HOME > 共産主義 > title - 共産・民主合体で新たな闘争へ
2015/09/25

共産・民主合体で新たな闘争へ


共産党が呼びかけた国民連合政府樹立について、民主党岡田代表が「現実味があるのか」などとトボけたことを言っています。

共産党と民主党の違いは、共産党が本家で民主党が亜流という点です。民主党はただ日本人が憎いだけで、共産主義に関しては宗教容認ですし、異常に民族に固執する欠陥共産主義者です。

民主党ならではのダメダメさは昔からで、共産主義を理解できなかったため、朝鮮共産党は1928(昭和3)年にコミンテルンによってつぶされてしまいました。

しかし、当時の共産党には「共産党員は居住国の共産党に入党しなくてはならない」という決まりがあったので、在日極左朝鮮人は日本共産党に合流することになりました。

それから日本敗戦まで、在日極左朝鮮人は日本共産党の指揮下で日本を敗戦に追いこむべく、後方撹乱や機密漏洩に加担しました。

日本共産党との合流について、当時の極左朝鮮人は声明書の中で「日鮮合体は新たなる闘争への転向である」と言っています。

【極左朝鮮人組織@戦前】
昭和4、5年中朝鮮人共産主義系団体比較(昭和4年9月末 内務省警保局調)
昭和4_5年朝鮮人共産主義団体

【上図拡大】
共産系。組織名下の数字は所属朝鮮人の数。
在日本朝鮮労働総同盟23530名(東京朝鮮労働組合3140名、神奈川県同1500名、大阪同17000名、京都同370名、兵庫県同450名、新潟県同400名、富山県同200名、豊橋同150名、愛知県同320名 )、新興科学研究会80名、朝鮮プロレタリア芸術同盟30名、解放運動犠牲者救援会30名、三重朝鮮労働組合150名、在日本朝鮮青年同盟1300名(東京支部400名、大阪支部450名、京都支部250名、兵庫支部200名)、その他団台数20所属200名。
昭和4_5年朝鮮人共産主義団体共産系


極左派。所属朝鮮人数7612名。
昭和4_5年朝鮮人共産主義団体極左派


民族・共産両系。矛盾する二つの思想である民族主義と共産主義がまじぇまじぇになっているのも朝鮮人ならでは。所属朝鮮人数4505名。
昭和4_5年朝鮮人共産主義団体民族共産両系


左翼派。所属朝鮮人数781名。
昭和4_5年朝鮮人共産主義団体左翼派

「どこが強制連行じゃいっ!?」という感じですね。

こういうのが、戦後は被害者を演じているのです。


主な極左朝鮮人団体の日本共産党合流経緯



戦前日本には、星の数ほど極左朝鮮人団体が存在していました。

その中でも主な団体の日本共産党合流経緯についてまとめてみました。

1. 在日本朝鮮青年同盟

戦前、在日極左朝鮮人は共産運動の母体となるML派(マルクスレーニン派。過激派)である朝鮮共産党日本総局、高麗共産青年会日本部という団体を組織しました。

昭和天皇の即位御大礼を控えた1928(昭和3)年8月、朝鮮人は日本と朝鮮の両方で一大武装暴動を計画しました。朝鮮では2300万人の朝鮮人がいっせいに武装蜂起する計画でした。

しかし事前に、この計画が日本当局の知るところとなったので、日本は極左朝鮮人に大弾圧を加えて朝鮮共産党日本総局と高麗共産青年会日本部というふざけた組織もつぶしてしまいました。

日本当局による大弾圧は二回にわたって行われ、幹部指導分子を失った在日本朝鮮青年同盟は活動不振におちいってしまいました。

そこで在日極左朝鮮人は「朝鮮人だけでは日本官憲につぶされる」と考え、在日本朝鮮青年同盟を解消(解散)して、日本共産党下の組織である日本共産青年同盟、モップル(赤色救援会)、全協(日本労働組合全国協議会:極左派)に合流しました。

