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2015/05/25

佳子さま訪中工作と中国による日本軍人、日本人虐殺事件


自民党の二階総務会長と約三千人の仲間たちが、中国で歓待されたようですね。

習首席いわく「日中戦争が中国国民に大きい災難をもたらしただけではなく、日本国民もあの戦争の被害者」だそうです。

でも真実は、満洲事変や支那事変を勃発させたのは中国側です。

中国は1932(昭和7)年5月5日に上海停戦協定を調印したにもかかわらず、在支日本人や日本軍人に対し、たびたび排日行為や対日テロを繰り返していました。


【佳子を訪中させるアルッ!というオーダーを受注して帰ってきそうな2F】
2F1.jpg

数えきれないほどある中国の排日・侮日行為の中で、戦争の引き金になった日本軍将校虐殺事件が二つあります。それぞれ、満洲事変と支那事変勃発の要因となった事件でした。

・中村大尉虐殺事件
1931(昭和6)年6月27日、日本陸軍の中村大尉を中国軍が不当に拘束して随行員ともども射殺し、遺体を焼き捨てた事件


・大山中尉虐殺事件
1937(昭和12)年8月9日、上海停戦協定中、日本海軍の大山中尉が乗った車が上海租界道路上で不法に中国保安隊に囲まれ、同乗者ともども射殺された事件


これらの事件は、当時の日本人ならだれでも知っている大事件でした。

当時、中国が在支日本人に対して行った排日行為、対日テロは1936(昭和11)年7月から翌年8月までの約一年間だけでも以下のような状態です。


参考 : 1936(昭和11)年7月~1937(昭和12)年8月
     シナ事変勃発までの対日テロ


 ●1936(昭和11)年

 ・7月26日 中国兵が豊台の日本軍兵営に侵入威嚇 (第一次豊台事件)

 ・9月18日 再び豊台にて中国兵が日本軍の行進を妨害 (第二次豊台事件)

 ・8月24日 四川省成都で邦人新聞記者4名が民衆の襲撃を受け、2名が死亡、 2名重傷 (成都事件)

 ・9月3日  南支(トンキン湾北岸)で在留邦人惨殺 (北海事件)

 ・9月19日 漢口で領事館巡査射殺

 ・9月23日 上海で日本人水平射殺

 ・11月  上海にある日本人経営の紡績会社で中国人労働者がストに突入、一部で暴徒化し、これが激化して抗日運動となった。日本側の強い要求により、上海市当局は抗日団体の指導者を逮捕、共産党狩りを行う。

 ・12月2日 上海のストが青島に飛び火し、深刻な様相となったため、日本の各工場はいっせいに閉鎖に追いこまれた


●1937(昭和12)年 

 ・2月15日~ 第五期三中全会を開き、国共合作の第一歩を踏みだす(親日派の退潮)

 ・2月 張家口駐在副領事および邦人の不法取り調べ事件

 ・2月~4月 張荘、北倉、落岱付近の軍事用電線切断事件

 ・4月 徳州駅における邦人警察官監禁事件

 ・5月 張家口在住邦人暴行事件、北京日本人小学校成都暴行事件

 ・6月 満洲、北支間の飛行禁止命令、天津の日本軍用無線電台撤去申し入れ

 ・7月7日 蘆溝橋事件勃発

 ・8月9日 上海で大山勇夫海軍中尉が中国保安隊に射殺される

 ・8月13日 上海方面の海軍陸戦隊が中国軍の包囲攻撃を受ける

 ・8月14日 国民政府は「抗日自衛宣言」を発して戦争の決意を示す

 ・8月15日 中国共産党が「抗日救国十大綱領」を発表し、抗日戦に臨む基本的主張を明らかにした。その主張は

  ⑴ 日本帝国主義打倒

  ⑵ 全国の軍事総動員

  ⑶ 全国人民の総動員

  ⑷ 政治機構の改革

  ⑸ 抗日外交政策

  ⑹ 戦時の抗日経済政策

  ⑺ 人民生活の改善

  ⑻ 抗日教育

  ⑼ 漢奸の粛正

  ⑽ 抗日民族統一戦線の結成

 である。

 ・8月16日 国民政府が「国家総動員令」を下す

 ・8月18日 蒋介石が「日本軍に対し、ねばり強く抵抗し、日本軍になるべく多く出血させ、日本の侵略意図を挫折させろ」と宣言、国民政府軍の動員が急速に進められる

【出典】
 ・1968(昭和43)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 北支の治安戦 (1)」




