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2014/10/27

戦前日本の朝鮮人売春婦


外務省がようやく、従軍慰安婦強制連行を否定するロビー活動を活発化させるようですね。

そもそも日韓併合時代、朝鮮人女性は日本でも売春していました。

戦前、日本在留朝鮮人は各地で町内の一画を占拠して、バラックを建て朝鮮人町を作っていました。朝鮮人女性はそこの飲食店を装った店で密売淫(みつばいいん。私娼)を行っていました。

朝鮮人売春婦は黄色い声をはりあげて、日本人男性や朝鮮人男性の袖を引いていたそうです。

そういえば、ラバウルでも朝鮮人売春婦は黄色い声をあげていましたね。


【バラック@神戸市元町】
195803_hyogo_kobemotomachi.jpg


戦前日本は、日本国内で外国人女性が公娼になることを禁止していました。

そして、日本に出稼ぎに来る朝鮮人労働者は独身男性が大半で、同胞の女性不足に悩まされていました。その問題はかなり深刻で、性犯罪を犯したり、同胞の妻を奪ったりして事件になることもあったそうです。

そこで日本在留朝鮮人は日本の公娼制をパクッて、朝鮮から連れて来た17、8歳の朝鮮人女性を百五十円から二百円で、同胞の店に「仲居」という名目で売り飛ばしていました。

売り飛ばした朝鮮人らが、周旋業者の鑑札(警察の許可)を持っていたとは思えません。

また、売られた朝鮮人女性がその前借金を払う年期は2、3年だったそうですが、彼女らの手元に百五十円から二百円のうちの一部が渡ったかどうかは不明です。

日本ならば公娼と遊廓、周旋業者の管理は警察(内務省)がキッチリやっていましたが、日本の公娼制をマネた朝鮮人らが、売り飛ばした娘の後々まで考えていたとは思えません。

もちろん、私娼は「公衆衛生上、風紀上よくない」「性病をまきちらす」という理由で、警察の取締対象でした。当然、日本軍慰安所の慰安婦にもなれません。

戦前はカフェーの女給や酌婦(宴席などで客にはべり酌をする女)も「私娼」とみなされていたので、朝鮮人は日本のそういった部分までパクッていたのですね。


そうやって、戦前は日本の法を犯してまで売春していたのに、戦後はクルッと態度を変えて

「日本軍に強制連行されて従軍慰安婦にされた、謝罪しろ、賠償しろ!!」

ですからね。日本人がブチ切れるのも当然です。

外務省には全力でロビー活動に臨んでいただきたいと思います。


従軍慰安婦はユダ金の日本悪宣伝


歴史認識めぐるロビー活動強化 外務省、予算増で人材確保
2014年10月26日 産経ニュース

 外務省は25日、歴史認識をめぐる各国議会でのロビー活動を強化する方針を固めた。米、カナダ、オランダの3カ国の議会下院で過去に慰安婦問題を理由とした対日非難決議が採択されたことを踏まえた措置。外務省は平成27年度予算案の概算要求で対外発信予算を500億円増やしており、増額分の一部をコンサルタントやロビイストの活動費に充て、議会対策に本腰を入れる。(後略)

ソース元URL:http://www.sankei.com/politics/news/141026/plt1410260002-n1.html

本記事の資料


朝鮮人女性を日本に強制連行したのは朝鮮人


出典:1927(昭和2)年-1935(昭和10)年 大阪市社会部労働課 「社会部報告 第177号 朝鮮人労働者の近況」 五 性の問題

※( )内は管理人による注釈です。


 かかる男女の性的関係は内地来住の朝鮮人に於(おい)て認められるが、従来内地来住者の大部分は単身渡航者である関係上性的不満に基(もとづ)く性的犯罪は更に多いようである。

即ち次表に見る如く最近に於いては来住朝鮮の男女数の距離が大分接近して来たが従来は男の数が女に数倍する有様であったから、必然的結果として一人の女を中心とする数人の男の葛藤又(また)は人妻を冒(おか)したる者と妻を奪われたものとの間に起る殺生沙汰等血なまぐさい性的犯罪を頻出したのである。 

現在においても尚(な)お在留朝鮮人男子労働者に対する朝鮮人女子の割合は小であり、その上内地人(日本人)女子ににて朝鮮人と結婚したいというような者は例外的にしか存在しないし売笑婦(売春婦)さえも朝鮮人を嫌悪するという有様であるから、彼等(かれら)の性的不満は勢い激化して種々の性的犯罪を重ねるに至るのである。

【在阪朝鮮人増加並(ならび)に男女比率表】
年  度府・市
女一人に
対し男
大正元年末2462248125.0
大正五年末府 7491376258.1
大正十年末6,1681,2527,4204.9
昭和元年末26,9948,23535,2293.2
昭和四年末48,51019,42667,9362.5
〃 41,56014,26955,8292.9
昭和五年十月一日54,78522,34477,1292.5
昭和六年末58,08927,47885,5672.1
昭和七年末77,51740,949118,4661.9


