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2014/09/03

散るまぎわの大日本帝国とインド独立


インドのモディ首相が来日しています。モディ首相は1日、安倍総理との夕食会で「日本に戦犯はいない」とスピーチされたそうですね。

「インパール作戦」は日本人なら誰でも胸が痛む地獄のような作戦でした。けれどもこの作戦はインドに「無敵の日本よ、力を貸してほしい」と要請されて実施されたものです。


【大東亜会議でインド独立を訴えたスバス・チャンドラ・ボース】
ドイツのベルリンでインド人捕虜による部隊を編成したのち、ドイツと日本の潜水艦を乗り継いで日本に上陸した。
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惜しくも日本は大東亜戦争で敗戦を喫しましたが、日本の力がおよばなかったところはインドの人たちがみごと完遂、英国帝国主義からの独立を果してくれました。

インパール作戦で散華した英霊も報われたことと思います。





ちなみに、「日本は侵略国家だ!アジアを侵略した国だ!」とかたく信じている韓国では、『ウリは英軍とともにインドで日本の侵略と戦った』と教えているようです。


出典:1998(平成10)年 明石書店 石渡延男監訳・三橋広夫共訳 「入門 韓国の歴史-国定韓国中学校国史教科書」


3・1運動の意義

 3・1運動は、帝国主義の侵略と植民地支配によって苦痛を受けていたアジア諸民族にも知られ、中国とインドでは大規模な反帝国主義民族運動が起こった。

韓国光復軍の対日戦争

 光復軍は中国各地で中国軍と協力し日本軍と戦った。そればかりか、インドとミャンマー戦線でもイギリス軍と連合して日本軍と戦った。



「日本帝国主義からの祖国解放」を叫んでいた韓国は、キング・オブ・宗主国の英国軍に加担していたというのです。

日本人から見れば「頭おかしい」としか言いようがないのですが、朝鮮人が蒋介石や中共軍の下で働き、英国軍のためにも働いていたというのは事実のようです。だから韓国は「戦勝国」を自称するのですね。


【日本軍の機密情報を連合国に売っていた朝鮮人】

出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:A05020256900 :昭和14年 内務省 「内鮮警察参考資料」 74ページ、80ページ



 更に南支方面に於ては日英間の関頃逼迫に伴い、英国極東艦隊に於ては帝国の情報蒐集其(そ)の他に不逞朝鮮人の利用を企図し、朝鮮民族革命党に対し積極的援助を与え多額の資金を支給し之等(これら)分子の各地との連絡に関しても英国の外交伝書使を利用せしめつつありと(意訳:朝鮮人に英国の伝書使を利用させていた)。

 5. 昭和十二年十月頃金九は韓国国民党先鋭分子十名は藍衣社上海支社と連絡し、日本軍の陣容、編成、実力等を調査し、之(これ)を支那側に報告し、支那空軍の活動を容易ならしめたり(意訳:容易にさせた)。


※管理人注
藍衣社…蒋介石の秘密支持結社。排日侮日を工作した。




「東京裁判で果たしたパール判事の役割忘れない」 モディ首相
2014年9月2日 産経新聞

 インドのモディ首相は1日夜の安倍晋三首相との夕食会で、極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務め、被告全員の無罪を訴えたパール判事の話題に触れ、その功績をたたえた。

 モディ氏はスピーチで「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と述べた。

 首相は第1次政権時代の平成19年8月にインドを訪問した際、パール判事の長男、プロシャント・パール氏と面会している。首相の判事への思い入れは強く、両首脳は「歴史」を通じてさらに友情を深めた。

 インドのパール判事は東京裁判に対する意見書で、戦勝国が事後法により敗戦国を裁くことに疑問を提起し、原爆投下を批判した人物として知られる。




インド「日本という無敵の友に支援され、我々は解放を確信して戦場におもむく」



共産主義者はよく「日本はアジアを解放したというが、はっきりと明文化していない」などと言います。

それは共産主義者が知らないだけで、日本は1943(昭和18)年11月6日に日本で開催された大東亜会議上で、アジア諸国の独立を謳った「大東亜共同宣言」を採択しています。

そればかりか、ビルマ、フィリピンを独立国として承認し、インドネシアも独立準備中でした。


【大東亜会議出席国】
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大東亜会議に出席したのはアジアの独立国である中華民国、タイ国、満洲国、フィリピン国、ビルマ国そして独立を熱望していた自由インド仮政府首班チャンドラ・ボース氏、日本代表は東條英機首相でした。

残念ながら、インドネシアと安南(フランス統治時代のベトナム中部から北部)の独立承認は、大東亜会議には間に合いませんでした。

チャンドラ・ボース氏はこの席で「インド独立」を熱く訴えました。

彼が日本を訪れたのは、これが2度目のことで、外務大臣としてこの会議に出席した重光葵はその時のことを「声涙ともに下る革命志士の天に訴えるの声であった」と、手記に記しています。


かくして、日本は彼の要請を受入れ、日本軍が占領していたインド領アンダマン、ニコバル諸島を彼が主宰する自由インド仮政府の統治下に置き、インパール作戦に突入しました。