ソ支不可侵条約に忠実だった中国は、日本との戦争を続行する必要がありました。

その目的は、革命後のソ連が国力をつける時間稼ぎと日本軍をソ連から遠ざけるために南方へ進軍させることでした。

そのため中国は、このような残虐、陰湿な手段で日本を挑発し、戦争を続行させたのです。

にもかかわらず、戦後、これらの事実は一切抹消され、「ぜんぶ日本が悪い!」ということにされてしまったのですね。


【中国軍に虐殺された中村大尉(左)と井杉曹長(右)】
nakamura_isugi1.jpg【写真出典】1932(昭和7)年 忠孝之日本社編輯部 編 「満蒙事変写真帖」-満洲事変の尊き犠牲者故中村少佐と井杉曹長


先日、「中国が佳子内親王殿下訪中を希望している」との報道がありました。

そこで、もし中国や日本以外の世界が戦争を望んでいるとしたら?

戦後の左翼運動のせいで、すっかり戦意喪失している日本人を戦争に引きずりこむにはどうしたらいいでしょう? 

それは、日本人が愛してやまない人物、日本人が尊敬する人物に危害を加えることです。

あとは日本のマスコミに戦争を煽動させ、中共は尖閣の近くで「自衛隊機による人民解放軍機撃墜」でもデッチあげて、戦前のように

「侵略だー! 日本帝国主義の侵略だー!!」

と叫べば、他の戦争をしたい国がワラワラと寄ってきて、第三次世界大戦はカンタンに起こせます。最近落ち目だった中共の国内人気もウナギのぼりです。

最近、とみに激化しているサヨクの平和・反戦運動、過熱しすぎていた佳子内親王殿下に関する報道、マスコミの「戦争法案」という捏造報道、ファシスト安倍を印象づける言論など、危険な香りはプンプン漂っています。

本当に今の日本は、戦前日本によく似ていると思います。


実は管理人の叔母は幼少のころ中国に住んでいて、ある日、中国人に誘拐され、食べられそうになったことがありました。幸い日本人居留民が気づいて必死に奪還したので、叔母は一命をとりとめました。

その叔母がよく言っていました。

「中国は日本人が行く所ではありません。とてもおそろしい所よ」。

日本の軍人でさえ平気で殺して見せしめにするような危険な国に、佳子内親王殿下を行かせるわけにはいきません。

共産党の党是は「強い共産党」です。なぜなら強くなければ人民に支持されないからです。ですから、共産党は負ける戦争はしません。

共産党は、すでに計画され、結果が出ている戦争しかしません。

そして今度こそ、日本共産党や在日外国人に戦後の日本革命を成功させれば、中共は何度もオイシイ思いができるでしょう。


【諸悪の根源は共産党だろうが? おい?】

習式揺さぶりの術? 二階氏ら「正義と良識ある日本人」、安倍首相が「諸悪の根源」
2015年5月24日 産経ニュース

【北京=矢板明夫】中国の習近平国家主席は23日夜、自民党の二階俊博総務会長が率いる約3千人の訪中団(財界や日中友好団体の関係者らで構成)と面会した際、安倍晋三政権の歴史認識を暗に批判する一方、訪中団のメンバーを「正義と良識のある日本人」などと褒めたたえた。日本政府と一般の国民を切り離す「二分論」を展開し、日本の世論に揺さぶりをかけようとする思惑があるとみられる。

