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2016/10/31

TPPアメリカ「日本は満州から出て行け」|アメリカの世界政策


TPP国会承認を求める議案と関連法案が来月中にも採決される模様です。

1940(明治43)年、日露戦争の戦費を請け負ったヤコブ・シフは在ニューヨーク日本総領事に

「日露戦争の戦費を貸したのはアメリカだから日本はアメリカに満州をよこせ」

と迫りました。

当然、日本はヤコブ・シフの脅迫を断りました。すると米英の資本家が満州に進出してきて、アメリカ製以外の製品を満州から駆逐する勢いとなりました。

その後、日本はアメリカに戦争をしかけられ、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦で得た権益、領土をすべて強奪されました。

アメリカの戦争目的は「世界制覇=アメリカによる世界支配」だったので、アメリカは世界中の富いわゆる金、銀、石油その他の地下資源はアメリカの支配下にあるべきと考えていたのです。

当時から富有国だったアメリカは日本に対し経済封鎖という卑劣な手を打ちましたが、日本は座して死を待つことはせず、おなじ死ぬなら敵も道連れと、アメリカに挑みかかっていきました。

それが情けないことに現在の日本政府はどうでしょう? 英霊が守りとおした日本の国富、土地、資源、日本人の生命までもアメリカに解放しようとしているのです。


【ヤコブ・シフ(ジェイコブ・シッフ)】
ヤコブ(ジェイコブ)・シフ(シッフ)1


【特攻-死なばもろとも】
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【当時の日本国民から国際金融資本へのお返事】
「米英仏の野郎共(ども)何をぬかすか。来たら一泡吹かせてやるぞ。満洲はおいらの父(とっ)つあん兄(あん)ちゃんが血を流したところだ。米英仏の奴等(やつら)に勝手にさせてたまるか」。
週報第412号満州1【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A06031056900:昭和19年9月13日 内閣|情報局 「週報 第412号」


武力を持たない外交は児戯にすぎず

「TPPは中国包囲網である戦時経済ブロックだ」とする説もありますが、アメリカも中国共産党も、国際金融資本というヤマタノオロチの頭の一つにすぎないので、説得力はありません。

中国が悪玉、アメリカが善玉役の寸劇を演じているだけのように見えます。

中国が日本から沖縄や尖閣諸島を強奪したいのは、「そこに資源があるから」であり、世界の王になりたい者がつぶしたいのは世界最古の皇室であり、日本国です。

100年以上国際金融資本の下僕を務めているキキワケのよい中国共産党ではありません。


TPP「慎重審議を」66% 内閣支持率は微減、共同通信調査
2016年10月30日 共同通信

 共同通信社が29、30両日実施した全国電話世論調査によると、環太平洋連携協定(TPP)の承認案と関連法案について「今国会にこだわらず慎重に審議するべきだ」との回答は66.5%だった。南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊の部隊に、安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」の任務を付与することには57.4%が「反対」と答えた。

 TPPでは、前回9月の73.2%より6.7ポイント減ったが、依然として慎重審議を求める声が強いことが浮き彫りになった形。

 内閣支持率は53.9%で、前回の55.7%から微減となった。


【もう靖国神社には行かないでね】
安倍総理アメリカ議会演説1

米英資本の満州進出

戦後日本人は、満州は日本が侵略して植民地支配していたかのように信じこまされてきました。

しかし、事実は思想的にはソ連、中共の共産勢力が侵入し、米英資本も進出していました。

当然、ソ連、中共は「米英資本の満州侵略」は一切批判せず、

「満州は中国の領土だ!日本帝国主義は侵略をやめろー!」

という日本攻撃に明け暮れました。

これが国際金融資本の工作員である共産党の本質です。

最近、サヨクやサヨクがかった人たちが「日本人は歴史修正主義者だ」と侮辱します。

ならばこう言いましょう。

日本が戦争をした理由は、現在のような日本になることを防止するためだったのです。思想的には共産主義者が入りこみ、経済はアメリカに牛耳られる。日本が戦争に負けたから侵略者がこの日本を好きにしているのとちがいますか?

