2017/09/23

北朝鮮のリンゴは日本産


北朝鮮の三代目がリンゴ園を視察したそうですが、北朝鮮のリンゴは日本産です。

日韓併合時代、日本は朝鮮在来果樹の品種が劣悪で栽培方法も幼稚だったので各地に勧業模範場を設けて朝鮮の風土に合う農産物を開発、定着させました。

日本が開発したリンゴだという証拠は樹高が低く、地面すれすれの低さで実がなっていることです。


日本が開発したリンゴを自分の功績のように語る三代目

北朝鮮リンゴ

三代目のリンゴ園視察を報じるNHK

三代目が視察に行った黄海道にも日本の勧業模範場がありました。


北朝鮮 キム委員長 3か月ぶりの経済動静 果樹園視察
2017年9月21日 NHK NEWS WEB

北朝鮮の国営メディアは、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長が果樹園を視察したとして、およそ3か月ぶりとなる経済関係の動静を伝え、国際的な経済制裁のもとでも、核開発と並行して、経済の立て直しを進める「並進路線」を堅持していく姿勢を国内向けにアピールする狙いがあると見られます。

北朝鮮の国営メディアが21日、写真とともに伝えたところによりますと、キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は、最側近の政治局常務委員2人とともに、南西部のファンヘ(黄海)南道にある果樹園を視察しました。

訪れた果樹園は、厳しい日照りの中でも、1ヘクタール当たりの収穫量を去年の2.5倍に増やすことに成功したとされ、写真には、実ったりんごを手にして笑顔を見せるキム委員長の姿などが写っています。

キム委員長は「わが人民が果物の豊作のニュースを聞けばどれだけ喜ぶかを考えると、たまった疲れも吹き飛ぶ」と述べたということで、生産者に賞金を出して労をねぎらったとしています。

キム委員長の経済関係の動静が伝えられたのは、ことし6月以来、およそ3か月ぶりで、北朝鮮としては、国際的な経済制裁のもとでも、核開発と並行して、経済の立て直しを進める「並進路線」を堅持していく姿勢を国内向けにアピールする狙いがあると見られます。

ソース元URL:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170921/k10011151051000.html

水色の欄が北朝鮮にあった勧業模範場です。

名 称位 置開設年月分掌業務
勧業模範場(本場)京畿道
水原
1906年/
明治39年4月
普通農事、土地改良、畜産、
農芸化学、植物病理、昆虫
西鮮支場黄海道
沙里院
1920年/
大正9年3月
畑作物一般
木浦綿作支場全羅南道
木浦
1906年/
明治39年3月
綿作
龍岡綿作出張所平安南道
龍岡
1920年/
大正9年3月
在来綿作
蘭谷牧馬支場江原道
蘭谷
1917年/
大正6年6月
牧馬
蠺(蚕)業試験所京畿道
水原
1909年/
明治42年
蚕業
女子蚕業講習所同上1910年/
明治43年2月
女子蚕業講習
蠺(蚕)業試験所京畿道
水原
1909年/
明治42年
蚕業
模範場の業務(1)実地指導
(2)模範作業
(3)試験調査
(4)土壌肥料等の分析
(5)種苗、種畜、種禽の育成及蚕種の製造ならびに
これらの配付
(6)技術員及当業者の養成



朝鮮総督府殖産局
「朝鮮の気候風土は果樹の栽培に好適だが朝鮮在来品種は劣悪、栽培法も幼稚なので勧業模範場を設けた」


出典:1927(昭和2)年 朝鮮総督府殖産局編 「朝鮮の農業」 第四章 作物 第九節 果樹



朝鮮の気候風土は果樹の栽培に好適せるを以て柑橘類を除くの外(ほか)栽培を見ざるものなし。其(そ)の主なる種類は梨、林檎、桃、柿、棗(なつめ)、栗、胡桃(くるみ)、葡萄(ぶどう)等にして産種相当多量に上れるものありと雖(いえども)在来果樹は柿及栗を除くの外品種概ね劣悪にして栽培法亦(また)甚(はなは)だ幼稚なりしに依り勧業模範場をして園芸に関する試験調査に従事せしめたり始政以来の施設せる事左の如し。(後略)