 日中関係をめぐっては、3月末から5月初めにかけて自民党の谷垣禎一幹事長や高村正彦副総裁、額賀福志郎元財務相ら日本の要人が相次いで訪中し、それぞれ習主席との面会を求めたが実現しなかった。

 2012年11月に中国の最高指導者となった習主席は対日強硬姿勢を崩さず、日本政府要人と会うことを極力避けており、今回の二階氏訪中に関しても、「習主席には会えないのでは」との見方が出ていた。

 ところが、習主席は人民大会堂で開かれた日中の交流式典に突然登場し、関係者を驚かせた。ある中国共産党関係者は「習主席は日本の民間人に対し『日中関係悪化の原因は全て安倍政権にある』と直接強調するのが目的だ」とした上で、「日本の世論を分断し、8月に発表される戦後70年の首相談話や憲法改正の動きを牽制(けんせい)したい思惑もある」と指摘する。

日本政府と国民を区別する二分論は毛沢東時代からの対日工作の常套(じょうとう)手段だ。「諸悪の根源は軍国主義の復活を図る右翼政治家にあり、日本国民は政府に洗脳された被害者だ」という論法で、日本のリベラル勢力などを味方に付けることを目的にしているという。

 習主席はこの日の講演で、唐代の詩人、李白と、唐で学んだ阿倍仲麻呂との友情などを例に挙げ、日中交流には長い歴史があり、今後も民間交流を展開する必要性を強調した。その上で、日中戦争が中国国民に大きい災難をもたらしただけではなく、「日本国民もあの戦争の被害者だ」と主張し、訪中団に「歴史を歪曲(わいきょく)する動きに一緒に反対しよう」と呼びかけた。



【折も折、こんな報道が。レーニンかよwww】

米国の大富豪ジョージ・ソロス氏が、新たな世界大戦の可能性があることを示唆した。それは中国と米国の抗争から始まる、という。Market Watchより。
2015年5月23日 SPUTNIK 

ソロス氏によれば、中国が輸出でなく内需に経済の主軸を移したとき、そのシナリオは現実のものとなる。そのとき中国政府は政権を維持するために外部に紛争を必要とするだろう、とソロス氏。

「米国の軍事同盟諸国、たとえば日本と中国との間に紛争が発生したとすれば、第三次世界大戦が始まるといっても、過言ではないだろう」。

それを避けるために米国がなすべきことは、中国に対する「大幅な譲歩」である。すなわち、中国元にIMFの通貨バスケットの一部となることを許すことだ。中国通貨はそのときドルの強力なライバルとなるだろう、とソロス氏。

かわって中国は、国家経済の改造について、譲歩をしなければならない。中国も米国も、合意達成は困難であろうが、それがなされなければ、「非常に不愉快な」シナリオが待つことになる。

つまり、中国がロシアと政治的、軍事的同盟を結ぶ。そのとき新たな世界大戦は現実のものとなる、とソロス氏。



本記事の資料


満洲事変勃発の一因となった中村大尉虐殺事件


出典:1931(昭和6)年 大阪出版社 島屋政一 「日支戦争記:満蒙問題の清算」



邦人旅行者を監視 奥地旅行を絶対に拒絶

 日支間の空気がますます悪化すると同時に張作相(ちょうさくそう)は日本人の満洲内地旅行者に対し著(いちじ)るしく神経過敏となり、各種の取締方法を講ずることとなったがその時次の如(ごと)き密令を各方面に発して、あくまでも日本人の旅行を妨害するに至った。

 日本人旅行者取締令

 最近日本は満蒙に対し野望を遂げんがため変装せる軍人または浪人らを満蒙の地に入り込ましめ潜行的にわが国の軍事及び行政方面の探査に努めつつあるのみか 日本軍部はさきに洮索沿線地方において行方不明となりたる中村大尉は中国正規軍により虐殺されたりと称し、ある種の陰謀を企ている事実あれば今後日本人旅行者を厳重監視するとともに奥地旅行を絶対に拒絶すべし