いまのこの日本こそが、英霊や先人たちが血を流してでも防ぎたかった日本なのです。

※(  )内は管理人による注釈です。
1924(大正13)年6月13日 遼東新聞
アメリカ政府が満州経済調査期間を設置して、さらに増強、満州からアメリカ製品以外を駆逐する勢いとなる

アメリカは関東大震災で日本が弱っているときに満州侵略を強化しました。

地震や台風を利用して外国に侵入する、いかにもアメリカらしいやり方です。


英米資本満州進出2
極東米国領事呼応して満洲進出を策す

奉天総領事館に於て満洲経済調査機関を設置して大々的に満蒙の経済状態を調査し満洲米国間の貿易の促進向上を計画し既に満洲事情に精通せる日本人を聘用して各方面の調査に着手せるは既報の如くなるも仄聞(そくぶん)する所によれば米国政府は更に訓令して在満米国領事を協同せしめて該機関の活動を力強きものとし今後経済上の大勢力を満洲に伸張せんとするものゝ如く横浜青島駐在領事をして人選せしめこれ等総て領事館員として日支人より採用するにあるといふ既に米国輸入の鉄道器具機械商棉糸布石油および麦粉等に関する調査を遂げ米国製品以外のものは満洲より駆逐せん勢ひをなせるが支那側は該施設に対し非常に危惧の念を懐(いだ)き奉天官変辺にては之(これ)に関する拒止善後策を講じつつありと

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B11090821000:外務省 「15.米国ノ満州進出政策」 1924(大正13)年6月13日 遼東新聞



1924(大正13)年 外務省
「英米資本家が北満州に一大運輸会社を設立か」


英米資本満州進出3

北満運輸会社ヲ設立セントスル密報

哈爾賓(ハルビン)在住ノ英米両国資本家ノ多数ガ支那人莫序三等十余人ト連絡シ「ブリスタン」ニ一大運輸会社ヲ設立セントスルノ議アリ 其ノ資本三千万元ト称ス本会社ハ南北満洲ノ穀物ヲ吸収シ浦塩斯徳(ウラジオストック)ニ輪送スルヲ目的トナス 本件ハ一箇月以前ニ其ノ端ヲ発シタルモノナルモ資本ノ募集意ノ如クナラズ中途頓挫シタルモ此ノ頃両国ノ有力商人間ニ再ビ此(コ)ノ議ヲナスモノアリ 莫等十余人之(コレ)ニ賛成シテ曰(イワ)ク此ノ事成就セハ相当利益ヲ得ベク東支鉄道ノ収入モ増加スベシト云(イ)フモ事体重大ナルヲ以テ果シテ事実トシテ現ハルルヤ否ヤ今俄(ニワ)カニ断案ヲ下シ難シ 姑(シバラ)ク誌(シル)シテ後報ヲ俟(マ)ツ

【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B10074103500:大正13年4月28日 外務省 「91.北満運輸会社ヲ設立セントスル密報(英米両国資本家)」



1934(昭和9)年 神戸又新日報
米英保険業、金融業、貿易業関係者が続々満州へ

満州国建国後も米英資本の入満は続きました。この米英資本による満州乗っ取りを容易にしたのは「3年住めば外国人にも満州国民とおなじ権利を与える」とした満州国人権保障条例です。

現在の日本も外国人受け入れに熱心ですが、TPPを締結すれば今度は日本本土をアメリカとその同盟国に強奪されてしまうでしょう。


英米資本満州進出1
英米資本が続々満洲へ 各種企業の調査員すでに四十名入国

奉天発三十一日産業部着電

駐奉英米両国領事館では本国企業家の満洲進出を企図し、旺(さか)んに本国に向け事業の紹介をしていたが保険業、金融業者或いは貿易業者らの来満するもの日に増加し、なお該領事館の手を経て満洲国官憲より護照(ごしょう:旅券=パスポートのこと)の発給をうけ、各種企業の調査したもの本年に入って英国人二十一名、米国人十九名の多数に達している、これらは何れも本国では知名の実業家で中でも保険業に着目しているものが多数あると

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 満州(1-009) 神戸又新日報 1934.2.1(昭和9)



