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2014/08/11

朝日新聞社機「神風号」と元社員を強姦・虐殺魔扱いする朝日新聞社


台風11号の影響で夏の高校野球開幕が順延になりました。すがすがしい高校野球を、どす黒い朝日新聞社が主催している理由について調べてみましたら、戦前、朝日新聞社が購読者および広告収入獲得キャンペーンとして始めたのが高校野球だったそうです。

同じような朝日新聞社の購読者・広告収入獲得キャンペーンに、1937(昭和12)年の朝日新聞社機「神風号」の亜欧連絡大飛行の成功がありました。


【朝日新聞社機「神風号」】
現地時間4月10日午後3時30分、ロンドンのクロイドン飛行場に到着した神風号。東京-ロンドン間全航程1万5357㎞を94時間17分56秒で飛行し、都市間連絡飛行の国際新記録を樹立した。asahi_kamikazego.jpg
【出典】1987(昭和62)年 講談社 「20世紀全記録」


朝日新聞社機「神風号」の乗組は飯沼正昭飛行士、塚越賢爾(けんじ)機関士の2名でしたが、飯沼飛行士は大東亜戦争にて戦死しました。

その英霊となった飯沼飛行士を、元勤務先だった朝日新聞社は「従軍慰安婦強制連行」捏造によって『女衒・楼主・強姦虐殺魔』扱いしていることになります。


【亜欧連絡大飛行成功を報じる朝日新聞:昭和12年4月10日】
朝日新聞の死者を冒涜する行為は、「罪人だ!」と言って墓をあばき、死体の首をはねる朝鮮人と同じ。
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朝日新聞社機「神風号」顛末記 昭和天皇、東久邇宮殿下まで巻き込んだ亜欧連絡大飛行



亜欧連絡大飛行とは、朝日新聞が帝国陸軍の許可を得て、純国産機だった司令部偵察機の第2号試作機を譲り受け、東京からロンドンまで約94時間で翔破したという、世界初の大偉業でした。

同時に、亜欧連絡大飛行には現英国女王の父王であるアルバート王子の戴冠式を表敬訪問するという目的もありました。

朝日新聞社がこのキャンペーンを実施したのはヨーロッパ先進国フランスの飛行家ジャビーがパリ-東京間飛行に失敗して、福岡県の背振山に墜落した直後のことでした。なので、朝日新聞社機「神風号」の成功は世界中の耳目を集めることになったのです。

現在の朝日新聞社にとっては、大偉業どころか、「黒歴史」と言いたいところでしょうね。


【「神風号」の兄弟機 帝国陸軍九七式司令部偵察機(キ-15-Ⅰ)】
純国産機。敵国深く侵入して戦略情報を集めることを目的としたまったく新しい構想の偵察機。日本陸軍が開発した世界に誇れる独自構想の一つ。偵察衛星のルーツともいえる機種であった。また神風号以来、新聞社の連絡機として少数機が雁型通信機の名で長期にわたって使われた。
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もちろん、朝日新聞社機「神風号」は外国の空を飛行するわけですから、皇族から外務省、飛行予定地の日本領事館まで動員しての日本国挙げての一大プロジェクトとなりました。

【朝日新聞社機「神風号」飛行ルート】
東京-台北-ハノイ-カルカッタ-カラチ-バスラ-バグダッド-アテネ-ローマ-パリ-ロンドン。
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【朝日新聞社航空部長から逓信大臣あて】
亜欧連絡飛行許可御願。
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【在英吉田大使から佐藤外務大臣あて】
「イギリス政府が戴冠式のクソ忙しい時に来るな、と言っていますがどうしましょう?」
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【在ニューデリー米沢総領事から佐藤外務大臣あて】
朝日新聞亜欧連絡飛行の件に関し、印度政府から左のとおり連絡がありました。「該当飛行機の標識を至急通知してほしい」、「マンダレーには着陸場がないので、カルカッタ、アキャブ経由の通常航空路を使うこと…」。
kamikazegou_New Delhi0100001 【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B10074778300:昭和12年1月20日~昭和12年4月15日「1.朝日新聞社機(神風号)ノ訪英飛行関係/分割1」


朝日新聞は朝日新聞で、亜欧連絡大飛行購読者・広告収入獲得キャンペーンにあたり、

『神風号は東京-ロンドン間を何時間で翔破するでしょう?』

という懸賞を実施しました。すると500万通もの応募があったのだそうです。 昭和12年の日本人口は約7000万人なので、人口の約14%が朝日新聞の懸賞に応募したことになります。

