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2015/12/03

朝鮮人による神社テロ@終戦直後 その2 


靖国神社爆弾テロ事件の犯人は韓国人、だとNHKが報道しています。

先日、終戦直後、朝鮮に建立された神社を朝鮮人が破壊しまくった、という記事を書きましたが、追加がありましたのでアップしておきます。

追加したのは、全羅南道にあった小鹿島(しょうろくとう)神社を朝鮮人が焼き討ちして万歳を連呼した事実、そして北朝鮮の城津(現在の金策市)にあった城津神社を朝鮮人が破壊した事実です。


【戦後再建した小鹿島神社】
自分らが焼き討ちしたことは隠ぺいする韓国。
小鹿島神社1
【「撤去」ではなく「放火、破壊」が正しい-どっちが「妄言」じゃい?】

韓国人「韓国に唯一現存する日本の神社」 - 小鹿島更生園神社存廃論争
2013年5月23日

最近、日本の政治家らによる過去の歴史や慰安婦関連の妄言が相次いでいるが、全羅南道の小鹿島に国内で唯一の原型を維持した日本の神社(下写真)が登録文化財に指定され残っているという事実が発覚し、存続させるべきかどうかをめぐる議論が起きている。

22日、文化財庁によると、韓国全羅南道高興郡小鹿島に残っている「旧小鹿島更生園神社」は、1935年に建立され、2004年に登録文化財第71号に指定された。日帝時代には国内に1000以上の神社が建てられたが、すべて撤去され、現在は小鹿島に位置するこの神社だけが唯一原型を維持している。

記事元:http://news.nate.com/view/20130522n19171?mid=n0411


小鹿島虐殺事件-日本のインフラを奪いあった朝鮮人と
赤ん坊を連れた引揚げ日本人女性に投石した朝鮮人の子ども



在鮮日本人居留民の手記によると、日本敗戦の報が小鹿島に届いたのは、1945(昭和20)年8月17日午後のことでした。

その翌朝、更生園の園長西亀三圭(にしきさんけい)氏が終戦を発表すると、朝鮮人職員はすぐさま、朝鮮人治安維持会を組織して更生園の接収を要求し、小鹿島神社を焼き討ちして万歳を連呼したそうです。

ウィキペディアの小鹿島虐殺事件には、医師系と看護系の争いだと書かれていますが、手記では朝鮮人職員の接収に反対したのは入院中のライ病患者とライ病患者受刑者とあります。

ライ病患者受刑者70名が破獄し、ライ病患者と共に「ライ病患者による自治会が更生園を接収して経営にあたるべきだ!」と叫んで、朝鮮人職員を襲撃したのだそうです。

そして、「惨劇」という規定路線になった。


もう一件は、北朝鮮の城津(現金策市)にあった城津神社です。

日本敗戦後、命がけで南下していた日本人女性が、城津でやせおとろえた赤ん坊のおむつをかえていると、朝鮮人の子どもが投石してきて

「ヤーイ、城津神社をぶっこわしたぞ」

と叫んだそうです。

その朝鮮人の子どもは、真新しい運動靴を大事そうに抱えていたそうです。そして、石を投げつけながら、

「日本人がいなくなってから、運動靴を只(ただ)でもらったヤーイ」

と言って、喜んだ。

十中八九、その朝鮮人の子どもが抱えていた真新しい運動靴は日本人から強奪したものでしょう。


まったく、朝鮮人による神社破壊の事実がこれだけあるのに、日本政府はいつまでテロリスト韓国人の入国を許可し、その同胞を日本国内に置いておくのでしょうかね?

【民族のDNA】

靖国神社の不審な男は韓国人か
2015年12月3日 NHKNEWS WEB

先月、東京・千代田区の靖国神社のトイレで爆発音がして火が出た事件で、現場近くの防犯カメラに写っていた不審な男が、当時、来日していてすでに帰国した韓国人であることが分かり警視庁が事件との関連を捜査しています。

この事件は、先月23日、東京・千代田区の靖国神社の南門近くのトイレで、爆発音がして火や煙が出たもので、けが人はいませんでした。警視庁のこれまでの調べで、事件の直前に袋のようなものを持ってリュックサックを背負い、メガネをかけた男が現場付近から立ち去る姿が付近の防犯カメラに写っていたことが分かっています。

警視庁がさらに周辺の防犯カメラの映像を解析して調べを進めたところ、この男が、当時、来日していた韓国人であることが捜査関係者への取材で分かりました。

男は、事件の30分ほど前からトイレ近くの複数の防犯カメラに写っていて、現場付近から立ち去ったあと、歩いて千代田区内のホテルに向かい、その後、帰国しているということです。また、現場から見つかった焦げた乾電池には、ハングルの表示があったということです。警視庁は、男が事件に関わった可能性があるとみて、滞在していたホテルを捜索するなどして関連を捜査しています。
現場のトイレからは鉄パイプ状の物やそれにデジタル表示の時計のような物などが見つかっていて、警視庁は手製の時限式発火装置とみて、爆発物かどうか引き続き鑑定を進めています。



