HOME > 大東亜戦争 > title - 旭日旗と日本を利用した朝鮮半島
2014/10/10

旭日旗と日本を利用した朝鮮半島


韓国の旭日旗アレルギーが、今度はFIFA機関紙の表紙を見たとたんに発症したそうです。

いい加減、日本も世界も韓国の旭日旗アレルギーにはウンザリしています。
旭日旗はナチスドイツの党旗と同じでもなければ、「戦犯旗」でもありません。

もし、日本が旭日旗を掲げて清国、ロシア、西洋列国と戦っていなかったなら、朝鮮半島はとっくにそれらの国々にのみこまれていたでしょう。


旭日旗を掲げる朝鮮青年隊
支那事変勃発にビビッて日本の軍事力に依存し親日になった朝鮮人を
ごらんください

旭日旗朝鮮人兵1

【日清戦争 黄海海戦】
日清戦争終戦から4年後、大韓帝国は「韓清通商条約」を締結し、ふたたび朝鮮半島に大量の中国人を流入させた。kokai_kaisen.png


【日露戦争】
大韓帝国が国内にロシアを引き入れたために起きた戦争。日本が国家存亡をかけて戦っていた時、韓国皇帝はロシア皇帝に「皇太子ご誕生おめでとう」メッセージを贈っていた。nichiro.png


【真珠湾攻撃】
日本が白人の思想(共産主義)侵略・領土侵略と戦っていた時、朝鮮人は共産主義および連合国側に加担した。shinjuwan.png


【日独伊は共産主義の世界侵略と戦った】
asahi_boukyou_kyoutei.jpg


韓国が21世紀まで存続して、「ウリナラは5000年間独立を保ってきた王国」などという大ボラを吹いていられるのも、旭日旗が朝鮮半島を守ったからです。

韓国の妄想では、日本が旭日旗を掲げて朝鮮半島を武力侵略したことになっているのでしょうね。


kyokujitu_ki_350.jpg
旭日旗

明治22年(1889年)「海軍旗章条令」により、白地に紅の日章旗と16条の旭光を配する旭日旗が、旧日本海軍の軍艦旗として制定されました。それ以来、旧日本海軍の艦艇は船首に国旗日の丸(日章旗)、船尾に軍艦旗(旭日旗)を掲揚するようになりました。戦闘になると軍艦旗は中央マストに掲げられ戦闘旗と呼ばれました。

軍艦旗は、鎮護国家と国権擁護の任務をもつ旧日本海軍軍艦の象徴でした。軍艦旗に対しては常に崇敬の念を抱かなければならないとされていました。国旗と軍艦旗を掲げた艦艇は、一般の商船と区別されて軍艦と呼ばれました。

軍艦は国際法上本国領土の延長とみなされており、公海上、外国領域内でも外国政府の干渉を受けないという特権、さらに軍艦は主権に伴う尊敬と礼遇を受けるものとする特権を有していました。

現在、自衛隊で旭日旗を海上自衛艦旗として使用しています。
                   (靖国神社「旭日旗」の説明より)



日本にチョーセン防衛を丸投げした民族が旭日旗にファビョる


“旭日旗デザイン”FIFA機関誌のデザイン変更 韓国メディアが反発
2014年10月9日 SANSPO.COM

 国際サッカー連盟(FIFA)が発行する機関誌「THE WEEKLY」の表紙デザインが旭日旗を連想させるなどと韓国メディアが反発していた問題で、FIFAが同誌のデザインを変更した。

 欧州で活躍する日本選手を特集した3日付の機関誌の表紙で、本田圭佑(ACミラン)、香川真司(ドルトムント)らのイラストの背景に円と放射状に延びる赤い線が描かれていたが、放射状の線を外す措置を執った。FIFAの広報担当者は「公式な苦情はないが、もし感情を害した人がいるなら謝罪する」との談話を出し、「政治的な意味合いは全くない」との見解を示していた。

ソース元URL:http://www.sanspo.com/soccer/news/20141009/int14100907370002-n1.html

赤化朝鮮に利用された日本


1919(大正8)年に起きた三・一朝鮮独立万歳騒擾事件(朝鮮半島では「三・一独立運動」)以後、朝鮮はコミンテルンの侵入によって急速に赤化され、「反日本帝国主義!」と叫ぶようになりました。

