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2014/07/08

蘆溝橋事件と日本革命


7月7日、支那事変(左翼的にいえば日中戦争)の糸口となった「蘆溝橋事件」から77年経ちました。

蘆溝橋事件の真相は、中国共産党が中国大陸をソ連に売り渡すため、そして日本で革命を起すために日本軍と国民党軍を衝突させる必要があったがために起されたということです。

なぜなら満洲国が建国されたままで、北支那方面も日本軍が押さえたままだとソ連が南下できないからです。

蘆溝橋事件が起きるまでの出来事を見れば、ソ連の五ヶ年計画(国力を増強する計画)が完了するまで、中国がソ連の代理戦争をやらされたことは明白です。

蘆溝橋事件は日本人と中国人民にとって、地獄の始まりの日でした。なにしろ、中国共産党が中国と日本をソ連にするために戦争を開始した日だからです。


【劉少奇】
蘆溝橋で日本軍と国民党軍が対峙しているその真中で発砲して逃げた犯人といわれている。中国人民革命軍事博物館に行けば、蘆溝橋事件の犯人が分かるというが、どんな親中売国奴でも「日本人」は入館禁止とのこと。ryushoki.jpg

重光葵(しげみつまもる)「戦争は共産党の暴力革命である」


日本敗戦後、ミズーリ号上で降伏文書に調印した日本全権重光葵(外相)は、共産党の世界赤化方法について述べています。その方法とは、すべての資本主義国同士を戦争させ、それらの国々の国民が食糧・物資不足などに不満を抱いた時にその国の内部から革命を起すというやり方でした。

この方法は、オーストリア革命で実際にユダヤ社民党が実行した方法です。

日本に共産党があるのも、日本のマスコミがほとんど左傾化しているのもそのためで、「雇い止め」、「反原発」、「ブラック企業」、「集団的自衛権」、「女性差別ヤジ」といった社会問題に左翼が飛びつくのも、日本で革命勢力を集めるためです。


【戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印する重光葵とマッカーサー】
重光は極東軍事裁判で、共産党の悪事について述べたが、共産党関係資料はほとんど却下された。「巣鴨日記」で重光は「極東軍事裁判は共産主義的空気の中で行われた」と記している。1946(昭和21)年12月11日、公職追放
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出典:1936(昭和61)年 中央公論社 重光葵 「重光葵手記」
    霧のろんどん 第四 国際関係の対立と蘇聯(ソ連)



 赤色蘇聯は其(その)満足国(管理人注:植民地や属領を持つ西洋列国)たる自国を共産主義の下に再組織して之(これ)を強化し、之を基礎として他の総(すべ)ての国を赤化せんとする国是を有(も)って居る。

満足国にしろ不満足国にしろ他の如何なる資本国も互(たがい)に相争って──之を帝国主義戦争と云(い)っている──共に倒れ、之(こ)れによって赤化革命を成就して世界を蘇聯を中心とする「ソヴィエト」組織にしようと云うのである。

従って蘇聯は先(ま)づ国力を培養する為(た)め四回に亙(わた)る五年計画を実行して如何なる国にも劣らぬ大国の建設を計って大体成功して居る。国際的にも自国の強化を計ることは躊躇なく実行する。

但し実力の充実せざる前に大国間の戦争に介入して万一にも国力を損ずることは之を避くるものであって、蘇聯の軍備は祖国の防禦の為めのみに存在するのであると云うのは此(こ)の意味である。

他国殊に大国間の戦争は蘇聯の最も望む処であって、他国の疲弊間隙に乗じて内部より赤化共産革命を興し一つ一つ世界赤化に進まんとするのであって「スタリン」の赤色帝国主義は彼(か)れ自身公表して何等憚(はばか)る処のないものである。




