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2015/09/09

売春婦は中国発祥だった


中国が 世界記憶遺産に申請した「従軍慰安婦」と「南京大虐殺」の審査が、来月始まるそうですね。

中国では紀元前648年の東周時代に、もう売春婦がいたそうですよ。

中国は売春婦発祥の地なので、「捏造従軍慰安婦」よりも売春婦発祥の方を申請すればいいのにと思います。


【戦前中国の売春婦番付】
中国売春北京妓楼1

【戦前日本の娼妓(公娼)番付】
中国売春_日本遊廓目録2

中国売春婦の歴史



中国四千年、最近は五千年と言い始めていますが、中国の「萬物原始」という書物に「神話伝説時代である三皇時代にはすでに売春婦がいた」と記されているそうです。

でもそれではあまりにもバカバカしくて信用できないので、日本人が調べたところ、 正史「戦国策」に東周の襄王の時には売春婦がいて遊廓もあったと記録されていたそうです。

かつて中国では、二十五家を一区としてその周りを南京のように門で囲ったものを一閭(りょ)という単位で示していました。

紀元前648年東周襄王の時代、遊女を集めるために菅仲という人物が「女閭を三百設けた」のだそうです。なので、300×25=7500軒の遊廓が設けられ、それに見合うだけの売春婦がいたということになります。

しかし当時は、これらの遊廓は帝王のものであり、売春婦たちも「女楽」と呼ばれ、春を売るだけでなく音楽をかなで、時には客の夜とぎもしたそうです。

一方、日本初の売春婦は奈良朝時代の遊行(ゆぎょう)女とされています。しかし、確かなものとなると平安時代の白拍子(しらびょうし)なので、それを中国と比較すると

 ・中国の売春婦発生 → 紀元前648年

 ・日本の売春婦発生 → 西暦1115年

  648+1115=1763


中国の売春婦は日本より1763年も早く出現していたことになります。この事実は世界最速ぶっちぎりの1位です。断然、この史実の方が世界記憶遺産向けです。

そして中国五千年の間、売春婦は政治に利用されたりしながら現代まで続いてきました。そんな売春婦大国中国さまに向かって日本軍が何をできたでしょう?

中国では売春宿が発達、蔓延していたので、それに比例して性病も蔓延していました。そういう国の女性を手あたり次第に強制連行するのは軍の自殺行為にほかなりません。

日本政府は歯がみばかりしてないで、中国から伝来した売春文化を世界記憶遺産に登録申請すればいいと思います。上に貼った娼妓番付とか。

では、しばらく、戦前中国の中国人売春婦をごらんください。なお、日本軍は中国の性病は猛悪であるため、中国人との接触は一切禁止されていました。

戦前中国人売春婦ギャラリー "いい子いるアルヨ"


【蔡鍔と艶名をうたわれた名妓-陝西巷迎仙館の小鳳仙】
中国売春名妓1

【四海班の李雙鳳】
班は一等売春婦を置く遊廓のこと。
中国売春北班芸妓2

【復和班の小鳳仙】
中国売春北班芸妓3

【松林閣の劉玉寳】
中国売春北班芸妓4

【大森里の劉喜琴】
中国売春北班芸妓5

【鳳翔院の一枝花】
中国売春南班芸妓1

【貴連班の愛第】
中国売春南班芸妓2

【雙泉班の小凌波】
中国売春南班芸妓3

【大森里の蘭英】
中国売春南班芸妓4

【蕊香茶室の銀寳】
茶室は二等売春宿のこと。
中国売春茶室妓女1

【艶芳茶室の玉寳】
中国売春茶室妓女3

【桂喜茶室の紅寳】
中国売春茶室妓女2

【雲舫楼の金花】
中国売春茶室妓女4

【連魁茶室の金萃】
中国売春茶室妓女5

【温柔郷の金玉】
中国売春茶室妓女6

【茶室の妓女(秀蘭)と雛妓】
中国売春茶室妓女7

【高級売春婦を置く清吟小班(日本の置屋にあたる)】
中国売春清吟小館1

【局票または局条】
妓女(遊女)と遊びたい時に妓女の妓名、班名、料理屋の屋号、客自身の姓名を書いて料理屋の夥計という係に渡すと、指名した妓女が来る。班名とは日本の遊廓名と同じ。
中国売春局票1

中国売春局票2

中国売春局票3

中国売春局票4


【衛生観念ゼロ大国の中国さま】

記憶遺産申請の「南京」「慰安婦」来月審査
2015年9月8日 infoseek NEWS(産経ニュース)

  中国国内の公文書館などが保管する「慰安婦関連資料」と「南京大虐殺文書」が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の記憶遺産に登録される可能性が出ている。来月上旬に開かれる国際諮問委員会(IAC)で登録の可否が決まる見通しだ。保守系の民間団体は、登録が認められれば「虚構の歴史を事実であるかのように世界的に定着させる一助になりかねない」と危機感を強めており、日本政府に対し、登録阻止に向けて早急にユネスコに働きかけるよう求めている。(後略)




本記事の資料


(  )内は管理人による注釈です。
売笑とは売春のことです。


出典:1923(大正12)年 支那風物研究会 中野江漢 「支那の売笑」



二、支那売笑史

(イ) 支那売笑婦の起原

 支那に於ける売笑婦の起原に就(つ)いては、萬物原始〔(私は未だ此(この)書を見たことはないが記問選言その他に引用してある〕「洪涯妓三皇時人、倡家托始」とあるそうだから、三皇時代に已(すで)に売笑婦が存在していたものと解釈し得るが、何しろ、三皇時代といえば伝説的人物の世で、荒唐無稽の説が多く、他に考証すべきものがないので、信を措(お)くに足らぬのである。

