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2016/01/25

朝鮮人「日本人は日本に帰れ!」


川崎市でヘイトスピーチ規制条例推進の動きがあるようです。

在日朝鮮人は生活の基盤が日本にあるので日本に住み続けたいのでしょうね。

でも、在鮮日本人は敗戦直後、生活の基盤をすべて奪われ、

「日本人は日本に帰れ! 裸で帰れ! 玄界灘は
泳いで帰れ!」


とヘイトスピーチされ、ヘイトクライムで命を奪われた人々もいました。

この時、朝鮮人人口約2400万、日本人人口約240万だったので、日本人の10倍もいる朝鮮人が、よってたかって日本人をヘイトしたわけです。


「日本人よ釜山までは歩いて、博多までは泳いで帰れ」
「関東大震災」を持ち出して日本人を脅迫、
京城駅までソ連軍を歓迎しに行った朝鮮人、
日本人経営の会社、銀行、工場は朝鮮人が接収した@ソウル


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史」所収 
      共同通信社特信企画部長 吉田儀助 「京城の落陽」



関東大震災を想い出せ! そんなポスターの文句に、日本人たちはそっと首すじを撫でた。京城駅は汚れた白衣の人たちでごった返していた。混乱の首都に難民の洪水がおしよせて哀号(アイゴー)の声が満つる。

 山河を越えて

 十五日正午の天皇放送以後は、朝鮮はただ混乱という言葉くらいでは現せないような有様であった。米軍が来るのが先か、それともソ連軍が先にやって来るのか。そうしたとき朝鮮軍は抗戦するのだろうか。いま流通している朝鮮紙幣(朝鮮銀行券)はどうなる。顔を見合せればこんなことばかりが人人の言葉であった。

十六日になるとどこからともなくソ連軍の京城入城の噂が出た。その日の午後には京城駅前の広場には赤旗が数十本たてられ、ソ連軍歓迎のプラカードを持った人々の姿も見られた。ソ連軍の一部が北鮮から鉄道で南下してくるというデマが飛んだからである。しかしその日は夜に入ってもソ連軍らしい人の姿は遂に京城駅には現れなかった。

また京城のあちこちでは、日本人経営の会社銀行工場などを朝鮮人が接収するという騒ぎが持ち上がった。従業員の中の朝鮮人が案内役ではじめた接収なのである。この騒ぎは二、三日つづいたが、朝鮮軍司令部が武装した兵隊をトラックで運んで静めはしたけれど、中には日本人の重役や従業員が一人残らず追い出されてしまったところも少なくなかった。(後略)

 
 日の丸と大韓民国旗

 朝鮮は北緯三十八度で南北に分けられ、北はソ連、南は米軍が占領して行政に当るということがはっきりしたのは八月下旬であったが、そのころ話題をまいたのは京城(現ソウル)がどうなるということであった。

(中略)

 また街にベタベタと張り出されたビラやポスターの大部分は日本人には読めない諺文(おんもん。朝鮮文字)である。京城は日本式を消して朝鮮色で彩色され、日本人にとっては全くの外国になってしまったのである。

ポスターの中にはわざと日本語で

「関東大震災を思い出せ」

「日本人よ釜山(ふざん)までは歩いて、博多までは泳いで帰れ」

などの気味の悪い文句を書いたものもあった。関東大震災のときのアノ事件を知っている日本人は思わず首すじをなでたのであった。

【資料画像】
朝鮮引揚史泳いで帰れ



「日本人は裸で帰れ」@清津
暴民が日本人を襲い、家財道具、工場の食糧を強奪、酔った朝鮮人労務者が「女を出せ!」と要求


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史」所収
      元朝日新聞社清津支局長 兼元淳夫 「北鮮最後の日」



 "ウラー"を叫ぶ朝鮮人

 一夜にして世の中はがらりと変った。街の中から戦闘帽とモンペは完全に影を消してしまい、これまで、喜んでいいのか、悲しむべきかどうしたらいいかと、判断に迷っていた朝鮮人は、はっと気がついたように、まるで、オリから放たれた猛獣さながらにたけり狂った。もう日本人なんか少しも恐ろしくはない。ざまあ見ろ。戦争に敗(ま)けたではないか ─── 。

