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2014/09/19

韓国の反日と朝鮮独立運動


韓国が反日なのは、戦前、ソ連に赤化(共産化)されたことが原因です。

「日本帝国主義の残虐なる植民地支配」が原因ではありません。

朝鮮独立運動とは、ソ連に赤化された朝鮮が第二次世界大戦で日本の敵側に加担し、日本を敗戦に導くことを目的とした運動でした。


2012年8月14日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、 天皇陛下に「朝鮮独立運動の運動家を弾圧したことを謝罪しろ」と要求しました。


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李明博韓国大統領の言葉に、日本国民は戦後最大級といってよいほど激昂しました。なぜ、あれほど怒ったのかといえば、日本国民の耳には李明博韓国大統領の言葉がこのように聞えたからです。

「当時"日本人"だった朝鮮人は日本を裏切って連合国に加担した。そして日本を敗戦に導き、祖国独立を果たした。その運動を弾圧した天皇は独立運動家に謝罪しろ」

その後、日本の嫌韓は一気に加速しました。李明博韓国大統領は、言ってはならないことを言ってしまったのです。

日本の敵側に加担すれば弾圧するのは当然のことですし、日本を裏切った韓国がさらに 天皇陛下に謝罪を求めたのですから、日韓関係が終了したのも当然のことです。



朝鮮独立運動とは-血圧が高い方は閲覧要注意願います



1. 朝鮮独立運動の目的


朝鮮独立運動の目的は、「日本を敗戦に導き、祖国独立を果すこと」でした。

以下は司法省と内務省の記録です。



出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動」所収 司法省刑事局 昭和十五年一月「思想研究資料」第七十一号

【現代語訳】

満洲事変以後再び台頭してきた在日本朝鮮留学生学友会の再建を企図して策動を続け、その後支那事変の長期にわたるに伴う国内混乱を予断し、在京朝鮮人留学生をもって広汎な反日本的勢力を結成し、後方攪乱その他の方法により帝国を敗戦に導きもって朝鮮独立の目的達成を期せんとして活動するに至っている。

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こちらは内務省の記録です。



出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A05020292800:内務省警保局保安課 昭和19年10月 国民動員計画に伴ふ移入朝鮮人労務者並在住朝鮮人の要注意動向 23ページ


【現代語訳】

⑶ 大東亜戦争で日本を敗戦に導き米国援助の下に朝鮮が独立する絶好の機会である ⇦米国と内通

⑷ 日本を敗戦に導く近道は一切の戦力の根基である石炭の出炭量を低下させることにあり、そのために(朝鮮人)移入労務者の全面的稼働低下乃至(ないし)怠業を実現する必要がある ⇦日本の後方攪乱

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2.  朝鮮独立運動経緯


朝鮮独立運動のプロセスは、三期に分類することができます。

第一期 民族主義運動期

・1919(大正8)年(三・一独立万歳騒擾事件が起きた年)~1928(昭和3)年頃 

・アメリカのウィルソン大統領が提唱した「民族自決主義」に刺激されて始まった。

第二期 啓蒙運動期

・1919(大正8)年~大正時代末期頃

・日本内地で赤化した朝鮮人が朝鮮半島に行って、同胞を赤化した時期。

第三期 方向転換期

・1928(昭和3)年~現在

・1928(昭和3)年にコミンテルンがいわゆる「十二月テーゼ」を決議したので、民族主義を捨て、共産主義にもとづいた朝鮮民族解放共産運動に方向転換した。


朝鮮赤化経緯



朝鮮半島の赤化は、1919(大正8)年末、ウラジオストックにロシア共産党極東部委員会が組織されたことが始まりといわれています。

ロシア共産党極東部委員会はまずウラジオストック居住朝鮮人を赤化し、その赤化された朝鮮人が満洲や朝鮮半島に潜入して在鮮同胞を赤化しました。

日本在留朝鮮人(主に留学生)は、日本国内の共産主義運動に影響されたようです。


この頃、コミンテルンは中国や外蒙古(モンゴル)にも潜入しました。満洲にもロシア共産党や中国共産党の支部、朝鮮共産党の満洲事務局が組織され、すっかり赤化されてしまいました。

日本が満州国を建国した理由は、ソ連の南下を防止するためでしたが、中国や朝鮮はソ連がアジアに南下しやすいように働いたのです。


現在、尖閣諸島近辺を中国船がウロウロしているだけで、日本国内では憲法改正が叫ばれています。なので、大正時代末期の日本がどれだけ危機的な状況になっていたのか、想像できますね。

【朝鮮独立運動年表】
年   代主義・思想朝鮮独立運動内容
1917
(大正6)年
ロシア革命ソ連誕生。
ただちに世界赤化工作(世界同時革命)に着手。
1918
(大正7)年
民族主義運動第一次世界大戦勃発。その混乱に乗じて朝鮮人
留学生らが日本国内で独立運動を開始。
1919
(大正8)年
民族主義、無政府主義運動期。

