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2014/06/28

露韓秘密条約で日露戦争開戦


「皇国の興廃この一戦にあり」で有名な日露戦争ですが、日本が日露戦争を戦わざるを得なかった原因の一つとして「露韓秘密条約」が挙げられます。

「露韓秘密条約」とは、ロシア艦隊以外に朝鮮半島の馬山、巨済島とその対岸の土地を租借させない、という内容の条約でした。

この密約は「馬山浦事件」とも呼ばれました。

【朝鮮:馬山と巨済島】
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【露韓秘密条約】
1900(明治33)年締結。日本から見たこの密約は、ロシアのウラジオストックと旅順両軍港の連絡基地建設であり、ロシアが日韓分断ののち、大韓帝国を属領化して、日本海を脅威するものでした。rokan_mituyaku.jpg

日清戦争終結から4年後、朝鮮は「大韓帝国」と国名を変え、清国と「韓清通商条約」を締結して、再び朝鮮半島に大量の清国人を流入させました。

そして日清戦争終戦から5年後の1900(明治33)年には、ロシアと「露韓秘密条約」を締結して、再び日本に災いをもたらしたのです。

大韓帝国、徹底的に日本を差別する


それのみでなく、大韓帝国は日清戦争終結の翌年にもロシアと森林伐採に関する密約を交わしていました。その密約によって大韓帝国は日本には大韓帝国内の伐採を許さず、ロシアには20年間に渡って伐採を許可しました。

大韓帝国の日本差別は徹底していて、1902(明治35)年、平壌在住だった日本人材木商が清国人と共同して鴨緑江上流から伐採した木材を流下し,義州付近まで来た時、大韓帝国兵に脅迫され、殴打引致されて、所持金一千円を奪われるという事件まで起きました。

そして、ついに大韓帝国内にロシア艦隊を呼び込んで、日本を威嚇するという手段に出たのです。


【坂の上の雲   日本海海戦】
日本の災いは朝鮮半島発祥。


現在、尖閣諸島付近を中国がうろついているだけで「憲法改正」が論じられるようになりました。なので、目と鼻の先の朝鮮にロシアが侵入した時の日本の警戒ぶりは尋常ではなかったと容易に想像できます。

現在、韓国は国民に「朝鮮の山をハゲ山にしたのは日帝」と教えているようですが、朝鮮のハゲ山を作ったのは朝鮮の火田民とロシアです。


「露韓秘密条約」締結の翌年、1901(明治34)年、ロシア駐日公使イズウォルスキーらが日本政府に、韓国を日露共同保護下に中立させよう、と提案します。

この「日露提携論」を知ったイギリスは、アジアにおける自国の権益が侵害されることを恐れ、「極東でロシアに対抗できるのは日本しかない」と言いだしました。

そして、日英同盟の締結となり、日本はイギリスの代理としてもロシアと戦争することになったのです。


朝鮮の日本に対する度重なる裏切りは、のちの「ハーグ密使事件」や現在の韓国外交からも明らかなように、『日本を利用したあとは他の大国の威を借りて日本を威嚇・排斥すること』が目的だということを、日本人は決して忘れていません。

北朝鮮による日本人拉致問題は、今回が最後のチャンスかも知れないので、日本政府はくれぐれも北朝鮮にダマされないようにして欲しいものです。

韓国も北朝鮮も、日本が援助したり保護したりする価値のない国です。


歴史はくりかえす

日本を威嚇しようと、自ら本当の侵略者にすり寄っていくのが朝鮮人です。どんなに自国民や世界に「朝鮮は5000年間独立国だった」と宣伝しても、事大な民族性は隠せないのです。

クネ「釜山までシベリア鉄道を敷設してね♡」↓↓↓

朴大統領「釜山発のシベリア鉄道を」 プーチン氏と会談
2013年9月8日 朝日新聞

 【サンクトペテルブルク=中野晃】韓国の朴槿恵(パククネ)大統領は6日、主要20カ国・地域(G20)首脳会議の終了後、ロシアのプーチン大統領と初めて会談した。両首脳は、港湾整備など極東開発での協力を確認し、朴大統領は「釜山発でヨーロッパまで行ける鉄路ができれば」と夢を語った。

 釜山からシベリア鉄道への連結には、北朝鮮の協力が欠かせない。南北首脳会談が実現した金大中(キムデジュン)、盧武鉉(ノムヒョン)政権下では、分断していた南北の鉄路の連結や貨物往来も一時実現したが、関係悪化で途絶えている。

ソース元URL:http://www.asahi.com/international/update/0908/TKY201309080041.html


クネ「日本よ、ビビリなさい」↓↓↓

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習近平訪韓と韓・中蜜月の明暗~首脳会談では日本を強く批判するだろうが、あまり中国に近づくと米国が離れる危険性
2014年6月27日 連合ニュース

(ソウル=聯合ニュース)習近平、中国国家主席が来月3~4日、韓国を国賓訪問すると両国政府が27日公式発表した。今回の習主席の訪韓が持つ意味は特別だ。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)体制になってからすでに2年たつが、北朝鮮を訪問することもなく、キム・ジョンウンを中国に招請することもしていない。同時に、昨年6月、朴槿恵(パク・クネ)大統領を北京に招請したのに続き1年ぶりに答礼の訪問形式でソウルを訪ねるというわけだ。(後略)



