HOME > 共産主義 > title - 民主党がダメな理由
2014/10/24

民主党がダメな理由


民主党が今度は、宮沢経産相の「SMバー支出問題」を追及するそうです。

なぜ、やりなおすはずだった民主党は2年経ってもダメなのか?

それは、民主党のルーツが、コミンテルンに取りつぶされた朝鮮共産党に行き着くからです。


1928(昭和3)年、朝鮮共産党は共産主義を理解できなかったため、コミンテルンにつぶされてしまいました。

その後、朝鮮人は朝鮮共産党再建を企図し、日本国内や満洲でソビエト共産党、中国共産党、日本共産党に合流しました。

そのうち、戦後も帰国せずに日本で共産運動を続けたり、祖国で弾圧されて日本に密航してきた主義者の末裔が民主党のルーツでしょう。

なので、民主党は、ただ日本人が憎いだけの、革命で日本人をみな殺しにしたいだけの危険団体であるといえます。

そのダメダメぶりは、菅直人のお遍路巡礼に現れています。なぜなら、共産主義は「科学的である、唯物論者である」というのがウリなので、「宗教」という形而上(けいじじょう:形のないもの)を精神の麻薬呼ばわりして排撃するからです。

菅直人のこの姿を見た時に、「ダメだ…」と思った人は多いと思います。

特にマルエン(マルクス=エンゲルス)の「資本論」を、教科書よりも熱心に読んだ団塊世代は。


【ドアカのくせにお遍路】
akagaohenro.jpg

【儒教の教えに従って喪に服す北朝鮮】
mo.jpg


【情けないのは、ダメダメ民主党の方です】

SMバー支出、民主「情けない」 宮沢洋一氏を追及へ
2014年10月23日 朝日新聞

閣僚のダブル辞任のショックが冷めやらぬ中、経済産業相に就いた宮沢洋一氏の資金管理団体からSMバーへの支出が発覚した。首相官邸は違法性はないとして問題視しない考えだが、民主党は閣僚のドミノ辞任を狙って追及する構えだ。

 「あぜんとした。こうした問題を国会で取り上げざるを得ないのは、大変情けない」。民主党の枝野幸男幹事長は23日の記者会見で、宮沢氏をこう批判した。民主党執行部の一人は「チャンスだ。さらに変なことを言えば、完全にクビを取れる」と語り、辞任に追い込むことも視野に入れる。(後略)




1932(昭和7)年、コミンテルンの委員だったオットー・クーシネンはモスクワで発行されていた「革命の友」誌に「朝鮮共産運動に関するクーシネンの意見書」を寄稿しました。

その寄稿の中で、オットー・クーシネンは朝鮮共産党員についてこう述べています。

「共産党員である朝鮮人は、スターリンの言葉を勉強しなおせ、このカスどもが」


【オットー・クーシネン】
オ・クーシネン


クーシネンの寄稿全文は文末に資料として掲載していますが、その要点をまとめてみました。



・朝鮮共産党は分派して権力争いばかりやっている。
⇒菅直人と小沢一郎&鳩山由紀夫。


・同一の分派内に虹の色のようにさまざまな傾向を見ることもある。
⇒まとまらず、決められない政治。権力の座に居すわって甘い汁を吸うことに執着しただけ。


・共産党員たる朝鮮人において異彩を放っていることは、文化の程度の幼稚、階級的自己認識の不足を反映していることである。
⇒朝鮮人民の約8割が文盲だった。 最初の一歩は識字からというレベル。


・朝鮮の労働者はマルクス主義レーニン主義に対する認識が薄弱である
⇒共産主義者なのに共産主義を理解できない。致命的すぎる。


・朝鮮は民族解放闘争を重要視していない民族的改革と民族的革命との間に於ける区別を知らない
⇒民族主義は民族のことは民族で決めようという思想。かたや共産主義は民族の壁、国境をなくしてワンワールドになろうという思想なので、民族主義と共産主義は矛盾する思想であるのに朝鮮人はその両方をまじぇまじぇしている。



・朝鮮は自己批判を行わない。自己批判はソビエト連邦に取っても必要であるが、朝鮮は他人を批判しても自己批判することはない
⇒民主党=朝鮮半島。


・多数の党派間にフラクション(分派)闘争が行われたが、この方面で一般的に知られて居るのは、ポーランドとアメリカ(管理人注:アメリカ共産党)の党派である。しかし、記録を破ったのは朝鮮の分派闘争であった
⇒昔から一番になるのは不名誉なことだけ。


・フラクション闘争を行う時はコミンテルンの同意と許可が必要であるが、朝鮮の多数の同志はこれを忘れていた
⇒ウリは○○と同じかそれ以上ニダ精神の発露。日本人は卑しい民族。


朝鮮にフラクション闘争の許可は与えられなかった。朝鮮はフラクション闘争はある条件の下にのみ容認されるということに留意しなかったし、共産主義の見地からして非常に有害なることに留意しなかった。
⇒ルールや法律を守らない、組織そのものからして違法な民主党。