右表に見る如く最近婦人渡航者の激増は男女数の割合を一対一・九にまで接近せしめたため在留朝鮮人の性に関する問題は大分緩和されたようであるが、それは単に程度問題にとどまりその他最初に述べたような婚姻制度(管理人注:親が決めた相手との婚姻、早婚)、道徳観念の低劣などのため性に関する問題は依然として跡を断たないのである。

 現に最近この性の問題に関して社会の注意を惹起したものに、北大阪天六交差点西北側にある活動常設館千代田館裏の俗に朝鮮人町と呼ばれている私娼窟があった。

同所は約四百坪程の広場で、もともと内地人三名ばかりが所有者に無断で昭和四年五月頃トタン葺(ぶき)のバラックを建築してこれを朝鮮人に一戸十三円乃至(ないし)十五円位で賃貸したのが朝鮮人蝟集(いしゅう:蝟=ハリネズミの毛のように多く集まること)の始まりで、後にこれが一戸三百円乃至四百円の権利で売買されるようになり、生活に根強い力を持つ彼等は追々とその数を増して昭和六年頃にはバラックも約三十戸百六十五人の朝鮮人が居住するに至った。

これ等(ら)の殆(ほと)んど全部は朝鮮料理喫茶店などで曰(いわ)く「釜山屋」曰く「豊島屋」等の看板を掲げ、十七、八歳の年若い仲居を二、三年の年期で百五十円乃至二百円程度で朝鮮から雇(やとい)入れ、仲居の数も六十名に達する程の繁盛振りで、表面は飲食店を開業していることになっているが、一歩この町に足を踏み入れると、これが大阪だろうかと疑われるほど煽情的空気を醸成していた。

間口一間乃至一間半ばかりのバラックが両隣りに目白押しに立ち並び、その店頭には白い朝鮮服を着た朝鮮娘が黄色い声を張りあげ、怪しげな内地語を操って内鮮人(日本人と朝鮮人)嫖客(ひょうきゃく:嫖はかるいの意)の袖を引く。

外部からこれ等の建物をながめると総(すべ)てが平屋建(ひらやだて)になっているが、内部に入ると何処(どこ)に斯(こ)うした場所があるだろうかと思われるような中二階が二間、それも一畳半か二畳敷位(くら)いの小間に仕切られ、階下は入口が一坪乃至一坪半の土間に奥が三畳位の間取(まどり)に造られ、そこに彼女等(ら)の怪しげなサービスが行われていた。



朝鮮人の犯罪中「略取誘拐」「監禁」がダントツ1位だった


出典:1933(昭和8)年 司法省調査課 「報告書集 2」



 大阪地方裁判所検事局及(および)大阪区裁判所検事局に於(おい)て受理せる朝鮮人被疑者事件の罪質を見ると大阪地方裁判所の方は大体に於て受理件数が少く特に注意すべき事柄はないようであるが略取誘拐及監禁の罪の分が他の諸犯罪に比し多数であることに気がつく

朝鮮に於ける朝鮮人の犯罪中に於ても「略取誘拐」はその数に於て顕著であり昭和三年度は総件数二二四二九七件に対しその〇・〇〇九に当る二〇一八件となっており之(これ)が多数である原因は「従来の陋習(ろうしゅう:いやしい習慣)寡婦奪去の弊風は打破せられたとは云(い)え近時の趨勢挽回は婦女子の虚栄心の利用誘拐の上醜業に就(つ)かしむる(就かせる)の徒輩多きを加うるに至ったがため」であると云われておる所であり朝鮮人犯罪の特種のものとして取り扱われておる処(ところ)である

のみならず内地に於ける朝鮮人婦女の欠亡(乏)はその供給を望んでいる処であって或(あるい)は人妻に或は酌婦としてその渡来を歓迎せられるのであるから之(これ)を誘拐する犯罪が絶えず行われることは首肯さるるのである

此(こ)の種の犯罪は被害者が内地の事情に通ぜずまた言語も通ぜざる(通じない)のみならず知合(しりあい)など頼るべきものを持たぬ年少の女子が多い関係から警察署に申告せざる(しない)ものが多数あるものと見るべきである。



神戸の「朝鮮ガール」


出典:1931(昭和6)年 竹酔書房 酒井潔著 「日本歓楽郷案内」 朝鮮ガール



 上筒井六丁目から坂道を下ると春日野の終点に出ます。上と下ではこうも違うものかと思われるほど穢(きた)ならしい。

 ここから脇の濱はすぐ近くだ。

 工場地帯であり、従ってプロレタリアの街だ。朝鮮ガールのいるのは脇の濱や西灘で、小(ち)っぽけな怪しい家に「朝鮮料理」と看板の出ている家を見たならば

「ははあ、これか」 と諸君の方ではうんざりするかも知れません。

 こちらはだまっていても、先様の方からどんな犠牲をも敢(あえ)て辞せず── と云(い)った工合(ぐあい)にもさかけて来ます。

 これでは面白くない。

 朝鮮料理も勿論(もちろん)いい加減な喰わせものであることは云うまでもありません。

 冗談半分にでも見に出かける程の代物ではないから、白衣の人肉市場があることだけ申上げておきます。




【写真出典】
・1995(平成7)年 毎日新聞社 「毎日ムック 戦後50年」


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