日本が無謀と知りつつもインパール作戦を実行したのは、インド大陸の一部にインド人の自由なる天地を作ろうとしたチャンドラ・ボース氏の計画実現援助と、インド独立が余命短い大日本帝国の最後のアジア貢献だと知っていたからではないでしょうか。








本記事の資料




出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵著 「昭和之動乱」下巻 



大東亜新政策

一、

 
 第一次世界戦争は、明らかに民族解放の理由のために戦われ、欧州白色人種の間に在っては、実際パリ会議において民族自決主義が確認せられた。

しかし、民族主義は欧州以外には及ばなかった。アジアは依然たる植民地であり、半植民地であった。第二次世界大戦は、アジア民族主義の確立せらるべき戦であった。

アジア民族は、この戦争を機会に覚醒し、その解放復興のために奮闘すべきであった。

 アジア及びアフリカが解放され、復興して、世界の平和に寄与してこそ、人類の進歩と云(い)うことが出来得るのである。

欧州諸国が、アジア及びアフリカを踏み台とし、搾取の対象とし、植民地扱いにする間は、世界の平和は確保することは出来ぬ。

日本の戦争目的は、東方の解放であり、アジアの復興である。この他に、日本は何等(なんら)野心をもたない。これが、日本が大東亜戦争という戦争に突入して行った戦争目的であって、これさえ実現すれば、日本は何時(いつ)でも戦争終結の用意がある、というのが我が主張であった。

 以上の主張によって、日本は、東亜において未(いまだ)だ独立せざる諸民族に対して、一つづつ独立国家としての承認をなす、ことに決した。

東條首相は、自ら南方諸地域を歴訪してその下地を作った。ビルマも独立国として承認せられ、フィリッピンも独立国として承認せられた。インドネシアも、その準備が進められた。

日本の領土である朝鮮も台湾も、政治参与と自治が考えられた。印度(インド)の独立にも、援助を与うることとなって、自由印度仮政府に対しては承認が与えられた。

日本はその力の及ぶ地域においては、悉(ことごと)く民族政策の実現を期した。もとよりこれに対しては、内部的になお少なからざる故障があったが、これを次第に克服することを得た。


三、


 英国の支配下における印度の独立運動は、すでに永い歴史をもっている。

ガンディの非協力運動によって、印度の民族運動は結集して来たが、ガンディ門下のチャンドラ・ボースは、印度の独立は到底ガンディの主唱する非協力手段のみでは実現の望みはない。力に対しては力をもって、直接行動に対しては直接行動をもって応ぜねばならぬ、となして、英国の印度統治を力をもって覆(くつがえ)さんと試みたのであった。

 チャンドラ・ボースは、印度人中の印度人として生れ、英国流の学問をも学び、オックスフォードで政治経済を研究した。

彼の操る英語は実に綺麗(きれい)なものであった。彼は印度独立のために、一生を捧げることを自ら誓った人であって、これがために、あらゆる個人的の欲望を絶ち、戦時四十数歳に達するまで独身生活に終始し、身をもって同志を率いた。

彼は非常な熱血漢ではあったが、決して狂信的(ファナティック)ではなかった。深謀遠慮の智力と情熱との籠(こも)った決意は、その容貌、挙措、表情に真摯(しんし)に現れて、その態度は、一度彼に接し、彼の演説を聞くものをして、感動せしめずにはおかなかった。彼は真の勇者であった。

 印度における英国の統治に反抗して、英国の官憲と衝突し、投獄せられること十数回に及び、欧州戦争の始まった後に、密かに脱獄してアフガニスタンに遁(のが)れ、日本側の援助によって間もなくドイツに入った

これから、彼は枢軸との関係に入った。彼は第二次世界戦争をもって、印度の独立を戦い取る絶好の機会である、と考えたのである。

 彼はベルリンにおいて、印度兵の俘虜を中心として、印度独立軍を一大隊ばかり編成したが、ドイツの戦勢も急に進展の模様がないため、日本に頼って、直接東南アジアにおいて、英国と戦うの決意をなし、一九四三年初頭、遂に、ドイツの潜水艦に便乗して印度洋に来り、更に日本の潜水艦に乗り換えてマレイに入り、この地において印度自由軍を編成するに至った。

 彼は東京を三度訪れた。第一回は、日本当局との連繋を確保するためであり、第二回は、大東亜会議出席のためであり、第三回目は、戦勢悪化の結果、最後的の打合せのためであった。

彼がなした大東亜会議議場における演説、及び政府及び一般の歓迎会席上における演説は、声涙ともに下る革命志士の天に訴うるの声であった

 日本は、彼の要請を容れて、日本軍の占領している唯一の印度領アンダマン、ニコバル諸島を、彼の主宰する自由印度仮政府の統治下に置いた。

日本軍がビルマ北部国境を超えて、イムパール作戦を強行したのは、無謀ではあったが、印度大陸の一部に、印度人に対する自由の天地を作らんとする彼の計画実現を援助した結果であった。