 興奮した群衆は、夜が明けるのを待ち切れず、学校の前に押寄せ、赤旗を振り振り、"ウラー! ウラー!(ロシア語で万歳の意)" とどよめいた。

 この朝、白岩(はくがん)からたどりついた百名ばかりの一行は、途中でソ連兵と保安隊から武器を持っていないかを調べられ、その際、時計、万年筆など目ぼしい物は全部没収、現金は一人一千円に限られて、それ以上は全部取上げられてしまった。

 状況は刻々悪化する一方だった。あり合せの物を分け合って朝食をすますと、代表団の一人で、この製紙工場と事業上の関係を持っていた男が、食糧の交渉に出かけた。

 彼のもたらした情報によると、昨夜工場の倉庫が襲われ、大半の食糧は暴民に運び去られていた。工場の職員は、幹部の家族が一部京城に疎開しているだけで、三千余の人々が居残っていた。これに対し、隠しおおせた食糧は、僅かに米四十石(一石は十斗、約180リットル)と雑穀が五十石ほどに過ぎなかった。

 だからどうしても分けられないというのを、工場長に泣きついて、米四石と大豆六石を出してもらうことに、話がついたのだという。今朝がたはさらに女、子供を混(まじ)えた暴民が社宅街を軒並(のきなみ)に襲い、洋服、着物から鍋、釜、机など、手当り次第に家財を荷車に積んで持去っていた。彼らはこういうのだ

「日本人は朝鮮に来る時、裸で来たではないか。朝鮮で儲けた物は全部置いて帰れ。貴様たちの持っている物は、みんなおれたちの血と肉からけずりとった物じゃないか……。」

 そしてさらに悪いことには、酔った労務者が、女を出せ、とあばれ込んで動かないのだという。工場の職員たちは、こうした暴民をなだめすかすだけが精一ぱいで、避難民の救援など思いもよらないところだった。社宅の若い女たちは、天井裏や床下に隠れて難をさけているのだ。

【資料画像】
朝鮮引揚史裸で来た



朝鮮人は日本人から学校を奪った
「倭奴(わど)、早く帰れ」
「船便がなければ、泳いで玄界灘を渡れ」@ソウル

「倭奴」とは日本人の蔑称です。


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史」所収
      元京城日報社主筆 中保与作 「掠奪と赤色の劫火」



 四面悉(ことごと)く強盗の声

「日本人は、無警察の国というより強盗国のまん中に、坐(すわ)っているようだね」

 と私たちは語り合った。一日一日、昼でも、街の一人歩きが危ぶまれ出した。

「倭奴、早く帰れ」

 と、いう宣伝ビラが毎日まかれてゆく。それには、

「船便がなければ、泳いで玄界灘を渡れ」

 とも書いている。

「俺は、ここで骨を埋めるつもりで来たんだから、帰化してもここに残る」

 と固い決心をしていた人々も、

「もはや、これまでだ」

 といい出した。

「親兄弟の墓を守りたい」

 と思っていた人々も、墓石をバラックの土台とし、その上で焼酎屋や焼鳥屋を開いているのを見て、やはり、引揚げのリュックサックを買うことにした。親たちや、夫や妻や、わが子わが兄弟の遺骨が土足にふみにじられ、不浄なものをさえかけられているのは、到底、見るに忍びないのである。

【資料画像】
日本人は学校を接収され、教育の機会を奪われた。
朝鮮引揚史倭奴早く帰れ


先日、大阪で成立したヘイトスピーチ抑止条例は完全に、侵略者によるアパルトヘイトですね。


【南アフリカのアパルトヘイト】
少数派の白人がゴミのように黒人の死体を捨てている光景。在日朝鮮人がやりたいのはコレ。IMG_0057.jpg


【1959(昭和34)年2月25日在日韓国人による強制送還反対デモ@大阪】
祖国ではケモノ以下の差別を受ける人々。祖国の差別と戦うべき。
kaeranai.jpg


