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2015/06/16

皇室中心主義-日本人が共産主義を攻撃する理由


サヨクのみなさんが誰もいない国会前でデモをやったり、戦争法案という造語を使って

「日本が戦争を始めるぞー!!」

と、世界に向けて宣伝しています。

こういう日鮮合同の日本赤化運動は、1917(大正6)年のロシア革命後から本格的に始まりました。

なので、彼らはもう100年近くも日本国内で共産運動をやっているわけです。

しかし日本人の多くは彼らの共産運動を軽蔑しこそすれ、煽動されることはありませんでした。

それどころか、日本は大東亜戦争で共産党の思想侵略、武力侵略とも戦いました。

終戦直前、欧米の経済制裁と対日禁輸でなすすべがなくなった時、日本人は特攻隊を組織して命がけで皇室と日本の国土を守りました。

なぜ日本人がそこまでやったのかというと、日本は皇室を中心として社会を構成してきた皇室中心主義だからです。


【第二次世界大戦を工作した連中が「戦争反対」と叫ぶ三文芝居】
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しかし、サヨクは

「天皇は階級の頂点だ!」

とか

「天皇は資本家の頂点だ!」

などという事実に即さない宣伝を、戦前からずっと続けています。特に戦後はそういう宣伝が悪質になりました。

我ら日本人は皇室を中心とした皇室中心主義であり、皇室と血縁的結合がある一大家族国家ですから、民族的に共産主義者の宣伝に違和感を感じるのは当然です。

日本人から見れば

みなが平等なはずの共産党に序列がある方がずっとおかしいだろーがよ?

といったところなのですがね。


本記事の資料


古代から連綿と続く我が国体 皇室中心主義
・日本の独立は国民の心が一つとなる皇室あってこそ
・日本の国体を他に求めてはならない


出典:1896(明治29)年 哲学書院 井上圓了 「日本倫理学案」



第二十一節。 以上三条によりて来せる結果は。万国無比の皇統連綿天壤無窮の国体是(こ)れなり。我が邦。一たび西洋諸国と交通を開きしより以来。一として西洋に対して我が栄誉とすべきものなし。唯(ただ)我が国体に至りては。西洋人の深く嘆美する所なり。

果して然(しか)らば。我が邦一種の人倫たる。君民一家、忠孝一致の国風は。実に我が邦の美徳なり。故(ゆえ)に勅語に。之(これ)を「国体ノ精華ナリ」と宣(の)へ(べ)り。

蓋(けだ)し(思うに)我が邦の。今日迄(まで)東海の上に独立し来(きた)りし所以(ゆえん)。又(また)、将来永く万国の間に独立することを得る所以のもの。

此(こ)の国体の由(よ)りて起りし原因を離れて他に求むべからず。是(これ)を以て。我が邦、教育の本源も。亦(また)全く此(これ)に発せしを知るべし。故に勅語に「教育ノ淵源実ニ此ニ存ス」と宣へり。

是れに由りて之(こ)れを観(み)るに。 皇祖、皇宗の国を開かせ給える。規模の大にして功業の壮なるを想見すべし。故に勅語に。 「皇祖、皇宗国ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(タ)ツルコト深厚ナリ」と宣へり。

第二十二節。 此の君民一家、忠孝一致の美風は。独(ひと)り倫理上、一国の精華なるのみならず。国家の団結を鞏固(きょうこ)ならしめ。国勢を強大ならしむるに。大に利あるものなり。

凡(およ)そ国体を鞏固ならしむるには。其(そ)の中心一定して。四方より此の一点に向いて其の力を集めざるべからず(集めなくてはならない)。

今、我が邦の国体は。君主を以て。其の中心とし。億兆の人民。皆(みな)、其の心を一にして之(こ)れに帰向し。一国恰(あたか)も一家の如(ごと)き関係を有するは。国家の団結を成すに最も適したるものと謂(い)うべし。

殊(こと)に忠孝の二大義を経緯として。以て国体を組織せるが如きは。実に我が邦の、今日迄独立し来れる所以にして。亦(また)将来に向いて永く独立すべき所以なり。

凡そ国家の独立に最も要するものは。国家、団結の中心ありて。一致の運動を有するのみならず。其の中心の、古今に亙(わた)りて一貫するものなかるべからず(一貫するものである)。

然(しか)るに。我が邦は。一統連綿の皇室ありて。啻(ただ)に(単に)国家の国体の中心となるのみならず。数千年間の歴史を一貫する中枢となれり。

即(すなわ)ち皇室は。国家の縦横に渉(わた)りて中心となるものなり。此の中心に向いて。周囲の分子、即ち人民を結合するものは。忠孝人倫の大道なり。是(こ)れ我が固有の国風にして。此の国風を維持するにあらずは。国家の独立を期し難し。

故に我人(われひと:私たち)は。互(たがい)に其の心を一にして。固く此の国風を守らざるべからず(守らなくてはならない)。勅語に「億兆心ヲ一ニシテ世々厥(ソ)ノ美ヲ済セル(スマセル:ナシトゲル)ハ」と宣へ(べ)るは。即ち此の国風を守りて今日に至るを諭し給える御辞なり。




皇室中心主義
・日本人の系図が皇室につながるのは皇室と国民の血統観念のため
・天皇と国民との関係は権力関係ではなく、日本国の基礎構造である
・共産主義者はマルクス思想をムリヤリ日本にあてはめて国体を破壊しようとしている


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄 「萬世一系の天皇」 第七章 国民と天皇 第一節 君民の三縁結合



