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2014/09/14

「天皇の戦争責任」国民が見た朝日新聞の赤さ


宮内庁の「昭和天皇実録」公表について、朝日新聞がまた真っ赤な記事を書いています。

この記事を読んでムカムカした人も多いと思いますが、戦後、約70年経った今でも、朝日新聞は「天皇の戦争責任」と言い続けています。

この「天皇の戦争責任」という言葉自体が、「第二次世界大戦は共産党が起した戦争でしたよ」と自白しているようなものです。

【朝日新聞の正体-中共の壁新聞】
日本軍に関するデマと中国共産党のプロパガンダ(宣伝)が書かれていた。
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日本が関わった戦争といえば、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦がありますが、敗戦国の王室が戦争責任を負ったという事実はありません。また戦勝国も王室の廃止や皇帝処刑を要求したりしていません。

それらの事実と照合して考えると、昭和天皇だけが「天皇の戦争責任」という理不尽な要求を突きつけられているのです。

清国、ロシア、ドイツの王室は戦争で疲弊したのち、「革命」で倒されました。

そこで、昭和天皇にも同じ手を使おうとしたのでしょうが、多くの日本国民が「悪いのは軍部、軍部と天皇陛下は関係ない」という考えだったので、反日勢力による日本革命は失敗してしまったのですね。

それで21世紀になった今でも、反日勢力や朝日新聞はまだ「天皇の戦争責任」とウダウダ言い続けているのでしょう。


【1947(昭和22)年6月5日 昭和天皇御巡幸(大阪府庁屋上)】
GHQ占領下にありながら、一目、陛下の玉顔を拝そうと集まった人、人、人。
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朝日新聞のカビが生えた前世紀的思想


朝日新聞のイデオロギー(思想)は、約100年前コミンテルンが反帝国主義戦争を工作した時のままです。

なぜ、朝日新聞の記事は日本人をムカムカさせるのか、9月9日の「昭和天皇実録公表」について書かれた朝日新聞の記事を分析してみました。。

1 戦争をめぐる自らの責任


昭和天皇実録―歴史と向き合う素材に
2014年9月9日 朝日新聞

 昭和天皇の生涯のできごとを記録した昭和天皇実録を、宮内庁が公表した。  (中略)

  各地への行幸や視察については細かい記述があるが、戦争をめぐる自らの責任や退位をめぐる言動などについては、宮内庁の慎重な姿勢がうかがえる。

ソース元URL:http://www.asahi.com/articles/ASG983C3FG98USPT007.html?ref=reca


大日本帝国憲法により軍は天皇に直属し、統帥権も天皇にありました。帝国憲法がそのように定めたのは、軍人が政治運動を行わないようにしたためです。

しかし、実際はソ連の過激派と関係のある日本人革新主義者が青年将校らに近づき、クーデターを起して軍事政権を樹立することをそそのかし、その結果、青年将校らが明治天皇の御聖旨にそむいて「二・二六事件」が起きたのです。

戦後日本では、戦前革新主義者や左右思想団体の活動は隠ぺいされ、あたかも日本の保守派が戦争を起したかのような歴史工作が行われています。

このような反日勢力による歴史工作はまだほかにもあります。

ドイツがポーランドに侵攻したのは「独ソ不可侵条約」によるものだったこと

ドイツがポーランドを占領した時、ポーランドの半分をソ連が占領していたこと

支那事変が長期化したのは「支ソ不可侵条約(蒋介石が日本と戦うのをやめたら、すぐにソ連が中国に侵攻するという条約)」が原因であるのに、「日本帝国主義の侵略戦争」ということ


自虐史観というのはもとをたどればコミンテルン製の対日ヘイトスピーチなので、第二次世界大戦の裏側で赤い人らがやった工作はキレイに隠ぺいされ、ぜんぶ日本が悪いということになっています。

事実でないことをもとにして何かを生産すれば、その生産したものもニセモノということです。

ザックリ言って、第二次世界大戦も戦後の日本圧迫も、連合国や連合国の犬だった特亜による「日本民族差別」ですね。

「戦争責任」や「平和に対する罪」というのは、連合国と特亜に適用するべきです。

2 東京裁判に向けて退位について考えていた

 たとえば、東京裁判に向けて退位について考えていたことは木戸幸一内大臣の日記などで知られているが、実録では、退位で戦争責任者の引き渡しを止められるかどうかを木戸氏に尋ねた、との記載があるだけだ。その胸中の揺れは見えにくい。