世帯数でいうなら、昭和10年の全世帯数が13,499,483軒なので、単純に計算して全世帯の約37%以上が朝日新聞を講読していたことになります。

まさに、朝日新聞社が栄耀栄華をきわめた時代だったのですね。盛者必衰の理とはこのことですね。


【1935(昭和10)年の日本人口】
setai_jinkou_s10_01.jpg【出典】1930(昭和5)-1935(昭和10)年 内閣統計局編 「国勢調査速報:世帯及人口.昭和10年」 1 .地方別世帯及人口


かくして、1937(昭和12)年4月1日、朝日新聞社は東久邇宮殿下を羽田飛行場にお迎えし、「神風号」の名を賜わり、出発式を執り行いました。


【朝日年鑑.昭和13年版】
ウィキペディアによると「神風号」という名称は、公募だったようです。時代を先取りした名称ですね。
asahi_higashikuninomiya00001.jpg【出典】1934(昭和9)-1940(昭和15)年 朝日新聞社編 「朝日年鑑.昭和13年」 昭和十二年四月


そしていよいよ翌4月2日、朝日新聞社機「神風号」は日本国の威信をかけ、日本国民の熱い声援に送られて、暁の闇をつき、立川陸軍飛行場を飛び立ち、東京-ロンドン間大飛行を成功させたのでした。


【朝日新聞社機「神風号」を取材した外国新聞の記事】
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kamikazegou_shinbun_0200001.jpg【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:B10074778400:昭和12年4月15日~昭和12年8月13日「1.朝日新聞社機(神風号)ノ訪英飛行関係/分割2」


朝日新聞社機「神風号」の大偉業は、世界に日本の航空技術を知らしめる絶好の機会となり、また日本国民の国威発揚になり、白人文化に追随しつつあったアジア民族に「日本頼るに足る」と知らしめる機会にもなったのでした。 また、海外に移民していった同胞を勇気づけ、「白人の日本人を見る目が変わった」と喜ばせました。


そして、朝日新聞社機「神風号」搭乗員飯沼飛行士、塚越機関士は、昭和天皇より勲六等に叙され、単光旭日章を賜わるという誉れにあずかったのでした。


【飯沼正昭飛行士 26歳】
朝日新聞社航空部の新進一等飛行士だった。
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【塚越賢爾(けんじ)機関士 38歳】
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しかし、飯沼飛行士は支那事変中の大陸で報道陣のために働き、大東亜戦争開戦後は南方戦線で活躍していましたが、惜しくも戦死されました。

悔やまれることは、戦前「世紀の英雄」と称賛された飯沼飛行士が、

今は元勤務先の朝日新聞社の捏造によって、朝鮮人女性を強制連行して従軍慰安婦にしたという女衒・楼主・強姦虐殺魔扱い

されていることです。御遺族も、さぞ無念であろうと思います。 飯沼飛行士だけでなく、朝日新聞社は戦死した元社員全員を女衒・楼主・強姦虐殺魔扱いしているのです。

朝日新聞社は、

国と社命のために散華した社員をとんでもない方法でおとしめ、さらには絶対謝罪しないというブラック企業という名では言い表せないほどの悪質な企業

になりました。

靖国神社に眠っている英霊のみなさんも、帝国陸軍とズブズブになかよしだった朝日新聞社の豹変ぶりにあきれていることでしょう。


なにしろ、朝日新聞社は

日本人の名誉よりも朝鮮人の事実無根対日ヘイトを全力保護する企業

になったのですから。


朝日は見るな、聞くな、読むな。


日本人たる者これに尽きます。

本記事の資料


朝日新聞社機「神風号」は帝国陸軍機の試作第2号機だった


出典:1995(平成7)年 光人社 「日本軍用機写真総集」  
    (上掲九七式司令部偵察機写真出典も同書)  



九七式司令部偵察機(キ-15)

⑷ 構造様式はほぼ全面的に九試単戦にならい片持式低翼とし、全面的に沈頭鋲を採用し、外面は従来の全金属製飛行機に対して、いちじるしく平滑なものとなった。

 試作第1号機は昭和11年5月に完成、つづいて翌12年3月に試作第2号機が完成したが、これが朝日新聞社の有名な神風号訪欧機である。



朝日新聞が高校野球を主催する理由は広告をゲットするため


出典:1937(昭和12)年 日本パンフレット協会 小山富三著 「時代錯誤の自由主義:神風機亜欧征空と新聞の露骨な排他主義」 四、神風号亜欧征空の意義



 各新聞社に於ては、新聞社の存在価値を知らせるため、或(あるい)は読者拡張のため、或は広告収入を増さんがために各種の事業を行っている。

 いかなる内在的理由があるにせよ、その事業が社会公益的意義を持つ文化事業である限り、我々は此(この)種の事業を主催することに対して、大いに好意と興味をもっていたのである。

 然(しか)るに是(これ)の如き事業が、主催する新聞の誇大な自己宣伝に対しては余り愉快な感じを抱くことは出来ないが、同時に、他者の事業に対して黙殺的態度をとることは尚更(なおさら)不愉快に思われてならない。