【朝鮮人が暴力で排除した日本帝国主義(資本主義)の侵略】
カミナリも落ちない? ワラと泥しかない王国、朝鮮。
domaku1.jpg


日本資本主義の侵略後。朝鮮人は日本資本主義を排撃し、朝鮮赤色労農政府を樹立すると息巻いた。
京城市街展望


【連合国と結託して日本を敗戦に追いこんだ朝鮮人】
朝鮮に進駐するソ連軍をお出迎え。
Sovetkorean.jpg


米軍をお出迎えする朝鮮人。
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1945(昭和20)年10月18日革命と掠奪の嵐から逃れ、命からがら博多港に着いた朝鮮からの引揚船。chosen_hikiage_sen.jpg


【多数派の少数派ヘイトは罪になるw】
上瀧浩子日本人は誰でも殺せ1


そして、ソ連国旗をフリフリ平壌駅やら京城(ソウル)駅やらにソ連軍をお出迎えに行った朝鮮人が、祖国が思わしくなくなると、かつてヘイトしまくった日本人の国にこっそり上陸して、

「日本人は差別をやめろっ!!」

「ヘイトスピーチをゆるさない!!」

「朝鮮学校に無償化が適用されないのは差別だ!」

ですってwww

どの口が言ってるのでしょうね?

共産主義に染まって、日本の対鮮投資を 「日本帝国主義の侵略だ!」 と叫んで、終戦後日本人の財産を奪い、学校を奪い、日本人を殺しまくった民族ですよ?

日本人が反撃する時は、かならず理由や原因があります。

今でも朝鮮半島全土に何千、何万という日本人の遺体が埋まっている。それらには墓標もなく、供養する人もいない。

北朝鮮なぞは日本人が埋葬した遺体を掘り返すから、その費用100億円を出せと日本に無心した。

ニュース映像に映る日本人の遺骨は土葬されている。なぜなら朝鮮人、米軍、ソ連軍に全財産を没収されて、火葬する費用がなく、地を震わすほどに泣きながら日本人が埋葬したからだ。

日本にいて差別されていると感じるのならば、かつて朝鮮人が夢見た無差別平等の労農諸国に移民すればよかったのです。

たとえば北朝鮮、ソ連(ロシア)、中国、キューバなどの社会主義国に移民すればいいのです。


【×子連れで徴用された 〇一攫千金を夢見て日本に来た】

反ヘイト「川崎でも規制条例を」
2016年1月24日 YAHOO! ニュース (カナロコ 神奈川新聞)

在日コリアンを標的に川崎市で続くヘイトスピーチ(差別扇動表現)の根絶を掲げて発足した「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」の集会が23日、川崎市川崎区の市労連会館で開かれた。在日コリアンの地域住民らがヘイトスピーチの規制を訴えた。

 地元の中学生(13)は「ヘイトスピーチは想像以上にひどかった」と声を震わせた。昨年11月8日、自宅近くを差別デモの一団が通った。抗議に駆け付けたが、参加者は「へらへら笑って挑発してきた」。

 オモニ(母)は在日コリアン3世で、父は日本人。在日が多く暮らす街では「アンニョン」という韓国語のあいさつが日本人からも掛かる。「半島へ帰れ」と連呼するデモにより、自分とオモニ、互いのルーツや異なる文化を大切にしてきたこの街がけがされたと思った。

 大阪市で制定された全国初のヘイトスピーチ抑止条例を引き合いに「大阪で駄目なものが川崎で許されるわけがない。川崎でも早く条例をつくってほしい。僕も勇気を出して差別はやめろ、共に生きようと伝えていきたい」と訴えた。

 在日1世のハルモニ(おばあさん)も「どうしてさべつするの!!」と手書きした横断幕を掲げ、マイクを握った。在日高齢者交流会「トラヂの会」の金(キム)芳子(パンジャ)さん(84)は「差別されるのは慣れているが、やっぱり腹が立つ。徴用された父と5歳のころに日本へ来て2代、3代と長い時間がたっているというのに」と嘆いた。

 集会は約300人が参加。署名活動に取り組むほか、31日に予告されている市内で12回目となる差別デモへの抗議を行う。市と市議会には実態調査をはじめ対策を講じるよう求めていく。




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