中国の中華思想とソ連の共産主義思想を取り入れた朝鮮人は、大国が二つもバックに付いている強みから、在鮮日本人を排斥し、「国産品愛用運動」を展開して日本製品すらも排斥しました。

それほどまでに日本を敵視していた朝鮮人が、満州事変が起き、支那事変が勃発すると、少しだけ心を入れ替えて日本寄りになったのです。


旭日旗を掲げる朝鮮人志願兵部隊

chosenbutai.jpg

朝鮮人は朝鮮半島のすぐそばで戦争が勃発したことに動揺し、そこで周りを見渡してみたら、朝鮮を守ってくれる国は心の底から侮蔑し、憎んでいる日本しかなかったのでした。

この状況は現在の、中国とアメリカの間で揺れている韓国と同じです。属国DNAは中国をないがしろにできず、しかし現実はアメリカが韓国防衛をやっているという状態です。

そこで、戦前朝鮮人は少しだけ方針を変え、日本に付くことで半島を守ろうとしました。日本敗戦後、朝鮮人が日本人に働いた悪逆非道を思い返せば、心からの転向だったとは言えません。

日本は利用されたのです。

大正時代の日本人(裁判官)は、

「朝鮮人は誰かに依頼して事を利己的に解決しようとする」

と言っています。

まったく、利用された上に戦後はデマ歴史で国旗まで侮辱されるのでは、たまったものではありません。

日本人はご先祖さまの言葉に従い、今後一切朝鮮半島に関わらず、利用されないようにすべきですね。

本記事の資料


日本に反抗して「愛せよ鮮産運動」を展開


出典:1935(昭和10)年 日本公論社 吉方一広著 「飯の社会学」



□ 国亡(ほろ)んで山河あり

 龍頭山公園の桜はもう散ってしまって、葉ばかりになっていた。

 釜山の大築港がどんどんと進行してをるのを眼下に一望して、朝鮮半島の玄関たるこの地の発展ぶりをよく看取出来たが、先刻、此処(ここ)へ来る途中に訪れた会議所や奨励館や物産陳列館で見受けた、「愛せよ鮮産」のポスターが頭に浮んで、鋭い朝鮮の産業精神が、われわれ内地の者に対立しているのを考えないわけにはゆかなかった。

『聞きしにまさる、逼迫(ひっぱく)した形勢だ。』

筆者は人知れず心のうちにこう叫んで、今度の旅行で特に注意せねばならぬテーマをもう一度調べて、書き加えたりしたのである。



極左鮮人跡を断たず、日本共産党と共闘した朝鮮共産党


出典:1942(昭和17)年 大東亜文化連盟 市瀬五郎著 「朝鮮の思想運動を回顧する」



 かくの如く、内鮮(管理人注:日本内地と朝鮮)不良分子の、赤色運動は絶えず、検察当局によって、検挙破壊されつつあったので、急進分子の中には、大亜細亜(アジア)主義へ、転向するもの、次第に、其(そ)の数を増したが、それでも不逞の徒、跡を断たず、昭和八年二月五日、朝鮮共産党再建一味、金致程以下、中央幹部を検挙し四月には上海の、朝鮮共産党が、日本共産党と呼応し、支那設置の陰謀暴露するに至り、大阪では公判中の同志奪還を、計画して鮮人傍聴人一味、十数名が法廷で大乱闘を、看取との間に演じ、鮮内では、児童赤化の、鮮人訓導二十九名が検挙、独立運動の一端が暴露された。

(中略)

一四、その後の鮮内情勢

 肇国以来、天佑と天啓に生きる神国日本! 果然、支那兵の線路、爆破に端を発し、満鉄沿線、柳条溝の闇に、一発の銃声轟(とどろ)いて、果敢なる我(わが)守備隊の応戦となり、国民の熱血は湧いた。