1 血縁的結合

 われわれは従来しばしば、皇室は本家又は宗家であり国民の家はその分家であるとか、天皇は国民の大親であり、国民は天皇の赤子(せきし)又は愛児であるという説を聞かされ、国民の亦(また)単純に同感同調したのであった。

昭和前期に於(おい)てはこれを公に真向(まっこう)から否定するような勇気ある者は一人も無かったが、戦後、共産主義、民主主義科学などの侍は必死になってこの考方(かんがえかた)の破壊につとめつつある。

憲法に「天皇」と明記し、国の象徴たることを規定し、総理大臣の任命とその他多くの国事行為を行うことや、摂政を置く規定なども設けてある天皇についてすら天皇は君主でもなく元首でもないという主張を敢(あえ)てする時代であるから、まして、憲法に何の規定もない「親」というような考方を否定するのは、彼等(かれら)にとっては理由のあることであろう。

然(しか)し、親という考(かんがえ)は、もともと法規的観念ではなく、国民と天皇との間に醸成された情誼(じょうぎ:人とつきあう上での情愛)的観念であるから、そういう情誼を感ずる者に対して、共産主義者や民主主義科学者が、情誼を感じてはならないと指図することは出来ない。

だから問題はそのような情誼が実際に成立しているかどうか、成立していても消滅しつつあるかどうか、如何(いか)にしてそれが成立したか、それは今日以後の日本民族の歴史の上に何か意義があるかないかなどを考究することに存すると思う。

天皇は大親で国民は子であるという観念は、種々な反撃の努力にも拘(かかわ)らず今猶(な)お有力に存在しつつある。勿論(もちろん)一部に於て破壊工作の行われている事実、ある程度はその工作が功を奏しつつある事実は之(これ)を認めなければならないが、さりとて決定的にその工作の影響に支配されたわけではないし、長い歴史の眼で見れば、おそらく一時的現象と言うべきではないかと思われる。

それは窮極するところ二つの思想、二つの感情の争いであって、その勝敗は要するに両者の実力関係に帰するのである。今後長期にわたり徹底的に否定の運動が行われそれが勝利を齎(もたら)せば、天皇と国民との間の親子意識や情感は消滅するであろうし、反対に肯定の運動が勢を得るに至り否定者を徹底的に克服し終れば千古の情誼に凱歌があがるであろう。

(中略) 

日本の民間の系図は平安朝の末頃には、神別と諸蕃の極めて少数の例外を除き全部皇別系図になってしまったという。平安朝以後は四姓といって我国の民間系図は源平藤橘を代表的なものとしたが、それも藤原氏だけが神別で、あとの三氏は皇別であるし、藤原氏は皇室の外戚となったのだから、先祖が神別だというだけのことで、皇室と不可分の血系であることは言う迄(まで)もない。

且(か)つその他の神別と雖(いえども)、元来同一民族である上に多年にわたり皇別の子孫と通婚してきており、帰化族もまた皇別子孫と通婚し全く区別し難い迄に融合してしまったのであるし、萬世一系の天皇連綿として君臨される一大事実と結びついて、ついに天皇と国民との間に、宗支、親子の血統観念、即ち、日本民族は、天皇を根本中心とする生命体系を成すものであるとの観念を生むに至ったといってよい。これは法以前の若(も)しくは法の根底にあるところの事実であって、端的に言えば国体である。

言いかえれば、天皇と国民とは権力関係のような国家の上部構造、可変関係に於て初めて対面するのではなく、国家の基本構造又は基礎構造乃至(ないし)は基底構造、下部構造などというべく且つ不変関係と信ぜられる民族社会の血縁観念、民族的生命体系の観念に於て、情誼的結合を遂げ来ったのである。

それは情誼であるから必ずしも実系たるを要しない。義父義母義歯などというのは実系実物でなくても父母とし歯とすることのある事実を示すものだが、前述の我国情の事実から見て義に於て天皇を父となす事は根拠ある説というべく、又、今日猶(な)お国民が全国到るところで皇室に対して示しつつある敬愛の事実と、天皇が国民に対して示される愛撫の事実は、君民親子の情誼が国家の根底に生きて流動しつつあることの反映である。

かかる天皇と国民との血縁的、生命体系的結合の存することこそ、政権の変動、政体の改新、経済関係の革命或(あるい)は有史以来はじめての敗戦という大屈辱などの如何(いかん)に拘(かかわ)らず、日本民族が窮極的には必ず挙国一体化して、直面しきたるいかなる困難にも対処して、矛盾を克服しうる生命力の根源であるといわねばならぬ。

情誼による結合、それは非合理的結合である。人の世に非合理的結合ほど強大にして不滅なものはない。利害による結合は合理的結合である。しかしその合理性は明日の不合理性へも通じている。

マルクスの如きは民族あれども民族的生命体系を成就するに至らなかった独逸(ドイツ)に生れ、同類の国家のみを観察の対象とした為(た)め、国家を階級闘争の具としてのみ把握したがいきなり日本にそれを適用しても直ちに科学的判断とは言えないようである(管理人注:現在はもうグチャグチャだが本来「共産主義は科学的であるべき」なのである)。

皇室を日本民族の血縁中枢として観念する君民の結合は、時代社会のもろもろの力の関係を避けえない歴史的必然としつつも、尚(なお)、国家の窮極性を、人間の本義たる相愛情誼の生命体系として維持し、ついに必ず国家を最高の意義に於て完成する生命的主体を確保していることにほかならぬ。





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