2. 労総(在日本朝鮮労働総連盟)


労総(在日本朝鮮労働総連盟)も在日本朝鮮青年同盟と同じく、朝鮮共産党日本総局、高麗共産青年会日本部に対する日本当局の第一次、第二次検挙により弱体化しました。

その結果、昭和4年9月以降、残留精鋭分子によって労総を解消し、全協(日本労働組合全国協議会:極左派)に合流しました。

3. 朝鮮人留学生学友会


朝鮮人留学生学友会は日本在留朝鮮人の中で「知識階級」に属し、朝鮮人の中で一番早く朝鮮独立運動を開始した組織でした。

1914(大正3)年、第一次世界大戦が勃発するやそのドサクサにまぎれて、朝鮮人留学生学友会は朝鮮独立運動を開始しました。

朝鮮人留学生学友会東京支部では

「日韓プロレタリアート(労働者階級)は一定のスローガンの下に東方の資本主義の柱でありソビエト攻撃の先頭である日本帝国主義と猛烈に闘争している」

とし、朝鮮人だけではなく日本人学生との合同戦線をとるべきであると東京支部解消を声明しました。

大阪支部、京都支部では解消派と反対派が対立しただけで、解消の決議にはいたりませんでした。 

4. 新幹会各支会


新幹会というのは、韓国の歴史教科書にも載っている民族主義団体です。

韓国の歴史教科書には「ウリの誇りニダ」と紹介されており、1927(昭和2)年に朝鮮の京城(現ソウル)で民族単一党として結成されました。

【韓国が誇る民族主義団体新幹会】
sinkankai.jpg

その後、在日朝鮮人銭鎮漢、林虎らが新幹会東京支会創立を企図、同年5月7日に東京支会を創設しました。

東京以外にも京都支会、大阪支会、愛知支会が創設されましたが、共産分子と共闘した結果、組織をのっとられてしまいました。

組織内で民族派朝鮮人と共産派朝鮮人が争ったのは京城本部も同じでした。

それだけでなく、日本当局は新幹会も検挙しました。

昭和6年5月京城本部が解消すると、東京支会は消滅、大阪支会は解消後全協に加盟、京都支会は消滅し、名古屋支会は解消後「同声会」、「共正会」という団体を立ち上げて、新幹会そのものは消滅しました。

総括



コミンテルンの指令でも、朝鮮人はなかなかゴタゴタして、指令どおりにはできませんでした。

共産党というのは各国共産党が共闘して世界同時革命を起こし、世界をワンワールドにして、彼らが担当した国の富を共産党(国際金融資本)に差し出すのが任務です。

今ならば東亜革命(日韓同時革命)が共産党の目標でしょうね。

今回、日本共産党が表明した国民連合政府も、中国共産党からの指示ではないでしょうか?

共産主義はソ連崩壊で終わってる思想なので、同じことを何度も繰り返します。

今回も民主党があまりにもダメダメなので「解消して日本共産党に合流しろ」と中共から指令が出たのかも知れませんよ。

民主党解消後、共産党に合流したなら中共からの指示確定、ということで。

そうなれば「新たな闘争の始まり」です。


【中共とケータイで話せる仲だった民主岡田代表】

民主・岡田代表、共産党の「連合政府」提案に慎重な姿勢
2015年9月24日 YAHOO! ニュース(FNN)

「現実味があるのか」共産党の提案に慎重な姿勢を示した。

民主党の岡田代表は24日、連合との会合で、共産党が安全保障関連法の廃止を目指す連合政府の結成を提案したことについて、「いろいろな政策で、かなり隔たりがある中で、現実味があるのか」と述べ、慎重な姿勢を示した。

一方で、岡田代表は、共産党が打ち出した2016年夏の参議院選挙などでの野党間の選挙協力については、「共産党が候補者を出さないことはかなり大きなことだ。提案を大事にしながら、もう少し中身も詰めていきたい」と述べ、25日にも、共産党の志位委員長と会談し、真意を確認する考えを示した。.



