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2014/07/02

共産主義は軍国主義の生みの親


7月1日、日本の集団的自衛権行使が閣議決定され、「日本の右傾化ガー」「軍国主義ガー」と反対する人達が湧いています。「軍国主義」とは戦前、共産主義の侵略を排撃する手段として誕生したものなので、日本の集団的自衛権行使に反対している人達こそ「軍国主義の生みの親」なのです。

なので「軍国主義」を排撃する人達は、共産主義者です。

「共産主義」はカール・マルクスという思想家が考えた一つの思想ですが、「軍国主義」はムッソリーニの反共運動に漠然と名付けられたものにすぎません。

特亜が日本侵略をあきらめ、日本の右傾化がイヤな人達が日本からいなくなれば、日本の右傾化はストップします。


【カール・マルクス】
ユダヤ人あるところに革命あり、欧州のいかなる革命も、ユダヤ人無くして成功したるものなし。
カール・マルクス肖像【出典】1937(昭和12)年 東京パンフレット社 大野慎 「ユダヤ人の陰謀を曝く」

侵略してきたのは共産主義国


日本の集団的自衛権行使に反対している人達は「軍国主義=侵略」と信じているようですが、この地球上に先に誕生したのは共産主義です(1917年のロシア革命で具現化した)。

一方、軍国主義誕生は、ロシア革命から2年後のムッソリーニによる「戦闘者ファッショ」組織なので、先に侵略してきたのは共産主義の方です。

1917(大正6)年にロシア革命によって誕生したソビエト社会主義共和国連邦は、翌1918年から世界赤化工作を開始しました。

共産党の目標はそのスローガン「世界同時革命」でも分かるように、世界中を共産党一党独裁の下に置こうという思想だからです。


共産党の目標「赤色帝国主義」

TPPも世界同時革命と同じ。
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その証拠として、1917年のソ連誕生後に世界中で革命や共産運動の嵐が活発になりました。

年  代革   命・共  産  運  動
1918年1月フィンランド労働者革命
  〃   8月 日本の米騒動
  〃  10月オーストリア革命
  〃  11月ポーランド独立共和国誕生、ドイツで水兵反乱・ミュンヘン革命
  〃  12月イタリア社会党が党の目的は社会主義共和国および無産階級独裁樹立と声明
  〃    9月イタリアで労働者による工場占領
1919年1月ドイツ共産党成立、ドイツブレーメンでソビエト政権樹立宣言、
ドイツ社民党が第一党になる
  〃    2月スイスベルンで社会主義者大会開催、在日朝鮮人留学生が独立宣言書発表
  〃    3月朝鮮独立万歳騒擾事件勃発、ハンガリーで共産・社会両党連立政権成立
  〃    4月赤軍が武力でウクライナ・ソビエト共和国樹立 
レーニン「世界革命の機はまだ熟さず」と語る
  〃    5月フランスパリで流血のメーデー、アフガニスタンがソ連の支援でインドに宣戦布告
  〃    6月フランスの後押しでラインラント共和国独立宣言
  〃    7月アムステルダムで国際労働組合会議開催、ドイツがワイマール憲法採択
  〃    8月日本で友愛会が大日本労働総同盟友愛会と改称

 
こういった共産運動の嵐に反抗したのが、日本、ドイツ、イタリアなどの「枢軸国」です。 日本とイタリアには皇室、王室があり、ドイツは共産主義者の無法ぶりとワイマール憲法(日本国憲法の原本)に国民がブチ切れたのでした。

枢軸国が反抗した共産党の実態


「枢軸国」とは「反共国」という意味ですから、共産主義者に「ファッショ」、「ファシスト」と呼ばれてもへこむ必要はありません。

共産党は自国を外国に売り渡し、民族の王を処刑して自分らが王になり代わりたいと思っている者らですから、共産主義者と呼ばれるよりも「ファシスト」と呼ばれる方がずっとマシです。


共産党に処刑された帝政ロシアのロマノフ皇帝一家

ロマノフ皇帝一家肖像

【ロマノフ皇帝一家の遺体を探す白系(反革命)ロシア人たち】
1918年秋、エカチェリンブルク近郊の森。しかし、いまだにロマノフ皇帝一家の遺体は見つかっていない。
1918年秋エカチェリンブルク近辺

共産勢力に煽動されて皇帝一家を処刑した喜びもつかの間、ロシア人は共産党員という異民族の王を迎えることになってしまいました。


出典:1938(昭和13)年 南洋協会編 「赤魔の手は伸びる」 六、赤魔の手は伸びる 



 共産党が宣伝に巧みなることは敬服に値(あた)いする。素朴な良民に呼(よび)かけるスローガンも魅力に富む、然(しか)しそれを実地に行っているソ連の実情は前述の通りである。

