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2015/06/25

日共の不敬プラカード「日本はポツダム宣言を条件付きで受諾した!」


最近、日本共産党が

「ポツダム宣言受諾は無条件降伏だ!」

という宣伝を開始しました。

共産党のこの言いぐさを聞いて、

え? ポツダム宣言受諾は無条件降伏だったっけ?

と思った日本人も多いと思います。

なぜなら、終戦翌年の食糧メーデーで日共が掲げた有名な不敬プラカードに、

日本が連合国に要求した条件 「国体の護持」 が実現した

と書かれていたからです。


hukei_zai.jpg

"詔書(ヒロヒト曰く) 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ "

本当はこの文句のあとに 「日本共産党 田中精機細胞」 という署名があるのですが、個人情報だかなんだかでこの写真ではカットされています。


「ポツダム宣言は13条の項目から成っているから、日本政府は条件付きで降伏したのである」とケント・ギルバートさんはおっしゃってくれました。

そこへ日本人としてもう一つ付けくわえたいのは、ポツダム宣言受諾にあたって日本政府が最重要とした条件が

皇室保全の確保=国体の護持

だったということです。

日本が戦った敵は共産党(当時のアメリカを動かしていたのも米国共産党)だったので、日本は何をおいても皇室を守らなければなりませんでした。

もしポツダム宣言受諾が無条件降伏だったなら、天皇制廃止を主張していたソ連、イギリス、中華民国によって、日本革命が起こされ、皇族のみならず日本を愛する日本国民の大半が処刑されていたはずです。

ロシア革命では約2000名もの罪のないロシア人が共産党に処刑されました。共産党の第一の敵は日本の皇室ですから、日本革命の規模はロシア革命以上の残虐なものになったでしょう。

またアメリカはアメリカで東京大空襲を "ビッゲスト・ボンファイア (世界最大のかがり火)" (日本焼尽作戦の一環) と言って喜び、原爆を2発も落とすような非人道国家で信用なんかできませんでしたから、

絶対に皇室を敵の手に渡すな!

という当時の日本人の気概は、まさに最後の聖戦であったと思います。

GHQが皇室の権威を日本占領政策に利用しようともくろんだこともありますが、この時、ご先祖さま方が命がけで皇室保全を連合国にかけあってくれたおかげで、おおぜいの日本国民の命が救われ、今の日本があるのです。

我国の国体は天皇陛下とわれら国民あってこそ、なのですから。


【戦前日本人の記憶に生々しいロシア革命の惨状】
「パンをよこせ!」「戦争反対!」とさけぶ武装した人民。日本のサヨクが今すぐやりたいこと。Russia.jpg

1918年エカチェリンブルクの森でロマノフ皇帝一家の遺体をさがす白系(反革命)ロシア人たち。
1918年秋エカチェリンブルク近辺


【「日本は無条件降伏した」と言うならあの時の不敬プラカードはなんだったのか】

志位氏「あの時の答弁は何だったのか」 答弁書に疑問
2015年6月23日 朝日新聞

「『読んでいる』と言うなら、あの時の答弁は何だったのか」

 第2次世界大戦で日本が無条件降伏を勧告されたポツダム宣言をめぐり、共産党の志位和夫委員長は23日、安倍晋三首相の答弁にこう疑問を投げかけた。

 首相は5月20日の党首討論で、ポツダム宣言について志位氏から問われ、「つまびらかに読んでいない」と答弁。その後、安倍内閣は6月2日の閣議で「当然、読んでいる」との答弁書を決定した。

 志位氏は「党首討論で、安倍首相は間違った戦争と認めることを拒み続けた。侵略戦争はおろか間違った戦争とも認めない。過去の戦争への反省のない勢力が、憲法9条を壊し、海外で戦争する道へ暴走する」とも指摘した。日本外国特派員協会の講演で語った。(高橋健次郎)



本記事の資料



(  )内は管理人による注釈です。

日本が皇室の保全を連合国に要求した資料

①日本政府
「敵は信用できるか?皇室保全の確証がない限り、陸海軍は戦争を継続する」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C12120095400:陸軍省「昭和20年8月10日土曜」



⑦次(つい)で閣議あり。 大臣は其(そ)の席上、敵の信用程度如何、皇室保全の確証なき限り、陸軍は戦争を継続する旨述べ、更に総理に対し、天皇大権をはっきり認むることを確認し得ざる(確認できない)時は、戦争を継続することを首相は認むるやと訊したるに対し、総理は小声にて認むる旨答えたり。更に海相(米内海軍大臣)に対し、同様の質問を発し、米内は戦争を継続する旨答えたり。

Potsdam_judaku2_2.jpg



②陸軍省
「ポツダム宣言は国体を変更するとの要求を含んでいないとの趣旨を明らかにして右宣言を受諾することに決定せり」


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15011312600:陸軍省 終戰連絡中央事務局総務部第一課 2.「ポツダム」宣言受諾経緯概説



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宮内省総務課長
「ポツダム宣言は条件付きで受諾した。米国がソ、英、中を説得していたため回答が遅れた」