本記事の資料


自由に日本に渡航してきて、共産運動をやりまくった朝鮮人
どこが「強制連行」じゃい?


出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」所収 昭和15年1月 司法省刑事局 「思想研究資料 特集第七十一号」 第六章 内鮮合体運動期

※上図出典も同じ。


第一節 朝鮮人極左組織の内地組織への解消

第一項 在日本朝鮮青年同盟の解消

 労総(在日本朝鮮労働総連盟)はプロフインテルン(赤色職業組合=労組)第四回大会の決議に基き昭和三年五月第三回全国大会に於て組合青年部組織を決議し、爾来其(そ)の加盟各組合に於ては著(着)々青年部確立に努めつつあった。

他方在日本朝鮮青年同盟は前記の如く党日本総局(朝鮮共産党日本総局)及(および)全日本部(高麗共産青年会日本部)に対する検挙に因り幹部指導分子を失って其の活動も一時不振に陥ったが、昭和四年四月第二回全国大会に於て労総所属各組合の青年部組織後援を決議してより急速に労働への解消運動が進められ、七月先(ま)づ京都支部が解体を声明し、大阪支部に於ては新(あらた)に共産青年同盟の組織を企劃(画)して解体に応ぜざらん(応じよう)とする一派の策動があったけれども十二月に至り解体に関する意見書を発表し、本部及東京支部に於ては改めて解体声明書の発表は為(な)さなかったが昭和五年事実上解体し、斯(か)くて此等(これら)同盟員は或(あるい)は日本共産青年同盟、モップル(赤救=赤色救援会)、 全協(日本労働組合全国協議会)に加入し、或は反帝同盟支部の結成を策する等内地組織に加入し又(また)は其の影響下に入り、内地人(日本共産党)の指導下に漸次内鮮合体に依る果敢な闘争へと進出した。


第二項 労総の全協への解消

一、労総内に於ける解消論の台頭

 労総は前述の如く党(朝鮮共産党)日本総局及会(高麗共産青年会)日本部に対する第一次検挙竝(ならび)に会日本部に対する第二次検挙に因り多数の幹部を失って混乱に陥り、一時其の運動は不振となったが、昭和四年九月以降残留精鋭分子に依り其の指導部を確立強化し、全協への解消闘争を展開するに至った。

(中略)

 李成百(本名:李成栢。労総幹部であり神奈川県朝鮮労働組合の指導者)は(昭和四年)九月末金斗鎔を勧誘し労総中央部に於て活動せしむる(させる)こととし、十月中旬再び労総関東地方協議会を開催した。

之(これ)に参集した李成百、金斗鎔、李義錫、林澈燮、金秋信、鄭善浩(本名:鄭雄)、薜相烈、李善(本名:李雷)、金経、権一宣、李福祚等が協議した結果、従来の労総は民族解放闘争を基調とした左翼闘争に沈(枕)頭した為(ため)、遂に日本帝国主義の特殊的弾圧を被り運動戦線を撹乱されるに至ったから、労総全国代表者会議を開いて建(たて)直し運動を為(な)さねばならぬとして、十一月全国代表者会議を開催することを決定し、其の準備委員として林澈燮、李福萬、張準錫、鄭善浩、薜相烈を挙げ、更に労総の臨時常任委員に金斗鎔、李義錫、李善(本名:李雷)を選任した。

其の後李成百も即時解消論に賛成するに至ったが、同人、金斗鎔、李義錫、林澈燮、李善(本名:李雷)等の労総中央幹部は屡々(しばしば)会同して協議した結果、労総を解消して全協へ合流する方針を確立し、之(これ)を全国代表者会議に諮ることを定め、其の準備を進むると共に解消の趣旨を徹底せしむる為(ため)、之が理由を説明したパンフレットを発行して労総加盟の各地方組合に配布することとした。

