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2014/08/18

公娼の廃娼手続を手伝った新聞記者たち


こりない朝日新聞の8月16日付社説が話題になっているようです。朝日新聞は韓国の「光復節」にからめて、「慰安婦問題は人権問題である」「日本軍が関与して作られた慰安所で」などとまだ主張しています。


戦前、公娼の廃娼手続を手伝ってやった新聞記者たちがいたそうです。

朝日新聞に限らず、戦前はだれでも「慰安所とは日本軍の占領地に進出していった遊廓」であり、慰安婦は警察の鑑札をもらった公娼(娼妓)であり、公娼の自由廃業が法律で認められていたことも知っていたはずです。


【朝日新聞は中国共産党の抗日ビラ、らく書きと同じ紙クズ】
「伝単」とはビラのこと。
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【日本軍とは何の関係もない民間経営慰安所@上海】
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民間経営慰安所の入口にある垂れ幕が、日本が樹立させた防共親日中国人自治政府「中華民国臨時政府」(南京大虐殺があったとされる昭和12年12月成立、翌年3月南京に移転)の五色旗に似ている。この慰安所は中国人経営慰安所かも知れない。
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日の丸と五色旗を持つ北京婦女宣撫班。日本軍の反共宣伝に同調した中国人女性たちで組織された。日本軍には「宣撫班」と呼ばれた武器なき兵士たちがいた。宣撫班の任務は中国人民に反共を宣伝し、中国軍とは逆のこと中国人民に種痘を施し、中国軍が荒らした街の復興、道路開設といった民心掌握であった。写真は日本軍の物資配給作業を手伝う北京婦女宣撫班。
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こんな感じで、中国軍に生活手段を奪われた中国人民に日本軍の物資を配給していた。
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中国人のおばあさん。この写真に中共が脚注をつけるなら『日本軍に襲われ、強姦され、住む場所を追われた中国人女性たち』といったところ。
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中国人民の前で「共産党をしりぞけろ」と反共宣伝をする日本軍宣撫班。朝日新聞はこの日本軍が朝鮮人女性を強制連行したと報道し、中共までもが中国人女性が日本軍に強制連行されたと宣伝し始めた。
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朝日新聞は「従軍慰安婦強制連行」捏造で、日本軍をどれだけおとしめたことでしょう?

戦後の朝日新聞は遊廓や娼楼の代名詞である「慰安所」を、あたかも日本軍が朝鮮人女性を強制連行して虐待するために設けた特殊な施設のように宣伝してきました。

しかも、この期におよんで、朝日新聞は韓国を利するために「慰安婦問題の本質は普遍的な人権の問題である」と胸を張り、慰安所を否定することで、全世界の女性の人権を戦時性暴力の危険に突き落としたことにすら気づいていません。

「女性の人権」を盾にして、捏造の正当性を主張する朝日新聞と韓国こそが、女性の人権を踏みにじっているのです。

朝日新聞の罪は深く、その責任は重大です。

戦後の朝日新聞は、日本をおとしめるデマを書きつらねた中国共産党の抗日ビラと同じです。


娼妓自由廃業を定めた娼妓取締規則@日本国内版


出典:帝国地方行政学会 内閣官房記録課編 「現行法令集覧.昭和2年版 中巻」 第十集 警察 衛生 感化 第一章 警察 第三款 保安及風俗



娼妓取締規則

第五条 娼妓名簿削除の申請は書面又は口頭を以てすべし

前項の申請は自ら警察官署に出頭して之(これ)を為(な)すに非(あら)ざれば受理せざるものとす 但し申請書を郵送し又は他人に託して之を差出す場合に於て警察官署が申請者自ら出頭すること能(あた)わざる事由ありと認むるときは此(こ)の限(かぎり)に在らず

警察官署に於て娼妓名簿削除申請を受理したるときは直(ただち)に名簿を削除するものとす

第六条 娼妓名簿削除申請に関して何人と雖(いえども)妨害を為すことを得ず



娼妓自由廃業を定めた貸座敷娼妓取締規則@朝鮮


出典:1934(昭和9)年 帝国地方行政学会 帝国地方行政学会編 「現行朝鮮法規集覧.第2巻」 第九集 警察 衛生 第一章 警察 第九款 諸営業取締



貸座敷娼妓取締規則 

第二十九条 娼妓許可後始めて稼に就(つ)かんとするときは予(あらかじ)め警察署長に届出すべし

第二十七条に規定したる事由又は妊娠分娩に因(よ)り休業したる後娼妓再び稼に就かんとするときは警察署長に届出で健康診断書の還付を受くべし

娼妓廃業したるときは直に許可証を添え警察官署に届出づべし




(社説)日本と韓国 国交半世紀に向かって
2014年8月16日 朝日新聞

8月15日の終戦の日、日本は戦没者の追悼に包まれた。

隣の韓国は、植民地支配から解放された「光復節」だった。

きのうの式典で朴槿恵(パククネ)大統領は、日韓が来年、国交正常化50年を迎えることにふれ、「未来志向的な友好協力関係に進まねばならない」と訴えた。

中でも慰安婦問題が解決されれば関係が進むとし、「日本の政治指導者たちの知恵と決断を期待する」と呼びかけた。

両国が未来を見すえて行動を起こすときであることは間違いない。日本の誠実な対応とともに、朴氏自身も「知恵と決断」に踏み込むべきである。

どちらか一方が百点満点と評価できる解決はありえない。どんな方策を選ぼうとも、両国の間には、評価と反発とが入り組む複雑な反応が生まれることは免れない。

だが、そのむずかしい着地点を探しだし、大局的な視座に立った解決を図ることこそが、外交をつかさどる政治の使命である。 冷え切った隣国関係がこのままでいいはずがない。

