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2015/01/14

作られた差別「ヨボヨボ」


日韓併合時代、朝鮮人が泣いてイヤがる「ヨボヨボ」という差別語がありました。

差別語といっても、「ヨボヨボ」は日本人が作った言葉ではありません。

朝鮮人が作った差別語です。


「ヨボヨボ」が誕生したいきさつは、日韓併合時代、朝鮮人が「日本人も朝鮮語をおぼえろ!」と要求したことが始まりです。

当時の日本は「内鮮融和」が第一政策だったので、まじめな日本人は官民で朝鮮語を勉強しました。


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そして、朝鮮語をおぼえた日本人は朝鮮人に呼びかけました。

日本人「ヨボー、ヨボー(日本語で 『もしもし?』 の意)」

すると朝鮮人は血相を変えて

「ヨボヨボは日本語で老人という意味だっ!差別だっ!!!」


日本人 ( ̄□ ̄;)?!!!


当該民族は、


・日韓併合時代→日本帝国主義に弾圧される哀れな植民地民

・終戦直後→連合国に加担した戦勝国民

・朝鮮戦争勃発→難民

・現在→強制連行被害者の子孫であり、日本人が浴びせるヘイトスピーチの被害者



と、終戦直後以外は、常に弱者を演じてきました。

今、日本に在留している当該民族に

「ヨボヨボ」

と言っても、それがかつて自分らが泣いてイヤがった言葉とは思わないでしょう。

その時その時の被害者を演じることが、彼らの歴史なのですから。


本記事の資料


朝鮮人「日本人は朝鮮語をおぼえろ」


出典:1924(大正13)年 大日本社 川島清治郎著 「朝鮮論」 十七、朝鮮人の不平 44ページ



 朝鮮の統治に関し或(あるい)は朝鮮人側に諸種の不平があるようである。これは当然である。設令独立とか自治とか云(い)うことではないにしても相当の不平のあるのは勿論(もちろん)である。然(しか)し能(よ)くその内容を聴いて見れば左程(さほど)ではなくして (一)内鮮人(管理人注:日本人朝鮮人)の差別があり過ぎるとか (二)内地人(管理人注:日本人)の官吏が多過ぎるとか (三)官用語が内地語(管理人注:日本語)であるとか (四)内地人が朝鮮語を話さないとか (五)枯枝を最少(もすこ)し取らせよとか (六)朝鮮の風俗を尊重して余り之(これ)を無視するなと云うようなことである。言はば些々(ささ)たる問題である。斯(こ)んなことで内鮮の融和を妨ぐるようなことがあってはならぬ。斯(か)かることは如何様(いかよう)にも話合(はなしあい)の付くことであって現に総督府は出来るだけの考慮を払い事情の計(ゆる)す限(かぎり)朝鮮人の希望を採用し内鮮差別の撤廃、朝鮮人の登用、朝鮮語の奨励、慣習風俗の尊重等着々之(これ)を実行して居(い)る。



朝鮮人が泣いてイヤがった「ヨボヨボ」と日本人ガマンの歴史

神戸市社会課 「朝鮮人にヨボと言ってはならない」


出典:1927(昭和2)年 神戸市社会課編「在神半島民族の現状」 164ページ 第四章 熟練労働者としての朝鮮人 一 総論



我等はややもすると朝鮮人を、ヨボ扱いにしたがる悪い癖を持って居る。何が侮辱だといって鮮人に対するヨボ扱い程、彼等の民族的プライドを蹂躙するものはないのである。



慶尚南道学務課長 「朝鮮人にヨボと言ったり、臭いと言ってはならない」


出典:1929(昭和4)年 太田寿編 「鮮支一瞥」 ハ、侮別的待遇の撤廃 34ページ



 私達は初め慶尚南道の学務課長を訪(おとな)うた時、同氏から特に鮮人との応接に付(つい)ての注意があった。それは内地人(管理人注:日本人)は征服者であるとの観念が不用意の間に言行に現われて鮮人を呼ぶに「ヨボ」等と蔑視的な言葉を用いたり、車中や往来で「鮮人は臭い」と云(い)うような態度を示して其(その)同席をも忌避するような風が見えると、過敏な彼等(かれら)はすぐ反抗的な悪感を持つから、と云うことであった。実際地方に開かれる朝鮮名物の市場での群集や電車等の雑踏の中に這入(はい)ると、嘔吐を催すような一種異様な悪臭に絶え難く思わず鼻を掩(おお)わざるを得ないようなことが度々あったが、其(その)都度(つど)学務課長の注意を思い出して我慢したのであった。

