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2015/10/03

台湾高砂兵薫空挺隊の訓練の様子


昨日、中国が台湾の歴史を改ざんしようとしていることについて記事を書きました。

その中で台湾高砂義勇隊について触れましたが、のち台湾高砂族を主軸とした薫空挺隊の訓練がどんなものであったか資料がありましたのでアップしておきます。

【薫空挺隊】
胸にさげているのは爆薬、白だすきは夜目にもわかるようにという配慮だった。薫空挺隊2

台湾人兵は心がとても美しく、純真だったそうです。

それでいて、いざ戦闘となると、血みどろになっても音をあげず、勝つまで戦うという勇猛さも兼ね備えていました。

台湾人は日本軍の一員となって、日本兵とともに米軍飛行場を奇襲すべく出撃していきました。

その白人と戦った誇り高い台湾人に中国は、「白人の手先としての歴史観」を強要しているのですね。

台湾で猛反発が起こるのは当然のことです。

国民党も中国共産党と歴史観を同じくするのなら、中国へ帰ればいいと思います。



出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録 大東亜戦史 比島篇」所収 
     毎日新聞社社会部副参事 福湯 豊 「ああ特別攻撃隊」



薫空挺隊

  空挺隊作戦というのは、輸送機で、敵の占領している飛行基地に強行着陸し、飛行機を焼払い、滑走路や、兵舎を爆砕しようとするもので、勿論(もちろん)全員戦死を覚悟の、無謀といえば無謀、放胆といえば放胆、とうてい日本軍以外では考えられない作戦である。

 その第一回空挺隊が、高砂兵を主軸とする薫空挺隊であった。

 編成は、隊長中重男中尉、小隊長須永富蔵、川原英雄、加来(かき)隆各少尉、分隊長甲斐将夫、石田歳徳(さいとく)、八木橋俊彦、浜田新(しん)、木下敏夫、中村寛(かん)各曹長、清水敏次、金原康鎮(きんばらやすしず)両軍曹の下に高砂兵百名であった。

 十一月二十六日夜、薫空挺隊は四機の輸送機をもって、レイテ島西岸ドラッグ、ブラウエン両基地に強引な着陸作戦を強行した。

─── 大空を高く飛んでいる鳥は、鉄砲の名人でもなかなか射(う)てない。巣に入っている時ならば、生けどりにすることも難しくない。飛行機も同じ理窟(原文ママ)である。空中で撃墜することは生易しい業(わざ)ではない。飛行機が基地で休んでいる時に、潰すに限る ───

 これが空挺隊の理外の理であった。素朴な理論だが、うまく着陸出来れば効果は著大である。

 隊員は、台湾の山野をかけずり廻っていた勇者、作戦の成功は着陸一つにかかっているといってよかった。

 ことに、高砂兵は闇夜でも、目が利くのである。

 真の闇でも、普通三十米(メートル)先でも見え、腰を落して、彼等(かれら)特有の識別法をもってすれば、五十米の先も目で捉えることが出来る。熟練者なら、百米先でも困難ではないといわれていた。

 走るのは疾風の如く、この作戦は、高砂兵があってはじめて樹立出来たといっても過言ではなかった。

 彼等の攻撃精神の旺盛さは言語に絶し、騎馬合戦などをやっても、最後まで血みどろになって戦う。十米ぐらい引ずられ、全身を無残にふみつぶされても、音をあげない。打たれても、斬られても、勝つまで戦う。日本軍の一員となったことを誇りとして、彼等は戦う。


親切におどろく比島人

 また彼等は気持が美しく、こんなことがあった。

 比島人の家が、空挺隊の宿舎に当てられた。彼等が家の掃除に行ったところが、縁の下に沢山(たくさん)の野菜が忘れられてあった。彼等はそれを発見すると、そっくり比島人の引越先を訪ねてかえしてやった。比島人はこれには驚いてお礼に、豚肉や果実などをとどけて来た。