朝鮮共産党は同志スターリンの説の中のフラクションの害毒に関する部分を暗記すべきである。
⇒ちゃんと共産主義を勉強しろ! このカスどもが。


・「コミンテルンの入党規約」には、党規に関する鉄則が規定されている。このような厳重な党律なしには、共産党は革命運動に於て指導的任務を果し得られないのみか、大衆の末席に列すべき党派にのみ陥らねばならない。第一党たる意味を失って共産党の指導地位から退かなければならない。
⇒売国裏マニフェストは作ったけれど、綱領はなかった民主党。


・多数のフラクションがある朝鮮の事情としては党内に労働者が極く少数であったから、よりよく鉄則を守らなければならなかったはずである。フラクション仲間には達見の労働者は極く少なかった。あるいは全然いなかった時もあった
⇒政治手腕はゼロだった民主党。


・朝鮮の共産党運動は、なんら規律もなくかつ内訌(管理人注:内ゲバ)をもって終始する司令部を持つ軍隊の敗戦は当然なことである。
⇒規律もないし、官邸にたてこもって内ゲバ。


朝鮮共産党は自己の利害関係にしか頓着しない
⇒自民党が「政治とカネ」なら、民主党は「売国とカネ」。祖国と同じで国難は金もうけのチャンス。


・スターリンが指摘する人々は朝鮮にもたくさんいた。スターリンはそれに対する特徴を語っていわく、「彼等はフラクションに関する小問題を捕えて論議したり役に立たない政見を立てたり、又かかる政見に訂正を加えたりしている。フラクションの反対を捕えるために幾月幾週という時日を費やすのである。そうでなければ、何かの作り話を創作する」と。
⇒腹案は出なかったが菅談話は出した。小沢一郎の座敷牢送りに血道をあげ、放射能は直ちに影響はありません。


・朝鮮共産党はコミンテルンに対して露骨な闘争態度に出たならば良かったのに、彼等はそれを欲しなかった。部分的にはコミンテルンに賛成であって、フラクションには反対だと彼等はいう
⇒なにも決められないからね。


・今後の朝鮮共産党に、分派闘争を行う人物達は不必要である。なぜならば、このような人々は革命運動において有害なる構成分子となるからである
⇒21世紀になっても権力争いしている革命運動にとっても有害な民主党。


・朝鮮共産党はそれほど大きな害毒をもたらすことは出来ないだろう。なぜなら、彼らに対する反対闘争が成功するだろうからである
⇒反共日本人が民主党をつぶそうとしている現在。


真のボルシェヴィキー(多数派、過激派)の基礎は、朝鮮共産党の細胞が考えていたものとは違う
⇒最初から考えていない。「共産主義はソ連様が考えて下さった日本を攻撃できる思想」程度の認識。


・朝鮮共産党の機関雑誌「階級闘争」や「ボルシェヴィキー」は我々の味方であったか?それとも我々に反対したのか?何ともいえない。これらの雑誌の態度がはっきりしていない。はっきりしてなかったとすれば、多々我々に反対するものだとみなさなくてはならない。そうなれば朝鮮共産党に対抗して闘争を起さなければならない
⇒コミンテルンを怒らせるくらいアホだった。


・もし朝鮮共産党が反フラクション闘争を行うべき約束をしながら、なおフラクション員として潜行的行動を敢てする同志があるならば、そのような同志は早速除名しなければならない
⇒そして誰もいなくなった。


・朝鮮共産党は真面目な共産党建設のため、フラクションを掃蕩する目的のために、一様に真面目に活動的に援助してもらわなければならない。
⇒民主党はふざけた共産主義団体、とコミンテルンが認定。




コミンテルンが指摘した朝鮮共産党のダメダメぶりは、そのまま民主党にあてはまります。民主党はじめ日本の朝鮮系野党は、コミンテルンに見捨てられたダメダメ共産主義者たちです。

日本人はもう二度とこういった危険思想団体に投票してはなりません。

ふたたび、こういう危険思想団体が政権与党になったなら、その時が日本滅亡の時です。


【いま、人気があるそうですね】




本記事の資料




出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会 「朝鮮人の共産主義運動」所収 昭和十五年一月 司法省刑事局 「朝鮮人の共産主義運動 遺補」



朝鮮共産運動に関するクーシネンの意見書


(本意見書は「朝鮮共産運動に就て」と題し、昭和七年五月モスコー(モスクワ)に於て発行されて居た「革命の友」誌上に発表せられたコミンテルン執行委員オ・クーシネンの論評である。)

 
 同志諸君、私は玆(ここ)に理論上の不一致の意義に関する評価には、二通りの見解がある。或る同志はフラクション(分派)闘争を弁護するに際って、斯かる闘争を原則的なものとして居る。

彼等は曰く、「朝鮮では各分派間に於て理論的な論争が行われた。それは寧(むし)ろ有益なもので、理論上の不一致を除去する要はない。で、斯かる論争は当然であろう」と結論して居る。

