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2015/08/25

排日演劇のストーリーが歴史的事実になる朝鮮半島


北朝鮮が、日韓併合は日本の特大型国家テロ行為だと言っています。

朝鮮中央通信によると、朝鮮の歴史的事実は、日本が軍事力をもって旧韓国(大韓帝国)皇帝を幽閉し、脅迫して日韓併合条約がなされたのだそうです。

このトンデモ日韓併合ストーリーですが、どこかで見たと思ったら、戦前極左朝鮮人が演じていた排日演劇のストーリーでした。

演劇のストーリーが「歴史的事実」になってしまう朝鮮半島って、スゴくないですか?


日本が朝鮮半島を併合した原因は、

韓国皇帝が西洋列国に日本をおとしめる内容の密書を送ったり、ハーグに密使を送って日本の顔に泥をぬったこと

思い込みでアメリカ人を殺害したこと

・韓国がアジアにもたらした日露戦争の真っ最中に韓国皇帝がロシア皇帝に「皇太子ご誕生おめでとう」メッセージを送っていたこと

・韓国民一万人が日韓併合を希望する署名を送ってきたこと

・韓国自力では自国防衛をなし得なかったこと

などの問題が重なったからです。

日韓併合に至ったその原因のほとんどが、韓国にありました。

【ほぼ同時期の旧韓国と日本】
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伊藤博文が李王世子を拉致し、寺内総督が軍事力で旧韓国皇帝を脅迫したというトンデモ日韓併合ストーリー



戦前、極左朝鮮人は同胞の反日意識を高めるため、演劇や印刷物を利用していました。

もちろん、それらの内容は中華思想による日本人蔑視と共産主義による資本主義・軍国主義排撃に満ちていました。

1921(大正10)年、満州の吉林省で「狐狸夢酔醒爆裂弾」という排日演劇が、極左同胞によって上演されました。

そのストーリーは、


・日韓併合をなしとげるため、日本の伊藤博文統監は李王世子を拉致して日本に連れ去った。

【伊藤博文統監】
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【東京赤坂御殿で優雅にお暮らしだった李王垠殿下】
李王垠1

・そして明治43年7月、日本は韓国皇帝に日韓併合を申し込んだが、韓国皇帝は日韓併合を望まなかったため返事をしなかった。

・すると日本は 『日韓併合に応じなければ、日本で養育中の李王世子を虐殺するぞ』 と韓国皇帝を脅迫した。

寺内総督は剣を持った軍人に宮廷を包囲させ、韓国皇帝を引きずり出して、涙にむせぶ韓国皇帝の手をつかみ、むりやり「日韓併合条約」の詔書に調印させた。そしてまた、韓国皇帝を幽閉した。

【日本が包囲したとされる昌徳宮】
昌徳宮1

・日韓併合が成就したのち、日本は韓国皇帝を生かしておくのは今後の政策上よくないと判断し、お付きの女官をそそのかして皇帝を毒殺させた。

・その後、罪の意識にさいなまれた女官は自らも毒をあおって死んでしまった。

・これらの悲劇を聞いた朝鮮二千万同胞は、日本からの独立を叫んで憤起したのである。



朝鮮半島は日韓併合を「日本が軍事占領した!」と国内外に宣伝していますが、イギリスとロシアは朝鮮が日本の保護領になったことを承認しています。

さらに日本は、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、スペイン、ギリシャ、メキシコ、ノルウェー、オランダ、ペルー、ポルトガル、シャム(タイ)、スウェーデン、スイスという14ヶ国に韓国併合を宣言し、異論も出ませんでした。

そもそも、西洋列国のアジア植民地化政策に反抗した日本が、西洋列国と同じようにアジアを侵略したりするはずがありません。

現在、中国の抗日勝利70周年記念式典に世界各国が「中国と韓国が日本に勝利したんだってよw」といった嘲笑を浴びせていますが、イザとなったら真実の歴史が勝つのです。


【日本人は独立を愛好し、朝鮮人は日本以外の大国属領を愛好する】

【北朝鮮】朝鮮侵略を狙った日本の特大型国家テロ行為 誠実に認めて謝罪、賠償する代わりに再侵略野望に浮かれている
2015年8月23日 2NN

 【平壌8月22日発朝鮮中央通信】日帝の侵略史には白昼強盗さながらで、不法的な方法で「日韓併合条約」(1910年8月22日)をねつ造して朝鮮を自分らの完全な植民地に作った罪悪も記録されている。