 空挺隊の戦果については、大本営発表も「大なる戦果を収めたるものの如し」とあるだけで、その活躍ぶりについては、訓練の有様から想像する以外にはない。

 遠くで椰子の葉ずれの音がきこえる闇夜 ───

 彼等は、腰に祖先伝来の義勇刀(ぎゆうとう)をぶち込んで、輸送機に乗込んだ。

 蛍がスーッと飛んでいた。星一つない空は地上と空を一つに見せた。

 輸送機が着陸したという想定、懐中電灯を照らしてみる。

 輸送機の扉が開く。

 中隊長が飛びおりる。白だすきをかけていた。隊員はいずれも鉄かぶとに白だすき。

 首から胸に爆弾をぶら下げている。背中に一週間分の携帯食糧を負っている。右手に小銃、各分隊ごとに、軽機一台。

 降り立つや否(いな)や、中隊長は、五十米ぐらいダーッと走り出す。隊員がこれを追う。声を殺したふくみ声で、目標が命令される。早駈(はやがけ)の姿勢。首からかけた爆弾をはずして、右手に握りしめる。

 滑走路や引込線にかくされた敵機を攻撃するのである。

 全員がパッと散る。

 一人一機。爆弾を装てんする。次の機。全員がはやてのように、駈けめぐる。

 すべては無言。足音さえたてぬように。後方でカン声があがる。

 飛行機が爆破し、空挺隊の奇襲が発見されたという想定である。全員は、今度は銃をかまえて突撃なのである。阿修羅のような斬込み。

 と、見せて守備隊の陣地を通り抜け山にかけこむ。

 山にこもり、守備隊の後方で暴れようというのである。

 中隊長は大分県中津市中殿町の出身、二十四才。中学在学中から剣道三段、士官学校時代も"剣の中"で鳴らしていた。

 出撃の前夜を私は部隊のニッパハウスで過したが、中隊長は、無精ひげを生やして、野武士のような顔をしていた。


故郷を想う

 隊員が就寝して、バルコニーに椅子を持ち出して、二人で雑談していると椰子の林の向うから歌声がきこえて来た。

 中隊長は突然立ちあがって、その歌声の方に向けてどなった。

「誰だ、そこで歌っているのは」

 と、ザワザワと、草を分けて来る音がして顔の丸い兵隊が出て来た。

「ハイ、西村上等兵であります」

「まだ寝ないのか」

「不寝番であります」

「いまの歌は何だ」

「故郷を想う歌であります」

「何(な)に。故郷を想う歌? いのちが惜しくなったのか」

「いえ、違います。父や母にお別れの唄を歌っていたのであります」

「もう一度歌ってみろ」

「いえ、もう沢山であります」

 私は、西村上等兵が「もう沢山」というのをきいて、思わずふき出した。中隊長もニヤッと笑って、

「明日はいよいよ出かけるが頼むぞ」

 と、いった。

 西村上等兵は挙手の礼をして、再び椰子の林の中に消えて行った。

 その姿には、すこしの不安もなかった。

「あいつ達は、教育は小学校のせいぜい四年程度、二重橋も靖国神社も知りませんが、本当に立派な兵隊たちですよ。私もこのような兵隊を引(ひき)つれて行くことが出来るのを幸福に思います」

 中隊長の頬に涙が伝わった。

 出発に当って、中隊長は極めて簡単に、

「みなは、今度の作戦がどんなに重要であるかよく知っていると思う。日ごろの訓練の通りにやれば必ず成功する、たのむ」

 と、いっただけだった。それ以上の言葉を必要としないのだ。

 直掩機(ちょくえんき)によって、彼等の乗込んだ輸送機が見事に、ドラッグ、ブラウエン両飛行場に着陸したことが確認されている。

 どのように彼等が戦果をあげたかはわからないが、ぞん分に暴れまわったであろうことはだけは確かである。むろん、全員戦死したことだろうと思う。







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