3月1日朝鮮で「三・一独立運動」勃発。
約60日間におよぶ騒擾(そうじょう)事件となった。

「三・一独立運動」には在日・在米朝鮮同胞も参加、
大阪などで大規模なデモが行われた。

年末、ウラジオストックにロシヤ共産党極東部委員
会が組織され、在満朝鮮人をはじめとして朝鮮半島、
モンゴル、中国も赤化された。

1925
(大正14)年
共産主義運動4月、朝鮮にコミンテルン朝鮮支部として朝鮮共産党
が設置される。

その後、同党満洲事務局が設置され、在満朝鮮人を
赤化した。

満洲ではソビエト共産党、中国共産党の指導により、
武装工作が進展した
(遊撃隊による琿春事件等の日本人虐殺事件)。
大正時代
末期まで
啓蒙運動期。

日本在留朝鮮人留学生が朝鮮半島に行き、共産
主義を宣伝、在鮮同胞を赤化。

朝鮮人留学生は日本に出稼ぎに来た同胞も赤化
した。
1928
(昭和3)年
朝鮮民族主義独立運動は、頼みだった西洋列国に
完全スルーされ、下火となる。

コミンテルンがいわゆる「十二月テーゼ」を決議。
大国&白人大好きな朝鮮人はあっさり民族主義を
捨て、共産主義に転向。
朝鮮独立運動も「朝鮮民族解放共産運動」に転向。 

同時に1927年にコミンテルンが取り消した朝鮮共産
党再建を指令した。
1932
(昭和7)年
現在
方向転換期。

コミンテルンの指導により、
在満朝鮮人共産主義者は中国共産党に合流、
日本在留朝鮮人共産主義者は日本共産党に合流
(内鮮合体、という)。

中華民国在留朝鮮人共産主義者は国民党や中国
共産党の配下となる。




韓国が戦勝国を自称する理由



韓国が戦勝国を自称するのは、以上のように連合国と結託していたからです。

朝鮮は日本主導の独立には反抗しましたが、アメリカ主導の独立なら納得できた、ということですね。

朝鮮が日本敗戦に加担したことは事実ですから、韓国が日韓基本条約を破棄したならば、日本は第二次世界大戦の戦費と日本が戦争でこうむった被害金額を全額、韓国に請求するといいでしょう。

まったく、でっちあげ従軍慰安婦、女子挺身隊の賠償請求とか、その他もろもろ、ふざけんなっ!!っていう話なんですね。


これぜんぶ、韓国に請求ということで。もちろん現在のレートに換算して。


【大東亜戦争軍事費 (単位:千円)】
年 度一般会計と
臨軍会計との
純計
直接軍事費参考事項
昭和12年4,742,3203,277,93769.0支那事変
昭和13年7,766,2595,962,74976.8張鼓峯事件
昭和14年8,802,9436,468,07773.4ノモンハン事件
昭和15年10,982,7557,947,19672.5-
昭和16年16,542,83212,503,42475.7太平洋戦争突入
昭和17年24,406,38218,836,74277.0-
昭和18年38,001,01529,828,82078.5ガダルカナル島撤退
昭和19年76,159,86173,514,67485.5-
昭和20年37,961,25017,087,68344.8敗戦
※臨軍会計:近衛内閣が承認した上限なしの軍事費。膨張した軍事費は国民の生活を飢餓に陥れた。 太平洋戦争の臨時軍事費特別会計の予算額は{会計年度に含まれた月数101カ月 予算提出回数15回  歳出予算額 221,924,879円(単位:千円)}
【資料出典】・1979(昭和54)年 芙蓉書房 上法快男著 「陸軍省軍務局」

【大東亜戦争物的被害額】
被害総計直接被害間接被害
被害総額653億円497億円156億円
資産的一般
国富被害額
643億円487億円156億円
その他の
国富被害額
10億円10億円
被害率25%19%6%


【参考】
艦艇及航空機被害404億円339億円65億円
前掲国富被害総額との合計額1,057億円836億円221億円
前掲資産的一般国富被害額との合計額1,047億円826億円221億円
【資料出典】・1970(昭和45)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 陸軍軍需動員〈2〉実施編」(上の「大東亜戦争物的被害額」も同じ)


本記事の資料




出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A04010418400:内務省警保局 昭和6年8月 「外事警察報第109号」 59ページ 満洲に於ける中国共産党(中) 第二 在満朝鮮共産主義者運動 一 中国共産党と合流する迄の在満鮮人の共産主義運動



