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2015/05/18

韓国に日本人慰安婦への謝罪と賠償を求める!朝鮮人経営妓楼一覧


韓国がまた日本の皇室を侮辱しました。

今度はジョン・ジェハクというおっさんが「従軍慰安婦という人類史上、例を見ない非道を犯した日本」と言い、その代償として「秋篠宮佳子内親王殿下を慰安婦として送るよりほかない」と言いました。

従軍慰安婦という捏造でそれほど憤慨できるならば、もちろん韓国は朝鮮人の妓楼(ぎろう)経営者に買われて、実際に戦場に連行され売春稼業をさせられた日本人慰安婦に謝罪と賠償ができるということでしょうね。

それに、人類史上、例を見ない非道を犯したのは韓国です。

宗主国の女性を金で買って戦場まで連行し、売春稼業をさせて私腹を肥やした植民地民は世界で朝鮮人だけです。

【このおっさん】
hutei_senjin1.jpg【写真お借りしました】「私的憂国の書」さん


日本人慰安婦は、日本軍に強制連行されて、日本軍経営慰安所に入れられ、性的虐待を受けたなどという捏造とはちがう、現実に起きたことです。

証拠が一つもない朝鮮人従軍慰安婦とはちがい、日本人慰安婦の場合は、朝鮮人経営妓楼のいくつかが判明しているので過去の書類を調べれば、

・日本軍占領地に渡航した朝鮮人妓楼経営者の名前、住所、

・朝鮮人妓楼経営者が連行した日本人女性の人数、名前、本籍、いくらで朝鮮人に買われたか、

・警察および領事館の渡航証明書から、どこへ連行されたか、

・遊興税納付状況や銀行の取引状況から一日何人の客を取らされていたか、

といったことを把握することができます。

こういった女性たちは経由した場所の軍日誌にも記録されています。

証言が証拠だっ!などと逆ギレする朝鮮人従軍慰安婦とは大ちがいです。

どうでしょうか? 韓国は本物の慰安婦たちに謝罪と賠償をするべきですね?



佳子様を慰安婦に。韓国誌がついに禁断の一言。
2015年5月17日 行橋市議会 小坪しんや議員のブログ

「日本は滅ぶ!」

日本が滅ぶべき理由は枚挙に暇がないが、その最たる理由は国民性にある。
非道であり、人類愛に基づく考えはなく、自国のことのみを考える。
侵略戦争への謝罪と反省もない国だからである。

天皇陛下と国体を思い犬死にしていった。これら主君を思う武士道精神にしても、自国のためのみで、尊敬され敬わなければならない存在の韓国をおもんばかることはない。安倍首相の言動を見ても以下に精神的な質が低いか見てとれる。周辺国にとっては未来永劫、敵国であり、日本は人類全体の公の敵となることは明らかだ。

筆者は、「日本滅亡は天罰だ」と述べてきた。これまでも天罰と理解する他ない数多くの大地震があった。それらの天災は、日本人が倫理にもとる非人道的な動きをした(恐らく韓国に批判的になった)際に警告として発生している点を指摘したい。

今度はイルカが大地震を予告しているという。茨城県でイルカ156頭の大量死があったが、日本のメディアでも大地震の前兆ではないかと報じている。東日本大震災が発生する6日前も50頭の大量死があった例がある。

「日本列島が海底に沈む」前兆は、富士山からも見てとれる。富士山より海水が出ていることより、日本列島の奥深くまで海水が染み込んでいることがわかる。そこにイルカたちが大地震を予告している。日本は、国家としての体をなせぬほど、小さな島々に分割されるだろう。

従軍慰安婦という人類史上、例を見ない非道を犯した日本は、「戦時売春婦」と述べるようになった。これは安倍首相のみの主張ではなく、日本人すべての総意を理解するよりない。過去の歴史に対する反省を充分に行った、ゆえにこれ以上の謝罪は必要ないと考える日本人が過半数を超えているためだ。よって、大地震による天罰は、日本人全体にふりかかるだろう。

