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14010505600:昭和11年 陸軍省/警保局調査室 「第3章 共産党転向派の理論と日本化」 27コマ目



(日本共産党幹部佐野、鍋山の転向理論 「指導的民族としての日本民族」から)

 C 日本民族とその君主制

 一、民族の頭部及び国家生活の総覧者としての皇室

 我々は「君主制廃止」のスローガンの大誤謬であったことを認めきっぱり捨てる。日本の君主制に対しより正確に言えば皇室に対し我々の認識が著しく一面的なりしこと、大衆が皇室に対して抱く社会的感情と全く背馳(はいち。ゆきちがうこと、反対になること)するものであったこと、極めて苦痛であるが非日本的でありしことを潔く承認する。



偽装転向:現在(2) 天皇制容認

2016年1月4日、日本共産党は69年ぶりに国会開会式に出席し、天皇陛下ご臨席の皇威に浴しました。

日本革命成就のためには、こういうこともできる共産党です。


共産党が国会開会式に出席 なんと69年ぶり 天皇陛下に起立→頭垂れる
2016年1月4日 産経ニュース

 共産党の志位和夫委員長ら同党幹部が4日、天皇陛下をお迎えして開かれた通常国会の開会式に出席した。同党議員の開会式出席は昭和22年の第1回国会以来。これまでは天皇陛下のご臨席などを理由に開会式に出席していなかった。

 志位氏や山下芳生書記局長らは開会式が開かれた参院本会議場の後方の座席に横並びになって着席。天皇陛下が議場に入られると起立し、開会のおことばを述べられている間は頭を下げて聞き入り、他党の議員と同様の対応をとった。



偽装転向:戦前(3) 選挙対策として左翼政党統一戦線を組織

戦後、共産主義者によって「大東亜戦争は日本の保守と戦争を望んだ国民が起した」というデマ宣伝が広くなされましたが、戦前日本にも民主党のようなダメダメ左翼政党が複数ありました。

戦前左翼政党も民主党とおなじで、日本革命をめざしつつ口先では日本国民のためなどと保守を装っていたため、日本国民と共産党に攻撃される結果となり、選挙でもボロ負けしました。

そこで、選挙対策のため、左翼政党は合体して戦線統一し、社会大衆党という偽装転向政党が誕生しました。この戦線統一の基礎となったのは日本共産党幹部だった山川均がとなえていた理論です。

この統一戦線結成は現在、日本共産党が野党に提唱している野党連合政府とおなじです。


出典:1947(昭和22)年 白林社 社会経済労働研究所編 「近代日本労働者運動史」 



 Ⅳ 社会大衆党の成立

 日本資本主義の危機にもとずく階級闘争の激化・プロレタリアートの力の成長が、左翼社会民主主義と中間派社会民主主義との大衆的基盤を動揺せしめて、ために大衆左翼化の強力な防圧のために政治経済闘争面で戦線統一を実現させるにいたったことはすでにのべたごとくである(全国労農大衆党・日本労働クラブ)。

しかるに戦争の開始とともに一方で大衆の左翼化にともなう革命運動の一そうの昂揚と、他方で天皇主義的右翼反動陣営の進出というあたらしい現象が発生し発展し、社会民主主義は今や全体として反動陣営と革命陣営との左右からの挟撃をうけることとなった。

かれらの内包せる思想と実践との矛盾が、戦争反対の故をもって極右反動陣からの攻撃をまねき、その反戦敵立場の口先だけの故をもって左翼共産党からの批判をうくる結果となるのである。

かかる挟撃のもとでのかれらの苦境は、一九三二年総選挙における得票数の激減となってあらわれ、何らかの対応策を講ずるを決心せしめた(第二十表)。

【第二十表】
左翼総選挙ボロ負け1

くわうるにその内部からの社会君主主義的要素のあいつぐ分出は、もはや社会民主主義内部の組織的対立の意義をほとんど滅却せしめたから、ここに一九三二年七月左右中間をつらねる完全にちかい戦線統一が達成され、全国労農大衆党・社会民衆党の合同による社会大衆党(社大党)が出現したのである。

(中略)

