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2015/03/07

日本人をみな殺しにする!! 義烈団の「朝鮮革命宣言」


駐韓米大使暗殺未遂テロ事件が起きました。

血まみれの駐韓米大使の映像が世界に衝撃を与えているようです。特にアメリカ人のみなさんには激しい衝撃だったことと思います。


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でも、不幸中の幸いでテロの手段がナイフでよかったと思います。なぜなら、朝鮮人の対日テロは爆弾テロだったからです。

わが日本の場合も公人がテロの対象になりました。昭和天皇、伊藤博文元総理、田中義一陸軍大将、白川義則陸軍大将、寺内総督、長谷川総督などです。

特に日本の場合は「義烈団」という朝鮮人テロリスト集団があって、四六時中日本人を殺そうと機会をうかがっていました。

朝鮮人テロリスト申采浩はこの義烈団の闘争を前提として「朝鮮革命宣言」を書き、その中で天皇、日本の官公吏、日本人をみな殺しにすると宣言しています。


【上海天長節爆弾事件】
朝鮮人テロリスト尹奉吉が投げた爆弾は日本政府要人と軍人合わせて5名に重傷を負わせ、白川大将と河端民団行政委員長が死亡した。
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世界のみなさんは、今だからこそ考えてみてください。

特に従軍慰安婦少女像建立に積極的なアメリカのみなさん、今、韓国人を百万人単位で強制連行してアメリカに連れて来ようと思いますか?

または「慰安婦」として、韓国人女性を米兵にあてがおうと思いますか?

思わないですよね?

むしろ、何をするかわからないから危険、と思うのが人間として当たり前の感情だと思います。

戦前、日本の司法省は朝鮮人の民族性を「北鮮は争闘を好み残忍、南鮮は利を好み残忍」としています。

いい加減、韓国や中国が宣伝する「従軍慰安婦」や「強制連行」は捏造であると気づいてください。


朝鮮人テロリスト組織-義烈団



義烈団とは、1902(明治35)年頃、中国の北京を本部として設立されました。組織内には爆弾部、短銃部などがあって、その目的は日本大官暗殺でした。

1922(大正11)年3月28日、義烈団暗殺部の金益相(本名は金鳳男)は呉成侖と共謀して、上海に立ち寄った田中義一陸軍大将に爆弾を投じて暗殺を企てました。

また、義烈団員金祉變皇居爆破を計画して日本に潜入、二重橋で爆弾事件を起こしました。

義烈団には南鮮人も大勢いました

そして義烈団だけでなく、コミンテルンに赤化された朝鮮人は一般の日本人も虐殺しました。琿春事件、通化事件、ソ連軍の満洲侵攻、日本敗戦後の在鮮日本人居留民強姦・虐殺などです。

しかも日本人が虐殺された理由は日本の悪政や弾圧が原因ではありません。

日本人は「思想」、たかが「思想」のために殺されたのです。

一つは、世界の中心「中華」から遠い場所にある日本はいやしいと考える「中華思想」です。

二つめは、日本の投資や保護を「日本の資本主義が労農(共産)朝鮮を侵略した」と考える共産主義です。

そんなくだらないもののために、大勢の日本人が朝鮮人に殺されました。

駐韓米大使に踊りかかった朝鮮人と同じで、当時の朝鮮人も 「日本の天皇を殺さなければ!」と叫んでいました。

そして戦後は、加害者である朝鮮民族はコミンテルンに朝鮮問題決議文(自虐史観の原型)を逆手にとって、被害者になりすましているのです。




本記事の資料


申采浩 「朝鮮革命宣言」と日韓併合時代の対日テロ

【危険主義者がヘイトスピーチを定義】
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出典:1972(昭和47)年 レボルト社 世界革命研究会 「世界革命運動情報」 第28号 1923(大正12)年 申采浩 「朝鮮革命宣言」



 このような義烈団の闘争を前提として申采浩は「朝鮮革命宣言」を一九二三年一月に起草した。この宣言のなかで申采浩はこう述べている。

「……われわれは日本の強盗政治すなわち異族統治はわが朝鮮民族生存の敵であると宣言すると同時に、革命によってわれわれの生存の敵である強盗日本を殺伐することがわれわれの正当な手段であることを宣言する。

「われわれはわれわれの生存の敵である強盗日本と妥協する者(内政独立論者、自治論者、参政権論者)も強盗政治下に寄生する主義の者(文化運動者)もすべてわれわれの敵であると宣言する。」

「革命の記録は、おのずから惨絶壮絶たる記録となるであろう。だが、後退するならばその後面は暗黒の陥穽であり、前進するならばその前面には光明に満ちた活路が開けるのであるから、われわれ朝鮮民族はこの惨絶壮絶たる記録を記しつつ前進するのみである。

 ここに暴力(暗殺、破壊、暴動)の目的物を大略列挙するならば、次の通りである。

 一、朝鮮総督および各官公吏
 二、日本天皇 および各官公吏 
 三、スパイ、売国奴
 四、敵の一切の施設物

 この他に、各地方の紳士あるいは富豪は、たとえあきらかに革命的運動を妨害する罪を犯していなくても、もし言葉あるいは行動によってわれわれの運動を緩和し中傷するならば、われわれの暴力をもって打倒するであろう。日本人移住民は日本強盗政治の機械になっており朝鮮民族の生存を威脅する先兵となっているのであるから、彼らもまたわれわれの暴力をもって駆逐しなければならない。