出典:1987(昭和62)年 日本教文社 筧素彦 「今上陛下と母宮貞明皇后」
    戦争末期の皇居内



 八月九日の御前会議の結果、ポツダム宣言を条件つきで受諾する旨の電報は十日早朝打電されたが、これに対する返事はなかなか来ない。しかもこのことは公表されていないので家屋の強制疎開なども進行していたが、さすが空襲はやや減少した。

(中略)

 なお、十日のわが方からの打電に対して、向こうからの回答が遅れたのは、ソ連、英国、中国が天皇制廃止を主張したためで、これに対し米国側では前駐日大使だったグルー元駐日大使などの知日派がこれを説得するため時間がかかった由(よし)であった。




重光葵
「ポツダム宣言受諾の条件たる天皇制の維持という重大な決定がなされた」 附・ポツダム宣言受諾に関する日本政府の申入


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」下巻
    御前会議と聖断



 鈴木老首相は、その日(九日)の夜、直ちに御前会議を召集することに決定して、これを統帥部にも通達した。統帥部及び政府の最高戦争指導会議議員の外(ほか)、恒例によって、枢府議長たる平沼男(男爵)も御思召(おぼしめし)によって参列した。

 鈴木首相から、ポツダム宣言はこれを受諾の外(ほか)なく、これが回答を審議したところ、軍部は四個の条件を附することを主張し、政府は、天皇制維持の一条件をもって受諾すべきものとして意見が合致しない。

ついては、天皇陛下の御決裁を仰いでこれを定め度(た)い、と提言した。陛下は軍部案と外務省案とについて説明を聴取されて、外務大臣の提案を採用することに裁決され、日本の終戦に対する最後的にして最も重大なる決定がなされたのであった。

ポツダム宣言受諾の条件たる、天皇制の維持に関する文句は、外務省案では、天皇の「国法上の地位」を変更せずというようになっていたが、平沼枢府議長は、天皇の統治権は国法以上のものである、と云(い)う国体論より「天皇の統治の大権」(Prerogative)という文字を使用することとなった。



ポツダム宣言受諾に関する日本政府の申入
  一九四五(昭和二十)年八月十日


 帝国政府に於ては世界平和の促進を冀(希)求し給ひ今次戦争の継続に依(よ)り齎(もた)らさるべき惨禍より人類を免れしめんが為(ため)速(すみやか)なる戦闘の終結を祈念し給ふ天皇陛下の大御心(おおみこころ)に従ひ数週間前当時中立関係に在(あ)りたるソヴィエト聯(連)邦政府に対し敵国との平和恢(回)復の為斡旋を依頼せるが不幸にして右帝国政府の平和招来に対する努力は結実を見ず玆(ここ)に於て帝国政府は天皇陛下の一般的平和克服に対する御祈念に基き戦争の惨禍を出来得る限り速(すみやか)に終止せしめんことを欲し左の通り決定せり

 帝国政府は一九四五年七月二十六日ポツダムに於て米、英、支三国政府首脳者に依り発表せられ爾後ソ聯政府の参加を見たる共同宣言に挙げられたる条件を右宣言は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居(お)らざることの了解の下に受諾す

 帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ本件に関する明確なる意向を速かに表示せられんことを切望す


ポツダム宣言受諾に関する日本政府申入
  一九四五(昭和二十)年八月十四日
※管理人注:日本の要求を連合国が受諾し、天皇の国家統治の大権が保全されたことを示す文書。

 ポツダム宣言の条項受諾に関する八月十日附帝国政府の申入竝(ならび)に八月十一日附バーンズ米国国務長官発米英蘇(ソ)支四国政府の回答に関聯(連)し帝国政府は右四国政府に対し左の通(とおり)通報するの光栄を有す

一、天皇陛下に於かせられてはポツダム宣言の条項受諾に関する詔書を発布せられたり

二、天皇陛下に於かせられては其の政府及大本営に対しポツダム宣言の諸規定を実施する為必要とせらるべき条項に署名するの権限を与へ且(かつ)之(これ)を保障せらるるの用意あり  又(また)陛下に於かせられては一切の日本国陸、海、空軍官憲及右官憲の指揮下に在(あ)る一切の軍隊に対し戦闘行為を終止し武器を引渡し前記条項実施の為聯合国最高司令官の要求することあるべき命令を発することを命ぜらるるの用意あり


【戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名する重光葵】
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共産党の不敬プラカードについて


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄 「萬世一系の天皇」 
    第四節 戦前の天皇論と戦後の天皇論 



 昭和二一年五月一九日、共産主義者等が東京で開いた飯米獲得人民大会(通称食糧メーデー)に

 詔書(ヒロヒト曰く)
 国体はゴジされた
 朕はタラフク
 食ってるぞ
 ナンジ臣民
 飢えて死ね
 ギョメイギョジ
  日本共産党 田中精機細胞

というプラカードが持って歩かれた。

東京刑事地裁は二一年一一月二日有罪の判決を行ったが翌日大赦令が公布施行され二二年五月二六日占領下の最高裁も之(これ)を認めざるをえなかった。


【当時の 『アカハタ』 に掲載された昭和天皇を戯画化したもの】
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