日本人はクジラを食べる。世界の多くが反対する中、海洋研究などと主張している。まるで「従軍慰安婦」を「戦時売春婦」と主張するかのように。もしチャンスがあれば、ご皇室の佳子内親王を慰安婦に送るよりない。

イルカの虐殺シーン。血に染まった赤い海。日本のどの漁村でも見られた光景である。そのイルカが大地震を予告しているのだ。富士山一帯を覆す震度9.1の地震ではなく、日本列島全体を沈没させる震度10の地震が必要だ。是非、最初から日本列島をひっくり返してもらいたいものだ。

日本は2020年、東京オリンピックを準備している。しかしその頃には日本は地球上から消えているのだ。日本人を同情する必要はない。


朝鮮から日本軍占領地に渡航した慰安婦の大半は日本人女性



慰安婦として日本軍占領地に渡航するための絶対条件は公娼であることです。第二には性病に感染していないことです。

朝鮮の公娼は圧倒的に日本人女性が多く、性病感染率も日本人女性の方が低いことから、慰安婦になった女性は日本人の方が多かったといえるのです。

【朝鮮における娼妓(公娼)健康診断成績 (大正8年~大正9年)】
年 次区 別本期末
娼妓数
健康診断
延人員
梅 毒淋 病軟性
下疳
検査延人員
対 患者
大正8年日本人2,215116,3651731,9178772,9672.54
朝鮮人1,25357,5393691,2711,1502,7904.84
大正9年日本人2,382174,0993452,0218263,1921.83
朝鮮人1,33764,8734871,7771,2173,4815.36
日本人4,597290,4645183,9381,7036,1592.12
検診人員
対 % 
--0.181.350.59-
朝鮮人2,590122,4128553,0482,3676,2705.12
検診人員
対 %
--0.702.491.93-


逆に、朝鮮の私娼(密売淫婦。警察の取締対象)は圧倒的に、朝鮮人女性が多く、性病感染率も日本人女性の約1.35倍です。

それに公娼は楼主(妓楼経営者)に前借金をして、妓楼で寝起きする布団代、食費、着物代、病気などで稼業ができなかった場合は一日に稼げたはずの金額まで前借金に繰り入れられます。

お金が大好きな朝鮮人女性が、公娼という稼いだ金をピンハネされるような稼業を選ぶとは思えません。

【朝鮮における密売婦(私娼)健康診断成績 (大正8年~大正9年)】
区 別検診人員梅 毒淋 病軟性下疳
日本人18162093519.34
朝鮮人1.056451656627626.14
1237511857531125.10

【資料出典】1928(昭和3)年 史誌出版社 道家斉一郎 「売春婦論考:売笑の沿革と現状」

しかし、朝鮮人女性は最高の出稼ぎを指をくわえて見ていたわけではありませんでした。

日本軍慰安所の慰安婦になれない朝鮮人の私娼は、自主的に隊を組んで、日本軍占領地に出征していました。

【日本兵の朝鮮ピーに対するそっけなさ。四六時中虐待するほど執着していない】

出典:1959(昭和34)年 日本文芸社 「現代読本」第四巻第十二号所収 「性と兵隊」



タフガイなピー

 ところが、こんな便利な出張ができないもの、また、そんなことでは、とても間に合わないもののためには、連隊本部、大隊本部、中隊本部、なかには小隊本部? にも、専属のピーと称する女郎屋が、雄々しく、出征していた

これも、単位が小さくなるに従って慰安婦と称するこの人々も少人数となり、部隊や場所によっても違うが、中隊ともなれば五、六人といったところ。大隊本部で、十五、六人が標準だった。

 その多くは、朝鮮の婦人で、俗称朝鮮ピーといい、そのタフガイぶりにはまさに驚嘆すべきものがあった。

 下士官、兵は日曜の外出時に使用し、将校とか下士官の古参は週日に、適当に処理するのである。ここでは区別はない。(管理人注:後方兵站の高級妓楼では将校用、下士官用、兵用と公娼にも階級があった)