本記事の資料


露韓秘密条約とは


出典:1967(昭和42)年 朝雲新聞社 防衛庁防衛研修所戦史室 「戦史叢書 大本営陸軍部〈1〉」 第一章 日露戦争までの守勢国防



露国の満洲、韓国への進出

 これより先き日清戦争後、欧州列強は帝国主義敵形相を露骨に現して、清国蚕食を競った。まず第一に侵略の手を伸ばしたのは露国であった。

 露国は満洲進出の第一歩として、明治二十九年(一八九六年)に露清密約を締結した。それは露帝戴冠式に参列した李鴻章とロバノフ外相との会談の結果であって、対日戦争の場合の露清軍事同盟である。

 次いで露国は東清鉄道の敷設権を得た。越えて明治三十一年三月二十七日には、宿望の旅順、大連租借条約を締結し、不凍港獲得の念願はここに達せられた。

 露国は旅順、大連の経営に力をそそぎ、朝鮮問題について一時日本と協調的態度に出ていたが、英国が明治三十二年、南阿のトランスヴァール遠征の師を起こし、東洋に事をなす余力のないのを見るや、明治三十三年三月、韓国に迫って、艦隊の碇泊地を馬山(釜山西方四十粁(キロ))近傍に租借し、また巨済島とその対岸の陸地は、露国以外に租借させないという露韓秘密条約を締結した。これは実に旅順、浦塩(管理人注:ウラジオストックのこと)の両軍港の連絡基地であって、他面、日韓の交通を遮断し、日本の西の海を脅威して、韓国の死命を制しようとするものであった。

 これとともに、露国宮廷の探検隊が森林の視察を口実に、鴨緑江畔に姿を現わし、あらゆる資源開発の利権を握った。

(中略)

日露協商か、日英同盟か

 一方露国の駐日公使イズウォルスキーらは、大いに日露提携論を唱え、明治三十四年のはじめ、韓国を日露共同保護下に中立させようとの意見を内密にわが政府に通じていた。

 この日露提携論は英国に伝わり、少なからずその神経を刺激したようである。北清事変で、わが陸軍の実力を眼前に目撃した英国の当事者の中には、極東で露国の兵力に対抗できるのは、日本のほかにないという観念が高まってきた折であったので、日英同盟の問題は真剣に考えられるようになった。




アジア歴史資料センター:露韓秘密条約資料


出典:アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C08040962600:海軍省「明治33年3月下旬の馬山浦事件 電報のみ(3)」



電信訳文 三十三年五月二十四日発 青木外務大臣 在韓林全権公使 第九十二号 貴電第三十四号ニ関シ露韓秘密約定ハ既ニ「タイムス」新聞ニ公判セラレ欧洲列国ニ於テ之ヲ以テ露国ノ成功ニシテ韓国ニ於ケル日本国勢威ノ失墜ナルガ如ク評論スルニ至レルニ依リ帝国政府ハ韓両国ニ対シ該約定ハ啻ニ無要ナルミナラズ日本国ノ権利ヲ損傷スルモノナルヲ以テ之カ撤回ヲ促シ加之韓国ニ対シ露国ト同様ナル条件ヲ以テ馬山浦ニ於ケル地区ノ租借ヲ要求スルニ在リ

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大韓帝国の徹底した日本差別


出典:1905(明治38)年 博文館 幣原坦著 「日露間之韓国」  第二章 撤兵第二期日より第三期日迄韓国に於ける日露の関係 第一 韓国に於ける露国経営の着手


【意訳】
 そして私が伝え聞いたところによると、条約の本文は露国のものと韓文のものとに多少相違があるといい(後にこのことが一の争点となる)国際上秘密書類に属するがゆえに、素(もと)よりその詳細は知ることができなかったが、同月二十二日発行の漢城新報紙上で公となった。

条約の大意は実に左の如きものである。

一、韓国政府は露国人ブリノに朝鮮木商会社設立の権利を准許す
一、森林伐植区域は豆満江上流茂山及び鬱陵島幷(ならびに)鴨緑江の朝鮮辺界とす
一、伐植期限は二十箇年とす

(中略)

 明治三十五年七月十八日在平壌の日本材木商某が清商民と共同して鴨緑江上流より木材を流下したところ、義州付近まで来た時、韓兵に脅迫され、殴打引致されて、一千円の所持金を奪われた、という急報が伝わった。 



 第三 右に対する日本人の態度

 日本公使は阿部準輔氏の請願に依り、露国商人の森林伐植権と同等の権利を得ようと、清国大東溝の義盛公司代表者王廷化氏と合資会社を設立し、日清義盛公司の名義をもって日本領事の認可を経て、阿部氏をその代弁人とした。

日清義盛公司は当然、ロシアの森林会社と同等の権利を主張したが、五月一日の外部覆答によると、韓国宮廷は森林伐採権を日本人に認可する事はなく、また鴨緑江の森林伐植権は露国人に与えたものであって、これを日本人に与えるわけにはいかないと、何度も拒絶した。 




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