戦前日本人「勧業模範場で試作したリンゴは実が地面スレスレに実る」


出典:1917(大正6)年 誠文堂 渋川玄耳 「藪野椋十日本世界見物」 四四 稀代の果実


 
植えた年から直ぐ葡萄(ぶどう)が実って、地べたに累々として熟すと言へば、帰天齋(きてんさい)の手品としか思ふまいが、朝鮮では実地に其(その)手品が出来て居る。纛島(とうとう)といふのは京城(けいじょう)東大門外一里半漢江(かんこう)の沿岸で此処(ここ)に韓国官立の模範園芸場が有る、数年来蔬菜(そさい:野菜、青物)、果樹、花卉(かき)類の試作をやって居るが、韓国気候の乾燥なると、花期に降雨が少きと、盛夏雨期に入り秋季に快晴多き等種々の理由は、日本に於ての園芸事業とは余程違った珍しい結果を生じて果樹栽培に驚く可(べ)き好成績を示して居るといふ。場長の久次米邦彦氏が熱心に説明をしつゝ場内数十町歩(ちょうぶ:田畑や山林の面積の単位。1町は約99.17アール)、葡萄、林檎(りんご)、梨、桃、南瓜(かぼちゃ)、水瓜(すいか)、葱(ねぎ)、大根、牛蒡(ごぼう)、茄子(なす)、蕃茄(とまと)、色々雑多の作り物の畦路(あぜみち)を案内して呉(く)れられる、難かしい専門の講釈は聞いても覚えず書き留(とめ)ても解りはせぬが、迚(とて)も日本には有るまい、出来まいと思はるゝ不思議の事が幾何(いくら)もある。

(中略)

葡萄ばかりでない、林檎も桃も梨も日本より非常に余計に生(な)って居る。而(し)かも其(その)生り処が違って居る。言はゞ出鱈目(でたらめ)に生って居る。林檎や梨が地にすれすれに生るといふことは日本では見られない図だ、此処の果(くだもの)を一枝写生して日本人に見せたって、馬鹿な、此(こ)んな処に実が生るもんか、と嗤(わら)われ相(そう)に、幹の中途から出し抜(ぬけ)に五六顆(か:まるいものを数える語)もかたまって居るのである。其れも久次米氏の説明を聞けば決して無法に生ったのでも、間違って生ったのでも無く、韓国相応の理屈があって此様(このよう)に生らねばならぬ順序が有るといふ、して見れば皆正当の生り方と認めねばならぬ。


勧業模範場で栽培したリンゴの品種は、紅玉、柳玉、倭錦、鳳凰卵、国光、祝、旭、アレキサンダー、クーパースアーリーでした。

リンゴだけでなく、日本はブドウや桃なども多数の品種を試作して、朝鮮の風土に合う果樹を開発して定着させたのです。その結果、リンゴは「北朝鮮名物」といわれるまでになりました。


勧業模範場元山出張所報告「試験栽培したリンゴの種類は」


出典:1913(大正2)-1915(大正4)年 朝鮮総督府勧業模範場編 「勧業模範場報告. 第8号」 元山出張所 技手 小森園清治 果樹



果樹には模範栽培区と品種比較区とを設け模範栽培区は有望と認むべき品種を比較的広き面積に栽培して栽培方法を示すを目的とし其(そ)の既に栽培せるは苹果(ひょうか:りんご)にありては紅玉(千二百歩)柳玉(百六十歩)倭錦(五百三十歩)鳳凰卵(六百四十歩)国光(三百歩)祝(百八十歩)の六種にして梨にありては「バートレット」(六百歩)「ビーパリー」(六百歩)「ドワイアネ、ド、コミス」(二百歩)晩三吉(三百六十歩)の七種桃にありては上海水蜜桃(すいみっとう)(百六十歩)離核水蜜桃(四十歩)「サルウェー」(百六十歩)の三種、葡萄(ぶどう)にありては「プラッグ、ハンブルグ」(三百坪)「マスカット、ハンブルグ」(三百歩)の二種なりとす 而(そ)して本年生育の佳良なりしは苹果紅玉種梨晩三吉種「ビーパリー」種桃「サルウェー」種なりき

品種比較区は内外各地の優良品種を集めて試作し当地方に適するや否やを試みんとするにあり而(そ)して本年中植栽したる品種名は左の如し

苹果
紅玉 柳玉 倭錦 鳳凰卵 国光 旭 祝 「アレキサンダー」 「クーパースアーリー」
(後略)


【三代目が喜んでいるリンゴは国光のようです】
もしかしたら日本人が知らない日本の古い品種かも知れません。
朝鮮リンゴ1

【国光】
北朝鮮国光1【画像出典】Wikipedia



北鮮からの引揚者「あの名物のリンゴが色づく十日間」


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 朝鮮篇」所収
     元朝日新聞社清津支局長 兼元淳夫 「北鮮最後の日」



 水谷がここの保安隊長と会った結果を土台として、刀、ピストルなど一切の武器を、今夜のうちに畠(はたけ)に埋めること、朝鮮人の襲撃を防ぐため、各室から順に、二名の不寝番を出すこと、盗難予防、伝染病を防ぐため便所を清潔にすること、こんなことが決められた。こうして持久の態勢を整えるよりほか仕方がなかった。

 私は第一教室に割当てられていた。すでに夜である。汗と糞尿の悪臭がただよっている中で、女たちがしくしく泣いている。急変した事態がやっと身にしみて、思えば思うほどくやしく悲しくなってくるのだ。