 「乙巳5条約」と「丁未7条約」を通じて朝鮮の外交権と内政権を強奪した日帝は、形式上にのみ残っていた朝鮮の国家実体まで永遠になくしてしまうために、国際条約締結の初歩的な原則と規範さえ乱暴に蹂躙(じゅうりん)してこの「条約」を作り上げた。

 日帝は「併合」を前後にしていた時期、朝鮮封建政府を軍事的に屈服させて自分らの野望をスムーズに実行する目的の下で、数多くの侵略軍をソウル一帯の主要地点に配置して境界態勢を強めた。

 「条約」ねつ造の場所に指定したソウル一帯に2600人余りの侵略軍を集結させておいた。

 高宗がいた徳寿宮と純宗皇帝がいた昌徳宮を幾重も包囲して皇室と皇宮に出入りしていた官吏を威嚇、恐喝した。

 8月に入り、ソウル市内は完全な戒厳状態にあった。

 22日、日帝は親日売国逆賊と結託して純宗皇帝から「全権委任状」に対する批准を強制的に受けて「日韓併合条約」をねつ造した。

 この歴史的事実は、この「条約」が条約締結に関する国際法的要求を完全に無視した不法、不法の虚偽文書であることを ことごとく告発している。

 1926年4月、純宗皇帝は臨終直前にした遺詔(一種の遺書)で「過去の『韓日併合』認准は強隣(日帝を指す)が逆臣の群れ(李完用をはじめとする親日売国奴)と共に自分勝手にして自分勝手に宣布したものでわたしがしたことではない」「『条約締結』当時、日帝はわたしを幽閉して脅迫した」と暴露した。

 実際に、1910年に公布された「併合」を知らせる純種皇帝の「勅諭文」には皇帝の署名や国璽捺印は跡形もない。

 これは、「日韓併合」が「純宗皇帝の承認を経て合法的になされた」という日本の主張がどんなに破廉恥なうそであり、 途方もない詭(き)弁であるのかを実証している。

 「日韓併合条約」は、日帝が武力と強権を総発動して朝鮮人民に強行した特大型国権強奪行為であったし、国家テロの極致であった。

 日帝の白昼強盗さながらの朝鮮併呑策動と過酷な植民地ファッショ支配によって、朝鮮民族は40余年間、計り知れない不幸と苦痛、犠牲を強要された。

 しかし、日本の反動層は朝鮮民族に働いた特大型の犯罪行為に対して誠実に認めて謝罪、賠償する代わりに、そのすべてをあくまでも否定、わい曲しており、むしろ再侵略野望に浮かれている。

URL:http://www.kcna.kp/kcna.user.article.retrieveNewsViewInfoList.kcmsf



本記事の資料


朝鮮半島捏造歴史の根源-排日演劇


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C06031138500:1921(大正10)年5月16日 朝鮮軍参謀部 「密第33号其154 国外情報 不逞鮮人の排日演劇に関する件」



大正十年五月十六日 高警第一五三九〇号
国外情報

●不逞鮮人の排日演劇に関する件

支那輯安県祥和堡石灰溝(鴨緑得岸より二里半の奥地)移住鮮人宋碩周方に七名の不逞鮮人来到し四月二十日「狐狸夢酔醒爆裂弾」と題する芸題にて左記内容の排日劇を演じ不穏思想の宣伝を行いたりと云(い)う

一、狐狸夢とは日韓併合に関し調印の処(ところ)にして伊藤統監は李王世子殿下を日本に拉去し 次(つい)で明治四十三年七月韓国皇帝に対し日韓併合の議を申込みたるが李太王陛下は之(これ)に同意の意志毫頭(ごうとう:すこしも)なき為(ため)何等(なんら)回答せざりしが之(これ)に応ぜざれば日本に養育中の李王世子殿下を虐殺すべしと脅迫し遂に寺内前総督は着剣する軍人を陛下の周囲に差向け 陛下を曳(引)出し涙に咽(むせ)び給(たま)う陛下の手を掴(つか)み無理に調印し 以て日韓併合成立を一般に発表し 陛下の監守を厳重にし一歩も外に出さざりしところなり

