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2015/07/01

共産主義者の廃娼運動とその目的


「従軍慰安婦ガー! 日本は謝罪と賠償をせよ!」 と叫ぶ人たちは、もれなく左がかっているのですが、そういう人たちは戦前、公娼制度廃止運動(廃娼運動)をやっていました。

この運動の主体はキリスト教団体と国連だったので、運動は世界的規模で行われました。戦前の左がかった人たちは、こういった団体と共闘して運動を展開していたのです。

公娼制度廃止運動の建前は

「女性の純潔と平和を守る」

「やがてくる婦人参政権にそなえて解決すべき問題」


と、それはそれは美しいものでしたが、左がかった人たちの本当の目的は貸座敷業者(妓楼の経営者。楼主)を

「娼妓に自由廃業されたくないなら金を出せ」

と脅迫して金銭を得ることでした。

そして運動のやり口が現在の外国人参政権運動とまったく同じで、国会に提出してもすぐに否決されてしまうことから、まず地方議会の賛同可決を経て世論を形成し、国会での可決をねらうというものでした。


【今も昔も目的はカネ】



公娼制度廃止運動を展開していた政党は社会民衆党でしたが、1932(昭和7)年7月に全国労農大衆党と合体して、戦前最大だった社会大衆党を組織しました。

社会大衆党を組織した目的は、当局の弾圧で壊滅した日本共産党の代替政党になるためだったそうで、トップは山川均でしたからコミンテルンの方針もちゃんと引き継いでいました。


去年放送されたNHK朝の連続テレビ小説 「花子とアン」 で、吉原を脱出した遊女が白蓮さんに助けを求めるというシーンがありました。

この遊女は実在の人物で、源氏名を「春駒」といい、このエピソードも事実です。


【壇蜜さんが演じた吉原の遊女】
harukoma1.jpg


この春駒さんは吉原脱出後、二冊の手記を出版しましたが、そのうちの一冊である「光明に芽ぐむ日」のあとがきに、

「労働総同盟の岩内様にあつく感謝する」

と書いています。日本労働総同盟というのは社会大衆党の下部組織です。

ですから戦前の共産主義者は公娼の自由廃業を援助しながら、その反面で貸座敷業者からカネをまきあげていたというわけですね。

当時はマスコミや役人、政治家にいたるまで公娼制度廃止運動の美しい建前を支持したため、日本国内でも廃娼への動きが加速していきました。

日本の廃娼に向けた動きは世界的潮流でしたから、日本軍が朝鮮人女性を数十万人強制連行して、あっちこっちに慰安所を建てたりなどできるはずがありません。

そういうことをすればすぐに白人が騒ぎたて、ソ連が日本の悪行を宣伝し、国連が日本に対し何かしら通達してきたでしょう。

この世界的廃娼運動の圧力で内務省は新規の貸座敷指定地を許可しない方針をとっていましたから、日本軍が沖縄にたくさん慰安所を建てたという話も捏造ということになります。


そして戦後、公娼制度を知りぬいていた共産主義者たちは、今度は何も知らないフリをして「従軍慰安婦」を捏造し、日本国からカネをまきあげ始めました。

でもいつか、戦前の彼ら自身による公娼制度廃止運動が、ブーメランとなって返ってくることでしょう。

彼らは今でも「女性の人権」をうたいながら、女性の人権を食いものにしているのですから。


【日本労働総同盟】
社会大衆党(左翼政党)の下部組織。機関紙名「労働」「労働婦人」、加盟者数32120名、所在地東京。
nihon_sodomei1_2.jpg【資料出典】・アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010483200:1934(昭和9)年6月 内務省警保局 警保局保安課 「特高資料・社会運動団体現勢調」 61コマ目

自民党議員が立腹するのも当然のことだと思います↓


注意受けた大西氏、「朝日報道、懲らしめないといけない」「何か問題ある?」
2015年6月30日 産経ニュース

 自民党の若手勉強会「文化芸術懇話会」の発言をめぐり、党から厳重注意処分を受けた大西英男衆院議員は30日、国会内で記者団に対し「(発言に)問題があったとは思えないが、慰安婦問題などで社会的制裁を受けない朝日新聞などを懲らしめる方法について質問しただけ」などと説明した。記者団とのやりとりの全文は以下の通り。(後略)



本記事の資料



(  )内は管理人による注釈です。

社会大衆党とは-
1932(昭和7)年7月、社会民衆党と全国労農大衆党が合体してできた単一無産(左翼)政党、満洲事変勃発後は「保守」に偽装


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C14010505700:内務省警保局調査室 「第4章 社会大衆党の日本化」




