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2015/11/19

シールズの先祖-戦前朝鮮人留学生の共産運動


フランスのテロ事件を受けて、日本のマスコミの論調は「難民はテロリストではない!」が鉄板のようです。

しかし、生まれた時からテロリストという人間はいません。

日韓併合時代の朝鮮人留学生や出稼ぎ労働者、移民は、朝鮮なり日本なりで共産党に洗脳されて「日本は侵略国家! 天皇制反対!」と言うようになったのです。

テロリストは作られるものです。戦前の東京は朝鮮人が組織した共産党系団体だらけで、朝鮮共産運動の前衛産出地になっていたそうです。


【反日SEALDs:洗脳されてこうなりました。戦前からデモやってます!】
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朝鮮独立運動は日本の思想運動をパクッたもの



戦前の日本は、左右思想が乱舞している状態でした。

明治維新で「自由だ、平等だ!」と浮かれ、大正デモクラシーで「人民による支配だ!」と浮かれ、第一次世界大戦後に共産主義思想が日本に入ってきても、それが国家を破滅させる危険なものであることに日本人は気づきませんでした。

今はソ連崩壊によって「共産主義は砂上の楼閣、机上の空論、使えねー思想」だと地球規模で知られていますが、当時の共産主義は思想界のニューウェーブだったので、まったく無防備だったのです。

日本人が思想的に鈍感だったもう一つの理由は、西洋列国の脅威に対抗すべく近代化を急いでいたこともありました。なので、日本人は思想的に成熟することなく第二次世界大戦に突入してしまいました。

そういう左右思想合体の産物が、極右なのに右にまわりすぎて左に近くなっていた大本営ですね。

日本人が西洋から入ってくる物質ではなく、思想に敏感だったなら、ソ連に終戦の仲介を依頼して北方領土を盗られるといったミスもなかったと思います。

今は「共産党はウソつき」が鉄板ですからね。

【黒船来航】
黒船来航1


話をもとにもどしまして、日韓併合後、共産主義に社会主義、無政府主義、それら左に対抗する国家社会主義、日本主義などありとあらゆる思想が乱舞している日本に、朝鮮人が大量に流入してきました。

もちろん、朝鮮人留学生も日本に渡航してきました。彼らは字を読めるので入ってくる情報も多く、日本の思想運動に感化され、興味を持ち、やがて朝鮮独立運動という思想運動に身を投じるようになりました。

もともと朝鮮人には中華思想という日本人蔑視思想があるので、日本を悪とする共産主義は朝鮮人にベストマッチな思想でもあったのです。

日本と朝鮮で呼応していた朝鮮人の共産運動



朝鮮人の共産運動で特徴的だったのは、朝鮮と日本に同じ団体を組織するという習性でした。

たとえば朝鮮に新幹会という民族主義団体が組織されれば、新幹会東京支会を組織する。

朝鮮に朝鮮(高麗)共産党が組織されれば、日本にも朝鮮(高麗)共産党日本総局を組織する。

そして朝鮮人留学生は高麗共産青年会を組織して朝鮮に帰り、朝鮮の学生間にも高麗共産青年会を組織させました。


【朝鮮における第三次第四次共産党事件 1930(昭和5)年】
国際共産党(コミンテルン@モスクワ)から運動費として1900円を贈られ活動していた。昭和5年の物価はパン半斤8銭、牛乳8銭、ビール39銭。世界恐慌の年でインド、中国などで共産運動が盛んだった。
高麗共産青年会検挙1【出典】神戸大学新聞記事文庫 大阪時事新報 1930.6.26(昭和5) ロシアから莫大の資金を仰ぎ朝鮮独立の陰謀 中学教師の家宅捜索で発覚 首領他一味百余名検挙さる


