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2015/01/13

第三次世界大戦の予兆?パリ大行進


1月11日、イスラム教徒に同胞を殺されたフランスで、大規模なデモが行われました。

西洋諸国の首脳までもが参加したこの異常なデモは、1938年、スペイン内戦に参加した外国人義勇兵(国際旅団)によく似ています。もしかしたら、このデモは第三次世界大戦の予兆かも知れません。

なぜなら

スペイン内戦は共産勢力と反共(民族主義)勢力との戦いだったので、「第二次世界大戦のリハーサル」と呼ばれていたからです。

このままパリの熱気が上昇していくようなら、第三次世界大戦開戦にいたるかも知れませんね。

【1938年スペインに集結した国際旅団】
一国の内戦に外国から数万もの義勇兵が参加した例は、後にも先にもなかった。彼らが叫んだスローガンは「自由を守ろう!」だった。
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【2015年仏パリで大規模な反テロ集会、160万人が参加 】
後にも先にもなかったことが、2015年パリで実現した。彼らが叫ぶスローガンは「表現の自由を守ろう!」


1938年、スペインに集まった義勇兵はアメリカのヘミングウェイをはじめ、55ヶ国からやって来た人たちでした。約4万人といわれる外国人義勇兵は、共和国軍(共産軍)に参加しました。

一方、反共フランコを援助したのは、反共ドイツとイタリアです。

コミンテルンにとって、スペイン革命はとても重要なものでした。なぜなら、スペインさえ赤化してしまえば、ソ連と同盟を締結しているフランスやチェコスロバキアを利用して、ドイツをつぶし、武力でもってヨーロッパ大陸赤化を完成できるからです。

1922年、レーニンはスペイン革命について予言すらしています。

しかし1937年、フランコが勝利して、スペインから共産勢力を一掃してしまいました。その頃から、ソ連やアメリカは「日独伊は侵略国家だ!」と言いだし、日本に関するデマを世界中に宣伝するようになりました(南京大虐殺など)。


パリ出版社襲撃事件も、まだまだ欧米がイスラム非難を続けるようならば、第三次世界大戦開戦もアリかも知れません。歴史はくりかえすものですし、共産主義はもう劣化はしても進化することはないからです。

なにしろ、日本とイスラムは敵だと、1920年に共産党(ユダヤ資本)が認定しています。

第二次世界大戦の悪役は日本でしたが、今回はイスラム教徒が悪役に仕立てられているように思います。

共産党は日本のおもてなし精神、イスラムの施しの精神がジャマなのでしょうね。


【参考記事】

テロに屈せず、世界へ訴え=信条超え連携-パリ大行進
2015年1月12日 時事通信

 【パリ時事】「テロは容認しない」「言論の自由を守れ」。フランスの連続テロ事件を受けてパリで開催された11日の大行進には、宗派や信条を超え、フランス国民のみならず各国首脳らも参加。テロには決して屈しないとの断固としたメッセージを世界に送った。
 仏当局は行進の警備だけで2200人の警官を配置。厳戒態勢の中、150万人が連帯し、市内を練り歩く。オランド大統領やドイツのメルケル首相ら40カ国を超える国のトップは互いに腕を組み、時折立ち止まりながらゆっくりと歩を進めた。犠牲者を悼み、1分間の黙とうもささげた。
 行進の起点となった市中心部レピュブリック広場中央では、銃撃された風刺紙シャルリー・エブドへの連帯を示すため、「私はシャルリー」と書かれたプラカードが多く掲げられた。また、移民国家を反映して、フランスだけでなく、さまざまな国の国旗が翻った。
 行進に参加した男性技師(25)は「誰もが自らの意見を言える機会が重要だ」と居ても立ってもいられず参加した心境を語った。ルーマニア系移民のクリスティアナ・ピエネスクさん(62)は「宗教や肌の色にかかわらず、平和に共存できるはず」と訴えた。(2015/01/12-01:26)