彼はその際(一九四四年三月二十日)、印度国民に対し、自由印度仮政府首班として独立奮起を呼びかけたが、これは不滅の大文字である。

イムパール作戦は、非常な無理な作戦であって、初期には成功を収めたが、遂に目的を達すること能(あた)わずして敗北し、日本兵数万の餓死による犠牲者を出したが、印度の眠(ねむり)を醒(さ)ますに役立ったがために無駄ではなかった。

(中略)

 印度は、第二次世界戦争が、アジアに如何なる意義をもつかを知っていた。

印度人は、チャンドラ・ボースとともに印度独立のために戦った。而(しか)して(そして)、それと同時に英国も亦(また)、印度の独立を実現すべき時期の来たことを知っていた。

英国が、戦後進んで印度の独立を承認したことは、実に英国の偉大なる政治性を物語るものである。


四、


 アジア人のこの戦は、未だ終ってはおらぬ。

アジア民族は解放を要求するのみならず、進んで自ら復興して、世界の平和に積極的に貢献するように、努力するを要する。

解放を要求することよりも、解放されたアジアが、欧米と同等の資格をもって国際関係に奉仕することは、更に困難なことである。

これがためには、物心両面の充実による飛躍的の向上を必要とすることを、アジアは忘れてはならぬ。





出典:1943(昭和18)年 内閣印刷局 情報局編 「アジアは一つなり」 94ページ



自由印度を一日も早く確立せん   
スバス・チャンドラ・ボース首班


 議長閣下、閣下竝(ならびに)各位、此(こ)の歴史的会議に陪席者として出席することを許されましたることは、私及び私の同僚の光栄且(かつ)恩恵とする所でありまして、玆(ここ)に其の御厚意に対し自由印度仮政府を代表致しまして深甚なる感謝の意を表する次第であります。

(中略)

 我々自由印度仮政府竝に其の指導下に在る総(すべ)ての者は将(まさ)に米英帝国主義に対し最後の決戦を開始せんとして居るものでありまして、我々の背後には実に無敵日本の強き力のみならず東亜の解放せられたる各国民の総意と決意ありとの自覚の下に、今や我々は不倶戴天の仇敵撃滅に進軍せんとして居る次第であります。

(中略)

 議長閣下、本会議は戦勝者間の戦利品分割の会議ではないのであります。それは弱小国家を犠牲に供せんとする陰謀、謀略の会議でもなく、又(また)弱小なる隣国を瞞着せんとする会議でもないのでありまして、此の本会議こそは解放せられたる諸国民の会議であり、即ち正義、主権、国際関係に於ける互恵主義及び相互援助等の尊厳なる原則に基いて世界の此の地域に新秩序を創建せんとする会議なのであります。

私は斯(か)かる会議が此の日出づる国に開催されたのは偶然の事ではないと考えるものであります。

(中略)

 併(しか)しながら我々は自由獲得の為(ため)には当然其の代償を支払わなければならないのであります。

印度に取りまして此の問題は閣下各位に対するとはまったく趣を異にするのであります。

閣下各位は軈(やが)て敵が加え来(きた)るべき攻撃を排除し、現に保有せらるるものを確保し、各位自身の自由を保持せらるれば足るのでありますが、印度民衆は更に戦い、己が自由を戦い取らねばならないのであります。

故に玆(ここ)に繰返し申(もうし)述ぶれば、我々は決して我々の前途に横たわる事業の重大さを軽視するものではないのであります。

洵(まこと)に、私が此の席上に在って新東亜、新アジア、新世界を想像致して居(お)ります間にも、胸中には軈(やが)て我々が印度の国境或(あるい)は平原に於て戦う数々の戦闘の場景が彷彿致すのであります。

(中略)

 議長閣下、私は多くの人々が英国及び其の与国の実力に関し誇張せられたる観念を有して居(い)ることを承知して居ります。

先刻申述べました通り、我々は英国人を熟知して居ります。我々は彼等(かれら)の長所短所を熟知して居りますが故に、前途に横たわる困難深刻なるべき闘争をも楽観的気持を以て待ち設けて居る次第であります。

日本の如き無敵の友に支援せられ、閣下各位の寛大なる支援の御言葉を得たる以上、我々は我々の解放の日の近きことを確信して戦場に赴かんとするものであります。

 閣下竝(ならび)に各位、正義、主権、互恵及び相互援助の至高原則に基づく新秩序創建の事業を始めらるることに依り、各位は人類の考え得る最も崇高なる事業を遂行せられつつあるのでありまして、玆(ここ)に私は各位の崇高なる御努力が成功の栄冠を克(か)ち得、岡倉覚三及び孫逸仙の理想が実現に移されんことを祈ると共に、更に、本日午後此の歴史的会議に於て満場一致を以て採択せられたる大東亜共同宣言が東亜各国民の憲章であり、更には全世界の抑圧国民の憲章たらんことを祈る次第であります。

本大東亜共同宣言が本年以後自由の新憲章として世界史上に遺(のこ)らんことを祈念して已(や)まない次第であります。








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