 例えば、スポーツシーズンに入ると、朝日新聞は全国中等学校の野球大会を甲子園に開催する之(これ)に対して、他社はホンのお義理に運動欄の隅に小さく報道する。

(中略)

 国家的意義を持つ事業といえば、過般行った朝日新聞社主催の亜欧連絡大飛行は、凡(およ)そ新聞社主催の王座を占むる未曾有の事業であったというべきであろう。

 御承知の如く、あの飛行機は純国産機である。然(しか)もそのコースは、ヨーロッパ先進国の飛行家が遂に成功せずにあった処である。フランスのジャビー氏がパリ東京間を飛び、百尺竿頭一歩手前の九州まで八十余時間を要したのであるが、朝日の神風号は、少しも無理をせず、夜間飛行などはせずに、悠々九十四時間にして東京からロンドンまで翔破したのであった。

 この成功は、どれ程我々日本国民の肩身を広くし、どれ程痛快であったかは、全く筆舌に尽し得なかった。

(中略)

 建築にしろ、美術にしろ、文学、演劇、音楽、或は政治経済制度から生活様態まで白人の模倣追従に専念している日本、一切の文化は欧米輸入に依った日本が、これほどまで飛行機の優秀なものを製作し、之を操縦する技術の進歩に就(つ)いては、彼等は想像も及ばず、依然として彼等は優越感を誇っていたのであった。

 日本に対しての認識に乏しく、然も人種的優越観に自己満足していた白人の出鼻をヘシ折ったのは、実に神風号の成功であり、更に白人に支配され、白人文化に追随しつつあった亜細亜(アジア)民族に対しても、「日本怖(おそ)るべし」を感動せしめ、「日本たよるに足る」の観念を抱かしめたのである。

(中略)

 フランス航空界に於ては、いくたびかパリ東京間記録飛行を計画して失敗に失敗を重ねたことはいうまでもない。

 その直後に於て、わが日本の国産機による亜欧飛行が、世界未曾有の大記録を残しての成功である。いわばフランス人は日本人に惨敗したのである。にも拘(かかわ)らず、飯沼、塚越両鳥人の大成功には国を挙げての称賛を放って歓迎した。

(中略)

 すれば神風号の両飛行士に対しては、我朝廷におかせられても、特旨を以て勲六等に叙し、単光旭日章を賜ったのであるが、英、仏、独、伊各国に於ても夫々(それぞれ)その功績を表彰したのである。

(中略) 

 朝日新聞は、神風が東京、ロンドン間を何時間にて翔破するかを一般から懸賞によって募集した。

 この懸賞募集が何と五百万通近くに達したという。このように多数の応募者を得たということは、懸賞金の僥倖をねらった事、スポーツ的興味等色々総合されたことは事実であろうが、要するに、国民大衆の絶大なる関心事としたこと、その成功を祈る声援の意味があの結果を見たのであると思う。



帝国の翼「神風号」-南方で戦死した飯沼飛行士


出典:1942(昭和17)年 偕成社 中正夫著 「航空日本翼の勝利」 世界に輝くわが三大記録 「神風」号の偉業 (上掲飯沼飛行士、塚越機関士写真出典も同書)



 神風ロンドン着の報に、日本中は歓喜と感激に燃え上った。ああ、ついに、航空の先進国といわれるフランスの大飛行家たちでさえ成し遂げられなかった大偉業を日本がやったのだ。

 これこそ日本の航空技術が、精神が、いかなる国にもすぐれていることを世界に示した大偉業だったのだ。

『偉いぞ飯沼! すごいぞ神風!』 国民のよろこびは、両氏が五月二十一日、大豪雨を衝いて台湾から大阪へ、そして、東京に帰ってくると、熱狂してこれを迎えたのだ。

『この大飛行は、われわれ二人がやったのではありません。国民諸君の熱誠のおかげです。』 神風の勇士は、感涙にむせびながら叫んだ。世界の航空史に、こんな立派な大記録があるか。鋲一つ緩(ゆる)まず、神風は大役を果して帰ってきたのだ。往復三万キロの長途を ── 。

 かしこくも、叙勲の御沙汰をはじめ、全国からあらゆる賛辞と祝辞が、この若い「世紀の英雄」にそそがれた。

 が、この勇士は少しも誇らず、間もなく起った大陸の戦雲の中へ、何ごともなかったように飛び込んで行って、報道陣のために働いた。

 そして、大東亜戦争が起ると、南方戦線に活躍していたが、惜(おし)くも飯沼飛行士は十二月二十一日大空の華と散った。だが、鳥人飯沼の名は、航空史のある限りさんと輝くだろう。 



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