 左翼陣営中、現在、実際勢力を持っているものは、社会大衆党と労農無産協議会だけであるが、そのうちで、社会大衆党の勢力は圧倒的であり、無産陣営の大部分は此(こ)の派に属している。それ故(ゆえ)、この派の政治的傾向は無産陣営の動向にとって最も重要なことである。

(中略)

 昭和七年七月、社会民衆党と全国労農大衆党とが合同して組織された社会大衆党は、積極外交と国内改革の新機運を国民の間に醸成せしめた所の満洲事変後の緊迫した時機に際会し、結党早々、「転換期日本の建設政策」として「国民経済会議」「東洋経済会議」の召集提唱等に見られる如き国内改革の具体策を盛った政策を掲げて、国家的立場に立った積極的な革新的態度をとるに至った。




社会大衆党のトップは元日共の山川均、保守を偽装して民衆を煽動している


出典:1937(昭和12)年 世界公論社 山崎文雄 「社会大衆党の資金網一覧表:偽装社大の仮面を暴く」



労農一派の恐怖的陰謀

 社会大衆党をして、人民戦線党としての偽装を容易ならしめ、着々人民戦線運動を発展せしめつつあるのは、日本に於ける労農一派であると云(い)われている。

 筆者は労農一派が如何なる統一的な行動を展開しつつあるかを知るに及んで、其(そ)の陰謀の深刻なるに一驚したのであるが、日本共産党潰滅(かいめつ)の後を受けて、コミンテルンの赤化方針を輸入し、あたかもこれに反対するが如(ごと)く見せ掛けつつ、然(しか)も予想外の大規模なる網を張りめぐらし、巧みに合法面と非合法面を使用して、全無産大衆を引(ひき)ずり廻している壮観さは、敵乍(なが)ら堂々たるものであって、此(こ)の深刻な陰謀を知らず、むしろ労農一派の立場を庇護しつつある大阿呆(おおあほう)共(ども)こそ、憐(あわれ)むべき有害な存在であると云わねばならぬ。

 さて、労農一派の構成を左に解剖してみよう。

shakai_taishuto1_2.jpg

 労農派の陣容は左の表の通りであるが、総帥山川均は、荒畑寒村と共に、日本に於ける共産党の創始者。山川イズムを以て、嘗(かつ)ては日本の無産運動を完全に指導したが、新(あらた)なる日本共産党の発展と共に、引退を声明して鎌倉に閑居したと見せかけてはいるが、それは表面丈(だけ)の事であって、日本共産党が数次の弾圧に潰滅するや、再び日本赤化の新方針の下に、コミンテルン第七回世界大会の戦略戦術を採用し、此処(ここ)に人民戦線運動を展開することとなったと見るべきである。

【管理人注】
・人民戦線…外国を経済侵略する資本主義陣営と思想・武力侵略する共産主義陣営が共闘したもの。大東亜戦争のABCD(米、英、支、オランダ)包囲網+旧ソ連がこれに当たる。

・合法面と非合法面…コミンテルンの革命戦略の一つ。日本の民主党のように合法的選挙を使って非合法団体が政権をにぎったりする戦略。

・全無産大衆…無産とは生産手段を持たない者のこと。一般労働者。プロレタリア。

コミンテルン第七回世界大会…ファシズム反対、戦争反対に加え資本主義攻勢反対のための国際的統一戦線および人民戦線の徹底的展開を決議し、赤化目標国を日本、ドイツ、ポーランドに選定した大会。





春駒さんを自由廃業させた労働総同盟の岩内さん


出典:2010(平成22)年 朝日新聞出版 森光子 「吉原花魁日記 光明に芽ぐむ日」



あとがき

 妾(わたし)のこの拙(つた)ない日記が今、世に生れ出るというとき、妾は久しい間経験しなかったはずかしさを感じて居(お)ります。でも情深い皆様は、妾達の生活の少しなりとも知って下さる事でしょう。

 妾はああして死を賭(と)して脱出を企て、今日の安らかさにたどりついた。その間の地にまみれた数ヶ月の廓(くるわ)生活こそ、深く書かなければならないとおもいましたが…。

 でも妾は道々失ってしまった健かな身(からだ)と平和な心をひろい集めたいと思います。それに只今(ただいま)は、その当時の妾に、触れたくない様な事も御座いますから…。

 やがて、晴々しい気分にでもなれば、ゆっくり書きたいと思って居ります。

 最後に、わが身にとって救主(すくいぬし)であり、師の君と仰ぐ宮崎様御夫妻と労働総同盟の岩内様、そしてこの「光明に芽ぐむ日」の発行に就(つ)いて色々お骨折り下さった小林様の方々にあつき感謝の祈りを捧げます。