他の方面からはこういう考え方を表明して居る。即ち、「斯かる論争は不必要だ。何故なれば、朝鮮には諸諸の重要なる実際運動が欠けて居る。のみならず、現在行われて居る理論は悉(ことごと)く卑屈なものである。実験は極めて重要であるが、理論はそう大した意義を持たない」という様なことをいって居るのが朝鮮に於ける現状であって、先づ此の点に付て意見を述べることにする。

 私は斯かる不当な意見には賛成出来ない。前に朝鮮共産運動に於ては、各分派間に理論上の不一致があると謂(い)ったが、それは本質的な不一致ではないのである。

然(しか)し本質的な不一致のないことを以て、決して此の間の問題に対して如何なる立場を執ってもよいと云う意味に解釈してもよいと云う訳ではない。どの分派を問わず何れが果して正しいかに付証明が出来ないと云う意味に、我々は解釈せねばならぬ。

どの分派にも正しい見解が存在しなかった許(ばか)りでなく、実に幾多の問題に付て各派は虚偽の見解を有するのみで、何等一定の見解を持たなかった。

 彼等の演説に依れば、各派又は各同志間には、種々な傾向が多分にあった。だから、何れの傾向が重きを為(な)すやを結局区別することが出来なくなるのである。

偶(たま)には同一の同志間に虹の各色の様な凡(あら)ゆる傾向を見受けることが出来るのである。同志「マジャル」は、既に朝鮮の雑誌から或る若干の引用文を発表した。此の引用文には理論上の見解に付極めて驚くべき事柄が記載されて居る。

 朝鮮に於ける共産主義の文章なり、又は共産党員たる朝鮮人の進出に於て、異彩を放って居ることは、実に文化の程度の幼稚、階級的自己認識の不足なことを反映して居ることである。之は事実だ。そしてこのことは、我々として朝鮮の運動に於ける基本的な理論上の諸問題解決の為充分努力せねばならぬことを意味して居る。

全ソヴェート連邦の共産党員なり独逸共産党や他のより文明国の共産党員は、理論的の問題に付ては議論するかもしれないが、我が朝鮮に於ては問題は極めて単純であるからして、我々は此の問題の理論的分解をば必要としないと云うならば、之亦(また)非常に誤った見解であらねばならぬ。

否寧(むし)ろ其の反対である。朝鮮の共産運動に関する戦略問題は、資本主義の発達した孰(いず)れの国よりも遥(はるか)に複雑である。然らば何故に此の根本問題の解決の為出来るだけ理論上の明確さを必要とするか。

 先づ第一に、朝鮮の無産階級は非常に若く、又階級的認識が充分発達して居ない。朝鮮の無産階級は比較的経験が浅く、又無産者が共産党運動に参加することは極めて稀である。運動に於て常に主たる役割を有するものは、革命的知識階級である。

 第二には、特に朝鮮の労働者はマルクス主義レーニン主義に対する認識が薄弱である。

 第三に、斯かる知識を急展させるに当り、我々は朝鮮に於ける革命的労働運動の根本問題に付相当複雑な事情に遭遇せねばならぬ。

 此の複雑な事情とは何か。

 私はこの疑問に付ては簡単に答えたい。国際共産運動に於て、我々に与えられた課題に付語るに当り、我々は闘争に関する主要な課題を二大別することが出来るのである。

資本主義国家に於ては、一面に於て、右翼臨機応変主義的且奴隷的政策と闘争しなければならぬと共に、又他の一面に於ては左翼分派主義即ち、労働大衆から党を絶縁せんとする政策と闘争しなければならぬ。

玆(ここ)に問題は、政治の多角的性質と政治の革命的性質の正しき結合に依ってのみ、大衆運動として正しき大衆的指導を行うことが出来ると云うことであって、之は、朝鮮は勿論朝鮮と類似の植民地に於ても等閑視されて居る、故に、我々は革命の戦略に関する基本的問題を、無産階級の政策及民族的解放闘争と正しく結合せしむる点に着眼して研究するを、妥当とするものである。

我々は、此の点に於て植民地革命運動の行程に於て相当の複雑さを看取する。

 大国主義及資本主義の発達した国に於ける最も根本的戦術竝(ならび)に手段は、無産階級の独裁獲得である。朝鮮又は朝鮮と類似した国にも此の目的たる社会主義革命が必要であるが、然し最も近き基本的な戦略手段は、前者と異り、此処(ここ)では無産階級や農民の革命的民衆の独裁であって、それが後に当然社会主義無産大衆の独裁に転換するのである。

即ち、朝鮮や朝鮮に類似した植民地に於ては、最初は資本主義的民主主義的革命を必要とし、其の後に社会主義革命に転換するのである。勿論斯かる運動の完成の為には幾多の段階を必要とする。

 闘争から遠ざかろうとする危険又は避くべからざる段階(資本主義的民主主義的革命)を飛び越えて進まんとす試みに対する問題も、 朝鮮に於いては他の帝国主義国家よりは遥(はるか)に複雑である。