木戸幸一氏は西園寺公が後継として育てた人物です。

西園寺公とは、重光葵氏によれば「フランス帰りの自由主義者」、帝国海軍をこよなく愛した新聞記者伊藤正徳氏に言わせれば「尊皇大嫌い」な人物だったようです。

なので、朝日新聞が引用している「木戸日記」については真に受けず、多少割り引いて考える方がよいように思います。

なお、重光葵氏の回想録によると、終戦間近、近衛公が昭和天皇に「戦争に負ければ赤化革命の危機がございます」と上奏したのだそうです。

当時は凄惨なロシア革命の記憶がまだ人々の記憶に新しく、ドイツ皇帝の亡命などがあった時代です。



出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」 下巻 



 当時、識者間には、天皇が時局の全貌について十分知らされてをられるかを疑うものが少くなく、天皇は宜(よろ)しく重臣を召されて、戦争に対する腹蔵なき意見を聴取せらるべきである、という議論が台頭した。

天皇陛下は、重臣を各個に召されて、別々に意見を聴取されることになった。重臣中、時局について特に意見らしい意見を申上げたものは、近衛公一人であった。これは一九四五年二月のことである。

近衛公は時にこの機会に用意して、書き物によって口頭をもって意見を述べた。その要点は、日本赤化の危険についてであって、戦争が長びく結果は、降伏よりも赤化の危険が最も恐るべきであることを縷々(るる)申上げた。

陛下は「然(しか)らば今、自分は如何にしたらば好(よ)いと云(い)うのか」との質問を発せられたが、その実際的対策については、近衛公は奉答は出来なかった。

天皇陛下は、時局については、何もかも承知せられて、見透(とお)しをもつけられていたのであって、陛下はすでに平和の探求を是認せられ、木戸内府を通じ、また直接に記者(管理人注:重光葵本人)より、平和の方策を承知せられていたのである。



3 選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し

 昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、


日本を非難するより、中国共産党や北朝鮮に言え、カス

マルクス思想というのは、発案から今日まで実現したことがありません。

マルクスは「革命は(工場)労働者革命であるべき」と定義しましたが、ソ連も中国も農民革命でした。北朝鮮はソ連の傀儡として半島の半分をもらっただけで、革命すら起していません。

バブリー中共は、バブル経済で金満になっただけでなく、余剰資本を外国に移植してその利潤を得るという帝国主義まっしぐらです。

その上、舛添東京都知事に印を下賜してまるで王朝のような冊封体制を布こうとしています。一体、孫文先生の革命はなんだったのでしょう?

王政復古する共産党って終ってますよね?

ブルジョア時代の旧弊である「中秋節」や旧正月を祝う共産党って終ってますよね?

世襲制の金王朝や太子党って何?

世襲制は「人民みな平等」という共産主義思想に反し、毛沢東が宣伝した「民主主義」にも反していますよね?


今、日本人が全力で国内反日勢力を殲滅しようとしているのは、日本の反日勢力がもうマルクス思想にもレーニン思想にも毛沢東思想にも依拠していない、

思想なき、ただ日本が憎いだけの奇形共産主義者

だからです。

4 統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ

 昭和の時代が教えるのは、選挙で選ばれていない世襲の元首を神格化し、統治に組み込んだ戦前のしくみの誤りだ。その反省から形成された現代の社会を生きる私たちは、絶えずその歴史に向き合い、議論を深めていく必要がある。


この一言は「日本のしくみ」を知らない外国人記者が書いたのでしょうか?

時代に合わせて日本国のしくみがどのように変わろうとも、皇室が存続してきた理由は、皇室と日本国民の結合が強かったので、時の為政者は皇室の権威を借りる必要があったからです。

日本では皇室に信頼される為政者が国民に受け入れられるのです。そして、日本国民は皇室をないがしろにする為政者を攻撃するのです。

民主党政権時代に日本国民は政権転覆を謀り、今上陛下は東日本大震災について玉音を賜わりました。これこそ、皇室と日本国民の結合つまり絆なのです。

玉音を賜わった日、民主党がなおざりにしていた米軍がいっせいに被災地の救援活動を開始しました。その時、日本の共産主義者や反日マスコミは何をしていましたか?

今上陛下と日本国民の絆にも気づかず、GHQの日本弱体化政策にのっとって自分らが破壊した「絆」という言葉を安っぽく語っていただけでしたね?

