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2015/09/28

韓国が戦勝国を自称する根拠「青山里戦闘」とは


ケント・ギルバートさんが9月24日付の夕刊フジインタビュー記事で、「韓国の朴大統領が中国の抗日戦勝記念行事に出席したことは米国への強烈な侮辱だ」とおっしゃっていました。

確かに朴大統領の行動は、朝鮮戦争で流れたアメリカ人の血よりも、「韓国は日本に勝利した戦勝国」という捏造歴史を大切にしたものですから、ケントさんが怒るのも当然です。

なぜ、第二次世界大戦当時は日本の一地方だった韓国が「戦勝国」を自称するのでしょうか?

それは、満州の三道溝青山里という所で日本軍と戦った「青山里戦闘 」で、大勝利をおさめたからなのだそうです。なんとこの戦闘で、日本兵3300名が死傷したのだそうです。


【韓国の歴史教科書に掲載されている青山里大捷(戦闘)】
aoyama.jpg

もちろんこの「青山里戦闘」というのは韓国の捏造なので、日本人ですら誰も知りません。

韓国の捏造歴史には、抗日組織として韓国独立軍、朝鮮革命軍、正義府、新民府、参議府などというりっぱな名称の団体が出てきますが、当時の朝鮮半島は日本だったのですから正規軍や政府ではなく、ただの匪賊(ひぞく)でした。

ですから「青山里戦闘」とは日本軍にとって数ある匪賊討伐のうちの一つでしかなかったのです。

韓国はこの山賊のような集団が「日本に勝利した」というのですから、これはある意味、日本軍と米軍をバカにしているとしか思えません。


【朝鮮抗日軍・仮政府の正体「満州匪賊」】
満州匪賊夜襲1


満州匪賊の本部。
満州匪賊本部1


満州匪賊の本部を包囲した日本軍。
満州匪賊包囲1


日本軍の満州匪賊討伐。
満州匪賊討伐1


満州匪賊の隠れ家を焼きはらう日本軍。馬賊というのは馬に乗って村を襲撃する強盗集団のことで、のちに匪賊をふくめて馬賊と呼ぶようになった。
満州匪賊焼伐1


列車転覆をはかった満州匪賊を逮捕した日本軍。
満州匪賊列車転覆逮捕1

「青山里」というのは、満州吉林省の三道溝青山里と呼ばれていた平野。当時、不逞鮮人が多く住み着いていた竜井村の近くだった。

延吉和竜青山里1_2


【満州青山里での匪賊討伐の記録】
「青山里戦闘」は1920(大正9)年10月21日から26日にかけて行われたという。日本軍に射殺された鮮匪はかなりの数にのぼっている。青山里朝鮮人側死傷者1_2_2【資料出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031228700:1921(大正10)年 朝鮮軍 「間島事件に依る鮮支人死傷者調査の件  発 朝鮮軍」


 ●匪賊 とは

害悪をなす賊、多人数が団体をなして出没し、殺人・掠奪をなす盗賊のこと。
匪徒ともいう。

共産主義に染まった匪賊は「共産匪(きょうさんひ)」、もっと略して「共匪(きょうひ)」と呼んだ。

また、満州族の匪賊を「満匪(まんぴ)」、朝鮮人の匪賊は「鮮匪(せんぴ)」と呼んだ。



韓国では「青山里戦闘」をどう教えているか?



なんと韓国は日本軍に二度も勝利した、と教えています。

韓国国定教科書には「青山里戦闘」の前に「鳳梧洞(ポムオドン)戦闘」というのがあって、朝鮮人はこの戦闘でも日本軍に大勝利したそうです。

そして敗れた日本軍はリベンジをはかり、一般朝鮮人を虐殺したのち青山里で金佐鎮率いる北路軍政署軍をはじめにさまざまな独立軍部隊と交戦し、大敗北したのだそうです。

「青山里戦闘」で日本軍が敗北した理由は、敵を軽んじ、日本兵の心が戦争を恐れたからだそうです。


出典:1998(平成10)年 明石書店 石渡延男監訳/三橋広夫共訳
     「入門 韓国の歴史-国定韓国中学校国史教科書」



 日本軍はこうした独立軍の活動を防ぐために独立軍の根拠地だった鳳梧洞(ポムオドン)を襲撃してきた。洪範図(ホンボムド)が率いる大韓独立軍はこれに備え、日本軍を迎え撃って大きな勝利をあげた。これが鳳梧洞戦闘である。

 鳳梧洞戦闘で敗れた日本軍は、いっそう規模の大きな部隊を送り、独立軍を襲撃する一方、各地域に住んでいるわが同胞をむやみに虐殺し、独立軍を包囲し完全に除こうとした。

 金佐鎮(キムジャジン)が率いる北路軍政署軍をはじめ、さまざまな独立軍部隊は青山里(チョンサルリ)一帯に集結し、日本軍と戦い大きな勝利をあげた。これが青山里大捷である(1920)。青山里大捷は韓民族の独立戦争の過程であげたもっとも大きな勝利であり、わが同胞に勇気と独立の希望をもたせた。