 百五、六十人に対して、五、六人であるから、中隊はほとんどが××兄弟というわけで、団結いよいよ鞏(かた)しということになる。が、なかにはわたしのスウちゃん騒ぎで反目し合うこともちょくちょくあった。

(中略)

 毎週、連体本部、大隊本部、中隊本部から性病検査の結果が会報で発表され、竹子は淋ちゃんだから今週は駄目だとか、松子は梅の毒が消えたから、行ってみるか、といったふうに品定めをしたりした。

 衛生材料としては、外出時に、厳重に、サック携帯の有無とか、薬品はどうか、などを週番士官が検査したが、果して、これを正直に使っていたのは、その何%だったろうか。

 こんな器械? ではとても気分が出ないとなると、こっそりと女探しがはじまり、私設ピーがそこで出現するわけで、いわば公娼制に対する私娼の自然発生というところ。

【李登輝台湾元総統の証言と一致】



朝鮮人経営妓楼(慰安所)一覧



houkouro1.jpg
・芳香楼
・京城府並木町
・貸座敷業
・創業 大正10(1921)年
・営業主 金相遠
・電話 本局四〇九六
・取引銀行 朝鮮商業銀行

※「貸座敷(かしざしき)」というのは公娼が娼妓稼業をするために、娼妓に座敷を貸すことから貸座敷といいます。別名として妓楼(ぎろう)、女郎屋などと呼んだりもします。

この妓楼が日本軍占領地で商売する許可を得、抱えている公娼を連れて渡航して開業したものが「慰安所」になります。日本人経営の大楼や中楼といった規模が大きく、格式のある妓楼は後方兵站の将校用軍指定慰安所になることが多かったようです。


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・鮮旭楼
・京城府龍山弥生町
・貸座敷業
・創業 大正13(1924)年
・営業主 金子善
・電話 龍山三六五
・取引銀行 朝鮮商業銀行

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・弥生町新遊廓芸娼妓組合
・京城府龍山弥生街
・貸座敷業組合
・創業 明治43(1910)年 ※日韓併合の年
・組合取締   金子善
・組合副取締 張元俊
・電話 龍山三六五
・取引銀行 朝鮮銀行

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・京城府弥生町鮮人貸座敷組合
・京城府龍山弥生町
・所属貸座敷業組合ノ目的ヲ達成セシムル為(タメ)必要ナル施設及(オヨビ)所属ノ組合員ノ業務並(ナラビニ)営業上一般指導其他(ソノタ)附帯スル事項
・創業 明治43(1910)年 ※日韓併合の年
・取締 金子善
・総務 鄭善浩
・理事 金亨模
・評議長 姜永根
・評議員 委漢善
・ 同   朴德潤 
・ 同   李德(得)鐡
・財務   金俊洙 
・書記 南實淳
・電話 龍山三六五
・取引銀行 朝鮮商業支店
楼主組合員 二十一名※朝鮮人妓楼経営者が21名組合員としている、ということ。
娼妓 百二十三名※娼妓(公娼)を123名抱えているということ。

※その貸座敷が営業を許可されているのは、地方自治体が指定した「貸座敷指定地」の中だけです。貸座敷指定地の中に妓楼がたくさん集まっている場所は「遊廓(ゆうかく)」と呼びます。吉原遊廓、中村遊廓といった具合です。

サヨクは「沖縄には日本軍慰安所が百数十あった」などと宣伝していますが、「ならば沖縄県知事が内務省に提出した新規遊廓設置承認願を百数十持ってきてみろ」という話なのですね。

