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2014/10/01

韓国の「産後調理院」は日本発祥だった


仁川アジア大会の惨状が日々伝えられる今日この頃ですが、あの惨状は朝鮮の民族性によるものが原因だと思われます。

なぜなら日韓併合まで、朝鮮に産婆(助産婦)はいなかったのだそうです。

朝鮮民族は『他人の介助、介添を忌避する民族性』なので、出産の手伝いなんかまっぴらごめんという風潮だったようです。

朝鮮の産婆は、日韓併合後はじめて朝鮮に日本人産婆が入り、日本が産婆学校を設立して、ようやく誕生したのだそうです。

なので、韓国時代劇で産婆を呼ぶシーンがよくありますが、それは捏造です。

ならば以前ちょっとだけ話題になった韓国の「産後調理院」とはなんだったのでしょう?背筋が冷たくなる話です。

なにはともあれ、一事が万事で「他人の介助、介添を忌避する」民族性なので、セウォル号沈没事故の処理や仁川アジア大会があーなったということでしょう。


【朝鮮の出産があった家の門】
脚注「左縄(管理人注:左に縒った縄)を張り、これに男児ならばトウガラシ、女児ならば炭をはさむ風習がある。
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【韓国の「産後調理院」の発祥は日本だった】


本記事の資料


男児ならばトウガラシ、女児ならば炭をしめ縄にはさむ


出典:1943(昭和18)年 朝陽社 堀貞次良 「内鮮風習理解の書」 慣習



一、朝鮮では出産後三週間は他人の出入を禁じ入口に藁(わら)製の〆縄(しめなわ)を張り、男なればそれに唐辛子を挟み、女なれば炭を挟む風がある。



朝鮮人は他人の介助を嫌うので産婆はいなかった


出典:1935(昭和10)年-1939(昭和14)年 朝鮮総督府編 「朝鮮事情.昭和11年版」 三、産婆



 従来朝鮮人は一般に分娩に際して他人の介補を嫌忌せし為(た)め朝鮮人にして産婆を業とする者は無かったのであるが、近時漸(ようや)く其(そ)の効用を認むるようになって来た。

内地人(管理人注:日本人)産婆は漸次其の数を増加するも、多くは都会地に開業し、僻陬地(管理人注:へきすうち:へんぴな土地)に於(おい)ては殆(ほとん)ど其の影を見ざる状態であったので、京城帝国大学医学部附属医院及(および)大邱・平壌・咸興の道立医院・鉄道医院等に於て之(これ)が養成を為(な)す外(ほか)、大正十三年九月セブランス聯(連)合医学専門学校附属医院産婆看護婦養成所を、昭和七年三月釜山府立病院附設産婆看護婦養成所産婆科を指定すると共に、各道に於て産婆試験を行い、以(もっ)て其の増加を図(はか)りつつあるのである。



朝鮮人の出産は家族の中の経験ある老婆または他家の老婆を借りてきて世話をさせる


出典:1910(明治43)年 韓国駐剳憲兵隊司令部 「韓国社会略説」 産婆



 産婆トシテ専門ノ学ヲ研究セシモノナシ 出産ニ当リテハ家中ノ経験アル老婆之(コレ)ヲ看護シ又ハ他家ノ老婆ヲ臨時傭聘ス

【現代語訳】
 (朝鮮に)産婆として専門学を研究するものはいない 出産の際はその家族の出産経験のある老婆が妊婦を看護し、または他の家の老婆に来てもらう



朝鮮では「難産は前世で悪いことをした神のたたり」


出典:1913(大正2)年 警眼社 松井茂著 「自治と警察」 産婆の状況 



 次は産婆の事でありますが、従来朝鮮では分娩の時に産婆を煩わさないのであります。

若(も)し難産でもあれば迷信上より其の人は前の世に悪い事をしたので、神が祟(たた)ったのだなどと云(い)って居(お)りますが、近来多少進歩しまして一昨年の調べによれば、産婆は日本人が百五十五人、朝鮮人が三十二人あります。





【写真出典】
1930(昭和5)年 南山吟社 今村鞆著 「歴史民俗朝鮮漫談」 


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