【学習の手引】
徐一(ソイル)北路軍政署総裁の報告

 今度の戦闘(青山里大捷)においてすべての面で勝算があった敵が負け、すべての面で不利だったわが軍がどのようにしてうまく勝つことができたか簡略に述べる。

(1) 敵が敗北した理由

・兵法家としてもっともいみきらう敵を軽んずる行為により、深い谷と森をとくに捜索も警戒もせず、やみくもに進軍すれば、必ず一部あるいは全部が全滅する。

・局地戦術についての経験と研究が不足し、山林と山地の中でしばしばお互いが接触し衝突することがあった。

兵士たちの心が戦争を恐れ、生き残るための逃亡が極限に達し、軍紀が乱れた射撃が正確にできず、伏して銃を撃つだけであった。


(2) わが軍が勝利した理由  

・生命をおしまず奮然と勇敢に戦う独立に対する国民精神が、まずは敵の志気を圧倒した

・すぐれた陣地と完全な準備で射撃の性能を最高に発揮できた。

・臨機応変の戦術と、鋭敏で迅速な活動がすべて敵の意表をついた



この捏造歴史である「青山里戦闘」が、韓国が戦勝国である理由です。まったくあきれますね。

上掲の歴史画はまるで日清戦争か日露鵜戦争のような前時代的な地上戦ですが、当時の日本はすでに航空機を所有していました。

韓国は知らないと思いますが、日本(陸軍)は1910(明治43年)から、ドイツ、フランス、イギリスから航空機を輸入していました。

1919(大正8)年には、所沢陸軍補給部、砲兵工廠、中島飛行機がフランスから輸入したニューポール24C1を原型にして、航空機を量産していました。


【甲式三型練習機】
【帝国陸軍】甲式三型練習機ニューポール24C1

同じ大正8年には、中島飛行機が製作した航空機が、日本の民間工場設計製作航空機として制式採用されています。


【中島式5型練習機】
【帝国陸軍】中島式5型練習機大正8年作


もし、本当に「青山里戦闘」があったのなら、国産航空機をテストする絶好の機会になったと思います。


それから、歴史から学んだ日本人としてアメリカに忠告しておきたいことがあります。

それは中国や韓国という戦勝国でない国々が戦勝国を自称して、アメリカから「日本に勝利した最強の戦勝国」という地位を奪うかもしれない、ということです。

中国、韓国は今でも共産匪賊なのですから。


【アメリカにケンカを売った韓国】

朴大統領の中国軍事パレード出席は米国への強烈な侮辱だ K・ギルバート氏
2015年9月24日 zakzak

最大の焦点だった安全保障関連法案が可決、成立し、通常国会は27日に閉会する。国民の命と平和な暮らしを守るための対策はできたが、今後、日本はどうなるのか。夕刊フジで「ニッポンの新常識」(金曜掲載)を連載する、米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏に、安倍晋三首相の評価や野党の分析、米国や中韓両国との関係などについて聞いた。

 ──参院特別委員会での乱闘騒ぎや、内閣不信任案、問責決議案の連発などを経て、安保法案が19日未明に可決、成立した

 「閣僚らの失言や議員のスキャンダルなど、危ない場面もあったが、成立にこぎ着けた。安倍首相と与党、国会に『おめでとう』と言いたい。野党には『反対するときは対案を出す』という基本を教訓にしてほしいね」

 ──日米関係はどうなる?

 「間違いなく良くなる。米識者の中に最近、米国が日本と韓国を一方的に防衛していることを問題視する意見が出ていた。『韓国はわがままな子供だが、日本はやっと大人に近づいてきた』とみなされるだろう」

(中略)

 ──中国が9月3日に行った「抗日戦争勝利70年記念」の軍事パレードで雰囲気が変わった

 「世界各国も同じではないか。『中国は歴史的事実を歪曲(わいきょく)して、ウソをつく国だ』と知らしめてしまった。習近平国家主席が主導したAIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加を見送る国も出るかもしれない」

 「安倍首相になって日本への信頼は高まっている。今年6月、ドイツでのG7サミット(先進7カ国首脳会議)も、安倍首相が議論をリードした。日本メディアはあまり報じないが、海外メディアは報じている。中国による日本たたきは、G7では通用しない」

 ──韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は軍事パレードを参観した

 「中国に媚びたのだろうが、米国への強烈な侮辱だ。朝鮮戦争で、米国は韓国を守るために若者たちの血を多く流した。それを差し置いて…。朝鮮戦争はまだ休戦中だ。朴氏の行動は英語で『お尻にキスした』という」
(後略)



本記事の資料


朝鮮捏造歴史の〇〇軍、〇〇府はぜんぶ匪賊


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031238700:1923(大正12)年 朝鮮軍参謀部 「海林附近情報」 



一、要 旨

北満鮮人首領の窮乏状態は累次の報告の如く就中(なかんずく)財政の欠乏最も甚(はなは)だしく、さりとて再び赤軍の陥策に応ずるの勇なく 去月小綏芬(すいふん)軍事聯(連)合会議準備会開催され以て気勢を揚げつつあり 然るに従来屡々(しばしば)試みられたる南北満洲軍事統一会議の如く恐らく将来と雖(いえども)何等(なんら)の統一進捗を見ざるべく既に北満に於ても李範允を総裁、金佐鎮を総司令官とする独立軍団と金奎植を司令官とし玄天黙、曹成煥、李範を一団とする独立軍との二大派に分離せる状態なり




【資料出典】
1937(昭和12)年 松村好文堂編 「全満洲名勝写真帖」



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