【1946(昭和21)年5月1日食糧メーデー】
共産党は「目下の食糧不足を解決するには天皇制廃止しかない!!」と国民を煽り、「赤旗の歌」を歌いながら皇居になだれこんだ。しかし、共産党は食糧不足を解決することはなかった。
S210501食糧メーデー 

同じく「食糧メーデー」。皇居前広場の群衆。日本にも革命前夜があった。
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1946(昭和21)年、共産党が煽動した労働争議デモ。
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毛沢東「日本革命は確実なものである」


重光葵の言葉を裏付けるように、1936(昭和11)年、蘆溝橋事件が起きる前年、毛沢東は「戦争によって日本で革命が起きる」と予言していました。


出典:1952(昭和27)年 筑摩書房 エドガー・スノウ 「中国の赤い星」 3 日本との戦争



一九三六年七月十六日。

私の質問 「この戦争はいつまでつづくと思いますか」

毛の返答 「それは中国人民戦線の力、中国と日本のいろいろな要因、中国に与えられる国際的援助のていど、ならびに日本の革命的発展の速度に左右されます。もし中国人民戦線が立派に協調をとげ、友好な組織をもち、また各国政府が日本帝国主義の脅威を認識して中国にたいする援助をおしまないならば、そうして日本に革命が急速に成長すれば、戦争は短く、勝利はすみやかにえられるでしょう」

(中略)

質問 「中日戦争が起ったばあい、日本に革命が起ると思いますか」

返答 「日本革命は可能性があるだけでなく、確実なものです。それは必ず起り、日本軍が一度大敗北すれば、急速に発展するでしょう」



【中国共産党と日本共産党の野坂参三】
共産党は外国のためにある組織。20130815_okano_mo.jpg


中共の終局の目的は世界革命


1928(昭和3)年、中共はモスクワで開催した第六次大会で「中国共産党の終局の目的はソヴィエト露国を中心とした世界革命である」と決議しました。

なので、蘆溝橋事件が勃発した時から、中共の役割は「倒蒋抗日」であり、一日でも長く支那事変を長びかせることでした。



出典:1931(昭和6)年 日本評論社 斎藤良衛 「ソヴィエト露国の極東進出」 中国共産党第六次大会決議



 千九百二十八年の七月に「モスコー」(管理人注:モスクワ)で、共産「インターナショナル」指導の下に開かれた中国共産党第六次大会で、過去の経験に鑑みて、従来の方針に幾分の改正を加えて居る、其の終局の目的が「ソヴィエト」露国を中心とする世界革命である事には、少しの変りは無いが、此処(ここ)に行く迄の道程としての目先きの活動方法を幾分更(か)えたと云うに過ぎぬのである。

(中略)

 また「吾人(われわれ)は革命高潮期のまだ発言しない今日は、大衆を中国共産党の周囲に結合し、不断に国民党の本質と罪悪とを暴露し、之(こ)れを推飜すべき運動を継続する」とも云っている。

(中略)

 右の決議に於ても明(あきら)かであるが如く、「ソヴィエト」露国は常に支那共産党を煽動指導して、支那全土の赤化に力(つと)め、之(こ)れが為(た)め支那は従来の軍閥間の内紛等に加えて、最近盛んに共産党の暴動頻発に苦しめられ、少くとも形式的に、支那南北統一の大業を成就した国民政府も、前門の虎が後門の狼に変ったのに業を煮やして居る。



ソ連の五ヶ年計画終了年に戦争勃発


重光葵が述べた「ソ連の五ヶ年計画」ごとに、満州事変、支那事変は勃発しています。

朝日新聞は戦前からソ連寄りだったせいか「偶然の廻り合せ」と書いていますが、その後の五ヶ年計画終了年にも戦争は起きています。

第三次五ヶ年計画終了年…1942(昭和17)年:前年の12月8日に真珠湾攻撃、昭和17年は米軍の反攻攻撃再開、アメリカ軍機が日本本土を空襲したドゥリットル空襲、ミッドウェイ海戦。