朝日新聞は今月、慰安婦問題について特集を組んだ。過去の報道の誤りをただすとともに、慰安婦問題の本質は普遍的な人権の問題であることを示した。

日本軍が関与して作られた慰安所で、多くの女性が兵士の性の相手を強いられた。女性の尊厳が著しく傷つけられた。その史実は否定できない。 (後略)

ソース元URL:http://www.asahi.com/articles/DA3S11301780.html?ref=editorial_backnumber


廃娼手続を手伝った戦前の新聞記者たち



出典:1932(昭和7)年 内外社 「綜合ヂャーナリズム講座」編集部編 「新聞特種秘話」 8 新聞記者と警官の娼妓争奪戦



 新聞記者のクラブは、往々にして不遉(逞)のゴロツキ団のように思われる。事実彼等のうちの無自覚な軽薄分子が、一私人としての自分の無力を思わず、多勢を恃(たの)み、公表機関としての新聞の威力を笠にきて、横暴を働くことがままある。

併(しか)し新聞記者がよくもこんな純情を磨滅せずにもっていたかと思われるような美談が数多くある。それがただ丁度(ちょうど)新聞社の労働争議が、同業のよしみでどの新聞にも報道されず、決して世間に知られないでいる様に、新聞記者の美談を永久に新聞に書かれないで、埋もれ忘れられてしまうだけのことである。

×


 一二年前のある晩の警視庁である。土砂降りの雨の中を三人の女が駆けこんだ。雨にぬれてヨレヨレの浴衣(ゆかた)をベッタリ体に附着させて蒼ざめた顔! 一見して、吉原かどこかの娼妓が逃げ出してきたものと判(わか)った。

 丁度刑事部屋には宿直の(デカ)刑事が七八人、古参刑事を中心に捕物(とりもの)の手柄話に花を咲かせていた。そこを救いの主と飛びこんだのが不幸な籠の鳥だ。

いったい刑事というものは賤(いや)しい心根の人が多い。新聞記者を捕えて『ブンヤ』と呼び、古物商と結託して、泥棒の盗品を処分して懐(ふところ)を肥したり、一杯呑(の)ませると呑ませぬでは、態度がガラリと変るといった風な気質で、学校出たての若い通報員などは、こんな人達とつき合いせねばならぬので悩まされている。

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 その夜も彼等は懐ろに救いを求めた窮鳥に対しても、天与のお景品とばかりギラギラと卑しい眼を輝かして、見るに堪えぬ、聞くに堪えぬ悪ふざけをほしいままにした。そして揚句(あげく)の果てには、吉原の所轄署の刑事に電話をかけて『お前の方のカモが逃げてきておる。早く引き取りにきて一杯にありつけ。』と親切ごかしに、楼主に引戻そうとしたのである。

『泣き原稿(哀話記事)くらいにはなりそうだぞ?』とワッと窓越しにのぞいて、このてんまつをスッカリ見せられてしまったのが、一人の若い人道主義者の記者だ。

早速クラブにとって返して、「おい、人命救助だ。力をかしてくれ。」とワケを話すと、そこに湧き立つような血の気の多い事件記者、ソレッと忽(たちま)ち十数人の記者が乗り出して刑事のスキをみて、(文字通り生馬の眼を抜いたわけだ)三人の女を難なく奪い出し、クラブにかくまってしまった。

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 驚いたのは刑事連、他署の刑事二人が迎えにくることにまでなっているのに逃がしたとあっては職務の失態であり、又大いに職掌の威厳を傷(きずつ)けられたわけで、例のお定まりの『公務執行妨害をするかッ』とばかり職権をふりかざして、記者団に返還を迫ったものである。

併し記者側では刑事の人間侮辱を詰(なじ)って頑として応ぜぬので、もともと悪い警官側は、仕方なく陣を引いて泣寝入りになってしまった。

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 こちらは凱歌をあげた記者団。喧嘩(けんか)も美談も心中も、いつも他人のことばかりでちっとばかりの殺人事件など起っても『ケチな殺しだネ。やるんなら新聞記事になるようにやってくれ』などと鼻であしらってソッポを向いているのだが、今宵ばかりは自分達が事件渦中のヒーローになったこととて、揃っていささか興奮し、十数人の記者は一人残らず財布を倒(さか)さにふって何十円かの金を女に与え、自動車まで呼んで某社会事業の宅へ送りこんで廃娼の手続きを完成してやった。

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 むろん翌朝、都下何十のどの新聞を開いてみても、記者の美談も刑事の醜態についても一行ものらず、それっきり誰も知らないですんでしまった。

ただその後日して前記社会運動家の家へ吉原の暴力団があばれこんだという記事が、社会面の隅っこに小さくのっただけであった。





【写真出典】
・1968(昭和43)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 北支の治安戦」〈1〉
・1993(平成5)年 石風社 麻生徹男著 「上海より上海へ」  
1940(昭和15)年 行政院宣伝局 維新政府概史編纂委員会 編 「中華民国維新政府概史」
1938(昭和13)年 内閣情報部 「写真週報 21号」 北京婦女宣撫班他


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