朝鮮人が日本-朝鮮間を行き来するので、日本と朝鮮の朝鮮独立運動は鏡のように呼応していたというわけです。

字を読めた朝鮮人留学生は朝鮮独立運動の知識階級として、共産主義の宣伝、煽動を担っていました。

危険なのはシリア難民ではなく共産党



共産主義者らが日本のマスコミを押さえているように、共産主義は宣伝で広まっていくものです。

宣伝こそが共産党の命です。

朝鮮独立運動の歴史をみれば朝鮮人留学生も在鮮学生も、共産党の宣伝によって赤化されたことがわかります。

朝鮮人留学生は日本で在日極左同胞や日本共産党に赤化され、在鮮学生は一時帰郷した朝鮮人留学生や極左同胞、ソビエト共産党に赤化されています。

あえて言いますが、シリア難民が危険なのではありません。共産党が危険なのです。

日本は「思想の自由」を認めているので、共産主義者という赤魔が大手を振って歩いています。歩くだけでなく国会にまで出入りしています。

日本は「言論の自由」も認めているので、共産党が「国民連合政府を樹立するよ」というトンデモ発言をしても、笑って許されている部分があります。

朝鮮人という生の見本があるように、もし日本にシリア難民が流入すれば、共産党によってテロリストにされ、人生を破壊されてしまいます。

日本にとってもよい結果にはなりません。

日本は難民を受け入れるよりも、移民政策を実施した100年後に国家がどうなるか、西洋列国に警告すべきでしょう。

「難民はかわいそうな人たち」と宣伝する者の背後にいるものが何かもバレバレなのですから。

ちなみに戦前、朝鮮人留学生(内地留学生派と呼ばれた)が日本で組織した主な共産党系団体は以下のとおりです。ほとんどの団体が東京だけでなく大阪、京都、名古屋、広島、福岡などの大都市に支部を設けていました。

・朝鮮留学生学友会

・朝鮮人団体協議会

・黒龍会

・黒風会

・北星会

・北風会(北星会系)

・火曜会( 〃 )

・一月会

・三月会(在東京朝鮮人女子が結成した共産主義思想団体)

・朝鮮共産党(北風会、火曜会と中国上海派と聯合した組織)日本部

・ML(マルクスレーニン)派高麗共産青年会(  〃  )日本部

・ML派朝鮮共産党日本部(のちに日本総局と改称)

・在日本朝鮮青年同盟

・東京朝鮮青年同盟会

・東京朝鮮無産青年同盟会(日本の共産青年同盟のパクリ)

・新興科学研究会

・大阪朝鮮赤化党

・朝鮮無産青年読書会


こういう事実は朝鮮人強制連行はなかったという証拠でもあります。


【テロリストは作られるもの-素材が欲しいだけの共産主義者】

UNHCR「難民をスケープゴートにするな」 テロ受け
2015年11月18日 朝日新聞

 パリ同時多発テロを受けて、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は17日、「難民をスケープゴートにするべきではない」などと訴える見解を出した。

テロの実行犯が欧州に殺到する難民らに紛れ込んでいたとの疑惑が浮上したことから、一部の国々が難民流入を阻止する動きを強めていることに懸念を表明。「欧州に来つつある難民の圧倒的多数は、紛争による生命の危険などから逃れるために避難している」と主張した上で、「難民を、最悪の悲劇の第二の被害者にしてはならない」と求めた。(パリ=松尾一郎)



本記事の資料


司法省刑事局
「朝鮮独立運動は日本国内の共産運動をパクッたものである」
「日本在留朝鮮人留学生がソウルを中心に共産主義組織を受け付けた」
「東京は朝鮮共産運動の前衛産出地となった」


出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」所収 1940(昭和15)年 司法省刑事局 「思想研究資料特集 第七十一号」



二、在留朝鮮人の共産主義運動と鮮内及(および)在外朝鮮共産運動との関係

 在留朝鮮人の共産主義運動は以上述べた概況に依り窺(うかが)い得る如く、在留朝鮮人の民族主義運動が鮮内運動の一支流たるとは頗(すこぶ)る趣を異にして居(い)る。

 啓蒙運動期に於ける活動は主として内地(日本国内)の社会情勢に刺激された朝鮮留学生中の急進分子を中心とする自主的な運動であったが、而(しか)も此(こ)の間鮮内(朝鮮内)社会主義運動への北星会一月会の積極的な進出と其の啓蒙的寄与は相当大きなものがあり、殊にソウル派社会主義者に比して一般に理論的水準の高かった此の内地留学生派が、漸次京城を中心として其の組織を植付け勢力を加えて行ったことは偶然ではなく、北星会(一月会)派は遂にソウル派と両々相対立し鮮内に於ける社会運動の二大分野を画して互(たがい)に苛烈な抗争を続くるに至った。