1933(昭和8)年 京城日報
満州に進出していたのは国際金融資本の隠れみのだった英、米、仏、独、ソの企業

満州では西側諸国である英、米、仏、ドイツと東側ソ連の企業がなかよく、日本の権益を侵略していました。

西側諸国の面々は中国を食い物にしていた国々とおなじです。

共産主義は人権だの平等だのと美辞麗句をならべたてますが、その本質は非ユダヤ人の国をつぶすための思想です。


英米資本満州進出4

満洲国に於ける欧米資本争覇戦 (上) 高林義行

満洲に於ける英国人の活動を代表せる奉天英商の営業状態を見るに事変以後依然振わざるもの多く、殊に英商中各種機械類、鋼、鉄類、汽車、自動車等を取扱うものは従来旧軍閥と特殊関係を結んでいたため、軍閥の崩壊は之等英商に大打撃を与え売掛金の回収さえ目下の所見込なき状態である、然し昭和七年十月以後は奉山、瀋海両鉄路局よりの注文より稍々活況を呈するに至った、

奉天に於ける代表的米国商社は七社あるが、自動車販売を主とする商会以外は満洲事件の結果甚大なる影響を受け、昭和七年の売上高は前年に比し六割以上の減少を示した。然し事変後は旧顧客の註文回復したと市政公署、瀋海、奉山両鉄路局等よりの大口註文とにより自動車を始め電気材料、鉄道材料、機械等を取扱う商社は相当繁栄の状態にある。又満洲に於ける三大石油商社に属する美孚、徳士古は奥地兵匪の跳梁烈しく、又ソヴエート聯邦石油の猛烈なる売込競争により売行不振の状態にあったが、瀋海線の開通後は全沿線より註文相当あり実行増加の傾向にある。

北満に於けるフランス人の活動を見ると、満洲国の生誕と共に逸早くフランス資本家はロシア銀行代表メッセをして満蒙投資の調査を行わしめたが、フランス資本家も亦北満に於ける鉱山、交通に着眼し居るだけに一般社会より多大の関心を払われている。

奉天に於けるドイツ商中各種機械、銅、鉄類、汽車、自動車等を取扱うものは、事変後大顧客たる東北軍閥の崩解と不況とにより大打撃を蒙り、営業振わず休業説を伝えられたるものも多く、目下の処店舗の現状維持に努めつつあり又薬品類、医療器具等を取扱う商社も軍閥の崩解と諸医院の閉鎖とにより営業不振を示したが、事変後は市内各医院が復活したのと最近は各鉄路局、警備司令部、軍医処、警察庁衛生課等へ納品するため著しく活気を呈するに至った。

 奉天のソヴエート聯邦石油会社は各種石油を邦天市場に販売し専らその販路の拡張に努めつつあるが、該会社は英、米両国石油会社の営業方針に倣い販路拡張を図るべく、奉天、安東、営口、新京等の商業主要地の満洲国商人と一手販売の代理店を特約し、以て各種石油の拡張販売をなすこととなった。

【出典】神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 アジア諸国(6-024) 京城日報 1933.4.27-1933.4.29(昭和8)

本記事の資料

ヤコブ・シフ「日本は満州をアメリカによこせ、日本の満州経営は不正だ!」

アメリカは支那蒋介石と日本の両方に武器を売って肥え太り、ソ連とおなじく参戦をギリギリまで遅らせて日本が消耗するのを待ちました。

またもし戦争が起きるならば、アメリカはまたおなじ手を使うでしょう。「アメリカの世論は日本の代理戦争に反対が多数」とかいう言いわけをぶつけてきそうです。

※(  )内は管理人による注釈です。

出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコードB03030305400:明治43年1月18日~明治43年5月18日 外務省 「6 明治43年1月18日から明治43年5月18日」



公第二三号
明治四十三年三月六日
在紐育(ニューヨーク) 総領事代理 山崎馨一
外務大臣伯爵 小村壽太郎殿

満州問題ニ対スル 「シフ」 氏ノ意見ニ関シ報告之件

ジヤコブ、エチ、シフ氏は過般内田大使歓迎の為(た)め開かれたる紐育(ニューヨーク)日本協会晩餐会の席上

 米国の満州鉄道中立の提議は全然友誼に出たるものにして決して他意あるにあらず 米国銀行家は日露戦役の際巨億円の資金を供給して日本の危急を救ひ 日本国民は感謝の情を以て吾人(われ)に対したるに今は全く之(これ)に反し米国銀行家は其(その)問題に関し日本新聞紙の激烈なる非難を被りつつあるは心外なり 日本国民は米国民の真意を了解せん(する)ことを切望す

と述べ 彼等(かれら)戦役に於ける尽力を恩に被せ日本の満州政策を暗々裡々に非難するやに解せらるる語気を洩せしが 数日前(三月三日)一小宴会に於(おい)て 「シフ」 は内密の語話として同氏は

