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2015/09/17

中国のためなら死ねる朝鮮人


日本の平和を撹乱するサヨクによって、なかなか安保法案が可決になりません。

日本の安保法案に反対している人々は、中国のためなら死ねるのでしょう。

戦前の朝鮮人テロリストは愛国心からか、虚栄心からか、抗日テロを実行して日本の官憲に逮捕され、処刑されました。

その裏では、朝鮮人テロリストをそそのかした朝鮮の英雄は、国民党や中共からカネをもらって私腹を肥やしていました。

安保法案が可決になっても、ならなくても、安保法案反対デモに参加している人々は、のち中共に粛清されるでしょう。

【日本の官憲に処刑される尹奉吉
ちなみに銃殺。安い日当で雇われたんでしょうね。
尹奉吉処刑写真4

尹奉吉処刑写真3

処刑場のようす。イは尹奉吉、ロは射手の位置。
尹奉吉処刑写真1_2

上の写真の拡大。赤枠内に人らしきものがある。
尹奉吉処刑写真拡大1_2

尹奉吉をそそのかした金九は国民党を通じて、抗日資金をゲット。尹奉吉が対日テロを実行したあとは、2万8000ドルの資金を受け取った。今なら日本共産党か各野党の上層部がピンハネ?kinku_20150917080826c82.jpg

金九(民族主義派)は国民政府(蒋介石)から毎月2000元受け取って、部下に生活費を渡し、李青天(共産主義派)の家族にも毎月大人一人10元、子ども一人5元を渡していた。
在中国鮮人資金_2
【資料出典】1974(昭和49)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「思想情勢視察報告集(其の五) 中華民国に於ける不逞鮮人並に中国共産党の動静」

この国民党の資金の出所は連合国です。米英の金はソ連を仲介して、中国、満州、朝鮮の共産主義者に渡っていました。


中国共産党「われわれと朝鮮人共産主義者は兄弟党ではない」



1928(昭和3)年、朝鮮共産党はあまりにも共産主義を理解できなかったため、コミンテルンにとりつぶされてしまいました。

そのため、党を失った朝鮮人共産主義者は満州や日本で、バラバラに朝鮮共産党再建運動をやったりしていました。

すると、1930(昭和5)年7月、コミンテルンの指令が出ました。

その内容は、満州に居住している朝鮮人共産主義者は中国共産党満州省委員会へ、在日朝鮮人共産主義者は日本共産党へ入党するようにというものでした。

それまで、在満朝鮮人共産主義者は中国共産党を「兄弟党」 と呼んでいたのですが、在満朝鮮人共産主義者を受け入れることになった中国共産党は、次のように宣言しました。

・朝鮮人共産主義者の組織は、国際共産党(コミンテルン)の支部ではなく、単なる共産主義者の集団にすぎない。なので、われわれと兄弟党ではない。

・朝鮮人共産主義者は個人での入党であり、彼らの待遇は党扱いではない、朝鮮人共産主義者を加入させるための地方党部も設置した。

地方党部というのはコレですね。↓ 末端のチマチマしてるとこ。
中国共産党満州省委員会組織系統表

現在、韓国にも北朝鮮にも、コミンテルンに承認された朝鮮人が組織する共産党はありません。日本にもありません。

なので、もし、国会前で安保反対デモや国会内バリケードをやっている人々の中に朝鮮人(韓国人をふくむ)がいたとしても、正式な共産党員ではない上に一個人の活動なので、中共的にはいつでも切ることができるということです。

たとえデモ要員やバリケード要員が日本共産党に入党していたとしても、そこは共産党だからどうにでもできる。

そして万が一、日本国内で赤色テロが起きても、中共がシラばっくれれば全責任は韓国や北朝鮮が負うことになる。アメリカだって、中国とは対立したくないでしょうからね。

日本国内で活動している極左朝鮮人は、中共的には実にオイシイ、使い勝手のいい要員でしかない。

なぜなら、小金や名誉を与えれば属国五千年のDNAが勝手にひれ伏してくれるから。

安保法案が可決になろうが、廃案になろうが、国会内外に湧いている赤色分子は、いずれ粛清されるでしょう。なぜなら中共的には、

日本革命は日本人みずからが望んで、平和的な方法で行われた

のですから。革命の矢面に立つ者が必ず粛清される理由です。

日本には工作員なんていなかったのです。

【今がいちばん輝いている時】
魑魅魍魎@国会2

本記事の資料


中国共産党
「朝鮮には共産党がないのに、なぜ朝鮮人を同等にあつかう必要あるアル?」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010418400:昭和6年8月 内務省警保局 「外事警察報第109号」 満洲に於ける中国共産党(中) 第二 在満朝鮮共産主義者運動 66ページ



(二) 在満各派韓国共産主義者の組織には決定した綱領なく亦(また)国際共産党の支部でないことは事実であり、単に共産主義の集団で党の組織ではない。

故(ゆえ)に中国共産党には其(その)何派を指して兄弟党と云(い)う訳(わけ)には行かずしたがって兄弟党としてこの弁法による待遇が出来ない。

我等(われら)は唯(ただ)入党の弁法としての何派をも区別せず各個人をして加入せしむるため各地に地方党部を設置せしめた。



桜田門爆弾投擲事件の犯人 李奉昌(イ・ボンチャン)は金九の手下


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B13081236900:亜細亜局第二課 「第4編/第3章 不逞鮮人ノ桜田門外大逆事件及上海虹口公園爆弾投擲事件」