いにしへより「日本人はどこへ行ってもまず桜を植え、神社を建立する」と言われたのですが?↓

日刊ゲンダイの対日ヘイト記事⇦日本の神社を神様ごと焼き払ったのは朝鮮人とアメリカだけ


靖国爆発で再認識 防ぎようのない“日本人によるテロ”の恐怖
2015年11月25日 日刊ゲンダイ

新嘗祭が行われていた靖国神社で発生した23日の爆破事件。境内には七五三のため大勢の家族連れが訪れていた。パリのテロ事件後、警視庁はテロを警戒してきたが、あっさり警備の隙を突かれた格好だ。

 警視庁の幹部は「警察官が無限にいるわけではなく、どうしても防ぎきれない部分がある」と弱音を漏らしている。すでに日本は「イスラム国」から、〈すべての日本国民が戦闘員の標的になった〉と宣告されている。はたして日本でのテロを防げるのか。

 警察関係者は「日本人によるテロ」を警戒しているという。

「海外から日本に入ってくるテロリストは、入管で食い止めることが可能です。怖いのは、すでに国内に居住しているイスラム過激派と、ネットを通じてイスラム過激派の思想に共鳴してしまう日本人によるテロです。イスラム国に参加しようとした北大生もいた。過去には多くの日本人がオウム真理教を信奉している。日本人にやられたら防ぎようがありません」



本記事の資料


(  )内は管理人による注釈です。

日本の投資頼みだった、あさましい朝鮮独立運動


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史」所収
     在鮮日本人居留民の手記から



「解放の嵐の中に」
 京城日本人世話会 

  小鹿島の悲劇

 終戦後、南鮮でもっとも多く犠牲者をだした所は、全南(全羅南道)小鹿島であった。

 ここは美しい小島で、ライ患者六千名を収容した更生園があった。これは宇垣総督時代に作られ、朝鮮に世界一が三つある。水豊(すいほう)ダムと金剛山とこの小鹿島の更生園であるといわれていた────

 ここが終戦を知ったのは、十七日午後であった。

 その翌朝、園長西亀三圭氏は、終戦を発表したが、その直後、朝鮮人職員による朝鮮人治安維持会が、更生園の接収を要求して小鹿島神社を焼打(やきうち)し万歳を連呼した。

 朝鮮人職員が自分達の手で経営をつづけようとするのに対して、患者側(朝鮮人)は、自治委員会の下に経営すべきを主張して譲らず、とくに十九日にライ患者の受刑者七十名が、内外呼応して破獄し、その破獄者とともに患者は朝鮮人職員を襲撃した。

 朝鮮人職員は、対岸に救いをもとめ、救援の朝鮮人とともに暴動する患者にたいして発砲し、ついに犠牲者数十名をだした。

 これは二十二日、日本軍の出動で鎮静に帰した。

 日本人全員二百余名は、その間一カ所に集結して、この事件にまきこまれず、日本軍撤退と同時に、麗水にでて引揚げた。


【小鹿島地図】 ①の部分が小鹿島。
小鹿島1



「四つの魂よ、さようなら」
 片山智恵

  六、なつかしい死臭

   逆コース

 城津駅から日に数本の列車が南下している。その度に何千人かが貨車にのって、運ばれていくのだが、私達の乗る番は一向にこなかった。

 今度こそはと身構えていても、まっ黒い大きな箱が、目の前に止った時には、もう男の人達が、猿(ましら)のようにはい上って、自分の女房と子供をひっぱりあげているのだった。

 まごまごしている私は姑(はは)は、それらの人々に蹴おとされても文句もいえない有様。

 つぶてがとんで来た。

「気をつけ」「休め」「別れ」と今迄通りの日本語の号令に従って、散らばっていく朝鮮人小学校の子供達の仕業か。

 ま新しい運動靴を大事そうに抱え

「やーい、城津神社を、ぶっこわしたぞ」

「日本人がいなくなってから、運動靴を只(ただ)でもらったヤーイ」

 と憎まれ口さえきいて、石つぶてを飛ばして喜んでいる。

「あっ、危ないわ」

 一彦の、しなびて皮だけになった身体の、おむつをかえている傍(わき)にたってつぶてを、さけてくれている人の声だった。


【北朝鮮城津(現金策市)地図】
北朝鮮城津1
   




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