 米国は強者が弱者を虐ぐるを見るを好まず 米国が日露戦役の際日本に間接に援助を与えたるも其の主義に基きたるものなり
 今や清国は其の独立及発達の為(た)め鋭意努力しつつあり 若(も)し之(これ)を阻害せんとするものあらば其(それが)露国たると英国たると日本たるとに拘(かかわ)らず清国を助けて其(その)野心を阻まざるべからず 自己の見る処(ところ)によれば日本の満州施設は不正なり

と 懇篤なる語調を以て日本国民が自己の注言を耳にせんことを望むと語り終わって同氏の特に小官に向い

 自分は今夜程打明けて語りたることなし 今夜は外(ほか)に洩るるの恐(おそれ)なければ自分の日頃包蔵する意見と希望とを忌憚なく吐露したる迄(まで)なり 他意あるにあらず

と弁解致し候

然(しか)るに昨日「レパブリカン(リパブリックは共和国の意)倶楽部(クラブ)の午餐会に於て 「シフ」 は前述の意見を稍(やや)婉曲に公開致し候 其(その)模様は別紙新聞切抜(きりぬき)にて御承知相成度(あいなりたし)

 要するに「シフ」は露国に対し怨(うらみ)を有し日本が露国と提携したるを快しとせず 尚(なお)先般日本の一新聞が猶太(ユダヤ)人の銀行家が同種族の私利を図る為(た)め我(わが)満州政策を妨碍(害)すとの論説に対し多少激し居るやにも窺察(窺はうかがう)せられ候へ共(そうらえども)兎に角(とにかく)「シフ」の心理は鉄道借款問題に関する自己の利害関係に影響せられたる様考察せられ候

之(これ)に反し

「日露戦役の際清国は日本の為(た)めに其(その)領土と独立とを保全せられたり 満州の門戸開放及(および)機会均等は実に日本の力に拠る 日本は戦争の為め数万の生霊と巨万の資金を費したるに米国は一兵一仙(セント:アメリカの貨幣単位)を費さざるにあらずや 満州の事は日本に任すべし」

との意見をなすものあり

仮令(たとえ)ば「ジャーナル、オフ、コンマース」主筆にして「アメリカン、アジアチック、アッソシエーション」の幹事たる「ジョンフォード」の如きは前述の小宴に於て「シフ」の説を反駁するの意味にて叙上(前述)の如き意見を述べたるも日本の満州に対する真意を疑い我満州施設に嫌(慊)焉(けんえん:不満)たらざるものは先(ま)ず米人の多数を占め居るは事実なるべし

勿論(もちろん)非日本偏者中にも多少日本の立場を了知して日本の満州経営には嫌焉をさるも東亜の政局に容喙(ようかい:口出しする)するは不利なりと論ずるものもあり

畢竟(ひっきょう:つまり)満州問題は直(すぐ)に日米関係に禍機(かき:わざわいの生ずる機会)を与うるものにあらざるも我満州施設に対する誤解を防ぎ少くとも満州に於ける日本の立場を了知せしたるは今後益(ますます)肝要なるべく 時節柄御参考迄に報告得貴意(きいをえ)候     敬具




戦争はアメリカの国策
第二次世界大戦をしかけたアメリカの目的は世界制覇=アメリカの世界一極支配


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 開戦篇」所収
     毎日新聞社調査部 新名丈夫 「第二次世界戦争とアメリカ」



 アメリカの世界政策

「われわれがけっして戦争をしてはならぬというならば、日本は満洲から出てゆかなければならぬ

 日本が満洲を占領した翌年、一九三二年(昭和七年)の初夏、フーヴァー米大統領は日本へ赴任するジョセフ・グルー大使にたいして、こういった。

「日本は満洲から出てゆかなければならないのだ」

 スチムソン国務長官は、同じことをグルーにむかって、もっときつい調子でいった。しかし、戦争ということについては何もふれなかった。

 そして、それだけが、日本へ赴任する新任大使にたいしてあたえられた指令であった。ほかには何の指図もなかった。(グルー「嵐の時代」下巻)

 それから三年ののち、一九三五年(昭和十年)の春か夏のこと、ソヴィエト駐箚(ちゅうさつ)の最初のアメリカ大使であったウィリアム・ブリットは、ベルリンをおとずれたとき、ドイツ駐箚アメリカ大使ウィリアム・ドッド博士にむかってささやいたものであった。