此の状態は階級認識の遅々たることに関連して益々複雑化して居る。斯かる特質の為に、我々の問題解決は益々困難となるのである。

朝鮮の様な植民地に於ける戦略戦術に関する根本問題を決定するに当り、幾多の困難に逢着せねばならぬことは、畢竟するに斯かる地方にはレーニン主義を拒否するものが多く、又他に誤謬もあるからである。故に、レーニンズムに対する各種の傾向を整頓し、又斯かる諸傾向を分類せねばならぬ。

 大体朝鮮の革命運動に於ける諸傾向は、労働運動に於て表れたブルジョアジー、小ブルジョアジーの思潮の反射に過ぎない。小ブルジョアジーとブルジョアジーの主なる思潮を挙ぐれば、
(一)民族改革派(民族的ブルジョアジーの主流)
(二)民族急進派
(三)社会改革派
(四)社会急進派
の四つを指摘し得る。

 前二者は二種類の民族的思潮即ち漸進と急進の区別があり、後二派の特色は民族解放闘争を重要視しないことにある。

 此のことは、国際共産党大会のテーゼにも指摘されて居るが、朝鮮の共産党員の議論中には左程反映されて居ない。私は特にコミンテルン第六次大会のテーゼの第十九項及第二十二項に注意を促したい。

 第十九項に斯(こ)う云うことが記載されて居る。

 斯かる植民地に於ける民族的ブルジョアジーの民族主義的改革の方向の評価を誤ることに依り、戦術戦略に大なる誤謬を生ずる処がある。而して此の誤謬を二種に分け得る。

⑴ 民族的改革と民族的革命との間に於ける区別を知らないことに依り、無産階級を資本階級から引離しても、政治的及組織的に不明瞭な境地に導き、最も重要な革命的スローガンの消滅を来すことになる。一九二五-一九二七年間に支那共産党がやった主要な誤謬が詰りそれである(管理人注:第一次国共合作。コミンテルンの指導で中国共産党員が国民党に入党した。その結果、国民党は共産党員に牛耳られるに至った。のち蒋介石が共産党の傲慢さにブチ切れて第一次国共合作は終了した)。

 ブルジョアジーの民族的改革主義と封建的帝国主義との両者間に於ける差異の特質に対する評価不足は、運動の初期段階に於て小ブルジョアジー及農民には勿論尚(なお)労働階級の或る部分に迄影響を及ぼすところが頗(すこぶ)る多く、それは遂に分派運動を招来せしめ、共産主義者を勤労大衆から隔離することになるのである。

此のことは既に第二次国際共産党大会に於ても、植民地に於ける共産党の最も重大なる問題として、即ち自国民族内に於ける民衆の反ブルジョア運動上重大な問題として強調されたが、斯かる重要問題に対する注意が足りない。

勤労大衆がブルジョアジーの影響から解放されぬ限り、ブルジョア的民族革命に依る共産党運動の根本的目的は達し得られない。無産階級の大多数を獲得せざるブルジョア的民族革命は成功し得られないし、又社会主義革命は尚不可能である。

 又テーゼ中には、数箇所に亙(わた)り此の差異が特徴づけられて居る。朝鮮ブルジョアジーが革命的任務を果し得るや否やの問題に関して述べられて居るのではなくて、朝鮮は階級闘争の進行過程にあるので、此の過程に於ては独特な民族革命的且民族急進的流派が出現するであろう。之は全く明白である。

 斯かる朝鮮の革命家を見たものがあるであろうか。私の考で、若(も)し民族的革命家が共産党の一部の中に存在したとしても、それは敢て不思議でない。否それは、或る程度迄自然の現象かも知れぬ。

何故ならば、朝鮮の民族的革命家は共産党員として多数現れ、又真の共産党員たるが如く自処するからである。彼等の終局的な自己認識が完成せざる限り、それは継続するであろう。例えば、帝政ロシアに於ても一時はマルクシズムが流行して、多数のブルジョアはマルクス主義になって居たことを、諸君は記憶して居るであろう。

 特にソヴェート連邦が存在し、マルクシズムやレーニンズムが広く伝播されて居る以上、運動の初期に於ては多数のブルジョア民族革命家が共産党員の資格で出現するであろう。此のことを忘れてはならぬ。

 第二十四項に曰く。

 若し民族的大ブルジョア政党の主要方向に対する評価を誤れば、小ブルジョア党の本質目的に付ても評価を誤る処が生ずる。此等(これら)の党派の辿(たど)る途(みち)は、「民族革命の戦線から民族改革の戦線への途」である。と。

 支那に於ける孫文主義や国民党又は印度に於けるガンディズムは、皆之に属する。

 又テーゼ中に曰く。
「印度の様な地方に於ては、新しい急進的小ブルジョア思潮が胚胎することがある」

 然し斯かる思潮は、畢竟民族的ブルジョアジーと結び付いて居ることを忘れてはならぬ。此の種の思潮を賛美する小ブルジョア的インテリゲンチヤは、民族的革命を主張し乍(なが)ら或(ある)程度迄は自国に於ける資本主義発展の為の代表者たり得るのである。

