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2015/05/05

朝鮮人専用客船を所有していた朝鮮人出稼ぎ労働者


日本の産業革命遺産が世界文化遺産登録の見通しとなったそうで、関係各所が喜びにわいています。

しかし、いつものように日本の慶事に反発しているのが韓国です。

韓国は「日本の軍艦島や三池炭鉱には同胞が強制連行され、強制徴用されたから世界文化遺産登録にふさわしくない」という理由で、日本の文化遺産登録を妨害していくのだそうです。

でも真実は、「日帝による朝鮮人強制連行、強制徴用」というのは捏造で、日本に出稼ぎに来た朝鮮人はなんと

朝鮮人渡航者専用の客船を所有していた

のです。

そして、その船でもって大阪-済州島間航路に割りこんできて、日本の船会社に顧客争奪をしかけてきました。


【水路により大阪に渡来した朝鮮人数:1931(昭和6)年】
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朝鮮人専用船を所有して日本の船会社の営業を妨害した朝鮮人



戦前、朝鮮人出稼ぎ労働者が傭船していた船は「蛟龍丸(こうりゅうまる)」といい、その後、買い入れた船は「伏木丸」といいます。

1928(昭和3)年、済州島出身の高順欽が同志と図って企業同盟汽船部を組織し、北海郵船会社所有の第二北海丸を傭船しましたが、経営難におちいり、翌昭和4年3月、鹿児島郵船順吉丸の客を扱うことになってしまいました。

「企業同盟汽船部」という組織名なので、高は共産党員だったことがわかりますね。

その後、昭和5年4月21日、高と同じ済州島出身の文昌來らが北海道成田商会所有だった蛟龍丸を傭船し、済州島の同胞による出資を得て東亜通航組合を組織しました。

そして文らは日本の大阪-済州島航路に割りこんできて、朝鮮郵船、尼崎汽船、鹿児島郵船という日本人経営船会社と顧客争奪戦を開始しました。

そのせいで最初は12円から7円50銭だった船賃が過当競争によって、最低2円まで下落してしまいました。

のち昭和6年3月、蛟龍丸の傭船期間が終了して文らが経営する東亜通航組合は一時競争から脱落しましたが、今度は日本汽船に所属していた伏木丸という船を買い入れ、昭和6年12月1日、ふたたび大阪-済州島間航路に割りこんできました。

日本人経営の船会社三社は文が脱落すると協定を結んで、船賃を6円50銭にもどしました。その結果、伏木丸の船賃は日本人経営船会社より少し高くなってしまったのですが、朝鮮から日本に出稼ぎに来る朝鮮人らは「共同団結」、その民族意識から、好んで文の船を利用しました。

いつぞやセウォル号沈没事故というのがありましたが、このころから朝鮮人の船は定員以上の乗客を乗せていました。

また、文らは所有する船と東亜通航組合を反日共産運動の道具として使いました。

昭和6年11月、伏木丸の初就航の時に文らがまいたビラには

「日本のせいでわれらは日本労働市場に働きに来るようになった」

「日本人はわれらを手荷物、貨物あつかいした」

「この日本の無慈悲な搾取と野獣的待遇をけとばすためには、『われらはわれらの船』というスローガンを掲げ、一年という長い間を通じて鮮血のあふれるような闘争をしてきた」

などと書き、「東亜通航組合は全渡航労働者、農民の組合である」と宣言しました。そして伏木丸に赤旗を十本立て、朝鮮独立運動という名の民族主義、共産主義まじぇまじぇの民族階級闘争を煽動しました。

戦前、朝鮮人は日本のせいで日本に出稼ぎに来たようなことを言っていますが、朝鮮人自身が一攫千金を夢見て、自由意志で、「不況だから、朝鮮人は来るな」と言っていた日本に密航までして渡航してきたのです。