京城(現ソウル)では、この弥生町という所が貸座敷指定地だったということです。


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・漢城貸座敷組合
・京城府新町一七
・所属貸座敷業組合ノ目的ヲ達成セシムル為(タメ)必要ナル施設及(オヨビ)所属組合員ノ業務上及営業上ノ一般指導其他(ソノタ)組合員ニ附帯スル業務
・創業 大正8(1919)年
・組合取締 金相遠
・副取締 李成鎮
・書記 金濟萬
・電話 本二二八五
・取引銀行 朝鮮商業銀行
組合員 八十余名
・納税組合長
 取締役
 京城府並木町五二
・副取締役
 京城府西四軒一七八

kanjo_kenban1.jpg
・株式会社漢城券番
・京城府武橋町九三
妓生(キーセン)券番経営並(ナラビニ)之(コレ)ニ附隨スル業務一切
・設 昭和11(1936)年9月
・資本金 二万円
・拂    全 額
・社 長 安春敏
・専 務 盧俊根
・常 務 嚴順模
・監査役 金寅培
・同    李潤昌
・電話 本局代表三五五五
・取引銀行 漢城銀行
・客 一般

※妓生(キーセン)券番も芸娼妓券番と同じ形態の商売です。朝鮮人従軍慰安婦の中で「キーセンとして売られた」と証言するばあさんは、妓生学校を卒業するか、現役妓生に人身売買されて芸をしこまれたのち、こういった妓生券番に登録して仕事にありついていたわけです。

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・漢南券番
・京城府公平洞五七
芸妓券番
・創業 大正6(1917)年
・代表者 朴齊根
・電話 光化門一一二九
・取引銀行 朝鮮商業銀行

※「券番(けんばん)」とは、娼妓や芸妓に来て欲しいという注文を一括して受ける窓口のような商売です。娼妓は前借金がある間は妓楼で寝起きしますが(「居稼」という)、前借金を完済したあとも自前で娼妓を続ける場合は妓楼を出て暮らすようになります。なので券番に登録して、お呼びがかかれば貸座敷に出向いていくというスタイルでした(「出稼」という)。

芸妓や酌婦(お座敷で客に酌をする女性)も性病を持たず、警察で娼妓鑑札をもらえれば慰安婦として就業することができました。


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・並木町貸座敷業組合
・京城府並木町五二
・創業 大正4(1915)年
・組合取締 金相遠
・副取締 申德敬
・電話 本局四〇九六

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・株式会社朝鮮券番
・京城府茶屋町四五
妓生(キーセン)券番並(ナラビニ)之(コレ)ニ附属スル業務及(オヨビ)資金融通並土地建物ノ賃貸
・設 昭和11(1936)年9月
・資本金 八万円
・社長 李鐘涴
・常務 金潤德
・取締役 元胤洙
・ 同   崔永載
・監査役 崔秉錫
・ 同   金炳學
・ 同   李鉉永
・電話 本局四二六三

kijo_kenban1.jpg
・株式会社箕城券番
・平壌府新倉里三六
・創業 昭和7(1932)年
・資本金 二万円
・取締役社長 尹永善
・役員 金龍乾
・電話 二六〇
     五二一
     五二七
     二〇二八
・取引銀行 漢城銀行

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・平壌鮮人貸座敷組合
・平壌府濱町六〇
・所属貸座敷業組合ノ目的ヲ達成セシムル為(タ)メ必要ナル施設機関並(ナラビニ)業務指導
・組合長 任昇周
・電話 一四一五
・取引銀行 平壌府南金融組合
組合員 三十五名

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・松ヶ枝遊廓組合事務所
・咸南興南邑松ヶ枝街
・和洋御料理
・貸席業
・創業 昭和6(1931)年
・咸新舘 金明済
・電話 一五四
・東洋舘 宋金德
・電話 一三四
・湖月舘 朴福女
・電話 二一一

makishima_kumiai1.jpg
・牧島貸座敷営業組合
・釜山府牧島
・牧島貸座敷営業組合
・黄達文
・姜敬烈
・電話 牧島一四八

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・大田貸座敷組合事務所
・大田邑春日町
・貸座敷組合所属ノ目的ヲ達成セシムル為(タメ)施設
・組合員ノ業務並(ナラビニ)営業上ノ指導
・創業 大正9(1920)年
・いろは
・長崎楼
・天龍
・大福楼
・八起楼
・鳴門楼
・新開楼
・一力楼
・曙楼
・筑紫楼
・大同江楼
・組合員 金珍捌
・電話 一〇五