 此の種の民族的思潮が未だ組織されて居ない地方に於ては、一般には斯かる思潮は存在しないと考えてはいけない。諸資本主義国家には、社会改革主義又は社会国粋主義の存在して居ることを、我々は知って居る。特筆すべきは、植民地にして社会改革主義の培養されない処なしと云うことである。

 農村が都市手工業の破壊されつつある植民地には、無産階級の列に新しい農民の層や他の小ブルジョア層が益々加わって来て、小ブルジョア的イデオロギーを持ち込んで居る。のみならず、朝鮮の様な地方には、特典に恵まれて居る日本の労働層が居るのである。

だからして、社会改革主義の思潮或は社会国粋主義の思潮が彼等に依り支持されなかったとしたら、それこそ不思議なことかも知れぬ。社会急進主義も法則的現象として必ず現れる。

此の思潮も、社会改革主義と同様に、民族的特質に対する認識が不足して居ることを特徴とし、一方に於ては此の思潮は社会改革主義に反して、稍(やや)無政府主義が左傾向サンヂカリズム(管理人注:19世紀末から仏・伊国両国に発生、特に仏で流行した労働組合主義の一つ。一切の独裁を否定し、総同盟罷業又は直接行動によって一挙に無政府共産社会を実現しようとする主義)又はトロツキー主義に近づいて居ると云わざるを得ない。

 屡々(しばしば)あることだが、斯かる思潮の追従者は或る微々たるグループにしか見受けられない。而して彼等は団体的には全く大衆から離れて居る。斯かるグループの存在は全く無意義な存在である。

 前述の如く、事実に於て斯かる諸思潮は左程明確に定義されて居ないし、又左程明確に区別されて居ない。其の所以(ゆえん)は、此等の思潮が未だ完全に組織されて居ないし、又党派として存在して居ないからである。

此等の思潮が一の「傾向」として労働運動に如何なる影響を及ぼして居るか、共産党運動に対する此等の影響を批判するに当り、此等の傾向の根源を探究することは極めて大切である。

 朝鮮の党派は自己批判に慣れなければならない。惟(おも)うに斯かる自己批判は、我々ソヴェート連邦に取っても必要である。私の不思議に思うことは、多くの同志諸君が他人を批判するが、自己をば批判しなかったことである。

 我々の間にも、或る問題に於ては全然誤謬がない訳ではない。朝鮮問題に関しては特に然りである。私の考としては、斯かる問題即ち誤謬を有耶無耶(うやむや)にするより、寧(むし)ろ露骨に公開するのを妥当とする。

多年の間我々は、朝鮮共産運動に於ける非常に複雑した諸問題を処理する充分なる機関を持たなかった為に、大なる誤謬を生ぜしめた。

 私は朝鮮問題に付て二つの決議案を有して居る。同志諸君は未だ此等の決議を知らないかも知れない。若しそうであるとすれば、彼等が何故に此の問題を批判しなかったかが明かとなる。

 一九二五年に一の決議案が発表された。之は朝鮮の問題に関する第一の決議書である。此の決議書は朝鮮共産党の最も大きな細胞の大会が招集されたと云う報道に接した当時起草したものであるが、此の中に曰く、「朝鮮の共産主義的諸団体の政治的組織的な基本的任務は、近き将来に為(な)さねばならぬ幾多の任務中、労働者や農民其の他の勤労層を結合すべき民族的解放闘争に関する問題を、第一線に引き出すことにある」。

又他の項に曰く、「朝鮮の共産党と共同して支那の国民党の如き民族的革命党の建設に関する問題を設定せねばならぬ」と。

 他の決議に曰く、「現に朝鮮の革命運動に於ける最も重要なる問題は、労働階級及農民其の他の工匠知識階級中小ブルジョアジーを網羅する大なる民族革命に関する問題である」と。

現在に於ては新しい民族革命的団体の建設は容易かも知れないが、既成民族諸団体により密接な結合を作ることに関する問題や、又此等の団体から支那国民党の様な唯一の団体を組織することに関する問題を設定しなければならぬ。

各種の民族主義団体を結合させること、即ち朝鮮国民党の建設に関する任務は、朝鮮の現状下に於ては左程困難なるものではない。又「此の任務は、共産党の名義に於て行われるを要しない。朝鮮の独立獲得闘争と云う標語の下に、行われることを要する」。

 次に、「朝鮮の共産党は、民族的団体を指導する地位にあるものをば出来る限り自分の党員を以て充てる様努力しなければならぬ」。然し余り斯う云うことに許(ばか)り頓着せぬ様彼等に警告せざるを得ないのである。

「共産党の根本問題は労働者や農民の支持を得て民族、団体を左翼化し、此等の団体を其の首領と共に民族的革命闘争に引き入れるにある。此の見地からして、或る程度迄朝鮮の共産党は、多数の民族的団体を分裂せしめんとする試みに反対して大いに戦わなければならぬ」。

又「此の団体の全部を其の首領と共に民族革命闘争に引き入れなければならぬ」と。

然し我々は、斯かる団体を其の首領と共に民族的革命闘争に引き入れるのが容易ならぬことであると考える。何故なれば、此等の首領は革命闘争を行うよりも成る可く(なるべく)革命其のものを売渡そうとするからである。