そして自由に船を買い、船会社を設立所有し、朝鮮人だけの集会を開催し、共産運動を展開して対日テロをやりまくりました。

これが真実です。

そもそも、国家破綻の危機におちいるたびに「強制連行」とか「従軍慰安婦」といった捏造で日本から金を引き出そうとし、在日同胞は日韓併合時代から日本の生活保護をむさぼっています

そんなグウタラな民族を、戦争という国家火急の時に、20万人とか100万人だとか日本に連れてくるはずがないのです。



韓国、「侵略の歴史美化」日本の産業革命遺産登録に重ねて反対
2015年5月4日 産経ニュース

 日本政府が「明治日本の産業革命遺産」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に推薦したことについて、韓国の尹炳世外相は4日の同国国会で「人類の普遍的な価値を持つ遺産を保護するという世界遺産条約の精神に反している」とあらためて批判し、登録に反対する考えを明確にした。

 韓国は、日本政府が推薦した施設の中に強制徴用された朝鮮人が動員された場所が含まれるとして問題視し、これまでも登録に反対してきた。

 韓国国会の外交統一委員会も4日、日本の方針を糾弾するとした決議案を採択した。今後、本会議で採決される。決議案は「侵略の歴史を産業革命と美化しており、日本政府が心から反省し責任ある姿勢を示すことが先だ」と指摘している。(共同)


本記事の資料



出典:1933(昭和8)年 司法省調査課 「報告書集 2」 第二節 大阪との交通

※上の表の出典も同じ。



 此(こ)の済州島と大阪との運航は十数年前朝鮮郵船及(および)尼ヶ崎汽船の両社が所属船を配し之(これ)に従事していた処(ところ)済州島出身高順欽は同志と図り昭和三年十二月企業同盟汽船部を組織し北海郵船会社所有第二北海丸を傭船し同月一日右の両社の船舶に対抗したが経営難に陥(おちい)り昭和四年三月鹿児島郵船順吉丸の客扱(きゃくあつかい)を引受けることになって今日に及びまた済州島出身者文昌來等は昭和五年四月二十一日東亜通航組合を創立し同年十一月一日より北海道成田商会所有船蛟龍丸を傭船し阪済航路に割込み右の朝鮮郵船尼崎(ママ)汽船及(および)鹿児島郵船の三社に対抗した為(た)め貨客の争奪戦は激烈を極め運賃はその都度逓(低)下し最初十二円乃至(ないし)七円五十銭であったのが最低二円となり各社犠牲的競争に没頭するに至った。

昭和六年三月蛟龍丸の傭船契約満了し東亜通航組合がその競争から脱し他の三社は運賃の協定を為(な)して六円五十銭の値上(ねあげ)を見たがその後東亜通航組合に於(おい)ては日本汽船会社所属船伏木丸を買入れ昭和六年十二月一日より再び阪済航路に就航せる為(ため)再び客の争奪戦は旧に倍し猛烈となった。

而(しかし)て(そして)他の三社に於ては之(これ)が為(た)め運賃の値下(ねさげ)を協定し今では伏木丸の運賃のみ他の三社に比し高いのであるが却って朝鮮人乗客は他船よりも多く常に定員以上の乗客がある状況である。之(これ)は済州島民組合所有船を選ぶという民族意識のあらわれであり共同団結の一端と見ることが出来る。

 以上述べた如(ごと)く阪済間の航通について在阪済州島人の大衆運動に二つの勢力を見ることが出来る。

その一はかの企業同盟で同同盟は朝鮮郵船及(および)尼崎汽船会社の運賃が不当に高価なりとて一般に攻撃を受けつつありし状態に鑑(かんが)み該航路に海運業を経営せんとして組織されたものであるがその経営難に陥った結果昭和六年十二月、協同組合主義を基調とする民衆の経済的発展と文化的向上を期することを綱領とし従来加盟員十六名にして出資額各三百円とせる少数組織を各員三円出資の大衆的のものに組織の変更を為(な)しビラを撒布(さんぷ)して宣伝に努めたるも所属船を獲(え)る能(あた)わず事業不振にして別派なる東亜通航組合と事々反目しつつある。