其の起稿を担当した金斗鎔李義錫、鄭禧晃等の意見を参酌して 「在日本朝鮮労働運動は如何に展開すべきか」 と題する原稿を作成し、全協幹部の淺沼某(なにがし)に内示した後、パンフレットとして無産者社より発行し、之(これ)を各地加盟組合へ配布する一方、此等(これら)組合の情勢を調査し且(かつ)解消気運を醸成する為、大阪へ金斗鎔、京都へ林澈燮、名古屋へ朴然、富山へ李義錫、兵庫へ李潤雨を夫々(それぞれ)派遣した。

 右パンフレットに表れた解消理論の要旨は

「従来在日本朝鮮労働総同盟は労働階級独自の闘争を等閑にして朝鮮共産党の指導下に活動し、或は鮮内(朝鮮内)の民族的闘争と結んで労総の革命的組合闘争を妨害し、且(かつ)内地(日本国内)左翼団体(日本共産党) との連絡阻隔した為日本帝国主義の特殊的弾圧に逢(あ)い中心分子を失うに至った。之(これ)明(あきらか)に運動方針の誤謬より来れるものに外(ほか)ならぬ。此の誤謬を清算する為には、従来朝鮮共産党の指導下にあった為特殊的弾圧を加えられたのであるから日本内地に於ては日本共産党の指導下に入るべく、此の支配階級の攻勢に対抗して真に労働階級の利益を擁護獲得すべき途(みち)は全労働階級の共同闘争以外に何物もない。直に在日本朝鮮労働階級の利益を代表し忠実に闘争する為には一切の民族的闘争を放棄し真に左翼労働組合として徹底的権力獲得の闘争を為(な)すべきである。日鮮(日本人と朝鮮人)労働者の労働条件は完全に一致して居(お)り、賃金の差別、民族的差別等の特殊的弾圧は日本労働階級の為(な)すところに非ずして日本帝国主義の所作であるから、此等(これら)差別の撤廃は日本労働階級との協力なくしては実現することが出来ない。然(しか)るに日本に於ける労働階級の階級的擁護権力獲得の闘争を遂行する革命的労働団体は日本労働組合全国協議会であるから之(これ)に合流することが必要である」

と謂(い)うに至った。


第三項 朝鮮人留学生学友会の解消

 東京朝鮮留学生学友会は極左会員の策動に因り昭和五年末日大同窓会の提案に基き其の解体を決議し、昭和六年二月一日附で宣言書を発表したが其の中に於て、同会の歴史的役割を述べ過去の学友会が一の思想運動の残滓性を保持し何等(なんら)階級意識のない有耶無耶(うやむや)の集団であった為(ため)反動的派閥が横行したと批判した後

「我々は現段階に於て如何なる運動でも階級的立場を忘却した運動は真の運動でないと断言する。日韓プロレタリアート(労働者階級)は合流して一定のスローガンの下に東方の資本主義の柱石でソヴェート攻撃の先頭たる日本帝国主義とは猛烈に闘争して居(い)る。斯(か)かる現段階に於て学生運動も××××の一部門たる以上勿論(もちろん)日鮮学生運動も合流して同一なる戦線を取り闘争しなくてはならないのである。我々は斯かる理由の下に断然改良的日和見解党的分子を粉砕すると同時に学生大衆を我等(われら)の日常闘争圏中に獲得せん(する)として学友会の解体を青年学徒の大衆的結力を以て敢行する」

と声明した。

 大阪朝鮮留学生学友会内に於ても同年に入り解消派と反対派との対立が激化し紛糾を極めたが、解消派の

「従来朝鮮人学友会の革命的解放闘争と民族的闘争とを混合し、苦学生の階級的意識を民族共同主義に依り混濁不明にして居たのは明(あきらか)に誤謬であって、革命的解放闘争は階級闘争に依らずしては実現不可能なるのみならず、現在大阪に於ける朝鮮人学生の大半は労働者農民の子弟にして苦学生である。故(ゆえ)に学友会の如き民族共同闘争を目的とする団体を組織することは誤謬であるから速(すみやか)に解体すべきである」