 ほんの十日間、あの名物のリンゴがかすかに色づく短かい夏の十日間……それだのに、この変化はなんということだ、どうして信ずることが出来ようか……。


朝鮮人は密かに連合国と結託していて、終戦直後「戦勝国民」を自称して日本人を血祭りにあげたのですから、在鮮日本人がくやしく悲しくなったのも当然です。

日本が朝鮮を統治していた35年間、苦心して朝鮮に定着させたリンゴ、それすら食べられずに飢えた身体に伝染病を患って死んでいった日本人が大勢いたのですから。

日本人はこの恨みを決して忘れてはなりません。

「ああ、リンゴがくいたい…」飢えと伝染病で死んでいった在鮮日本人


出典:1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史 朝鮮篇」所収
    片山智恵 「四つの魂よ、さようなら」



 それから、暗くなって、いつものように、這(は)って出口へ入ると、隣りの部屋の赤坊の便器になっているバケツに用を足して、長い時間かかって、戻っていった。暫(しばら)くして、再び私の名前を呼びつづけていたが、辺(あたり)がずうと静かになった頃、精魂つきたように、そして、身体中の息をはき出すように、

「百合子、僕は、あまり長くなさそうだ」

 と一声、更に、

「ああ林檎(りんご)がくいたい。飴がくいたい……、ゆ、り、こ」

 と……それは、まるで、戯(たわむ)れてでもいるような安らかさと、静けさ。

 そして、それに答える私の声のないまま、松井の声は切れてしまった。


【日本敗戦を喜ぶ朝鮮人】
j_shintyugun.jpg

北朝鮮でも自力で発展できることを証明した日本


現在、北朝鮮が核実験やミサイル発射場にしている土地でも日本はあらゆる作物を試して、定着させました。

日本統治の35年間、朝鮮人はその作物を作ることで豊かな生活を送っていたのです。

三代目が喜んでいるリンゴを見てもわかるように、千年属国だった朝鮮人は大国への依存心が強く、自分らが困れば大国が助けてくれて当然と考えて、自分らでは何も努力しないのです。

だから日本が開発したままの古いリンゴを見て喜んでいる。もっと大きくて甘いリンゴにしようとは考えない。なぜなら、自分らを食わせてくれるのは大国だから、言うことを聞かなくなった国はミサイルで威嚇すればいい。そして作物を作れる土地で核実験をやる。

同族である韓国も北朝鮮とまったく同じで、経済破綻しそうだから日本から金をゆすりとろうとアッチコッチに従軍慰安婦像を建ててまわる。

北朝鮮には

「北朝鮮中のリンゴの木を引き抜いて燃やしてしまってからアレコレ日本を批判したり、ミサイルを発射しろ!」

と言いたいですね。

北朝鮮でリンゴだけが豊かに実るのは、日本が北朝鮮の風土に合わせて改良、開発したリンゴだからです。


朝鮮農業発達図:北鮮

日本が北朝鮮中に定着させた作物を示した図です。



朝鮮農業発達図:農産総額累年比較(線単位一億円)

1925(大正14)年までに農産物だけで全鮮で13億5000万円もの生産量に達していました。



朝鮮農業地図(縮尺三百万分の一)

北朝鮮の南部にあたる平壌近辺では果実の生産が盛んでした。三代目が喜んでいるリンゴは日本の努力の名残りです。



現在はミサイル発射基地になっている順安近辺では果樹栽培に加えて、養蚕、甜茶栽培、牛の飼育が盛んでした。



同じくミサイル発射基地である東倉里では米、大豆、トウモロコシ、牛の飼育が盛んでした。

北朝鮮東倉里1【画像出典】Wikipedia


実験用原子炉がある寧辺付近では米、トウモロコシ、大豆、養蚕、牛の飼育、養豚が盛んでした。

北朝鮮寧辺1【画像出典】北朝鮮の軍事施設



北のはずれにあるミサイル発射基地豊渓里付近でもジャガイモ、えん麦、養豚などが盛んでした。現在も北朝鮮でこれだけの農産物が収穫できたなら、ミサイルを発射して大国を恫喝する必要などないのです。

北朝鮮豊渓里核実験1【出典】Wikipedia

参考資料


日本が朝鮮に勧業模範場を設けた経緯

日露戦争後の1906(明治39)年、日本は朝鮮(独立後「大韓帝国」と改称)に勧業模範場を設けて大韓帝国政府に引き継ぎ、大韓帝国政府も全羅北道群山、平安南道平壌及慶尚北道大邱に出張所を増設しましたが、何を考えたか無能だったのか、ほどなく日本が設けた木浦勧業模範場出張所と群山両出張所を廃止してしまいました。