その二は東亜通航組合であって同組合は済州島民又(また)在阪済州島民よりの組合員よりなり、従来の三社船の運賃を不当なりとして之(これ)に対抗するの目的を以(もっ)て設立されたものである。最初昭和三年四月天王寺公会堂に於て済州島民大会を開催し尼崎及朝鮮郵船の二会社に運賃(当時十二円)の値下及乗客待遇改善を要求することを決議し実行委員を以て両会社に交渉したが応ぜられなかったので

「我等(われら)は我等の船にて」

なるスローガンの下に済州島通航組合準備会を起(おこ)し昭和五年四月二十二日済州島六十二部落(里)の内百十九部落の加入を得て此(こ)の組合を創立した。

然(しか)しながら之(これ)が組合の幹部は何(いず)れも此の組合を以て民族団結の用具とせんとの企画があり常に此の組合を利用し民族的反感(管理人注:日本人による朝鮮人差別)を煽動しつつある事実を見逃すことは出来ない。

昭和六年十一月伏木丸の初就航に際し撒布せるビラにも

 全渡航労働者諸君に告ぐ

 親愛なる渡航労働者兄弟諸君! 吾等(われら)は懐しき父母兄弟や親友と離別し故郷に於(お)ける生活の根拠を失って日本労働市場に働きに来る様(よう)になった。之(これ)を好(よ)い機会に日本船舶業資本閥等は新しい好(よ)い搾取の対象が出来たと雀躍(じゃくやく)し済州島を中心に釜山、木浦、莞島(管理人注:大韓民国全羅南道にある郡)に至る迄(まで)搾取網を敷いたのであった。

見よ! 奴等(やつら)が過去に於(おい)て我等(われら)をドレ程搾取し何(いず)程虐待したか無茶苦茶に高い船賃を手荷物運賃人間として堪(た)え得ぬ人格無視と野獣的待遇其(その)事たるや敢(あえ)て喋々(ちょうちょう)する迄もなく我等が体験した処(ところ)であり全済州島民が一切公憤して来た処である。

玆(ここ)に於て済州島民は蹶(決)起した。無慈悲な搾取と野獣的待遇を蹴飛(けと)ばす為(た)めには「我等は吾等の船」というスローガンを掲げて誕生した東亜通航組合である。

此(こ)の通組は一年という永い間を通じ昨年四月創立し今日迄鮮血の溢(あふ)れる様な闘争をして来たのである。

 親愛なる兄弟達よ!

 勿驚(おどろくなかれ)通組が出現する迄には済州大阪間の十二円五十銭の船賃が唯(ただ)の三円に値下され通組を倒そうとした。然(しか)しながら実費運賃六円五十銭を以(もっ)て全渡航労働者の支持の下に蛟龍丸の傭船期間の一期事業を引受け本年四月第二回大会に於て第二期計画を樹立する様になった。

それは即(すなわ)ち買船でなければならぬ、層一層組織的であり又(また)一面広範に亘(わた)る戦線を拡大した。

 東亜通航組合は全東亜を網羅したる全渡航労働者農民の組合であり伏木丸は全無産階級(管理人注:生産手段を持たない労働者)の船でなければならぬ。 一九三一、一一、五。

という内容がありまた昭和六年十二月一日伏木丸の初航海に於て当日同船に赤旗十本を立て尚(なお)白旗には

「我等は我等の船に」
「伏木丸の渡航阻止反対」
「ブルヂョア(管理人注:資本家)の船に乗るな」
「一時安い船に欺(あざむ)かれるな」

なる諺文(管理人注:おんもん。ハングルのこと)スローガンを掲げて居(お)りその後屡々(しばしば)撒布せるビラに

「通組を圧殺せんとして官憲と朝、尼、鹿社が協力し吾々(われわれ)前衛七十名を検束した」

等の不穏辞を掲げ全く同組合は民族階級闘争の一機関たるの外貌をもつに至った。







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