同志諸君、若し斯かる誤謬や其の影響が左程甚だしくなかったならば私は玆(ここ)に此の問題に付て述べなかったであろう。

 一時は朝鮮の運動に対する正しき見解は一もなかった。之には一の重大なる理由があるのであって、それが朝鮮の共産党運動の発展を妨げて居たのである。斯かる誤謬をば我々は当然訂正しなければならぬ。

 民族的団体ならび)に民族革命団体に関連せる此の二つの決議は、或る部分に於て第六次大会の指令と合致するのである。然しコミンテルンの第六次大会は特に何を指示して居るか。朝鮮共産党の具体的問題は如何なるものであるか。ニ、三根本問題を取り上げることが出来る。即ち、


「共産党員は、最初先づ朝鮮の無産階級の間にあって自分等の任務に熱中し、活動力を多角的に向上せしめ、農民や労働者の同盟機関を鞏固ならしめ、職業的同盟団体の改組を計るよう努力せねばならぬ」。

又「共産党は何よりも先づ、新勢力たる産業的労働者の力を引き入れなければならぬ。之はボルシェヴィキーの発展の為最上の保証たるのみならず、又有害なる分派的精神を清算する為にも絶対に必要なるものである」ことを示し、尚「生産業的下層階級の団体や一般的無産階級の中から党員を募集するに当り、極く細密な注意を払わなければならぬ」こと、及「共産党員は、農民階級を搾取する植民地の恰(あたか)も強盗的制度が強化されつつあるに鑑み、益々現実的な意義を有して来る農業革命のスローガンと、民族解放要求とを密接に結び付けなければならぬ。

而して根本的なるは、農業革命のスローガンでなければならぬことである」ことを強調して居る。


 以上二つの決議案では、前述した通り種々の留意が朝鮮独立を標榜せる民族解放に集中されている。然し乍ら、之は、ブルジョア的民族革命に関する根本的問題中、唯問題の一つが留意されたのみである。

即ち、農業革命に関する問題又は無産階級のヘゲモニー獲得に関する問題等は全然顧みられなかった。斯くして単にブルジョア的民族革命の問題に留(とどま)った訳である。

 私は又玆にコミンテルン第六次大会のテーゼ中にある文句を引用する。「天道教其の他の大なる宗教的且民族的団体の勤労大衆を、民族的革命派の首領等の専制から脱せしむべく、我慢強き革命的啓蒙的事業を営まねばならぬ」と。

之は全く新しい表示であって、前に云った決議と相違して居る。即ち、之は大会の決議として前にやった誤謬を訂正したものである。

 又曰く、「諸々の既成革命団体の中に共産党の勢力を固めなければならぬ。普通の民族的革命党を組織する代りに、各種の民族的革命団体の活動力を連合せしめ、而して連合委員会の援助に依り、プロレタリアート共産党の指導の下に実質的合同体を作って、小ブルジョア的民族主義者の動揺を批判し、以て解り易く大衆の前にそれを暴露せねばならぬ」と。勿論合同が形式的に陥らずして実質的合同とならば、之に越したことはない。

 此の問題は如何なる種類の革命的団体が存在して居るやに関連を持つ。信用は出来なかったにしろ一時は新幹会の会員が十万も越して居る様に伝えられた。これはひどい誇張であって、而も此の団体は中流以上のものを以て組織されたものであり、真の大衆的団体ではなかったことが、今になって判明している。

 朝鮮では他の地方と同様に、細胞の方向が絶えず変更され、一方から他の反対方向へ転々するのである。同志は社会急進主義的傾向から社会改革主義的傾向へ、又は反対に転々して居る。

 同志諸君、我々は或る種の腐敗した妥協案を提出せんとするものに非ず、又既成フラクション(分派)に結合されんとするものでもなし、各種のフラクションの内から集まるところの同志諸君に結合されんとするものでも全然ない。

我々には明確な限界線がある。此の限界線は、コミンテルン第六次大会に於て決定されたものであるが、朝鮮共産主義的団体の勢力は之を此の限界線の周囲に結合させ得るものと考える。

 御承知の通り多年の間多数の党派間にフラクション闘争が行われた。此の方面で一般的に知られて居るのは、ポーランドとアメリカの党派であるが、レコードを破ったのは朝鮮のフラクションであらねばならぬ。

 フラクション闘争が必要にして且認容される場合がある。或る朝鮮の同志は、斯かる朝鮮に於ける紛争を以て右の場合に当るものの様に考えたかも知れぬ。

如何なる場合にフラクション闘争が必要にして且認容されるか。労働運動に於てブルジョアジーの代表者に対抗して闘争する場合、又はボルシェヴィキーがメンシェヴィキーと同一の党派内に存在する場合に、斯かる闘争は必要欠くべからざるものである。

斯くの如く、我々は何時(いつ)もフラクション闘争に反対するものではない。然し斯かるフラクション闘争が如何なる場合に必要であり、如何なる場合に有害であるかを識別しなくてはならぬ。フラクション闘争は、ブルジョアジーの代表者を党内から駆逐分離する場合必要にして且容認さるべきものである。