(中略)

 斯(か)くてコミンテルンは第六回世界大会に於て朝鮮共産党に対し大正十五年四月与えた其の支部たることの承認を取消し、次(つい)で十二月七日党再建に関する指針として朝鮮問題に関する所謂(いわゆる)十二月テーゼを発表する一方、モスコー(モスクワ)の東方勤労者共産大学出身の朝鮮人を党再建の為(ため)鮮内に入潜せしめた。

(中略)

 斯くの如く東京は朝鮮共産運動の前衛産出地たるの観を呈し、鮮内に於ける第一次、第二次党及(および)会竝(ならび)にソウル派の前記党に依り夫々(それぞれ)東京に日本部の設置を見たが、其の中注目に値する活動を為(な)したものはML派の党日本部(日本総局)及会日本部であり、而(しか)も多くの革命的インテリに依り結合された此(こ)の内地部隊は、党の宣伝活動方面を担当し党機関紙其の他一切の出版物の刊行に当った



1929(昭和4)年5月-高麗共産青年会日本部再組織事件検挙
下宿で高麗共産青年会員に声をかけられ東京区域局責任者に任命


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B04012973500:1932(昭和7)年 外務省 「本邦ニ於ケル社会主義其他危険主義関係情報雑纂/思想月報 第四巻 分割2



高麗共産青年会日本部再組織公判概況(第八報)

  被告人 金東訓

右の者に関する標記公判は十月二十七日午前十一時十分より東京地方裁判所陪審第一号法廷に於て神垣裁判長、児玉、吉浦両陪席判事、丸検事係、阿河、大森両弁護人立会(たちあい)の下に公開禁止の儘(まま)引続き続行 午後四時二十分閉廷せるが其の状況左の如し

       記

午前十一時十分に至り被告人金東訓静かに入廷す 裁判長被告人の本籍、住所、氏名等の審理に入り之(こ)れを終りたる後検事公訴事実の陳述に入る

検事は高麗共産青年会が革命的手段に依り朝鮮の独立を謀り、私有財産制度を否認し朝鮮に「プロレタリア(労働者階級)」独裁の社会を樹立し因って以て共産主義社会の実現を目的とする秘密結社なる処(ところ) 被告人金東訓は大正十五年一月勉学の目的を以て東京に来り早稲田大学高等学院文科に入学したるが 予(かね)てより民族主義思想を懐(いだ)き支那革命其の他世界諸国に於ける民族革命運動並(ならび)に第一次朝鮮共産党検挙の報導(道)に接し社会運動に興味を覚え 遂に共産主義に共鳴するに至り昭和四年二月朝鮮の朝鮮民族解放運動(共産運動)に従い居(お)りたる處(ところ) 昭和四年三月中旬頃東京市牛込区早稲田町九番地酒井方当時被告人下宿先に於て高麗共産青年会員印貞植より被告人は高麗共産青年会日本部東京区域局の責任者に内定せる旨告げられたる処 被告人は同会が前記の如き目的を有する秘密結社なることの情を知りながら同局責任者たることを承諾して同会に加盟し爾来各所に於て区域局会議を開催、会の目的遂行の為に活動したるものなり」云々(うんぬん)と述べ公訴事実の陳述を終る



日本人にとっての光州事件はコレ!
学生前衛同盟秘密結社事件-共産党の煽動で朝鮮学生が赤化、いっせいに日本に反抗


出典:1931(昭和6)年 万里閣 能勢岩吉 「最近学生左翼運動秘話」



八 朝鮮学生騒擾事件と背後に動いた思想団体

(1) 検挙

 昭和四年十二月、光州の被拘禁学生を即時釈放せよと叫んで、京城(現ソウル)全市の学生を蜂起せしめ、ついに統治以来初めての学生大騒擾を捲起した背後の指導部、朝鮮共産青年会及び学生前衛同盟秘密結社事件は、学生事件の直後、京城鐘路署に依って摘発され以来京城地方法院脇予審判事係で心理の結果、党幹部車載貞(しゃさいてい)(二十七)外(ほか)三十名のうち十二名は有罪として治安維持法違反等の罪名で京城地方法院の公判に附せられ十九名は免訴となった。