 ことに御忙しいなかを色々と御指導下さった宮崎様に厚く御礼申上げます。

   大正十五年十一月       森光子拝            




貸座敷業者からカネをせしめていた社会大衆党の岩内さん


出典:1937(昭和12)年 世界公論社 山崎文雄 「社会大衆党の資金網一覧表:偽装社大の仮面を暴く」



ロ 全国貸座敷業組合

 貸座敷業組合と云(い)うと、割合奇麗(きれい)に聞えるが、女郎(じょろう)屋組合の事なのである。

 千住遊廓(ゆうかく)の「魁楼」の主人、市川忠吉君は、此(こ)の全国貸座敷業組合の幹事長であるが、先(ま)ず岩内善作が、女郎の自由廃業問題で市川君に近づき、次いで浅沼稲次郎も亦(また)交友関係を結ぶに及んで、遂に全国貸座敷業組合は社大党のドル箱になったと云われている。

 昨年春に行われた東京府会議員選挙と、本年の市会議員選挙には、市川君を通じて三千円宛(あて)の献金があったと云われ、浅沼、岩内両者の当選を見たが、更に、衆議院総選挙に於(おい)ては、浅沼に六千円の献金があったと云われている。

 思えば全国の女郎衆も非常に光栄ある労働をしている事になるが、如何に人民戦線の社会主義運動とは云え、此処迄(ここまで)利用するのは少々悪どくはないか。耶蘇教党主安部磯雄先生、以て如何と為(な)す


【管理人注】
・矣…句末に用いる助字。漢文訓読では読まない。

 



内務省警保局
「わが国の主な公娼制度廃止運動運動団体は廓清会、日本キリスト教婦人矯風会」
「外国人参政権運動のように地方議会に目をつけた公娼制度廃止運動」
「キリスト教団体と共闘して公娼制度廃止運動を展開した社会民衆党」


出典:1931(昭和6)年 内務省警保局編 「公娼と私娼」



二三 廃娼及(および)存娼運動

 従来我国に廃娼運動を継続的にやっている二つの団体があった。 一は廓清会であり一は日本基督教婦人矯風会である。前者は男女道徳の鼓吹を専ら其の事業として居るから、公娼廃止を重要なる一部門として運動して来た。後者は純潔、平和、禁酒の三大綱領を掲げて公娼廃止を叫んで来た。

 大正十五年公娼問題が世論に上ったとき、公娼廃止の事業を完成するが為に両者は団結した。之(これ)が廃娼連盟である。

(中略)

 最初は専ら、中央運動に力を注いで居たが、陳情請願等も大した効果的のものでなく、同志衆議院議員松山常次郎等が、第五十議会に公娼廃止の法律案を衆議院に提出したが同院に於て否決せられ、亜(つい)で第五十二議会に同人等が同様法案を衆議院に提出したが、之(これ)は生憎(あいにく)審議未了となり、第五十六議会には同志衆議院議員安部磯雄等が法律案として提出したが、衆議院で否決せられてしまった。

第五十八議会には同志衆議院議員三宅盤が法律案を提出したが、之(これ)も院議に附するに至らずして議会は閉じた。常に斯様(かよう)な惜態で、廃娼案は其の都度葬り去られつつあって、中央的運動では効果を挙げ難い。

 そこで、道府県別廃娼運動たる所謂(いわゆる)地方運動に目をつけた。

(中略)

 其の目標とするところ、各道府県会の過半数に於て廃娼の議決を為(な)さしめ、斯くして公娼廃止が与論であることを明瞭にして、然(しか)る後、一挙に帝国議会で廃娼法律案を可決せしめたいというに在る。

(中略)

○岩手県

 廃娼運動は最近特に熾烈になった。婦人矯風会仙台支部等では、各関係方面を歴訪して与論を喚(よ)び起して居る。昭和四年十二月の通常県会に於ては、社会民衆党所属県会議員師義三は議員二十二名の署名を得て、廃娼に関する意見書を提出し、其の理由を力説するところがあり、遂に委員附託となり、審議を結果重要案件にして直ちに其の可否を決するを不適当とし、後日に保留せられることになった。

〇秋田県

 昭和三年十一月の通常県会に於て、県会議員鬼川貫一、熊井又八郎、児玉高道等は、廓清会秋田県支部顧問である関係から、県当局に対し、公娼制度廃止の建議案を提出した。

(以下省略)





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