 北大営を占拠し、玆(ここ)に歴史的なる事変の、幕は切って落され、軍部は最後の決意を堅めた。

 二十余年の惰眠から、日本民族を叩き起し、追従から自主へ、萎縮から飛躍へ、東洋の孤島から世界の檜(ひのき)舞台に、光栄ある孤立をまもり、世界を敵として、一歩も退くことなき、威容を示す大旋転の契機となった事変! 白人制覇の歴史進行を、百八十度転回せしめた事変! は又(また)、朝鮮の思想運動に大なる転回の、機を与えずには置かなかった

 愛国精神は勃然として、鮮内に漲(みなぎ)るに至り、事変を中心にして、各方面の美談は、人心を刺戟するもの多く、愛国献金、兵器献納等は増加し、労働組合方面の献納、更に増加し、各階級を通じての熱誠は、陸海軍当局をして、感涙に咽(むせ)ばしめた。



国防精神のない朝鮮人は支那事変にビビッて日本の軍事力に依存した


出典:1939(昭和14)年 亜細亜情勢研究所 「鮮・満の再認識」  二、斯(か)くの如く動けり 



「朝鮮を植民地視するものがいたら、構わん、殴りつけろ」

とは南総督が半島の代表的インテリに与えた言葉であるが、このような半島人を尊重した言葉を聞いて、そして宇垣時代以降の実際目のあたり見る善政を見ていて、これではいかな猜疑に強い半島人でも、彼が日本の半島人であるということに就(つい)て、考えずにはいられなかろうというものである。

「なんの、俺ァそんな甘口には乗らんぞ」

と、頑迷の徒も、それはあるであろう。ないと思うのは、それこそ思う者自身が甘口であるといっていい。

あるにはあるが、しかしそんなのは極少数である。生を日本に享(う)け、日本の限りなく深い恩恵に浴しながらも、日本の恩恵を恩恵としないリベラリストもいようという世の中だ。

本来「韓国」に生れ「韓国」意識の未だ根強く消えやらぬ連中に、そのような気持があったとしても、それは敢(あえ)て怪しむに足らない。それはそれとしていい。

 だが、それらの徒と雖(いえど)も、支那事変勃発後の日本にはまいってしまった筈(はず)である。どうにもならぬ現実の真ッ只中に彼等は立たされたのである。恩威並び兼ね備える日本の実力を、まざまざ見せられた彼等は、これまでの迷いを放棄するのほかはなかった。



なんと両班(貴族)が共産主義に傾倒!!
しかし支那事変にビビッて親日に転向


出典:1938(昭和13)年 京城日報東京支社 京城日報社編 「時局下の朝鮮」 



 率直に言って上流朝鮮人の中には日本の統治に満足しない者があった。貴族、富豪、識者と言われる者に不逞思想を抱く者がないとは言えなかった。

それらがこの事変と共に一挙に転向し、心から日本の統治を翼賛し、進んで協力するようにさえなったのである。それらの人々は全半島を巡回講演して時局の認識、世界の大勢、内鮮一体の理想を説き啓蒙と結束に努力している。

有名な往年独立運動の首領尹致昊氏の如き、生涯日本語を使わずと誓った程の人であるが、今は真っ先に立って民衆を指導し、朝鮮神宮の広前で行われる各種の軍国行事には、いつも司会者として挨拶(あいさつ)を述べる程である。

儒者も僧侶も、近頃は基督教徒でさえもが国家中心主義を説いて銃後運動に協力し、神社参拝問題の如き、さしもの永年の癌も跡方もなく解決して終(しま)った。



朝鮮総督府:
朝鮮人はだれかに依存して事を利己的に解決しようとする
この民族性がワイロ、サギの原因である


出典:1923(大正12)-1935(昭和10)年 朝鮮総督府 [朝鮮総督府調査資料. 第20集] 「朝鮮人の思想と性格」



(ル) 朝鮮人の依頼心、恩義感

 裁判官として朝鮮人の司法事務を取扱う上から朝鮮人に最も通性として見られるものは、朝鮮人が依頼、付託の念の多いことである、何ものかに又は誰(だ)れかに依頼して事を利己的に解決しようと云(い)うことである。

之(これ)が悪用せられると贈賄となり、贈賄に伴う詐偽行為となるのである。




関連記事
スポンサーサイト