ロシヤの民衆は革命によって一部特権階級の桎梏(管理人注:しこく:手かせ足かせのこと)から免れたが、同時に百五十万の"党員"という特権階級を迎えて、窮乏と圧迫と、常識の判断を許さぬほどの厳重な監視の恐怖に戦(おのの)いているのである。




【プーチン大統領 ソ連の最初の政府の80から85%はユダヤ人】



【レーニン】


【トロツキー】
前陸海軍人民委員兼革命軍事会議長。1877年、南ロシアヘルソン県エリザベド郡ヤノフカ村出身のユダヤ人。torotuki00001.jpg


【ジノヴィエフ】
元第三インターナショナル執行委員会議長、ソ連邦共産党政治部員。1883年、南ロシアヘルソン県出身のユダヤ人。jinobiehu00001.jpg


【リトヴィノフ】
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重光葵(しげみつまもる)
「ナチもファッショも独伊赤化勢力が生んだ反動である」


日本敗戦後、ミズーリ号上で降伏文書に調印した重光葵は、その手記に『ナチスとファッショは共産勢力に対抗する手段だった』と記しています。

【重光葵】
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大東亜戦争で日本が戦った敵は、世界を丸飲みにしようとした共産党でした。

敗戦後の日本が、急速に左傾化した理由でもあります。

日本共産党や中国共産党、朝鮮共産党がソ連の指令で日本で革命を起そうとした、なので日本は共産勢力を排撃するために戦争することになった、ということです。


出典:1952(昭和27)年 中央公論社 重光葵 「昭和之動乱」上巻
    ナチ・ドイツ 



第一次世界戦の生みたるもの

 ソ連のボリシェビキ共産革命は、世界を挙げて赤化し、資本主義を倒して、プロレタリヤ(管理人注:労働者階級)の専制時代を出現せしめんと企図するものであった。

これは、レーニン以来、共産党の一貫した方針であって、この目的を達するために、常により極端なる思想と政策とが採用された。

レーニン死後、スターリンの現実政策は、トロツキーの理論派とは異なり、共産祖国ソ連ロシアを強化し、その実力を背景として、世界赤化の目的を達することに重きを置き、ますますスラブ的全体主義の色彩を帯びて来たことが特色である。

共産党は、その目的達成のために、世界到るところに散在する共産党の組織及び第五列を自由に活動せしめ、更に「目的を達するためには手段を選ばぬ」活殺自在の戦術を運用した。

 共産党革命運動は、ソ連の力の及ぶ場所ほど、また第五列的勢力の強大なるところほど、盛んであることは云(い)うまでもない。

 第一回世界戦争後の、東欧及び中欧諸国の混乱状態は、共産革命の最も乗ずべき第一の機会であった。

(中略)

ワイマール憲法とドイツ国民

 第一次世界戦争直後、ハンガリーを赤化したベラクーンの革命は遂に失敗し、ポーランドに対するトハチェフスキー軍の進出は、ビルスツキー及びウエガンによって撃退されたが、ドイツにおいては、ポーランド共産党出身のユダヤ系ローザ・ルクセムブルグや、リープクネヒト等の指導する共産党の運動が、益益(ますます)白熱化し、ドイツは、恰(あたか)も赤化革命の前夜の如き喧騒を久しく続けるに至った。

秩序を尊ぶドイツ民族は、この不安なる政情に対し、益々不満を抱くに至り、ワイマール憲法による民主主義なるものは、到底敗戦後のドイツを救済するに足らぬ。これはただ単に強制せられたる借りものであると、感ずるようになった。

(中略)

欧州における赤化勢力とファッショ勢力

 ナチもファッショも、その主義とするところは、左右両翼の思想を統合合体したもので、その実体は、国家社会主義実行のための独裁的全体主義であった。

共産主義と異なるのは、国粋主義に立つ点にあり、資本主義と異なるのは、社会主義実行を努めた点にあり、民主主義と異なるのは、その独裁的にして個人を排する全体主義的な点にある。

 ナチもファッショも、何(いず)れも独伊赤化勢力の生んだ反動であり、穏健なる中道民主主義をもってしては、到底救い難き事態を救わんとするに出でたものである。

もし、第一次世界戦争後に、欧州にファッショ及びナチが起らなかったならば、欧大陸全部の赤化は、到底免れ得なかったであろうことは、スペインにおける赤化闘争に鑑みても想像し得られるところである。

当時、スペインは全く赤化されていたのであるが、赤軍包囲中にあった、フランコ側アルカザールの守将、モスカルド大佐の如き愛国的英雄によって初めて救われたのである。




【資料出典】
1929(昭和4)年 外務省欧米局第一課 「現代「ソヴィエート」聯邦人名録」


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