「日本が六カ月以内に東部ロシアを襲撃することは確かである。自分の考えでは、日本はロシアの極東方面を全部取ると思う」

 そして、かれはさらにつけたした。

「ロシアはウラヂオストックのところで日本海に突入している半島を保持しようとすべきではない。それは近く日本に取られるのだ」

 ドッド博士がおどろいて、

「ドイツも西で同じようなことを考えている。もしもドイツの思いが通れば一億六千万の人口をかかえたロシアは太平洋へ出るみちをうばわれ、またバルト海からもとじこめられるということを御承知か」

 というと、ブリットは、

「そんなことはどうでもよい」

 と答えた(セィヤーズ・カーン「大陰謀」)

 この二つのエピソードは、満洲事変から太平洋戦争にいたるまでの、日本の「侵略の十年」にたいする、アメリカの政策を示唆した意味ふかい話といってよいであろう。満洲、すなわち中国に対する考え方と、ソヴィエトにたいする態度を、この二つの話からうかがい知ることができよう。中国ではアメリカが主人公としての発言権をもたなければならない、しかしソヴィエトにたいしては日本やドイツの戦争を期待する、というわけだ。

 一方ではスチムソンの有名な棍棒政策、他方ではミュンヘンと同様の宥和(ゆうわ)政策、という一見矛盾したやりかたが、こういうところから出てくる。このことがはっきりわかっていなかったために、日本の軍部や政府は、アメリカの腹を読むことができず、迷路にふみこんでしまったのである。

 日本がアメリカにたいして戦争を決意するにいたったのは、日本が長いあいだ支那事変を解決しようと努力してきたのに、アメリカは蒋介石にたいして兵器や物資を送り、抗戦をつづけさせて、解決を困難ならしめてきた、というところに最大の動機があった。ところが、日本自体はどうであったか? 日本が長期にわたって支那事変を戦いつづけることができたのは、一にアメリカの援助のおかげであったのだ。

 日本の戦略物資の大部分はアメリカから送ってもらっていたのである。一たん、その糧道を絶たれてしまったら、日本はたちまち戦争ができなくなって手をあげるほかなかった。しかも、アメリカは太平洋戦争開戦の直前までこの仕送りをつづけてきたのである。

 日本と中国との戦争が長びけば長びくほど、双方の出血と疲弊は深まる。アメリカの軍需産業はふとり、戦争経済体制は確立されてゆく。一方では日本、中国ともにアメリカへの従属化は進んでゆく。──というわけであった。

 このような政策──それはヨーロッパの戦争にたいしても、同じであった。独ソ戦争がはじまったとき、当時の上院議員で、のちに大統領になったトルーマンはつぎのように語った。

「もしドイツが勝ちそうになったら、われわれはロシアを援助すべきであり、もしロシアが勝ちそうになったら、ドイツを援助すべきである。このようにして双方ともできるだけ多くお互いに殺し合うがいい」(ニューヨーク・タイムズ、一九四一年六月二十四日)

 だから、アメリカの政策は、アジアでもヨーロッパでも、どちらか一方が勝てばよいのだというような、そんな単純なものではなかったのである。
 
 独ソ戦がはじまって間もなく、一九四一年九月十一日、正式決定をみたアメリカの世界戦略──それはヨーロッパ戦争がはじまった年から二年間にわたって陸海軍当局が練りに練ってつくったもの──を一見するならば、アメリカが何を目指していたかがわかる。

 それによればアメリカが参戦しないかぎり、連合国の勝利は望めない。そこで、イギリスやソヴィエトや中国などがことごとく敗れ去っても、アメリカは西半球に拠って戦い、最後の勝利を占める、ということを考えている。ということは、はっきりいえば、アメリカが世界制覇をとげるという考えなのだ。

 世界制覇──これが、第二次世界大戦の全期間を通じての、アメリカの戦略目標であった。そして、それがためにこそ、アメリカは、最後に参戦するまで、できるかぎりの「時」をかせぐことに努力しつづけたのであった。

 日本にたいしても、開戦前の日米交渉にさいして、アメリカは「時」をかせぐというはっきりした政略のもとに一方では日本の戦力を消耗させつつ他方では自国の軍備を充実してゆくという手に出ていた。いわんや、日本の戦力も、政府や大本営の動きも、刻々手にとるようにわかっていたというにいたっては──である。




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