本記事の資料


スペイン内戦は「第二次世界大戦のリハーサル」といわれた
 スペイン内戦に約4万人の外国人義勇兵が参加した


出典:1987(昭和62)年 講談社 「20世紀全記録」 知識人たちのスペイン戦争



 スペイン内戦は、当時の百花繚乱のイデオロギーの対立から、「今世紀最大の宗教戦争」、あるいは近代的殺戮兵器の実験的使用から「第二次世界大戦のリハーサル」といわれただけあって、「内戦」という枠を越え、多くの外国人が兵士として参加した。反乱軍側には、ドイツとイタリアの正規軍、それを迎え撃つ共和国側には、ソ連軍と55カ国からほぼ4万人に及ぶ国際義勇兵の「国際旅団」が投入された。

またプロパガンダ要員として、世界的に著名な作家、芸術家、ジャーナリスト達が参加した。ただし、こうしたジャーナリストの参加は、共和国側に圧倒的に多かった。アメリカからも共和国支援の作家達がスペインへ駆けつけた。戦争がたけなわの1937年春から夏にかけて、ヘミングウェイやドス・パソスらも、『スペインの大地』(ヨリス・イベンス監督)というドキュメンタリー映画を製作するために現地に滞在していた。

※日本のマスコミや出版物は、反共・民族主義側を「反乱軍」「独裁者」「テロリスト」、共産主義側を「共和国軍」というので注意が必要です。




1922年、レーニンはスペイン革命を予言した


出典:1936(昭和11)年 大阪毎日新聞社 上原虎重著「欧州の危機を孕(はら)むスペインの内乱:第二次世界大戦一歩前」 右が勝てば軍部独裁、左なら赤一色



 一九二二年モスクワに開かれた国際共産党大会でレーニンは、「ソヴィエト・ロシヤについで革命の赤旗(せっき)を翻(ひるがえ)す最初の国はスペインであろう」といって、滅多のことに驚かない赤い代表者たちをして一驚を喫(きっ)せしめった。だが氷のようなひややかな頭の持主であるレーニンは、相当の理由があってこの予言をしたのだ。




共産党はヨーロッパ大陸赤化のため、スペイン革命が必要だった


出典:1986(昭和61)年 中央公論社 重光葵著 「重光葵手記」 第六 蘇聯の役割



 伊太利(イタリア)及独逸(ドイツ)の赤化に失敗した蘇聯(ソ連)は英仏其(そ)の他の民主主義国を取り込んで之(これ)を利用して独伊に反対し、欧州赤化の途を開こうとした。蘇聯は仏蘭西(フランス)や「チェック」(チェコスロバキア)と同盟条約を結んで赤化の足場を作り、更に国際連盟に加入して集団保障を宣伝して英仏を喜ばせると共に、独伊及日本に対抗した。蘇聯の当時の重要なる政策は人民戦線の戦術で、第三インターは第二インターと連繋して民主国を中から動かす巧妙なる遣(や)り口であった。欧州の重(もっと)もなる大陸国は之(これ)に引っかかり英国も事実上影響を受けた。

 之(こ)れによって生じた大きな出来事は西班牙(スペイン)の内乱であって、蘇聯は西班牙を赤化し次(つい)で仏国に及ぼし、東は「チェック」を根拠とし西は仏蘭西を基礎として独逸を挟撃し、玆(ここ)に武力的に欧州大陸の赤化を完成せんとしたのであった。




日本とイスラムは共産党の敵


出典:1938(昭和13)年 南満洲鉄道調査部北方調査役 訳編「コミンテルンの植民地・民族政策に関する基本資料」 14ページ 民族及び植民地問題に関するテーゼ(一九二〇年、コミンテルン第二回大会において採択、レーニンの草案にかかわる)


(ハ)欧米帝国主義に対する解放闘争をトルコおよび日本帝国主義、貴族、大地主、僧侶等の力の強化を結合せんと試みつつある、汎イスラミズム、汎アジア運動等との闘争が必要である。






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