この統一的社会民主主義党の理論的基礎は、山川均が共産党の代用物としてつとにとなえきたった単一無産政党の理論であって、それは「労働者農民の結合を経とし、中間階級層を緯とし、もって大衆的闘争的なる方途において」目的を達成せんとするのであった。



偽装転向:現在(3) 選挙対策として共産党が野党連合政府を呼びかけ

1932(昭和7)年の総選挙ボロ負けから81年経った昨年、日本共産党がふたたび左翼政党に統一戦線をよびかけました。

しかし、その呼びかけが不発に終わりそうな気配が濃くなったいま、日本共産党は党名変更を検討中だとか。しかもまた「大衆党」という党名を要望されているようで笑ってしまいました。

そこまで復古するんですかね?


日本共産党 「大衆党」に党名変更なら自民圧勝の構図崩壊か
2015年12月24日 zakzak (NEW ポストセブン)

7月の参院選は安倍晋三・首相の悲願である「憲法改正」に向け、自民党が圧勝を狙う戦いだ。対する野党は総崩れ状態。唯一、勢いのある日本共産党の志位和夫・委員長が呼び掛けた「国民連合政府」構想も、民主党保守派の激しい反発で頓挫したかに見える。

 最大の原因は「共産党」という党名への抵抗感だ。共産党は前回2013年の参院選で約500万票、2014年総選挙では約600万票(いずれも比例代表)を獲得するなど得票も議席も増やしているが、有権者には時代錯誤の「共産主義」に対するアレルギーが根強い。

 「共産党と組むというだけで従来の支持者が逃げてしまう。せめて共産主義との決別をはっきり示してくれたら連携しやすくなるのだが」(民主党ベテラン議員)というのが本音だ。

 実は共産党支持者からも「大衆党」や「国民党」などイデオロギー色を排した党名に変えてほしいという声があがっている。実際、欧州の共産党には現実路線に転換して党名を変え、「国民政党」へと脱皮したケースが少なくない。ドイツでは東西統一後、共産党メンバーが左派政党に合流、「左翼党」という名で野党第一党となり、イタリア共産党は1990年代に「左翼民主党」と党名を変えて左翼連合「オリーブの木」の一角として政権に加わった。



イタリアの左翼連合は「オリーブの木」、昨年生活の党とナンチャラ代表小沢氏が唱えていたのも「オリーブの木構想」でしたね。オリーブというのは平和の象徴で丈夫で実がなるからだそうです。

しかし、ヨーロッパではユダヤ人はオリーブの実にたとえられるそうです。

これだけで共産党とは労働者や弱者の味方などではなく、労働者や弱者を煽動して革命を起し、日本の富を根こそぎ外国人に売り渡して、たわわなるオリーブの実を実らそうとしている組織だということがうかがい知れますね。

しばらくはウソツキ日共から目が離せません。


出典:1941(昭和16)年 内外書房 四王天延孝 「ユダヤ思想及運動」



 第六章 堅忍、勤勉の諸徳

 千八百年以上も世界各国を放浪し、寄生し、迫害されて居れば、大概の民族ならば寄遇の国に同化され終るであろう。然るに今猶(な)おユダヤ民族が大きな抱負を堅持しているのは、前に宗教の部で述べた信仰心の固いのと、之(これ)によって養われた民族意識が旺盛で、外部からの圧迫に対する反抗力が強いからである。前掲タルムード宝典一五三頁に次の文句がある。

 ユダヤ人がオリーブの実に喩えられるのは何故(なぜ)であるか、オリーブは締められなければ油を出さないと同じで、ユダヤ人は苦難の中に其の徳を発揮するからである。



【重光葵 「各国内部の左翼は一致して戦争を支持した」】

出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻
      ソ連の重要性



 これまで帝国主義戦争として、戦争の遂行に反抗していた各国の共産党は、独ソ開戦と共に、その態度を一擲して、共同戦争遂行の急先鋒となり、同時に各国内部における左翼は一致して戦争を支持し、その勢力は増大して来た。米国の共産党及びその同情者は、内部から政府に働きかけるために、この空気を完全に利用した。 






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