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2014/10/05

黒船来航-白人の日本人女性狩り「らしゃめん」


オランダ外相が「慰安婦問題は強制売春そのものであることは何の疑いもない」と発言したそうです。

ならば、長崎の出島で慰安婦たる丸山遊女を買ったオランダ人はどうなのでしょう? 「従軍慰安婦」は反日勢力の創作ですが、「らしゃめん」はまぎれもない事実です。

「らしゃめん」とは、江戸末期、日本に開港を迫りにきた白人に、金で買われていった日本人女性のことをいいます。


【黒船来航】
日本に開港を迫って上陸したのは、英、米、仏、独、露の五カ国。白人は武装して町を横行し日本人を威嚇した。持参したのは性病だった。kurohune_raikou00001.jpg


「女を世話しろ!」という白人の要求に江戸幕府は最初、商売女である娼妓たちをあてがっていましたが、そのうち白人の興味は商売女から純粋な素人娘に移っていきました。

なんの敵対関係もない日本に軍艦多数でやってきて、武装して日本人を威嚇したあげくの「らしゃめん」こそ人身売買であり、強制売春ではないですか?


【横浜渡来アメリカ商人旅行の図】
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特亜や朝日新聞に関わると過去の悪行がさらされるという例


オランダ外相「河野談話の継承、日本の意向支持する」
2014年10月4日 朝日新聞

オランダのティマーマンス外相は3日、第2次世界大戦中に日本軍が占領した旧オランダ領東インド(現インドネシア)での慰安婦問題は、「強制売春そのものであることには何の疑いもない、というのが我々の立場だ」と発言し、慰安婦問題を巡る謝罪と反省を表明した河野談話について、見直しを求める日本国内での動きを牽制(けんせい)した。

 ハーグの同国外務省で、日本メディアを対象にした記者会見で発言した。

 ティマーマンス氏は、「河野談話は、この問題に関する両国間の対話の良い前提となってきた。我々は、日本政府が河野談話を継承する意向であることを完全に支持する」と表明。

ソース元URL:http://www.asahi.com/articles/ASGB4365SGB4UHBI00G.html

らしゃめんのはじまり


洋妾(のちのらしゃめん)発祥の地は、オランダ貿易が行われていた長崎になります。

長崎へは天正年間以来多数の外国人が来航し、寛永に至って出島にオランダ屋敷が、元禄二年には十善寺に唐人(中国人)屋敷が設けられました。

寛政年間以後、オランダ人が出島に居留するようになり、そこへ丸山遊廓の遊女たちが出入りするようになりました。この頃の丸山遊女たちには、オランダ行き、唐人行きといった名称が用いられていたそうです。

文政年間、医者であり学者でもあったオランダ人シーボルトが長崎に来て、丸山遊女だった其扇(そのぎ)(楠本たき)と同棲を始めました。

安政三年七月二十一日、伊豆下田にアメリカ人タウンゼント・ハリスが上陸し、柿崎の玉泉寺に日本最初の公使館を開設しました。

この時、ハリスと通訳兼秘書であったヘンリー・ヒュースケンは下田芸者だったお吉と経師屋(管理人注:きょうじや。表具屋)の娘だったお福を「小間使い」を名義にして、妾(めかけ)として雇い入れました。のち、ヒュースケンは別途、小夜という女性も雇い入れ、商館に住まわせました。

この頃から、外国人に関係する日本人女性を「らしゃめん」と呼ぶようになったので、らしゃめんのはじまりはハリスとヒュースケンということになります。

先鞭をつけたのは、もちろんオランダですが。


【混血児誕生の風刺画】
有名なのは、おらんだお稲。
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らしゃめんの雇用形態


安政六年、横浜が開港すると、外国人に関係する日本人女性には長崎と同じ規則が採用されました。

長崎と同じ規則とは、日本は鎌倉時代から公娼制を採ってきたので、本来ならば娼妓(公娼)はお上が許可した貸座敷指定地(遊廓)でしか稼業できません。

なので、らしゃめんに限り、外国人専門の妓楼(ぎろう。遊廓の中でしか営業できない売春宿)に籍を置いて管理させることにし、らしゃめんには「商館行き」の鑑札を発給しました。

そして、外国人専門の公娼となった日本人女性は一夜、または半月、一カ月という期限を一区切りとして白人の商館に抱えられて行きました。

妓楼の名義借り賃は月極めで決して安くはありませんでしたが、らしゃめんの揚代(娼妓に支払う代金)は日本人客よりも高く、また一カ月でも延滞すると名義借り契約が打ち切られてしまうこともあって、らしゃめんの支払いは滞ることがなかったそうです。


【らしゃめんの鑑札】
「商館行」の文字。
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【外国人専門妓楼抱えの異人専門娼妓揚代金】
一カ月仕切ドル50枚に金二分
半月仕切ドル25枚に金一分
一夜行ドル      5枚


【その他の妓楼抱えの異人専門娼妓揚代金】
一カ月仕切ドル25枚に金二分
半月仕切ドル13枚に金一分
一夜行ドル2枚



町娘らしゃめんの誕生



そうこうしているうちに、やがて白人は抜け目のない商売女ではなく、素人娘を要求するようになりました。

商売女は不行儀、不作法、羞恥心もなくただ金銭のために生きるのみであって、外国人といえどもそういった女たちに飽きてきたのです。

そうして商売女ではない娘が、白人の商館に抱えられて行くようになりました。

娘の選別は商館に出入りする職人、商人の紹介であったり、白人が町で見そめた娘だったそうで、娘たちには多額の支度金(ドル)が支払われ、仲介者にも多額のドルが支払われました。

そして素人娘たちの商館行きの手続は娼妓と同じく、妓楼の名義を借りた「公娼」とされたのでした。


【文久二年 町娘らしゃめん商館別@横浜】
「娘」は町娘らしゃめん。
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白人が日本に対してやった行為こそ、クマラスワミ案件ではないでしょうか?

明治41年にアメリカ艦隊が来日した時、歓迎行事の中に吉原遊廓があったのも、長い航海の果てにやってきた白人を日本政府が警戒したからではないでしょうか?

日本人は、白人によっていわれなき暴力や侮辱を何度も受けてきました。そういう日本人が外国人を差別したり、強制連行して強姦などするはずがないのです。

戦前日本が朝鮮人の日本渡航を勅令から除外してまで許可したのも、当時日本人がアメリカでひどい差別や侮辱を受けていたからです。

日本人が本当に「民族差別」、「人種差別」する民族なら、そもそも朝鮮人の日本渡航を許可していません。

日本人を差別主義者呼ばわりする人たちは、日本人以上の差別や侮辱を経験してから日本人にもの言いして下さい。

でも無理でしょう。「黄禍論」という日本人蔑視思想によって、かつての在米日本人はアメリカに帰化することを禁止されていたのですから。

今回のオランダ外相の発言も特亜による白人の威を借りた日本脅迫かも知れませんが、ハッキリ言ってムダですね。



【資料・写真出典】
1931(昭和6)年-1933(昭和8)年 横浜市編 「横浜市史稿. 風俗編」 第二節 らしゃめん

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