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2015/10/01

通化、通州事件だけじゃない! 中国共産党の日本人弾圧年表


中国共産党が日本人三名を拘束しているそうですね。

昨年末の選挙で自民党が圧勝したので、中国の陰湿な日本挑発が加速するだろうと思っていたら、やはりそうなりました。

日本人を拘束した理由として、中国共産党は「法にのっとって」などと説明していますが、戦前から彼らは日本人を違法に拘束、拘留、虐殺していました。

日本人というだけで小学生を殴打したり、一般人から警察官、軍人まで共産党は暴力を振るい続けました。

その目的は日本を戦争にまきこむことでした。今回も「人命を手玉にとる」という卑劣な手段をとることで、与党自民党に圧力をかけているのでしょう。

安倍政権が即刻退陣または解散するならば可、安保法制可決によって日本が中国に反撃してくるならなお可、です。なぜなら、日本が反撃してくればアメリカを主敵にまわさなくてすむからです。


【共産党の排日貨を煽動するポスター@満州】
排日貨ポスター1

中国は日本人が行くところではありません。

中国にいる日本人、日本企業は一日でも早く撤退する方がいいでしょうね。

戦前中国の日本人弾圧年表



支那事変(日中戦争)は、日本の中国侵略によって起きたものではありません。

1936(昭和11)年から1937(昭和12)年までの2年間で、約100件の抗日テロや排日貨運動が起きています。

中国共産党とその親玉であるソビエト共産党(コミンテルン)は、日本を戦争にまきこむために必死に工作しました。

日本を戦争にまきこんで敗戦に追いこめば日本革命は成就するし、ソ連の南下を防いでいる満州国もなくなります。

共産党の陰湿な日本挑発はあくことなく続行され、日本はやむなく戦争するに至りました。

今回の日本人拘束も何かしらの罪をデッチあげたに決まっています。大体、日本が中国の軍事機密を欲しいと思うはずがありませんから。


●1936(昭和11)年度
(イ)中、南支における対日暴状
事   件月  日被害者概   況
 油頭巡査射殺事件 1月21日 領事館角田巡査 登庁中拳銃射殺
 広東邦商襲撃事件 1月22日 日華押妻両洋行 公安局員に襲撃商品を
 押収される
 上海萱生射殺事件 7月10日 商人萱生 散歩中拳銃射殺
 長沙爆弾事件 8月20日 陸軍武官及関医師 投擲
 成都事件 8月20日 渡辺、深川、田中、
 瀬戸
 二名惨殺、他の二名重傷
 北海事件 9月3日 商人 中野 虐殺
 汕頭爆弾事件 9月17日 商人 森 不発
 漢口事件 9月19日 領事館吉岡巡査 拳銃射殺
 上海水兵射殺事件 9月23日 出雲の田湊、八幡
 両水兵
 拳銃射殺及重傷
 湘潭放火事件 9月28日 日清汽船出張所 放火掠奪
 長沙爆弾事件 9月29日 日本領事館隣接地
 に爆弾を設置
 不発
 漢口手榴弾事件 10月8日 思明堂商店 手榴弾投擲不発
 長沙傷害事件 11月1日 商人  山岸 就寝中刺傷
 上海傷害事件 11月5日 商人  鹿島 江路散歩中刺される
 上海射殺事件 11月11日 笠置丸船員  高瀬 培開爾路にて射殺
(ロ)北支における対日暴状(山東を含む)
 太沾事件 1月2日 大島及大西洋行 掠奪を受け国旗を裂かれる
 北戴河事件 1月3日 憲兵9名 匪賊に襲われ受傷
 朝陽門事件 1月5日 将校以下数名 馮治安軍のため射殺
 青島小学生殴打
 事件
 5月29日 小学校 支那学生に殴打され骨折
 軍用列車爆破
 事件
 5月30日 駐屯軍第二次増加
 部隊
 天津附近にて爆破
 我が方に大なる損害なし
 大栄丸茂益丸事件 6月20日 大栄丸、茂益丸 岐口附近にて拿捕され国旗を
 凌辱される
 豊台事件 6月26日 軍雇員及将校 宋軍より雇員暴行を受け将校は
 留置
 将校侮辱事件 7月28日 駐屯軍主計 豊台に於て宋軍より通行を阻止
 される
 学生殴打事件 7月28日 邦人学生 無灯火自転車を理由に巡査等に
 殴打される
 豊台事件 7月29日 御用商人並びに
 その使用人
 歩哨に殴打され使用中国人は
 拉致される
 朝鮮人殴打事件 7月29日 通州にて活動写真
 (映画館)経営の
 朝鮮人
 保安隊に殴打される
 豊台事件 8月21日 森川 宋軍兵士に銃剣で刺される
 豊台事件 9月18日 駐屯軍一中隊 夜間演習の帰途、宋軍と衝突
 対峙
 太原事件 10月26日 和中公司 公安局員に襲撃され商品を略奪
 される
●1937(昭和12)年度
(イ)中、南支における対日暴状
 広東における邦人
 圧迫事件
 1月20日 邦人小商人 邦人(日本人)を往来で尾行、
 使用支那人不法抑留あるいは
 行方不明
 広東当局の我が方
 に対する非礼
 1月24日 帝国第三艦隊司令官来広に当り余漢謀は我が司令官の
 公式訪問に対し答礼を拒む
 広西に於ける抗日
 及排日貨運動
 