zenshu_kumiai1.jpg
・全州貸座敷組合
・全州府相生町
・貸座敷業
・一漢 金点錫

zenshu_kumiai2.jpg
・全州券番
・全州府大和町
・全州券番
・創業 大正2(1913)年
・店主 崔炳澈
・電話 二一八

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・木浦貸座敷業組合
・木浦府櫻町一二
・貸座敷業
・創業 大正3(1914)年
・組合員
 日乃出亭 洪世柄
・組合員
 影月舘 金奉秦
・組合員
 松竹亭 趙仁玉
・電話 組合員宅 二〇六
・取引銀行 殖産銀行

gunzan_kenban1.jpg
・株式会社群山昭和券番
・群山府東榮町五五
芸妓券番経営
 人力車営業
・設 昭和12(1937)年5月
・資本金 八千円
・拂    八千円
・社長 朴在孝
・取締役会長 金義鎔
・取締役 權泰亨
・電話 八四四

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・元山券番
・元山府上里一洞四二
芸妓券番
・創業 昭和5(1930)年
・営業主 權昌殷
・組合長 朴在錫
・電話 一一五〇
・略ケン(ケンザン)
・取引銀行 東一銀行
・客府内一般
芸妓六十五名
・元山府出身

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・株式会社元春券番
・元山府上里一洞四二
芸妓券番
・創業 昭和5(1930)年
・社長 張巽軫
・専務 洪鐘祥
・常務 李淳喆
・支配人 尹斗善
・電話 一一五〇
       一四三
・略ケン(ケンザン)

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・春城券番
・元山府上里一洞四九
芸妓券番
・店主 愈明煥
・代理 李昌根
・電話 五四一

kaishu_kenban1.jpg
・株式会社海州券番
・海州府西榮町八五
妓生(キーセン)券番並(ナラビニ)之(コレ)ニ附属スル業務及(オヨビ)業者関係者ニ限ル資金ノ融通並其他(ソノタ)一切ノ事務
・設 昭和10(1935)年8月
・資本金 五万円
・拂    四分一
・取締役社長 元楨根
・電話 三〇九
・取引銀行 漢城銀行
・客一般

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・清津妓生(キーセン)券番
・新岩町
・朱享順


出典:2013年8月1日 「ビルマ・シンガポールの従軍慰安所」(日本語仮訳版) 韓国で発見された従軍慰安所帳場掛従業員の日記



2月25日 木曜日 晴天

朝、ビルマのラングーン市の臨時宿舎で起きて朝飯を買って食べた。臨時宿舎で宿泊している岡田、金和、大山など3人と記念撮影をした。大山氏とダボイまで旅行することを約束し、ビルマ人の乗合車でペグーに着いた。慰安所文楽館の新井方で少し休んだ後、慰安所を経営する同郷人の金川氏を尋(たず)ねた。嬉しく会って話して遊び、夕食を食べて同氏の家で寝た。

3月22日 月曜日 晴天

朝、ビルマのペグー市の金川氏の処(ところ)で起きて朝飯を食べ、終日遊び、夕食を食べて寝た。カロー近くのアンバンに向かう軍人に金井慰安所の烏川〇子宛の手紙を託した。






【資料出典】
日本商工興信要録. 昭和9年版 [朝鮮,満州]
日本商工興信要録. [昭和11年 満州,朝鮮]
日本商工興信要録. [昭和12年 朝鮮版]
日本商工興信要録. [昭和13年 朝鮮版]
日本商工興信要録. [昭和14年 朝鮮,福岡県,佐賀県,山口県]
大日本商工人名録. [昭和16年] 九州・山口・四国・朝鮮綜合版
1927(昭和2)年 朝鮮総督府警務局 「朝鮮警察の概要」 九 私娼取締






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