 張作相の密命令というのは右の通りであるが、この密令中にもある通り中村大尉虐殺の事実は遂に日支戦争の端を作った重大原因であった。

(中略)

残酷極まる殺し方

 中村大尉一行虐殺事件は各方面の調査によりてその真相は確かめられ、残酷極まれる殺し方、最後の処置等漸次詳細を極めるに至ったが、ここには各人の調査に基(もとづ)いて多少の重複を厭(いと)わず、各人の調査したところを載せることとする。

 偖(ま)て(管理人注:さて)大尉一行虐殺事件は内蒙古視察のため去る六月二日東支鉄道西武線宜立克都駅を出発した参謀本部付歩兵大尉中村震太郎氏及び道案内人昻榮館主井杉延太郎氏(昻々渓居住)外(ほか)露国(ロシア)人一名、蒙古人一名洮安で雛作華麾下(きか)の屯墾(とんこん)軍第三団の支那兵のため虐殺されたもので、中村大尉は本年五月東鉄西武線海拉爾方面の視察を終り五月二十五日頃一旦奉天に引返えし、更(さら)に博克図札賚特王府、札薩克図王府等内蒙古視察の為(た)め六月二日東鉄西武線チチハルで露人一名、蒙古人一名を雇い、道案内人井杉氏と共に宜立克都より興安嶺を横ぎり洮南に向ったもので洮南には七月三日到着の予定であったが、大尉一行は六月二十日頃洮安附近を視察中、測量機、地図等を所持している処(ところ)から屯墾軍第三団の支那兵に怪しまれ、趙団長の指図で東方の山中に引ずり出されて銃殺されたものである、

趙団長は支那服姿の中村、井杉両氏を明(あきらか)に日本人と知って惨殺したもので、証拠湮滅のため惨死体を直ちに焼棄してしまったのである。

 右の事実は六月二十八日、洮安からチチハルに来た第三団の某営長の口から予(かね)て知り合いのチチハル満鉄公所傭人某の妻女に伝えられたもので、七月初旬になってチチハル特務機関の耳に入って大騒ぎとなり七月十四日チチハルの国際公司に依頼して捜査隊を出す一方チチハル洮南の満鉄公所等と連絡をとり調査の結果、一行は全部銃殺されたと断定さるるに至ったのである。



支那事変勃発の一因となった大山中尉虐殺事件


出典:1938(昭和13)年 豊橋連隊区管内出征将士事蹟編纂会 「日支事変と我等の郷土 第1集 (蘆溝橋事件より大山大尉遭難事件まで)



動く上海
 -大山中尉射殺事件を中心に-

 暴戻(ぼうれい)なる支那軍膺懲(管理人注:ようちょう。うちこらすこと。征伐してこらすこと)の征軍を起してより一ヶ月───皇軍は砲煙弾雨はもとよりあらゆる大自然の暴圧に堪(た)えて、早くも北平(管理人注:現在の北京)入城の戦果を見るに至ったが、しかし戦局は、いまや北のみでなく、中、南支方面に波及して来たのである。

 皇軍入城で蘇生(そせい)の思(おもい)をした北平居留民の喜(よろこび)に代え九日、上海駐在武官から海軍省に達した公電によれば、上海の情勢は益々(ますます)険悪化し、支那側防禦(ぼうぎょ)工事は公然行われ邦人に対する食糧不買や侮辱行為も頻発し、邦人一同不安と緊張の日を送りつつあったが、遂(つい)に九日午後五時に至って大山海軍中尉射殺事件の勃発を見て俄然(がぜん)事態は重大化された。

この事件はわが陸戦隊第一中隊長大山海軍中尉が斉藤一等水兵運転の自動車で上海租界越界路のモニュメント路通行の際道路上で多数の保安隊に包囲されて乱撃を受け数十発の弾丸を受けて即死し、斉藤水兵も亦(また)虐殺されたというのである。