 2月2日 李宗仁、白祟禧等指導の下に抗日及排日貨運動の
 継続、 民船の船頭に対し日貨の運搬禁止その他
 帝国海軍名誉毀損
 事件
 2月4日 帝国海軍 中国の新聞が帝国軍艦は
 密輸を行っていると悪宣伝
 上海邦人紡績罷業
(ストライキ)再燃
 2月20日 豊田紡第一、第二
 工場
 休業のやむなきに至る
 広西の排日貨 3月9日 梧州抗日救国会に於ては各商店を検査し日本品を
 仇貨と称し没収かつ定価の三倍の罰金徴集
 広西の邦人圧迫
 事件
 3月25日 梧州森岳陽堂支店 不法退去要求を受けやむなく
 広東に引き揚げる
 不敬文掲載事件 4月-日 国難記と題する新作歌謡集の中に
 恐懼(きょうく:おそれかしこまる)すべき文字を発見す
 日本物映画上映に
 対しドイツに不法
 抗議
 4月20日 映画「新らしき土」 満州国宣伝映画であることを
 理由にドイツでの上映禁止の
 抗議
 汕頭邦商及台湾人
 圧迫事件
 4月24日 邦商及台湾人 邦商使用中国人不法拘留
 
その他
 小川少佐侮辱事件 4月24日 小川少佐 憲兵より不法検査を受け私信
 まで開封される
 海口邦人圧迫事件 4月24日 勝間田善作 住宅借り入れを妨害される
 西南当局の邦人
 圧迫事件
 4月26日 都ホテルその他 邦人使用中国人不法拘禁
 その他
 学術研究員不法
 拘留事件
 5月5日 尾崎金右衛 保安隊に逮捕、拘留される
 広西当局の邦人
 非法圧迫事件
 5月18日 森山日本人会長 中国官憲に強制立ち退きを
 命ぜられる
 不法なる宋哲元の
 布告
 5月21日 外国人に土地を売却したものは死刑に処すとの布告を
 出す
 汕頭青山巡査
 事件
 5月22日 青山巡査、神州洋行 汕頭警察の不法侵入、凌辱、
 監禁
 学術研究員不法
 監禁事件
 5月31日 佐藤捨三 四川省境附近巴東に於て同地
 警察のため拘留、圧迫を受ける
 上海邦人工場
 襲撃 事件
 6月1日 中山鋼業廠 暴徒五百あまり来襲
 排日映画上映事件 6月9日 南京映画館に「時代進展)と題する排日映画を上映
 する
 学生旅行団監禁
 事件
 6月22日 同文書院学生四名 不法監禁、不法退去強要
 上海停戦協定無視本年初以来協定区域内に正規兵に等しい武装保安隊
を六千名に増員し呉淞砲台の再防備等軍事設備を
強行しつつあり
(ロ)北支における対日暴状「山東を含む)
 鄭州文化研究所
 事件 
 1月7日 文化研究所 威力捜査により秘密書類を
 押収され機関員全員拘束
 される
 日本燐寸排撃
 事件
※燐寸=マッチ 
 1月23日 日本側燐寸工場 支那燐寸聯(連)営青島分社
 への日本側工場妨害
 スウェーデンのマッチ会社
 代表アンドレウ(ユダヤ)が
 マッチ事業の世界的独占を
 計画。
 青島大黒丸事件 1月29日 大黒丸 中国税関監視船より発砲の上、
 拿捕され一名負傷
 朝鮮人圧迫暴行
 事件
 山東在住朝鮮人 不法圧迫暴行、一月以降十三件
 綏遠(すいえん)
 飛行場着陸 妨害
 事件
 2月6日 恵通公司定期飛行 縦横に塹壕を掘りめぐらされ全く
 使用不能となる
 軍用電話線切断
 事件 
 3月7日
 〃 14日
 〃18日
 〃 4日
 〃10日
 4月7日
 北支駐屯軍 頻々として続発、北倉附近に於て
 は一千米(メートル)の間切断
 される
 平綏線邦人不法
 調査事件 
 2月3日
 〃  2日
 〃13日
 中央副領事、
 張家口原巡査部長、