【大邱市場】
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写真出典:1910(明治43)年 統監府編 「大日本帝国朝鮮写真帖:日韓併合紀念」 



朝鮮貴族 「日本人が「ヨボ」と呼ぶから朝鮮宣言書を書いた」


出典:1923(大正12)-1935(昭和10)年 朝鮮総督府 「朝鮮人の思想と性格」 (ヨ)テルムの感じ 52ページ



 孫秉煕一味の中に「何故(なぜ)独立運動に参加したか」と云(い)う問に対して「日本人が吾々(われわれ)を「ヨボ」と云うのが癪(しゃく)にさわったからだ」と答えた者があった。日本人から見れば愚にもつかぬ答弁と見えようが吾々から見れば痛切に吾々の心持を言いつくしているものと主張する。吾々は自ら「ヨボ」と呼ばれた時、若(もし)くは同胞が「ヨボ」と呼ばれるのを聞く時、真に情ないことではあるが、憤慨の心よりも先(ま)ずより多く悲哀の心持が起きる。自らの地位を諦め切った人の心持ではないか。此(こ)の心持は内地人の何人も想像だも出来ぬところである。(情報彙簒第十一「朝鮮人の思想」P10杉浦武雄)



日本在留極左朝鮮人「日本人がヨボと呼ぶから共産運動をやった」


出典:司法省刑事局 「昭和十五(1940)年一月 思想研究資料 特集第七十一号」 結論



名古屋合労(名古屋合同労働組合)に於て朝鮮人最高幹部として活躍した申山祝は司法警察官に対し、其の社会運動に入った動機を述べて、

「私が社会運動に入った動機は一口に言えば日本帝国主義に対する植民地民族としての反抗からである。私は平和とは云(い)え赤貧洗う様な家庭の長男として成長したので、其の窮境を打開すべく昭和四年三月相当な希望を以て内地に渡来したが、土工として各地を転々する間に内地人の思ったより以上の差別扱い、即ち労働賃銀に於て職場の振り当てに於て或(あるい)は又『ヨボヨボ』との侮辱的言辞に於て其の他凡(あら)ゆる点に於て植民地民族なるが故の賎視と搾取を受けるので、私共の民族的反抗心が漸次強くなったのである。

斯様(かよう)にして日本帝国主義を憎む気持ちを持つ様になってからは、同胞が酒と喧嘩と賭博に希望のない毎日を送って居る姿が余りにも悲惨に見えつくづく亡国民族の悲哀
を感じ、我々朝鮮人は団結して朝鮮独立の運動を進めねばならないと固く決意し、昭和五年春頃民族主義団体新幹会名古屋支会に入会した。




儒教の国 「ヨボヨボは日本語で老人という意味だっ!差別だっ!!」


出典:1939(昭和14)年 亜細亜情勢研究所 「鮮・満の再認識」 32ページ 十、内鮮一体の一楷梯 



 初めて半島へ行った人が-いな、内地に於て半島同胞と接する時にもであるが、困るのは言葉の差異である。狭い内地内にあってさえ、東北の人達と九州の人達との会話はしばしば通じないのであるから、朝鮮語と国語とでは無理もないが(これ半島人の国語使用を急務と主張するゆえん)この言葉の使用に留意するところありたいと思う。

 というのは、生半解に朝鮮語の単語を知っている者は、往々失敗するのであるが、たとえば半島人同志で取交わされている「ヨボ」という言葉。これは彼等の間にあっては単に「もしもし」とか「おい」とかと、呼びかける言葉であるが、これが内地人(日本人)から半島人に向って発せられると侮辱の意味を含むことになる。即ち彼等半島人は「ヨボ」という言葉が、内地では「ヨボヨボ爺さん」などと使われていることを知っているから、その意味での「ヨボ」であると解し、頗(すこぶ)る嫌がるのである。こういうことは内、鮮いずれの地にあっても、半島の人と接する時に留意せねばならぬ事柄である。



朝鮮戦争中-朝鮮難民を思って上着を一枚脱ごう


出典:1988(昭和63)年 文藝春秋 「『文藝春秋』にみる昭和史」第二巻所収 1952(昭和27)年 亀井勝一郎 「敗戦のつらさ」



 私の懸念は、最後に自分の実生活の裡(うら)に見出される。私は国の前途を憂い、現代の危機などと言いながら、私生活はぬくぬくとした小市民生活であり、人並の享楽好きである。朝鮮の難民を思って、二枚の上衣の一枚をぬぐといったようなことはない。






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