第三章 不逞鮮人ノ桜田門外大逆事件及上海虹口公園爆弾投擲事件
第一節 桜田門外大逆事件

一、事件の概要

昭和七年一月八日陸軍始観兵式より還幸の鹵簿(ろぼ)桜田門外に差懸(かか)れる際拝観者中より突如爆弾を投擲せる者あり

右は炸裂せるも幸(さいわい)にして供奉(ぐぶ)車の一部及御警衛者の騎馬を僅かに傷(きずつ)けたるのみにして陛下には無事還御(かんぎょ)あらせられ不敬犯人は直(ただち)に逮捕せられてるが右は原籍朝鮮京城府新錦街一一八李奉昌なるものにして数年前より日本内地を流浪の末昭和六年中より上海に居住同年末本邦に再渡来し窃(ひそか)に機を窺(うかが)いたるものにして取調の結果同人は在上海韓国仮政府財務部長、大韓僑民団長金九の使嗾(しそう:そそのかすこと)に基き不敬行動を敢行せるものなること判明せり。



上海虹口公園爆弾投擲事件の犯人 尹奉吉(ユ・ポンギル)も金九の手下


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B13081236900:亜細亜局第二課 「第4編/第3章 不逞鮮人ノ桜田門外大逆事件及上海虹口公園爆弾投擲事件」



第二節 上海虹口公園爆弾投擲事件

一、事件の概要

昭和七年四月二十九日天長節当日上海に於ては我(わが)覇権軍観兵式直後午前十一時二十分頃より同地居留民団主催の下に虹口公園に於て祝賀式を催したるが右開式中予(かね)て式場に潜入し居(お)りたる朝鮮人李奉昌なる者突然式壇背後より携行ける水筒内に装置せる爆弾を式壇上に投擲炸裂せしめたるが之(これ)が為(ため)恰(あたか)も壇上に居並びたる白川軍司令官、植田第九師団長、野村第三艦隊司令官、重光公使、村井総領事及(および)河端民団行政委員長等は何れも重傷を負い之(これ)が為(ため)白川司令官及河端委員長をして遂に死に至らしめたるが其(その)他附近に在りたる会衆中にも負傷せるもの二三あり

犯人李奉昌は即時警戒中の憲兵、警察官等の手に依り逮捕 憲兵隊に収監せられたり 取調の結果軍法会議に附せられ即決を以て死刑を宣告せられたり

(中略)

同人は上海渡来直後仏国租界内大韓僑民団を訪(おとな)い団長金九及幹事金東宇に面会し韓国独立党に加盟し爾来絶えず同所に出入中本年四月中旬金九より今回の兇行に関する教唆を受け以後数次の会見に依り兇行の方法日時場所、爆弾使用方法等を教示せられ愈々(いよいよ)其(その)実行の日を天長節当日と定め準備を進め同日朝金九より爆弾二個を受取り虹口公園に於て前記の兇行を敢行せるものなり



出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C01002894900:昭和7年8月~昭和8年8月 陸軍省 「尹奉吉刑執行の件」

※上掲の写真も同じ。


憲高秘第一四〇八号
 外事情報

(金九一派の最近の行動)

(前略)

三、爆弾事件後金九一派竝(ならびに)李裕弼一派の受領金額は約二万八千弗(ドル)と称せられ 内一万五千円は遁避地官憲の買収に使用せられてるものの如く 又(また)近く「バス」罷業団後援の為(た)め相当の金額提出の予定なるが如し 


尹奉吉死刑執行顛末報告
 朝鮮忠清南道 ■■■■■■■■■
           尹奉吉
           明治四十一年五月十九日生
(前略)

六、同日午前七時十五分犯人は看守長及(および)看守二名、憲兵三名護衛の下に刑場に到着したるを以て検察官は直に医官をして健康診断を行わしめ 犯人の身心共に異状なきを確め 犯人尹奉吉に対し 本年五月二十五日上海派遣軍軍法会議に於て殺人、同未遂、傷害、爆発物取締罰則五違反罪に依り言渡されたる死刑の執行を為(な)す旨を告げ 尚(なお)遺言の有無を訊ねたるに 死刑は予(かね)て覚悟なれば此期(このご)に臨み何等(なんら)言うべきことなき旨を申立てたり 

因(よっ)て目隠しを為(な)し刑架前の筵(むしろ)上に犯人を正座せしめ看守をして身体両手を刑架に緊縛せしめ同七時二十七分射手に射撃を命ず



オマケ:
不敬事件を画策した死刑囚 朴烈(朴準植)は金元鳳から爆弾を受け取った


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A03023590900:大正10年3月25日 司法省刑事局 「朴烈事朴準植及金子文子ニ係ル被害事件ニ付判決報告ノ件」



朴烈事(こと)朴準植及金子文子に係る刑法第七十三条の罪竝(ならび)に爆発物取締罰則違反事件に付本日大審院に於て別紙の通(とおり)判決相成候(あいなりそうろう)旨大審院長より報告有之(これあり)候此段(このだん)及報告候也
(前略)

主 文

被告朴準植及金子文子を各死刑に処す 訴訟費用は全部被告両名の連体負担とす

(中略)

又(また)証人金翰の訊問調書に大正十一年十一月頃日本政府に反抗する目的を以て組織されたる暴力団体義烈団金元鳳と呼応し朝鮮に爆弾の輸入を画策し 当時其(そ)の数個既に安東県に到着し居(お)り 数日を出ずして入手する手筈(てはず)なりし(後略)

【管理人註】朴烈は終戦後、釈放された。




【資料出典】1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「思想情勢視察報告集(其の四) 満洲に於ける共産主義運動」


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