と云(い)う主張に対し、民族派は

民族的差別待遇を離脱するには民族共同の力に依らねばならぬ。極左分子の主張するが如き階級対立を根本思想とする革命的運動には賛し難い」

と反対し、京都朝鮮留学生学友会内にも同様の対立抗争を生じたが、孰(いず)れも之(これ)が解消には至らず一部極左分子の脱退と其の極左運動への進出を見るに止(とど)まった。


第四項 新幹会各支会の解消

 新幹会各支会は前述の如く漸次共産主義系分子に依り実権を掌握され来ったが、東京支会に於ては金東訓の検挙後会勢不振に陥り兎角(とかく)する間に新幹会解体是非の論が台頭し、此の間在京共産主義系主要団体の解消実現を見るに至った為(ため)従来共産主義系に依って指導権を握られて居た同会は存在の意義を失い、昭和六年五月京城(現ソウル)本部の解消に因り六月自然消滅となり、大阪支会は昭和四年末労総が其の解体と全協への加盟決議を為(な)すと共に民族主義運動が労働階級の利益を抹殺しつつあることを宣伝した為(ため)従来大半を占めて居た労働者の会員が漸次脱退し、其の少壮(しょうそう:若くて元気がよいこと、人)幹部は全協入り老年幹部は民族主義運動の進展見込(みこみ)なきを悟って方向転換を為(な)した為(ため)昭和六年五月末以来自然消滅し、京都支会は同年に入り其の中心分子張判官(本名:張泰玄) が脱会して全協指導下に地下運動を為(な)すに至った為(ため)会の統制全く紊(みだ)れ事実上消滅状態に陥った。

名古屋支会は昭和五年愛知県朝鮮労働組合の解消に伴う左翼分子跋扈の影響を受けて会勢著しく沈滞し殆(ほとん)ど其の活動を見ざる(見ない)状態にあったが、昭和六年五月新幹会本部の解消を知るや同月下旬開催の執行委員会に於て委員長李英植外(ほか)九名が解消を決議し、其の後六月後援団体組織協議会を開いたところ階級闘争団体結成を主張するものと民族解放運動指導団体の再組織を唱うるものとの二派に分れ結局後の団体を組織することに決し、準備委員は同声会なる団体を結成することとした。

然るに同志離反の為(ため)立消えとなったので準備委員たりし洪象東は従来の民族解放運動に代え階級闘争に依り政治的進出を期せんとして旧名古屋支会及(および)旧中部地方朝鮮労働組合幹部を糾合し共正会なる団体の結成を策した。


第五項 朝鮮共産党日本総局竝(ならび)に高麗共産青年会日本部の解消

 前述の如く第一次第二次の検挙に因り中枢前衛分子を喪(うしな)った朝鮮人の極左陣営は殆ど潰滅状態に陥り、在日本朝鮮青年同盟労総は遂に解体して内地極左団体(日本共産党およびその補助機関)に合流するに至り、斯かる状況の下にあって党(朝鮮共産党)日本総局及会(高麗共産青年会)日本部は殆ど其の形態を失って仕舞ったかの観があったところ、突如昭和六年十二月二十三日附「赤旗」第六十一号に左の如き解体声明書を発表し、解体は新(あらた)なる闘争への転向であり向後(こうご:今後)日鮮プロレタリア(労働者階級)の凡(あら)ゆる革命的組織の中に自己的任務を見出すべき旨を述べて、前記同盟及労総の解体理論と同様内地の極左組織中に於て日鮮合体の闘争に入ることを明(あきらか)にした。






関連記事
スポンサーサイト