 一、発生時代

 在満鮮人に対する共産主義運動の根が何時(いつ)下されたかはこれを充分証明すべき資料に乏しい。

乍併(しかしながら)地理的関係から云(い)って浦塩(管理人注:ウラジオストック)を中心とした鮮人共産主義者グループ(通俗には高麗共産党と称される)の宣伝員が満洲の各地に入込(はいりこ)んで在満鮮人に屡々(しばしば)共産主義の宣伝をした事は大体推測し得らるる。

一九一九年末にはソウェート(管理人注:ソビエト連邦)が東漸し浦塩にロシヤ共産党極東部委員会が出来、これがコミンテルンの意を受けて浦塩地方の鮮人共産主義者グループを動かして朝鮮および満洲に宣伝員を送り、又は此等(これら)の地方よりロシヤへの潜入を援助した事と考えらるる。

既に一九二四年頃には満洲東支鉄道の頭部及び間島地方には相当潜入し、そこに屯(たむろ)する不逞鮮人団体又は青年会等に相当渡りをつけている事実がある。

(中略)

二 在満共産主義鮮人の中国共産党への合流問題

 二、合流の経緯

 然(しか)るに一九三〇年一月の朝鮮光洲学生事件に刺戟されて在満朝鮮人共産主義運動が再び活発となり同月『在満朝鮮人反日帝国主義同盟』が北満(阿城、吉林)南満(奉天)東満(間島)等に組織され、此等と中国共産党領導下の反帝同盟とが事実上共同戦線に立つこととなり、此処(ここ)に両者の幹部間の接触が出来、合流問題は具体的に進められたものと見ることが妥当であろう。
 




出典:1973(昭和48)年 東洋文化社 社会問題資料研究会編 「朝鮮人の共産主義運動」所収 司法省刑事局 昭和十五年一月「思想研究資料」第七十一号



第一章 内地在留朝鮮人の一般的概況

 従来内地(管理人注:日本国内)朝鮮人留学生中専門学校以上の諸学校に在学する学生の多くは苦学生であって、新聞配達、行商、店員、自由労働等に服する傍(かたわら)、夜間通学するを例とし、当初の目的を達成するものは極めて少なく、大部分は中途にして学業を廃するに至って居る。

而(しか)して(そして)在留朝鮮人留学生の多くは同郷関係、同学関係等に依り数人同居するを常とし、他方殆(ほとん)ど総(すべ)ての留学生は親睦、相互啓発等を名として学友会、同窓会を組織して居り、此等(これら)留学生は在留朝鮮人中の知識階級に属し、殊に在京留学生の思想其の他の動向は在京朝鮮人一般に反映するは勿論(もちろん)、鮮内(管理人注:朝鮮内)に於ける各種運動にも甚大なる影響を及ぼし来(きた)って居る。

次に此等留学生の思想動向を見るに、彼等は従来一般に民族意識が濃厚であり、徒(いたず)らに新奇に走り、学業を外にして軽率なる運動を事とする傾向を有して居り、彼(か)の三・一独立万歳事件以来両三年は各種の集会其の他文書を通じて民族意識の喚起と排日思想の鼓吹に努め、民族独立のみ、主張のみに終始して居たが、内地に於ける共産主義に共鳴し、其の運動に投ずるものが漸次多きを加え、昭和三・四年中二回に亙(わた)り検挙された朝鮮共産党日本総局及(および)高麗共産青年会日本支部の事件には学生の党員、会員が其の大部分を占め、殆ど学生のみの党会の如き観を呈した。





出典:1938(昭和13)年 高山書院 大久保弘一著 「赤色支那」  46ページ 蒙古及辺境の赤化過程



一、外蒙に対する赤化侵略(共産主義の矛盾)

 ソビエット連邦の対支赤化政策は一九一七年のソビエット革命成就以来、直接的、間接的たるを問わず、凡(あら)ゆる方法を以て行われたが、その直接的なものは外蒙古に対する赤化侵略であり、間接的なものは従来述べ来ったコミンテルンの指導に基(もとづ)く支那共産党を中心とする共産主義運動である。

 外蒙古は完全にソビエットによって赤化され侵蝕された。玆(ここ)に於て吾等(われら)はコンミュニズム(共産主義)の一大矛盾を発見する。

何となれば共産主義は帝国主義打破、侵略政策放棄を高唱したものであるに拘(かか)わらず、ソビエットの外蒙古に対する領土的侵略は完全に侵略的帝国主義であり、帝政時代の露支辺境拡張政策を継承して、大いに侵略主義を発揮し、ツアー(旧ロシア皇帝)時代にも見ざる大胆露骨な行動を以て、蒙古、新疆方面に侵入してソビエット勢力の扶殖に力(つと)め、今日に於ては既に外蒙古は完全にソビエット化され、更に赤化領土侵略の歩を隣接の辺境に対して進めつつあったからである。








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