 第三条件は、コミンテルンの同意と許可である。朝鮮の多数の同志は之を忘れて居たのである。一時ボルシェヴィキーがメンシェヴィキーに対抗してフラクション闘争を行ったことがあり、斯かることが朝鮮に於ても認容されるものと考えたらしい。

然し同志諸君、ボルシェヴィキーがフラクション闘争を行ったのは、コミンテルンの存在しなかった時代であって、一九一九年からはコミンテルンの許可なしには斯かる闘争は許されぬものである。同志諸君には斯かる許可が与えられなかったではないか。各フラクションは、フラクション闘争が或る条件の下にのみ容認されるということに留意しなかったし、又然らずんば共産主義の見地からして非常に有害なることに留意しなかったのである。 

 同志スターリンは、先年共産党運動に於けるフラクションの害毒に付精細に陳述して居る。彼の説は雑誌「ボルシェヴィク」第一号に最近公開されて居る。同志スターリンの説の中のフラクションの害毒に関する部分を、同志諸君に暗記して貰いたくなる。

彼はアメリカの党派に付て語って居るが、朝鮮の共産党運動に於けるフラクションの仕組に付てもよく知って居る様である。

 スターリンはフラクションの害を四項目に列挙して居る。「先づフラクションは党結束感を鈍くさせ、革命の自覚を妨げ、党の任務を昏迷させ、以て党の規律を動揺せしめるのである」。

 「コミンテルンの入党規約」には、党規に関する鉄則が規定されて居る。 斯かる厳重な党律なしには、共産党は革命運動に於て指導的任務を果し得られないのみか、大衆の末席に列すべき党派にのみ陥らねばならぬ。第一党たる意味を失って共産党の指導地位から退かなければならぬ。


 朝鮮には多数のフラクションがあった。朝鮮の事情としては、殊に党内には労働者が極く少数であったから、よりよく鉄則を守らなければならなかった筈(はず)である。フラクション仲間には達見の労働者は極く少なかった。或(あるい)は全然居なかった時もあった。

 一九二〇年党則第一条に付ボルシェヴィキーとメンシェヴィキー間に議論の生じた時、ボルシェヴィキーは如何にして党を鞏固
ならしめ、又余分な小ブルジョア層が党内に流入するを如何にして喰い止めるかと云う問題に留意した。

ところが朝鮮の共産党運動に於ては、フラクションに小ブルジョアならざる労働者を余り入れさせぬ方針を取り、其の目的貫徹の為に労働者の入党条件を非常に六か敷く(むずかしく)したのである。何等規律もなく且内訌を以て終始する司令部を持つ軍隊の敗戦は当然なことであろう。

 スターリンの云う通り、フラクション闘争に於ては、「何でもフラクション闘争の為に且何でも党の為に」しなければならぬ。

 同志スターリンは米国の党を例に採って解説して居る。アメリカの党派の各々の人物は概して詐欺師みたいなものではあったが、然し同時に党の良き友であった。人格としては斯様につまらない奴ではあったが、愛党者たる彼等に依って党は何時も保証されて居たと。

同志スターリンの言葉を借りて云えばフラクション闘争の為には一片の木片、一寸の縄、一個の劣等なる兵卒、一個の悪き士官と雖(いえど)も皆貴重なるものである。如何なる人物であるかは一向構わない。唯自分のフラクションの愛護者であれば結構である。スターリンの演説第二項は尚適切である。

「フラクションの害は党の訓練を妨げるにある。レーニンが云う如く、原則的政治は即ち最も正しき政治である。然しフラクションはそれに反し、フラクションの権謀術数や非原則的なフラクションの組織体が真の正しき政治だと考えるのである。然らばフラクションの闘争に於ける眼目は、原則的な政治家を養成するに非ずして、経験に富む詐欺師やメンシェヴィキーを養成するにある。全くそうだ。而してフラクション員の斯かる訓練的任務は、党の、又は労働階級の根本的な利益に反して居る。彼等は自己の利害関係にしか頓着しない。であるから、原則的な政治家又は正直な下層階級の革命家は、フラクション員から歓迎されないのである。」

 朝鮮の運動に於てもそうであったか。屡々(しばしば)そうであったと私は考えるのである。

 スターリンが指摘する人々は朝鮮にも沢山あった。然し斯かるフラクション員にも或る政見なり、或るプログラムがあった。スターリンはそれに対する特徴を語って曰く、「彼等はフラクションに関する小問題を捕えて論議したり、役に立たない政見を立てたり、又斯かる政見に訂正を加えたりして居るのである。フラクションの反対を捕える為に幾月幾週と云う時日を費やすのである。然らざれば何かの作り話を創作するのである」と。