 正史に現われて居(い)る記録を見ると、支那の売笑婦は、東周の襄王の時に始って居るといわねばならぬ、戦国策に「齋桓公宮中女一女閭(りょ)三百」とあり、齋書に「管仲設女閭三百」とある。彼(か)の有名なる管仲が、齋の国(今の山東省の一部)の宰相をしていた時に、諸国から入込む旅商の為(た)めに、女閭三百を設けた。

閭とは、周礼に「五家為比、五比為閭」とあるから、一閭は二十五家である、そうすると非常な数になるが、「二十五家を里となし、其〔その〕門を閭という(周代の制度で家を一区としてそのまわりを取り巻いている門)」ともあるから、三百軒であったろうと思われる。壹是紀始に「娼始於齋」と云(い)える如く、それが抑々(そもそも)、支那に於ける売笑婦の濫觴(らんしょう:ものごとの起源、始まり)である。

 女閭の制は一定していた、「三瓦両舎」というから微々たる設備であったろうが、一つの遊廓〔附記参照〕には相違なかった。兎(と)に角(かく)、最初から一定の場所に、売笑婦を集めた点は、遉に齋の桓公をたすけて天下に覇たらしめた賢相〔政の罪人ともいうものあり附記参照〕である、西洋も日本も、此(この)制度を執ったのは後代のことに属する。

〔附記〕
(一)支那では、昔遊廓のことを「瓦舎」とも称した、この女閭の制から転じて来たものに相違ない。瓦舎とは、「その来る時に瓦合し、その去る時に瓦解する、即ち聚(あつ)め易く散し易い義である」(夢梁録)というから、遊娼(ゆうしょう:私娼)の仮住居である。宋代の都(今の河南省開封府)や杭城紹興の閭には盛んに「瓦舎」が設けられたという。(後略)

(二)(省略)


(ロ) 妓女の前身は宮中の女衆

 女閭の売笑婦を「女楽」といった。釈名に「妓女楽也」とあるから、当時の女楽は楽を奏し、時には客の枕席に侍して、恰(あたか)も今の芸妓と同様であったに相違ない。

女楽は遠く、夏の時代から有った、事物起原に「女楽、自周末皆有、而桀為之始」とある、これは列女伝に「夏桀、既棄礼儀、淫於婦人、求四方美女、積之後宮、作爛漫之楽」とあるのに本(もとづ)いたものである。

史記殷本紀に「使師涓作新淫聲、北里之舞、靡靡之楽」とあるから夏の後を受けた殷代にも女楽が盛んであったことが解る。要するに女楽は最初は帝王が之(これ)を楽(たのし)んだに過ぎず、一般には用いられてなかった。詩経に「窃窕叔女、鐘鼓楽之」とあり、隋の高祖が、「自古天子有女楽乎」と、羣臣に問うた時、臣の暉遠が「王者房中之楽」と答えたのをみても王者の独占だったことが解る。管仲以後一般的になったと思われる。 


(ハ) 世界に於ける芸妓の元祖

 女閭を設けた齋の桓公の時は、西暦紀元前六百四十八年〔管仲が齋に●された年〕頃であるから、今より二千五百七十一年前〔大正十二年より起算し〕に当る。そうすると、(ここ)に当然起るべきは「世界に於ける芸妓の元祖争い」である。

世の学者は、アゼンス(古代ギリシャ)のコンパニオンを以て世界に於ける芸妓の嚆矢として居る。コンパニオンとは伴侶の意で、古い時代アゼンスの男子は、美しくて歌、音楽ができ、其(その)他学問に暁通した交友として此(この)種の女を愛した。

アゼンスの支配者で西洋史上に名高い、彼(か)のペリクレスが寵愛したアスパシヤは此(この)コンパニオンの一人であった。ペリクレスがアゼンスの全権を握ったのが、紀元前四百四十四年で、我国の人皇五代孝昭天皇の三十二年である、今年〔大正十二年〕より二千三百六十七年前となる。

そうすると、齋の桓公の時よりも約二百年ばかりの相違がある。支那の方が先鞭を着けて居る。

 試(ためし)に日本を観(み)ると、日本の遊女は、奈良朝時代に、海岸筋の泊り泊りを遊行(ゆぎょう)し、そこを通る官人の召しに応じて、旅情を慰めていた「遊行女」を以て、芸妓の祖先と見做(な)すことが出来る。そうすると今から千五百年である。

併(しか)し厳格に詮議することになると、人皇七十四台の鳥羽帝の頃に、歌舞を以て立った「白拍子(しらびょうし)」を、日本芸妓の祖先とするのが至当である。

「白拍子」は、鳥羽天皇永久三年島千歳、若の前の女舞を以て始めとする、当時は紀元千五百十五年、今より八百八年であるから、遠く支那に及ばぬのである。

斯(こ)う詮議して来ると、妓女は世界に於て支那が一番古い歴史を持って居る訳となる。支那の売笑婦は斯(かく)の如き名誉ある歴史を以て出発して居る。


【管理人注】
・●は耳へんにそう叟




【写真出典】
1928(昭和3)年 史誌出版社 道家斉一郎 「売春婦論考:売笑の沿革と現状」
1923(大正12)年 支那風物研究会 中野江漢 「支那の売笑」



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