出典:1927(昭和2)年 朝鮮総督府殖産局編 「朝鮮の農業」 第九章 勧農機関 第一節 勧業模範場



一 沿革

明治三十八年十二月統監府の設置せらるゝや我が政府は朝鮮に於ける産業開発の極めて急務なるを認め明治三十九年四月勧業模範場官制を発布し地を京畿道水原に卜して(ぼくする:判断して定める)之(これ)を設置し、又別に全羅南道木浦に其(そ)の出張所を設置せり。越えて明治四十年に至り模範場及支場を挙げて韓国政府に引継ぎ同政府は全羅北道群山、平安南道平壌及慶尚北道大邱に出張所を増置したるも幾何(いくばく)もなく木浦、群山両出張所を廃止したり。

明治四十三年日韓併合の結果当場も総督府の管轄に帰すると同時に纛島(とうとう)演芸模範場、龍山女子蠺(蚕)業講習所、木浦臨時棉(綿)花栽培所及農林学校を併合するに至りたる為(ため)従来の出張所を支場と改称したると相俟(あいまっ)て支場は大邱、平壌、纛島(とうとう)、龍山、木浦の五箇所となり本場、五支場、出張所も亦(また)新設改廃せられたり。即ち大正元年には元山に出張所を新設し、大正三年には大邱、平壌の二支場を廃して其の業務を地方庁に移し又龍山支場を廃して水原に腹蠺(蚕)種製造所及女子蠺業講習所を開き、更に大正六年には江原道洗浦及蘭谷に支場を開設し、大正九年に至りては黄海道沙里院に支場、平安南道龍岡に出張所を増設したるも農林学校は教育制度の変更に依り当場の管轄を離るゝことゝなり、大正十二年行政整理に依る経費節減の結果徳源園芸支場を廃止し更に大正十三年の行政、財政整理の結果纛島(とうとう)園芸支場、洗浦牧羊支場を廃止するに至れり。現在に於ける本場、支場、出張所等の名称、位置及分掌事項を表示すれば左の如し。



北鮮の勧業模範場では田畑作物の調査試験、園芸試験と模範的栽培方法の研究、綿花の試作、試験などを行う


出典:1926(大正15)年 大阪屋号書店 藤本実也 「鮮満及北支那の産業」 勧業模範場



 総督府勧業模範場は明治三十九年に設置せられ、農事の模範実地指導、講習、講話、種苗、蠺(蚕)種、種禽、種豚の配付をなし其(その)他一般産業の改良、発達上に資する調査試験を為(な)す大規模の設備である。北は麗妓山を負ひ東北西湖に望み敷地四町八段歩で所属用地百五十九町歩余に及ぶ。

西鮮支場は黄海道沙里院に在って田畑作物の調査試験を行ひ、纛島(とうとう)園芸支場は京城府外纛島に在って園芸に関する試験及び模範的栽培を為し広く公衆の観覧に供して居る。徳沢園芸支場は咸鏡南道徳沢に在って園芸試験及び模範的栽培を為す。木浦棉(綿)作支場は全羅南道木浦に在って棉花に関する試験、調査、種子の馴化、栽培等を行ふ。洗浦牧羊支場は江南道平康郡洗浦に在って緬(綿)羊の蕃殖配付を主なる目的とし蒙古羊を輸入して「メリノー」種との雑種試験を行ふ。龍岡棉作出張所は平安南道龍岡郡、龍岡に在って朝鮮在来棉花の試作、試験を行ふ。蘭谷牧馬支場は江南道淮陽郡蘭谷面に在って蒙古牡馬を基礎とし、飼養及蕃殖試験を行ひ朝鮮に適する馬種を産出して之(これ)が普及を図る目的である。



北朝鮮のリンゴは日本産のものよりも美味であった


出典:1926(大正15)年 大阪屋号書店 藤本実也 「鮮満及北支那の産業」 金剛山と咸鏡北道



 実は元山から北方遠くの咸鏡北道の鏡城には親戚の経営する農場雉城園があるので親しく訪問しやうと思ったが不便であるから是(これ)も見合はせた。

 雉城園からよく贈って貰(もら)ふ梨や、葡萄(ぶどう)や林檎(りんご)は内地産よりも遥(はるか)に美味である。先年私は米国輸入の林檎と北海道、青森及川崎在のものと此(この)朝鮮産のものとを一度に集めて試食したことがあったが、其(その)時の成績では米国、朝鮮、北海道、青森、川崎と云(い)った風の順序であった。何故(なぜ)そんな物数寄(ものずき)をやったかと云ふと京浜在住の外人等が日本の林檎は不味(まず)くて食はれないから高価を忍んで米国から取寄せるとの事で一番、朝鮮産林檎を紹介して代用せしめたいと思ってやって見たが矢張り米国産には叶はなかったので失望したが内地産よりは優って居たので、朝鮮の園芸は将来見込(みこみ)あることを知った。



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