 次にスターリンの演説中最も重要な点を紹介すれば、「最後にフラクションの害毒が如何なる点にあるかと云うと、フラクションは党内に於ける積極的任務を其の根元から破壊し、労働階級の日常生活問題に対する党内の労働者の希望を奪い、労働階級とブルジョアとの階級闘争の為の訓練に関する党の能率を減退せしめ、以て労働者の前にて党の威信を傷つけるものである。それが為に行列を作って党へ流れ込むべき労働者が結局党を遠ざからなければならぬ」と。

 フラクションの頭株や其の他の重要人物は、非常に狡猾なものだったらしい。彼等が寧ろコミンテルンに対して露骨な闘争態度に出たならば良かったのに、彼等はそれを欲しなかった。部分的にはコミンテルンに賛成であって、フラクションには反対だと彼等は云うのである。

彼等は新党を樹立するが為に、フラクションの連合委員会を作ったり、機関紙を出したりして居ると同時に、「何故に我等はフラクション委員か証明せよ」と迫るのである。

証明までする必要はない。成る程或るものはコミンテルンの味方になると同時に、一歩進んで反フラクション闘争を行うものがある。例えば、ソウル党員はML(マルクスレーニン)党員を一掃するが為闘争を起して居るが如きである。

 彼等はフラクション一掃の為の闘争を行うが如き仮装をして居るのである。然し之はフラクション掃蕩の極く平易な手段である。斯かるフラクション清算手段が朝鮮で行われた。然し之はフラクション清算手段とは云い得ず、フラクションの闘争と云うべきものである。

 フラクション員はフラクションの仕事には一切関係して居ないのだと自任し乍ら、彼等は住民の親方なり、今後の朝鮮共産党首の候補者たる気持ちに立脚して居るのである。彼等の斯かる態度に対し、我々の回答は次の如くである。今後の朝鮮共産党には、斯かる人物達は不必要である。何故なれば、斯かる人々は革命運動に於て有害なる構成分子となる許(ばか)りだからである。

 然し彼等は左程大きな害毒を齎(もたら)すことは出来ないであろう。何故なれば、彼等に対する反対闘争が成功するだろうからである。或る問題に対するフランクション員の説明が正しいと仮定しよう。斯かる場合に於ても、我等は彼等を責めなければならぬ。

フラクション員を悉(ことごと)く改造して、以て彼等が真に立つ様にしなければならぬ。 真のボルシェヴィキーの基礎は、今迄朝鮮共産党の細胞が考えて居たものとは違う。勤労大衆と最も密接な関係にあるインテリゲンチヤの有するところの共産主義の力に依り築き上げられた健全な下層階級の組立が、先づ第一の共産党の基礎である。

第二の基礎は、党の鉄則と一党主義である。之は真のボルシェヴィキーの為には欠くべからざる基礎である。

第三の基礎は、レーニンズムを土台にする原則的政治であり、且レーニンズムの正しき活用である。

第四の基礎は、フラクションの諸残党に対する容赦なき規律正しき闘争である。

 フラクション員又は既往のフラクションの同志が、フラクション其のものの様に何もしなかったことは、非常に寒心に堪えないことであった。彼等はフラクションに対抗して能動的闘争を行わなければならぬ。之即ちフラクションを一掃するが為先づ第一の義務である。

斯かる場合に於て尚且我々に味方せざるものは、我々に反対するものである。朝鮮の共産党の機関雑誌「階級闘争」や「ボルシェヴィキー」等の態度はどうであったか。斯かる雑誌は我々の味方であったか、或は我々に反対したのか。何とも云えない。此等の雑誌の態度がはっきりして居ない。はっきりして居なかったとすれば、多々我々に反対するものだと看做さなくてはならぬ。然しそうなれば彼等に対抗して闘争を起さなければならぬ。

 私は玆(ここ)にもう一つの事柄に付て述べたい。此の闘争に於て進んでコミンテルンの味方になろうとする同志に対しては、フラクション的疑惑を抛棄せねばならぬ。

或る同志諸君が一時或るフラクションに属して居ったという理由で、彼等が潜行的に又フラクションの闘争を行うであろうと云う仮定の下に、彼等を排斥してはならぬ。

何故ならば、既に如何なるフラクションに属しなかったものは極く稀であるからである。自分の既往のフラクションから脱退して誠心誠意に自分の既往のフラクションに対抗して戦う同志ならば、結構である。斯かる同志は朝鮮の共産運動の為に大いに必要である。

 コミンテルンの味方になって反フラクション闘争を行う同志に対する根拠なきフラクション的疑惑を抛棄しなければならぬ。若し反フランクション闘争を行うべき約束をし乍ら、尚フラクション員として潜行的行動を敢てする同志があれば、斯かる同志は早速除名しなければならぬ。然らざる場合に或る同志に対して無限の疑惑を持っては罪悪である。

 真面目な共産党建設の為フラクションを掃蕩する目的の為に、一様に真面目に活動的に援助して貰わなければならぬ。フラクションの掃蕩や新しい真の共産党の建設に成功された場合にさえも、我々は多数の大きな難関に臨まなければならぬ。

 闘争を勝利に導く為には、朝鮮の革命家達や無産大衆の奮発が必要である。又相当な犠牲をも払わなければならぬ。








関連記事
スポンサーサイト