 而(しか)して(そして)その秘密計画の内容は次の如くである。

(2) ソール新派の活躍

 鮮内ソール新派の重鎮車載貞等一味の主義者(共産主義者)に於て混乱せる運動戦線の統一を標榜し、共産党及び共産青年会の基礎を確立すべく、昭和四年三月頃から同志と屡々(しばしば)協議を重て居(い)たが、遂に同年四月上旬堅志洞の支那料理店英海楼(えいかいろう)に車載貞、沈致寧(ちんちねい)、黄泰成、任允宰(にんこうさい)、夫鍵(ふけん)、李恒発(りこうはつ)、郭敝(かくけい)等、主立ったもの会合、共産青年会の再組織を決議した。

(3) 朝鮮学生革命党組織

 四年六月の大検挙に依(よっ)て学生、青年及び無産(生産手段を持たない労働者)農民の組織計画に一大頓挫を来すや当時の共産青年会の学生部責任金泰東(きんたいとん)、京城苦学堂教師丁寛鎮(ていかんちん)等は「如何なる事があっても学生の共産主義化は寸時も中絶してはならない」、と執拗にも官憲が血眼で追跡しているのを尻目にかけて直ちに同志を糾合、朝鮮学生革命党を組織したが、後、幹部金泰東、金淳凞(きんじゅんりょ)、韓慶錫(かんけいよう)、苦学堂生徒等多数府内桂洞(けいどう)金淳凞方に集合、党名を朝鮮学生前衛同盟と改称して責任者を定め、党員一同官憲の隙を伺って極力学生の組織に狂奔した。



重光葵「第一次世界戦争後、日本に共産主義思想が輸入された」


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」 上巻 



 三月事件

      一 

 第一次世界戦争後、国内の思想界は久しく極右と極左との間を激烈に動揺していた。思想が激しく動揺しながら、政治社会機構は依然たる有様であった点に大なる危険があった。日本の政治指導が、世界大戦による国際情勢の進展に伴わなかったのである。

 戦後、自由民主の思想が盛んな時期に、思想自由の制度の下に、ソ連革命思想が日本に輸入せられ、マルクス主義が流行して来た。日本がソ連と国交を開く(一九二五年)前後から、特に大震災を契機として、日本においても共産党の細胞が各地に設けられて、共産勢力は益々増大した。



金玉均の弟子金振九
「朝鮮独立運動は民族運動も共産運動も日本の思想運動のパクリである」


出典:1936(昭和11)年 名古屋出版社 金振九 「国癌切開」



6、 民族運動の経路と現状

 要するに、朝鮮民族運動は、端を五十年前の金玉均乱に発して、三十年前の日韓併合直前に、根深く種を蒔いて十八年前の独立騒擾が、萌芽となって発育し、今日まで、各方面に向って、蔓延繁殖しつつあるものであります。

 その間、土産愛用奨励(物産契勧会)となり、禁酒断煙同盟(酒とタバコをやめて浮かせた金を朝鮮独立資金にしようという運動)となり、新文芸猛運動となり、劇映画の愛族化となり、朝鮮文(ハングル-大文字の意味)運動となり、朝鮮歴史文化の発揚となり、社会主義及び共産主義、無政府主義の輸入となり、民族主義との衝突(金允植翁の社会葬問題を中心に)となり、共産主義全盛となり、衡平(こうへい)運動となり、婦人、少年、青年、学生の運動となり、プロ(プロレタリア)文学と民族文学との激戦となり、左右合体の新幹運動(昭和二年-同六年)となり、ついで、これが解消となり、各左翼団体の解消となって、現在は隠忍自重の形成睨視時代となって居(お)ります。

 一言にして之(これ)を評すれば、これらは多く、日本文化の直訳であります。文化運動も、民族運動も、社会運動も、その根源は日本であり、東京が勧進元(かんじんもと:事を発起してその世話をする人)であります。其中(そのうち)ロシヤ或(あるい)は支那から、輸入したる一部例外もあるけれども────。





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