そういう者らに「日本の戦前のしくみ」について語る資格などないのです。


もう一つ、朝日新聞が日本の国体を「戦前のしくみの誤り」と書いた理由について、思いあたるものがあります。

それは終戦直後、共産主義者が「8.15革命だ!」と狂喜乱舞して皇室攻撃を行い、日本国民を指して「日本人民」などとほざいていた頃、「日本人民の2000年におよぶ解放の戦い」といった論説が乱発されました。

朝日新聞がいう「戦前のしくみの誤り」というのは、「天地開闢以来数千年、日本人民が天皇制にしいたげられてきた」といった赤い妄想によるものかも知れません。


出典:1961(昭和36)年 錦正社 里見岸雄著 「萬世一系の天皇」


第四節 天皇史と国民史
1 歪(ゆが)められた天皇史観

 今日のような階級思想の横行時代に於てすら、余りにそれが度を過ぎると、民族的、国民的壁にぶつかって、戦略の変換を余儀なくさせられている例は、昭和後期の日本国民の眼前に実見されつつある事実だ。

歴史学研究会の編集した「歴史家は天皇制をどう見るか」の首篇、井上清の「天皇制の歴史」を見ると、

『天皇ができるはるか前、今から少くとも四、五千年以上も前から、日本人はこの島に平和な自由な徹底した民主主義をたのしんでいた。すべての土地はすべての住民の共有であり、君主もなければしたがって臣民というものもなかった』

とあるが、このような何等(なんら)史学的に実証出来ない自己製のイデオロギーを以て『歴史は人民のなかにあって始めて科学となり』(同書のはしがき)得たと考えているとすれば、多少気の毒のような感もある。

2 天皇中心の歴史ということの意味

 井上の学師羽仁五郎によると『日本の人民こそは、久しく民主主義を確信し、そのために血と涙をもってたたかってきたので』あるが、この『久しく』とは、彼自身の説くところによると『日本人民の二千年におよぶ解放のためのたたかい』であったにも拘(かか)わらず、結局"日本人民"はこの久しい歴史を通じてついに一度も自らの手で己(おの)れを解放することの出来なかった人民であって、八月十五日以後になっても三木清や『歴史家羽仁五郎などをも獄中から解放』しえなかったのが、『九月二十六日三木清が獄中で病死するにおよび、日本人民のいきどおりと国際民主主義の実力とによって…治安維持法がついに廃止』されたのであるから、その廃止すら実は『国際民主主義にたすけられてついに勝利』したに過ぎない、ということになる。



5 可能な限り、一次資料を公開する姿勢をみせてほしい

 実録の中では、原典が明示されない記述や、公開されない資料の引用もある。提供者や遺族の意向の制約はあるだろうが、国民の幅広い研究と検証のために、可能な限り、一次資料を公開する姿勢をみせてほしい。


一次資料どころか、元軍医が書いた随筆に群がった連中がその随筆を好きなようにネジまげて捏造した「従軍慰安婦」を32年間タレ流してきた朝日新聞が、

よくもこんなエラそうなことを言えますね?


最近、ネット上で「一億火の玉」、「一億玉砕」といったスローガンも朝日新聞社製だったと書かれているのを見かけますが、終戦直後のメディアの豹変ぶりを重光葵氏も書きとめています。


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」 下巻


人心の軽浮

 ポツダム宣言の実行については、日本国民の食糧問題に理解を有するとか、工業生産の原料供給に同情を有するとかの、耳ざわりの好(よ)き部分のみに重きを置き、全体的に日本の運命が敵の手中に陥った、という冷厳なる敗戦の事実を認識し、責任を感ずるものが少かった。

 それのみではない、戦時中軍部に追随しその希望に先き走りしていたものが、掌を翻すが如く軍部の敵となり、占領軍の謳歌者となったりした。

従来対外強硬論を唱えて、軟弱外交を悪罵していた人々の多くのものは、いずれも急に穏健派を自称し、平和主義者となり、剰(あまつさ)え自分の立場を擁護するため、他を害することを何とも思わぬようなあさましい状況であった。

この滔々たる事大主義的傾向は、敗戦の止(や)むを得ざる結果ではあるが、識者をして甚(はなは)だしく顰蹙(ひんしゅく)せしむるものがあった。



この一文は日本の歴史どころか、自社の歴史すら正視しない朝日新聞のことではないでしょうか?


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