第四次五ヶ年計画終了年…1950(昭和25)年:朝鮮戦争勃発。

共産党が体力をつけると戦争が起きる、ということですね。


出典:1937-1938(昭和12-13)年 東京朝日新聞社 「朝日時局読本.第10巻」 はしがき



 ソ聯第一次五ヶ年計画完成年度に満洲事変が起り、第二次五ヶ年計画の最終年度に今回の日支事変は勃発している。これは偶然の廻り合せには相違無いとしても、極東の危局は所詮は力の均衡と比重が左右する。

日独防共協定にせよ、トハチェフスキー事件にせよ、この比重の一環ではないだろうか。日支事変の進行に伴って、いよいよ切実にソ聯の動向に関心を寄すべき秋が来た。



【蘆溝橋事件を報じる朝日新聞】
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何度も書き換えられた日本の歴史教科書


従軍慰安婦や南京大虐殺も、かまびすしくなってきたのは1980年代頃からで、それまではほとんど語られることのなかったものです。

戦時中、日本軍のあとを追っかけていた朝鮮人売春婦が「日本軍に強制連行された悲劇のヒロイン」に書き換えられ、南京大虐殺の犠牲者数は中共の「日本の原爆死者数を上まわるように」という指示によって、現実離れした数字になりました。


蘆溝橋事件も同じで、戦後、戦争を知る日本人が少なくなるにつれ、少しずつ歴史教科書は書き換えられ、現在では日本軍がしかけたものだと書かれている始末です。


従軍慰安婦、南京大虐殺、蘆溝橋事件と、これらに共通することは、戦争にまつわる捏造ということです。こういった宣伝を「共産党の武装解除工作」といいます。


日本人は戦争でこんなに悪いことをした、だから二度と愛国心や闘争心を持つのをやめろ!!


とありもしなかったことを、日本人の子供に刷り込んでいるわけです。そうして日本が抵抗せず、すんなりと中国に占領されるよう工作しているのです。

戦前から今日まで、戦争を必要としているのは「平和、平和」と宣伝している共産党です。


【蘆溝橋事件直後、停戦交渉を求めた日本軍】
蘆溝橋事件直後、停戦交渉のためナワをよじのぼり中国軍のいる宛平城にはいろうとする寺内大尉。この交渉は決裂した。
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【通州事件】
蘆溝橋事件の前に、通州事件、満洲での日本人虐殺、ソ連の度重なる違法行為などの日本挑発が続いていた。中国では満洲事変までに大規模な日貨排斥が8回も行われ、多くの在支日本人が侮辱され、殺された。rokoukyou04.jpg


出典:1975昭和50)年 成祥出版社 葛西純一編・訳 「新資料蘆溝橋事件」 



すいせんの言葉   国際比較教育学者 小池松次

 理屈や美辞麗句を並べても始まりませんので、当てにならない歴史教科書の実例をお目にかけます。

例1 「昭和十二年七月七日、支那兵が、北京近くの蘆溝橋で演習中のわが軍に発砲して戦をいどみ、更にわが居留民に危害を加えるものさえ現れました。」
(初等科国史 昭和十六年 文部省)


例2 「昭和十二年(西暦一九三七年)七月、北京の近くの蘆溝橋で、とつぜん日支両軍の間に戦いがはじまりました。」
(くにのあゆみ 昭和二十一年 文部省)


例3 「一九三七年、日本軍は北京の郊外で中国の軍隊を攻撃し、さらに上海でも戦争をはじめ、大じかけに中国へせめこみはじめた。」
(あかるい社会 昭和二十九年 代表者 周郷博 中教出版)


例4 「一九三七年、日本軍は、北京の郊外で中国の軍隊と戦いを始め……」
(あかるい社会 昭和三十年 周郷博ほか八名 中教出版)

 わずか十五年の間に、日本の歴史教科書記述は右のように四回も変っています。




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