この事件が、共同租界内で発生したこと、軍服の我が海軍将校に対する支那保安隊の挑戦行為であること、停戦協定違反である点について我方(わがほう)では極めて重大視し南京政府に対し徹底的解決を要求することとし、陸戦隊は出動待機の姿勢をとるに至ったのである。

 元来、このモニュメント路は共同租界のエキステンション(管理人注:延長。上海租界以外の道路で、租界同種の規程に服したもの)であり、各国人の通行自由のある所であるに拘(かかわ)らず、支那側は夜間は兵力を以(もっ)て勝手に通行を禁止し、昼間にても通行人に一々ピストルを突きつけて身体検査するなどの、停戦協定を全然無視した行動をとっていたのである。

この大山中尉事件が、ここに発端となり全世界を震駭(管理人注:しんがい。ふるいおどろくこと)せしめた彼(か)の上海攻略が展開せられたのであるから、其(そ)の前後の事情に就(つい)てしばらく述べてみたい。

 この事件の真相は十日午前十時発表海軍省副官談にあるごとく、大山勇夫中尉は西部派遣隊長として上海西部にある邦人経営紡績会社其他(そのた)所在在留邦人の警衛に任じていたのでるが、九日午後五時頃正規の軍装にて、斉藤水兵操縦の陸戦隊自動車にて、水月倶楽部(内外綿倶楽部)を出発し、附近地区を視察の上、陸戦隊本部に連絡に向う途中、午後六時半頃共同租界のエキステンションロードたる碑坊路上で、不法極まる支那側保安隊に包囲襲撃され、無念! 大山中尉、斉藤水兵は言語に絶する虐殺を受けたのである。

 支那側の行政権の及ばない共同租界内で、しかも停戦協定を蹂躙して配備せられた、国民政府の完全なる統制下にある武装保安隊が、帝国海軍に与えた侮辱である以上、従来の事件とは違い、はるかに大なる性質を持つものである故(ゆえ)、我(わが)出先当局は悲憤の中に断乎(だんこ)たる態度をもって本事件の解決に望むことになった。

同夜十一時頃、上海市長は帝国総領事館に来訪、総領事及(および)大使館附武官と会見し、我方は即時実地検証を要求したが、言を左右にして事件解決の誠意なく、漸(ようや)く屍(死)体の引取だけを承認しただけで、かえって

『虹橋(ホンヂャオ)飛行場に入らんとした大山中尉を保安隊が制止したところ、中尉のため射殺されたためである』との虚構なる事実を流布して逆宣伝を始めたのである。
 
 そして、我(わが)海軍陸戦隊の非常警戒裡(り)に明けた十日も支那側は依然、この逆宣伝に終始すると共に、上海停戦区域内に武装保安隊を集中し、土嚢(どのう)、塹壕(ざんごう)を構築して、我方を威圧せんとする態度を示して来たが、とにかくこの日、日支双方立会(たちあい)の上、大山中尉遭難現場の検証が行われたが、其の結果、支那側の申立(もうしたて)は全然虚構であることが判明し、さすがの彼も其の主張を撤回するに至った。



サラエボ事件の犯人は


出典:1939(昭和14)年 興亜学会 児玉信夫 「世界撹乱の陰謀 : 猶太民族は世界を制覇するや?」



【註2】 六月二十八日(一九一四年)ボスニヤの首府セラヴォで墺国(管理人注:オーストリア)皇太子フェルヂナンド殿下とその妃とがセルビヤの猶太人ブリンチによって暗殺されたことが欧州大戦の発端となったが、この墺国皇太子が兇変に遇(あ)うことは、既(すで)に一九一二年五月二十四日附で、フリーメーソン秘密結社が死刑の宣告を下している。それが三年後に実行されたのだと、ウイヒテルという学者が発表して居(い)る。又(また)英国の海軍中佐G・S ハッチスンの著書にも欧州大戦は猶太人の企てであることがはっきり書かれてある。





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