 革命の道は破壊から開拓しなければならない。しかし破壊のみを行おうとして破壊するのではなく、建設しようとして破壊するのである。建設することを知らない者は破壊することをも知らない者であり、破壊することを知らない者は建設することをも知らない者である。建設と破壊はただ形式の上においてのみ区別されるのであって、精神の上においては破壊がすなわち建設なのである。

これを具体的にいうならば、われわれが日本勢力を破壊しようとすることは第一は異族統治を破壊しようとすることである。なぜか? 『朝鮮』にはその上に『日本』という異族が専制を行っており、異族専制の下にある朝鮮は固有の朝鮮ではないのであるから、固有の朝鮮を発見するためにこそ異族統治を破壊するのである。

第二は特権階級を破壊しようとすることである。なぜか? 『朝鮮民衆』を総督や何やらという強盗団の特権階級が圧迫しており、特権階級の圧迫下にある朝鮮民衆は自由な朝鮮民衆ではないのであるから、自由な朝鮮民衆を発見するためにこそ特権階級を打破するのである。

第三は経済掠奪制度を破壊しようとすることである。なぜか? 掠奪制度の下にある経済は民衆自己が生活する為(ため)に組織された経済ではなく、民衆を殺して食う強盗の筋肉を肥らせる為にこそ組織された経済なのであるから、民衆生活を発展させる為には経済掠奪制度を破壊しなければならない。

第四は社会的不平等を破壊しようとすることである。

……第五は奴隷的文化思想を破壊しようとすることである。なぜか? 従来の文化思想の宗教、倫理、文学、美術、風俗習慣はいずれも強者がつくり、強者の娯楽に供されたものではなかったか? 一般民衆を奴隷化する麻酔薬ではなかったか?……

 民衆はわが革命の大本営である。

 暴力はわが革命の唯一の武器である。

 われわれは民衆の中に入り民衆と携手し不断の暴力(暗殺、破壊、暴動)をもって強盗日本の統治を打倒し、
 
 われわれの生活に不合理な一切の制度を改造し、

 人類によって人類を圧迫せず、社会によって社会を剥削しない理想の朝鮮を建設すべきである。」


 一九二三年三月中旬、朝鮮総督府、朝鮮銀行、京城郵便局、京城電気会社等を爆破し、官公吏を暗殺しようとして上海から高性能爆弾、時限装置、拳銃、「朝鮮革命宣言」、「朝鮮総督府官公吏に告げる」等をもって国内に入った義烈団員は、密告によって大量逮捕された。

 一九二三年十二月二十八日、上海から爆弾をもって東京に入った義烈団員金祉變は二重橋を爆破して皇居に突入、皇居を爆破しようとしたが、失敗し、二重橋前で逮捕され、一九二八年二月二〇日、千葉刑務所で獄死した。

 一九二六年十二月二十八日、義烈団員羅錫疇はソウルの朝鮮殖産銀行と東洋拓殖会社京城支店に入り爆弾を投げ拳銃を乱射した。羅錫疇は路上で官憲に包囲され、腹部を射(う)って自殺した。このとき羅錫疇の使用した爆弾は申采浩が保管していたものであった。




司法省調査課-朝鮮人の民族性は 「残忍」


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」 38ページ



 而(しかし)て(そして)南朝鮮は平地多く北朝鮮は山嶽多きのみならず気候も相違し、南鮮は日本的にして北鮮は満洲大陸的である、従って前者は生産物多く朝鮮米の主産地であるに後者は生産力乏しく従って南鮮に比し富の程度も低(ひくい)、

北鮮は扶余女真等の人種混(まざり)し居(お)り頑強にして争闘を好み且つ残忍性を帯ぶとせられ、南鮮殊(こと)に三南地方は文化的で平和を愛するが利を好み残忍であると言はる。




義烈団について


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」 120ページ



⑶ 是(これ)より先明治三十五年(一九〇二年)頃支那北京を本部として設立せられたる義烈団なる秘密結社に於(おい)ては爆弾部・短銃部等を設けて日本大官の暗殺を計画し、朝鮮に於て狂暴の挙に出て居(お)ったが大正十一年三月二十八日右義烈団暗殺部の全益相(事金鳳男)呉成侖と共に折柄(おりがら)上海に立(たち)寄りたる陸軍大将田中義一に爆弾を投じたる事ありしが、其後(そのご)監視厳重なる内地に潜入し爆弾を投じてその威力を示し、朝鮮は到底日本の統治に服するものにあらざることを示さんと義烈団より特派せられたる金祉變は大正十三年一月五日東京二重橋附近に到り警察官に追呼せらるるや携帯し来(きた)りたる爆弾を投じた。



朝鮮人の日本人蔑視は日韓併合前から-反日は日本の朝鮮統治が原因ではない

日本在留朝鮮人留学生は排日を煽動し、日本の文化を根本から軽侮と猜忌(さいき:ねたみ嫌うこと)と憎悪をもって見ている。


出典:1927(昭和2)年 司法省調査課 「報告書集 10」 122ページ



三、政治犯と留学生、内地に於(お)ける朝鮮人の政治犯は殆(ほとん)ど全部が朝鮮人留学生又は元留学生たりしものに依(よ)り敢行せられている、留学生の排日的傾向はその由来古くして明治四十三年日韓併合前より内地(管理人注:日本国内)朝鮮人留学生の排日思想に付き論議せられて居(お)った処(ところ)で

「留学生の如きに至っても日本の文化に心酔して帰る様なものは一人も無く却(かえ)って排日を煽動する連中のみなるは不思議な位である、是(これ)と云(い)うも彼等(かれら)は日本の文化を根本から軽侮と猜忌と憎悪とを以て見て居(い)るから」(朝鮮講演)

とせられている。







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