 北京新聞川番記者
 外(ほか)
 連続的に発生
 通州事件
 白河軍用ケーブル
 に関する不法抗議
 3月23日 支那駐屯軍 敷設作業中南京外交部より不法
 抗議を受ける
 自動車通行妨害
 事件 
 3月下旬 長城附近に於ける察哈爾(チャ
 ハル)省側の不法通行妨害
 済南考案局の
 日本人使用人に
 対する不法行為
 4月上旬
 邦船不法検査事件 4月上旬 順、鳳順 威嚇抑留
 邦人不法監禁事件 4月12日 平井平一外(ほか)
 五名
 山西省徳州駅警察官に不法
 監禁される
 邦人旅行者不法
 取調事件
 邦人旅行者 平綏線南口駅に於ける第二十
 九軍所属軍警にアヘン取締を
 口実に不法取調を受ける
 千家店警察分駐
 所襲撃事件
 4月20日 豊県千家警察
 分駐所
  武装した一団に襲撃される
 黒汗嶺警察所
 襲撃事件
  4月24日 欒平県黒汗嶺
 警察所
  武装した一団に襲撃される
 張家口材木強奪
 事件 
  4月27日 公大工廠  中国兵に材木を強奪される
 白河支那人死体
 漂流事件
  4月下旬 アヘン病者の死体を日本兵営工作秘密のための
 虐殺と宣伝
 冀東(きとう) 撹乱
 秘密工作団活動 
  4月下旬 南京の魔手
 大庄戸警察所
 襲撃事件
  5月1日欒平県大庄戸警察所 満州人警吏六名虐殺
 日系官吏一名拉致
 張家口邦人拉致
 殴打事件
  5月7日 理由なく中国兵営に拉致、
 殴打される
 我が紡績支那
 工人募集に対する
 妨害
  5月7日 鐘紡(カネボウ)他 官憲、税関員等の妨害を
 受ける
 張家口軍用自動
 車投石事件
  5月8日 駐屯軍 窓、車体破損
 太原日支人衝突
 事件
 5月12日 満鉄社員二名
 興中公司社員一名
 公安局に拉致される
 小学生暴行頻発自5月12日
至5月15日
毎日
 北平(現北京)
 日本小学児童
 中学の途上中国人から暴行
 張家口邦人運転
 手暴行事件
 5月17日 自動車運転手 中国兵営歩哨に暴行を受ける
 山東還付協定
 無視
 5月中旬 山東還付細目協定を無視し国民政府正規兵を
 青島市内に常駐させようとする
 張家口邦人運転
 手殴打事件 
 5月21日 自動車運転手 中国人に殴打される
 第一長州丸第七
 島戸丸事件
 5月23日 第一長州丸
 第七島戸丸
 中国税関監視船に射撃され、
 第一長州丸は小銃弾二十数
 個を受け長が負傷する
 回海堡事件 5月24日
 聖農園事件 5月27日 聖農園 日本中国青年共同耕作の
 同耕地居住の中国人地主を
 逮捕、投獄
 日支飛行停止
 命令
 6月1日 恵通公司日支連絡
 飛行 
 国民政府より不法なる飛行
 停止命令を受ける
 大荘戸事件 6月1日 大荘戸警察所 襲撃される
 聖農園事件 6月1日 聖農園 襲撃放火、邦人一名負傷、
 日章旗凌辱
 陶厘襲撃事件
 経済的排日 6月上旬 招遠玲瓏金鉱株式会社の許可取消、苦力(クーリー:
 中国人の人夫)の渡満阻害、山東炭運賃割引廃止等
 天津軍軍用無線
 抗議
 6月4日 駐屯軍 駐兵権然当のものに対し不当
 抗議
 邦船に対する芝罘
 税関の不法処置
 6月20日 東平号拿捕、抑留
 支那新聞の抗日
 的捏造記事
 6月24日 日本将校その他 名誉毀損その他
 芝罘明榮丸事件 明榮丸 荷物没収
 ●備   考
  上海中山兵曹
  事件
昭和10年
11月9日
 陸戦隊中山兵曹 帰営途上拳銃射殺
  上海邦商襲撃
  事件