一、酔醒とは爾来陛下は鬱々として常に曇り勝ちに月日を涙と共に暮され 倭(日本)政府に於ては之(これ)を何時(いつ)迄も生存せしめ置くは政策上面白からずとて遂に添女官に命じ毒薬を以て悲惨最後を遂げしめたるなり 而(しか)して(そして)女官は良心の苛(呵)責に堪(た)え兼ね自己も又其(そ)の毒薬を以て自殺する処にして 之(これ)が為に二千万同胞は一時に酔醒内外共に憤起騒ぎ立つる処なり

一、爆裂弾とは併合以来十年間の狐狸夢は一時に覚醒し二千万の同胞一斉に憤起する所にして 即ち爆裂弾一時に破裂し熱血を注ぎ芽出度(めでたく)独立の目的を達し 晴天朗なる月日を送る事を得るに至りたる処なり

【資料画像】
不逞鮮人の排日演劇1


日韓併合は英国、ロシア両政府が承認した
韓国皇帝に一万余名の連署とともに日韓併合の上奏書を奉呈した一進会長李容九


出典:1931(昭和6)年 明治図書 大久保馨 「私の国史教育指導:教材精説 高2」 第五十四 韓国併合



日露開戦以来の日露関係  簡単に明治初年以来日清戦争直後迄の日韓関係を復習しつつ、日露開戦以後の日韓関係、即ち明治三十七年二月に締結された日韓議定書の精神より説き起し、同年八月締結した韓国の外務及び外交の顧問に関する日韓協約、続いて通信機関の委托(託)(三十八年四月)我が国の船舶が韓国の沿海及び内海を航行し得ること(三十八年八月)を知らしめ、更に三十八年八月調印の日英同盟新条約第三条即ち(日本国は韓国に於て政治上、軍事上及経済上の卓絶なる利益を有するを以て、大不列顛(グレートブリテン)国は日本国が該利益を擁護増進せんが為、正当且必要と認むる指導、監理及保護の措置を韓国に於て執るの権利を承認す。但し該措置は常に列国の商工業に対する機会均等主義に反せざることを約す)同年九月調印の日露講和条約第二条即ち(露西亜帝国政府は日本国が韓国に於て、政治上、軍事上及経済上の卓絶なる利益を有することを承認し、日本政府が韓国に於て必要と認むる指導、保護及監理の措置を執るに当り、之(これ)を阻礙(碍)し、又は之に干渉せざることを約す)によって英、露両国共に我が国が韓国の指導保護に当ることを承認した事等に就(つい)て云(い)って置きたい。 

(中略)

韓国併合  かくて韓国の政治もおいおいに改まって来る様になったが、多年の弊政は容易に改め難く民心尚安からざるを以て、国利民福を進めんには、日韓両国を合するの外(ほか)なき事が次第に明かになって来、韓人一進会長李容九の如きは会員一万余名の連署を以て日韓併合の上奏書を皇帝に奉り、尚之(これ)に関する請願書を統監府に差し出す様になって来、遂に機熟し、明治四十三年八月日韓併合を見るに至ったことを説き、この際明治天皇がお下しになられた詔書を熟読してその聖旨を児童に伝えなければならない。 



日本が日韓併合を宣言した14ヶ国


出典:1911(明治44)年 有楽社 「日本之朝鮮」



〇韓国併合に関する宣言

帝国政府は又(また)亜爾然丁(アルゼンチン)国、伯刺西爾(ブラジル)国、智利(チリ)国、格倫比亜(コロンビア)国、西班牙(スペイン)国、希臘(ギリシャ)国、墨西哥(メキシコ)国、諾威(ノルウェー)国、和蘭(オランダ)国、秘露(ペルー)国、葡萄牙(ポルトガル)国、暹羅(シャム=タイ)国、瑞典(スウェーデン)国、瑞西(スイス)国の各政府に対し左の宣言を為(な)したり

 明治四十三年八月二十二日 日本国と韓国との間に締結せられたる条約に依り韓国は日本国に併合せられ本日より日本帝国の一部を成すこととなれり 爾今日本国と列国との現行条約は其の適用し得る限(かぎり)朝鮮に適用せらるべく該現行条約を有する列国の臣民又は人民は朝鮮に於て事情の許す限日本内地に於けると同一の権利及(および)特典を享有すべし
 



【写真出典】
1910(明治43)年 統監府 「韓国写真帖」
1928(昭和3)年 実業之日本社 増田義一編 「金枝玉葉帖:御大典記念」
1928(昭和3)年 青柳綱太郎 「総督政治史論」



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