11月11日
 日比野洋行  店頭大破
【出典】1937(昭和12)年 北海国民社 林貞四郎 「これが支那だ」


【21世紀になっても変わらない中国共産党の陰湿な日本挑発】

中国、日本人男性2人を拘束…「スパイ行為」で
2015年9月30日 読売新聞

中国で今年5月、日本人男性2人がそれぞれ、「スパイ行為」の疑いで中国当局に拘束されていたことが30日、明らかとなった。

 複数の日本政府関係者が明らかにした。2人はいずれも日本から渡航した民間人で、浙江省の軍事施設周辺と、遼寧省の中国と北朝鮮の国境地帯でそれぞれ拘束された。中国側は拘束の根拠に、昨年11月に施行した「反スパイ法」と刑法を示しているという。

 菅官房長官は30日午前の記者会見で「個別の事案について答えることは控えたい」と述べ、日本人拘束について明言を避けた。菅氏は報道陣から、政府として民間人を中国に送り込んだ可能性について問われると、「我が国は絶対していない」と否定した。日本政府関係者によると、具体的に2人のどのような行動が問題視されたかは不明という。



本記事の資料


内閣情報部
「ソ連によって中国の共産主義は戦闘的に整備された」


出典:1937(昭和12)年 文部省 内閣情報部監修 「支那に於ける国民主義運動と抗日運動の全貌」


 
 第二にソ連邦の影響を考えて見ると、前述の様な容共政策の為に急激に共産主義思想が支那の中堅知識階級、学生、労働者群に流れ込んだ事は勿論(もちろん)であり、この流入の最も恐る可(べ)き結果は、共産主義の戦術の輸入である。

闘争主義、運動工作の具体的な取入れが一躍して抗日運動を組織化し、巧妙化した事は画期的なものである。

今日の排日、抗日の技術、方法が全く共産党の闘争戦術に類似しているのは全くこの為である。

中国政府当局の教育と宣伝に対する体系的整備も、唯物的自由主義及(および)ソ連邦の煽動主義に依って配合、組合されて出来たものである。

 共産主義の影響は直ちに大正十一年の香港の大ストライキ運動となり、学生運動の後を承(う)けて労働運動が起り、邦人経営の紡績工場にも続々ストライキが勃発する様になったのである。

 満洲事変前に於ける排日、排日貨運動の重なるものは、大正八年五・四運動に始まる日貨排斥、大正十二年の旅順、大連の回収運動として起った排日、排日貨問題、大正十四年の五・三〇事件に伴う日貨排斥、昭和二年及三年の山東出兵に対する反対運動としての排日、排日貨運動、昭和六年六月萬宝山事件に対する朝鮮人の報復事件を切掛(きっか)けとして発生した抗日、昭和七年上海に反日援僑会が組織され堂々と日貨排斥を宣言した事から之(これ)を模倣するものが続出するに至り、終(つい)にこの反日援僑会は満洲事変を機として抗日救国会となり、対日永久経済絶交をスローガンとして抗日運動を展開するに至った。

 満洲事変が勃発するや、その痛手に刺戟されてか、俄然抗日民衆運動が、あらゆる形式、あらゆる方法に依って戦闘的に展開した。

前述の抗日救国会の如きはその急先鋒である。同救国会は昭和十年北支自治運動の後聯合して上海各界救国聯合会となり、更に発展して全国各界救国聯合会となった。

亦(また)他方に於ては共産党の策動の下に所謂(いわゆる)抗日人民戦線が組織され、ソ連邦の前衛隊として、共産党戦術として蠢動し始めたのである。

 (ここ)に満洲事変及上海事変に際して勃発した抗日運動は、昭和八年の五月北支停戦協定を境として表面上一時緩和されたかの徴候が現われ、昭和十年六月には邦交敦睦令の発布を見るに至ったが、同令発布後間もなく、抗日運動は一層熾烈となり、昭和十年十二月九日には北平(現在の北京)に於て学生の抗日示威行進が行われ、之(これ)を切掛けとして各地に悪性の学生運動が誘発され、その結果として昭和十一年に入り、一月二十一日角田巡査殺害事件が起り、七月六日上海に於て萱生殺害事件が突発し、八月二十日には長沙の爆弾事件があり、同二十四日に成都事件、九月三日に北海事件、同月十七日汕頭爆弾事件、同月十九日漢口吉岡巡査殺害事件、同月二十三日上海水兵殺害事件等の幾多の抗日テロ事件が続出した。




【写真出典】1932(昭和7)年 満洲日報社 「時局及排日ポスター写真帖」






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